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新宮市、大石誠之助(大逆事件犠牲者)を名誉市民に~市民の矜恃をかけた決定に敬意を表する

  2018年1月22日配信(予定)のメルマガ金原.No.3055を転載します。
 
新宮市、大石誠之助(大逆事件犠牲者)を名誉市民に~市民の矜恃をかけた決定に敬意を表する
 
 去る1月19日、新宮市が、大逆事件の犠牲者である大石誠之助(歴史上の偉人ということで敬称は省略)を名誉市民としたことを発表したというニュースに接し、非常に勇気付けられました。各種報道の内、毎日新聞の記事を引用したいと思います。
 
毎日新聞 2018年1月19日 20時23分(最終更新 1月19日 21時30分)
新宮市 大逆事件連座で処刑医師、大石誠之助を名誉市民に
(抜粋引用開始)
 和歌山県新宮市は19日、明治末期に起きた大逆事件連座して処刑された新宮市出身の医師、大石誠之助(1867~1911年)を名誉市民にすると発表した。地元医療に尽くす一方、反戦・反差別を主張した自由主義者としても知られ、市は「人権思想や平和思想の基礎を築いた」として107年ぶりの復権を実現した。
 大石は新宮市仲之町で医院を開業し、貧しい人から診療代をもらわず、「ドクトル大石」「毒取る先生」と親しまれた。一方、新聞や雑誌に社会問題に関するエッセーや論評を発表して自由、平等、平和を唱え、活発な言論活動を展開。大逆事件連座し、43歳の若さで刑死した。
 大石を巡っては、刑死100年の2011年に合わせ、市民から名誉市民に推す動きがあったが、市議会は同年3月、関連する請願を賛成少数で不採択とした。
 今回、議員有志から「国家の非をただすのが地元の矜持(きょうじ)だ」と機運が高まり、名誉市民に推す議案を提案。昨年12月、11対4の賛成多数で可決され、決定権を持つ田岡実千年市長が正式に決めた。田岡市長は「大石の遺志を後世に継承し、功績を広く発信して顕彰したい」とコメントした。
(略)
 大逆事件を研究する山泉進・明治大教授(社会思想史)の話 「共謀罪」法の成立など、国家の力が強化されつつある現代に、国に背いても信念を貫いた大石を顕彰するのは勇気ある決断で、大変評価したい。反発も懸念されただろうが、新宮の人々に受け継がれてきた反骨精神を見た思いだ。これが、幸徳秋水らの公的な名誉回復につながることを期待したい。
(略)
(引用終わり)
 
 1910年に摘発されたいわゆる大逆事件(幸徳事件とも)に連座して刑死した大石誠之助をはじめとするいわゆる「熊野・新宮(紀州)グループ」については、和歌山県教育委員会が作成した「ふるさと教育副読本 わかやま発見」「第2編 わかやまの歴史」「第4章 近代和歌山の発展」の中の記述を(以前にもブログでご紹介したことがありましたが)再度引用するのが良いと思います。
 
