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平成天皇(皇后も)の公的発言は退位後も歴史資料として宮内庁ホームページで読めるようにして欲しい

 2017年12月24日配信(予定)のメルマガ金原.No.3026を転載します。
 
平成天皇(皇后も)の公的発言は退位後も歴史資料として宮内庁ホームページで読めるようにして欲しい
 
 12月23日が天皇誕生日として祝日となるのも、昨日を含めてあと2回。退位後も何らかの祝日として残すべきかについて議論があるようですが、平日に戻すのが、今上天皇のこれまでの振る舞いから考えて、より相応しいような気がします。
 
 それはさておき、誕生日の少し前(12月20日)、恒例により、宮内記者会との記者会見に臨んだ際の発言が、昨日の各紙に掲載されるとともに、宮内庁のホームページにアップされています。
 皇后の場合には、「皇后陛下お誕生日に際し(平成29年)宮内記者会の質問に対する文書ご回答」が発表されるだけで、会見自体は行われていません。
 
 ただ、昨日の朝日新聞などを読むと、「会見」とはいえ、事実上、用意した文章を読み上げるだけではないかと思われます。
 
朝日新聞デジタル 2017年12月23日05時09分
天皇陛下、会見で声詰まらせたことも 伝えてきた思い
(抜粋引用開始)
 継承に向け準備を行っていく――。天皇陛下は誕生日前の会見で、2019年の退位に向けた思いを語った。即位から29年。年に1度の誕生日の機会に、陛下はこれまでも様々な思いを伝えてきた。
 会見は20日、皇居・宮殿の石橋(しゃっきょう)の間であった。獅子の能面を着けた演者が舞う日本画家・前田青邨作「石橋」を背に、陛下は約12分間、用意した文章をゆっくりと読み上げた。
 九州北部豪雨被災地の復興の取り組みを「心強く思いました」と述べるなど、今年も災害や戦争で苦労した人への言及が目立った。
 2~3月のベトナム初訪問を振り返った際も、戦後も日本に帰らずベトナム独立運動に関わった「残留日本兵」の家族を「幾多の苦労を重ねました」と紹介。日本の家族と交流が続いていることに「深く感慨を覚えました」と述べた。
(略)
 戦後70年の15年は、会見の半分ほどの時間を戦争や平和への思いにあてた。多くの民間船員の犠牲について言及した際には声を詰まらせた。戦争を知らない世代が増えるなかで「先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います」と語った。
(略)
 ただ、質問数は徐々に減った。初期は17問もあったが、05年には3問に。14年に2問になり、会見で時間が余った場合に記者がその場で質問する「関連質問」がなくなった。15年以降は1問となった。
 誕生日会見の質問は、宮内記者会が事前に宮内庁を通じて陛下に伝える。宮内庁によると、陛下は毎回、資料を読むなど時間をかけて回答を考え、直前まで推敲(すいこう)する。高齢化に伴い、その負担が大きくなったことが削減の理由だった。
(引用終わり)
 
 「直前まで推敲」を重ねた「回答」が、1990年(平成2年)から2017年(平成29年)までの28回分、宮内庁ホームページに集積されています(平成11年と16年は体調の問題から文書回答)。
 
 私は、今年の8月15日、平成元年から29年までの、全国戦没者追悼式における「おことば」を全て読んでみました(全国戦没者追悼式における「おことば」(平成元年~29年)を通読して見えてくること)。
  29年分の8月15日「おことば」を通読しての感想自体は、ブログをお読みいただければと思うのですが、私が、その時気になったけれどブログには書かなかったことをここで書いておきます。
 それは、今上天皇の平成元年以来の「おことば」を読み始めた時、前代(昭和天皇)の「おことば」を読みたいと思ったのですが、どうしても見つからなかったことです。おそらく、「昭和天皇実録」を調べれば分かるのでしょうが、宮内庁には、国民誰もが読めるようにしておいて欲しいものだと思ったのでした。
 そして、それ以上に私が強く懸念したのは、現在、宮内庁ホームページに集積されている今上天皇や皇后の「おことば」や「記者会見」での、推敲を重ね、おそらくは身を削ってまで用意したに違いない文章の数々が、はたして譲位以後も、宮内庁ホームページで読める状態が継続するのかどうかということです。
 私が考えるに、これらの「おことば」や「記者会見」での公式発言は、貴重な歴史資料であり、国民共有の財産です。
 宮内庁には、是非、今上天皇退位後も、これらのアーカイブをホームページで容易に閲覧できるようにして欲しいと要望したいと思います。
 
 最後に、今年の宮内記者会との記者会見での質問と回答(のごく一部)を引用しておきます。
 
(引用開始)
宮内記者会代表質問
問 この1年,天皇陛下ベトナムへの公式訪問や九州北部豪雨の被災地お見舞い,鹿児島県の離島3島訪問など,国内外でさまざまなお務めを果たされました。6月には「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が成立し,9月には初孫の眞子さまのご婚約が内定しました。この1年を振り返りながら,退位の日までのお過ごしについてのお考えをお聞かせください。
 今年,宗像・沖ノ島と関連遺産群ユネスコ世界遺産に登録されたことは,喜ばしいことでした。10月に福岡県で行われた「全国豊かな海づくり大会」に出席する機会に宗像大社を参拝し,4世紀から9世紀にかけて沖ノ島に奉献された宝物ほうもつを見ました。沖ノ島は,我が国と朝鮮半島との間に位置し,航海の安全と交流の成就を祈る祭祀がそこで行われ,これらの宝物ほうもつは,その際に奉献されたとのことでした。
 また,それに先立つ9月に埼玉県日高市にある高麗神社を参拝しました。今から約1300年前に,高句麗からの渡来人がこの地に住み,建てられた神社です。多くの人に迎えられ,我が国と東アジアとの長い交流の歴史に思いを致しました。
(引用終わり)
 
(追記)
 私は、内田樹(うちだ・たつる)さんのように「天皇主義者」宣言をするだけの勇気も自信も学識もありませんが、『街場の天皇論』(東洋経済新報社/2017年10月)の第1部に収録された論考のいくつか、特に、「月刊日本」2017年5月号に掲載された「私が天皇主義者になったわけ」には、かなりの程度納得させられました。内田さんご自身のブログに転載されていますので、これだけでもお読みになることをお勧めします。
内田樹の研究室 2017年5月16日
天皇制についてのインタビュー
 
(弁護士・金原徹雄のブログから/皇室関連)
2012年3月19日(2013年2月24日に再配信)
3/11天皇陛下の「おことば」とマスコミ報道
2013年4月4日
「主権回復の日」式典と天皇陛下
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五日市憲法草案を称えた皇后陛下の“憲法観”
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天皇陛下の“日本国憲法観”(付・「陛下」という敬称について) 
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