わかやま発見 第2編 わかやまの歴史
第4章 近代和歌山の発展
牟婁新報』と大逆事件
(引用開始)
社会主義思想と「牟婁新報」
 日露戦争に反対する声は,和歌山市でもキリスト教青年グループを中心に行われています。日露戦争の勝利は,わが国の国民に大きな自信を与えましたが,多大の負担を強いることにもなりました。そういった世相を反映して,社会主義の思想もおこってきました。
 毛利柴庵(もうりさいあん)が1900年に紀南の中心地田辺で発行した『牟婁新報(むろしんぽう)』は,社会主義の考えをもった記事も書かれている新聞として,広く世に認められていきました。柴庵は,新しい仏教の考えを取り入れた社会主義の傾向のもち主でしたが,考え方の広い人でしたから,1905年に社会主義者荒畑寒村(あらはたかんそん)が記者として田辺に招かれ,ついで管野(かんの)スガ(後に幸徳秋水の妻)も田辺に赴任すると,同紙はさらに激しい社会主義的主張をくり広げました。また,東京などの社会主義者たちとも交流が深かった,新宮の医師大石誠之助(おおいしせいのすけ)も,この『牟婁新報』の有力な投稿者の1人でした。
大逆事件と大石誠之助らの悲劇
 社会主義思想が田辺で最も盛んであったのが,荒畑寒村(あらはたかんそん)らが活躍した1905~06年で,新宮で最も盛んになったのは1908年のことです。幸徳秋水がこの年の夏,新宮に大石をたずねています。大石は困っている人からは治療費をもらわないなど,「ドクトル(毒取る)さん」と親しまれていました。若者にも共感をよせていた大石の人柄をしたって,社会主義に関心をもつ青年たちが,大石のまわりに集まり,さかんに論議しあいました。
 1910年,長野県で弾を持っている者が見つかり,天皇の暗殺を企てたとして,全国で社会主義者の逮捕がつづきました。その中心者は,幸徳秋水ということにされました。世に大逆事件とよばれた事件ですが,このとき,大石を中心とする「紀州グループ」の人々6名も次々にとらえられていきました。そして,大石と成石平四郎(なるいしへいしろう)の2人が死刑,成石勘三郎(なるいしかんざぶろう)・高木顕明(たかぎけんみょう)らが無期懲役に処せられました。高木顕明は,新宮の浄泉寺(じょうせんじ)の住職で,貧困などで苦しんでいる人々の相談相手としてやさしく手をさしのべていました。そうしたことから,たくさんの人々からしたわれていました。また,成石勘三郎と平四郎の兄弟は請川(うけがわ)(田辺市)で将来を期待されていた青年たちでした。
 この事件をきっかけに,日本では,特に社会主義者のとりしまりがたいへん厳しくなりました。第二次世界大戦後,大逆事件にかかわる資料が次々と発見されてこの事件の真相が明らかにされ,大石らは,全くの無実であったことがわかりました。
(引用終わり)
 
 以上のとおり、和歌山県教育委員会の公刊物では、紀州グループ6人の名誉回復は事実上果たされており、また、犠牲者の出身地の議会においても、2001年9月には新宮市議会が、2004年11月には本宮町(現田辺市)議会が、名誉回復と顕彰の決議を行っています。
 今回は、さらに一歩進んで、大石誠之助の生前の功績を踏まえ、新宮市が、「名誉市民」として顕彰することになったものです。
 
 今回の大石誠之助を名誉市民とする件は、先月開催の新宮市議会12月定例会において、議員発案第2号として発議された、大石を新宮市名誉市民の候補者として推挙する議案が12月21日に議決され、決定権者である市長の判断が待たれていたものです。
  上に引用した毎日新聞の記事にあるとおり、市議会では、大石を名誉市民に推すことに賛成の議員が11人、反対が4人の賛成多数での議決でした。私は、どのような賛否の討論が行われたのか、是非会議録で読みたいと思ったのですが、12月定例会の会議録はまだホームページにアップされていません。そこで、市議会の議決を報じた記事の内、最も詳細であった紀南新聞の記事を引用したいと思います。
 
紀南新聞ONLINE 2017/12/22
大石誠之助を名誉市民に 改正条例に基づき推挙 市議
(抜粋引用開始)
 新宮市議会は12月定例会最終日の21日、故・大石誠之助氏を新宮市名誉市民に推挙する議案を審議。多くの傍聴者が見守る中、賛成多数(賛成11、反対4)で可決した。最終判断は市長にゆだねられている。
 5日、議員発議で「新宮市名誉市民条例」を改正し、2人以上の賛同議員がいる場合、議会の同意を得て名誉市民に推挙できるように制度が変更されていた。
 提案者として登壇した上田勝之議員は「貧しい人々や被差別部落の人々には薬代すら取らず、貧者や青年を愛することを使命としてきた。誠之助はすでに名誉市民である佐藤春夫などに大きな共感を与えている」などと推挙理由を説明。さらに「名誉市民と大逆事件は全く別のこと。誠之助に名誉市民の称号を贈ることはある意味、国家の非礼をただすことにほかならない。今こそ民主主義や人道主義、人権意識を論じ、実践した先達である誠之助をこの時代に、名誉市民に推挙する意味がある」と力を込めた。
賛否活発に討論
 反対討論を行ったのは4人。辻本宏議員は「(紀州グループの)6人の功績を考えると大石氏のみを名誉市民とするよりは、今のままで歴史的・社会的な史実として、崇高な精神哲学を後世に学んでもらうために個人の功績などを、世間一般に広く知らせていくのが懸命(※金原注:「賢明」の誤記か)だと思う。遺族、親族の気持ちも尊重しなくてはいけない」と話した。福田讓議員は「大石先生らは冤罪事件の犠牲になったことが明らかになってきたが、国家による名誉回復はされていない。また、市民も大石先生の人物像を熟知・認識していないこの現状で、名誉市民に推挙するのは理解に苦しむ。無実を勝ちとるために国家の誤った認識をただす以外に道はないと思う」と反対の意思を示した。北村奈七海議員と大石元則議員も反対討論を行った。
 一方、賛成討論したのは3人。松畑玄議員は「時の政府のねつ造により、先覚者である大石氏を失った熊野の損害は大きい。名誉市民に推挙することは、ゆがみつつある日本に一石を投じ、大石氏の唱えた自由、博愛、平等、非戦を再確認し、熊野新宮から発信する絶好の機会」と主張。大西強議員は「大石を名誉市民に推挙することは国民、市民が日本の近代史、熊野地方の近代史に関心を持ち、研究が活発になる。専制政治、軍国主義の怖さ、それに比較して現代の平和、自由、平等、人権尊重社会の価値などの再確認につながる。決して不幸な時代に逆戻りさせない覚悟を醸成するための契機となり、教育、文化の振興について意義があると考える」と述べた。
(略)
大石誠之助
 慶応3(1867)年、新宮出身。医師。文化人としても優れ、明治24年に渡米。オレゴン州立大学を卒業後、帰国して29年に新宮で医院を開業。留学し34年に再帰国。医術を駆使し、患者にどんな差別もなく人間として平等に扱った。貧しい人からは医療費を取らず、町民から感謝されていたという。洋食レストラン「太平洋食堂」を開き、自由民権運動にも励んだ。大逆事件によって命を落とすことになったが、その功績は大きく、名誉市民となっている西村伊作佐藤春夫中上健次にも思想的な影響を与えている。
(引用終わり) 
 
  いかがでしょうか。皆さんも、「是非正式な会議録を読みたい」と思われたのではないでしょうか。
  賛成するにせよ、反対するにせよ、「新宮市民の矜恃」をかけて、自らの信じるところを論じ合っている様子が、発言を要約した新聞報道を読むだけでも伝わってきます。私は、
なまじ大した議論もないまま「全会一致」で大石を名誉市民に推挙する議案が議決されるよりは、このような討論を経て11対4の賛成多数で議決されて本当に良かったと思います。
 私は、地元の人間ではありませんから、普段の新宮市議会の様子には全く疎く、何とも評価のしようがありませんが、上に引用した紀南新聞の記事を読んで、つくづく自分の住む和歌山市の議会状況と比較しない訳にはいきませんでした。
 12月21日の議会には、「大逆事件の犠牲者を顕彰する会」の皆さんも傍聴に駆け付けたようですが、私たち市民1人1人が、議会における議論の状況に常に関心を注ぎ続けなければということだと思います。
 いずれにせよ、大石誠之助を名誉市民とした新宮市に深甚なる敬意を表します。
 
(弁護士・金原徹雄のブログから/大逆事件関連)
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