YouTube版・立憲デモクラシー講座・第7回「「メディアと政治」を考える」(石田英敬東京大学教授)を視聴する
2018年4月6日配信(予定)のメルマガ金原No.3109を転載します。
立憲デモクラシーの会が、デモクラシータイムスと連携して始めた動画版(YouTube版)の立憲デモクラシー講座も、回を重ねて第7回がアップされました。7回目と言っても、4人目に登場した石川健司さん(東京大学教授・憲法学)が大河講義となったため、3回に分割してアップされたため、実質的には今回が5人目となります。
まず、番組紹介文を添えて、動画をご紹介しましょう。
(番組紹介文を引用開始)
2018/03/30 に公開
これが、予想外の大講義となりました。一挙公開します!
啓蒙思想の普及をささえた印刷術の紙の時代は、20世紀初頭の大型輪転機と電信の普及によって変容し、政治が、活字と映像の影響力を駆使しメディアを利用する時代となった。そして、1990年代以降のコンピューター、インターネットの普及によって、デジタルメディアの網の目にすべての人々が繋がれる世界が生まれた。
今、資本主義を支えるに至ったマーケティングが政治に活用される時代である。デジタルメディアの時代には、ひとりひとりにカスタマイズされた情報が届けられる。そういう時代に、私たちの意識は、ほんとうに私たちが自ら形成した意識と言えるのか。
現代では、ネットを通じて利用者が無意識のうちに提供する情報を大量に収集し、それぞれの利用者にカスタマイズした情報を効率よく提供できる。ネットを利用する私たちは私たち自身の言葉を持つことになるのだろうか。
(引用終わり)
私もまだ所々つまみ食い的にあちこち少しずつ視聴しただけなのですが、うーん、やっぱり難しそう、という印象です。・・・というように思う人にお勧めなのが、1時間08分~あたりから視聴してみることです。石田先生が、「野蛮な」国民投票法を何とかしなければと力説されている部分で、これなら何とか理解できるぞ、という人も多いでしょうから、そこを見てから、冒頭に戻るというのも聴講の方法としていいかも、などと思います。
それから、いきなり動画にとりかかる前に、石田先生の文章、それも本格的な論文ではなく、雑誌や新聞に発表された文章をいくつか読んでから、動画に挑戦するのも良いと思います。例えば、石田先生のブログなのでしょうかね、一般媒体に発表された文章を紹介しているサイトがあります。
最新の3月8日にアップされた記事は、「文学界」2018年4月号の特集「死ぬまでに絶対読みたい名著」に寄稿した『監獄の誕生 監視と処罰』(フーコー)についての推薦文(?)です。
(抜粋引用開始)
嗚呼、本当にそうなのだ。この本はほんとうに読んでおくべきだったのだ。あなた個人が生前に読んでおくべきだったばかりでなく、私たちのデモクラシーや立憲主義という政体の命脈が尽き、その臨終をむかえる前にそうしておくべきだったのだ。
ペストの流行が中世の終わりをもたらしたように、「トランプ病」や「アベ病」といった悪疫が流行している。いまヒトの知能は萎え、メディアの目は曇り、理想や倫理というような価値が絶え、世界は、「真理以後(ルビ:ポスト・トゥルース)に逆戻りしてしまっている。そのように、啓蒙の近代が発明した司法と正義が死に瀕することの顛末は、この本にはたしかに書かれており、であればこそ、ひょっとして蘇生への処方箋も見いだせるかもしれない。
(引用終わり)
さすがはフーコーの研究者としても知られる石田先生。ここまで書かれると、読まなければいられなくなりそうですね。もっとも、非常に高価なので、多分買わないと思いますけど(こういう本こそ図書館が備えるべきものです)。
ミシェル・フーコー著(田村俶訳)『監獄の誕生 監視と処罰』(新潮社)
これは分かりやすい。それに、昨年の解散総選挙の間、私が(そして多分多くの国民が)抱いた感想を代弁してくれていると感じました。
「政治と良識 普通の人々の感覚生かせ」『北海道新聞』各自各論 2017年11月11日(土)11頁
(引用開始)
「良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである」とは、デカルト『方法叙説』の始まりの一行だが、「良識」や「常識」が政治から失われて久しい。
(略)
プロンプターだけを見て話しかけるフリをする首相。丁寧に説明をするといいながら、相手の質問には答える気などない一方通行の答弁。何を聞かれても、「当然」、「問題はない」を繰り返す官房長官。果ては、野党の質問時間を減らして議論を封殺する。こうした不誠実さのコミュニケーションは、「共通感覚」のコミュニケーションからほど遠い。
恣意的な解散権の行使による、大義なき国政選挙。それに「対抗」するとして仕組まれた、野党のこれまた大義なき合併騒動。その話題に飛びついたマスコミ。それらすべてが、政治から「良識」をさらに遠ざけてしまった。
そんな中、人々の声に、「背中を押され」、たったひとり立ち上がった一人の政治家がいた。彼の演説はとてもシンプルでわかりやすい言葉だった。
今や政治は「右」でも「左」でもない。対立軸は、「上」からか「下」からか、であり、「後」ろ向きでなく、「前」へ進むべきだ。国の政治の身体が向かうべき、左・右、上・下、前・後の方向付け(オリエンテーション)の軸 -- つまり「共通感覚(コモンセンス)」 -- を取り直して見せた。政治における「あなた」と「私」の関係が顛倒しているとして、国民の「あなた」を政治における主権者としての「私」の位置へと据え直してみせた。
記者会見の受け答えは誠実なもので、ひとつひとつの質問にまさに丁寧な答えが返ってきた。彼は、久しぶりに見る雄弁の持ち主で、二年前の安保法制反対のSEALDsの学生たちの流れを汲むデザイン性の高いメディア・スタッフが支援したから、ソーシャル・メディアを通して、人の輪は瞬く間に広がり、新しい野党第一党が誕生した。当たり前の民主主義の「常識」が、かくも多くの人々に感銘を与えたのは、それだけ現在の政治が「良識」から遠ざかってしまっているからだろう。
小選挙区制とは、少数の票から無理に多数派を生み出すための制度であり、権力の偏在は必ず生まれ、放っておけば、権力は暴走する。グローバル化の勝ち組が、トップダウンでネオ・リベラルな政策を社会に押し付け、格差と不平等がどの国でも広がった。草の根から、政治を作り直すそうとする、市民社会の新しい政治の動きも、活発になり、アメリカ大統領選でのサンダース旋風やイギリス労働党のコービン現象のように、世界各国で新しい顔立ちを持ち始めている。課題はもちろん多い。市民の声を日常的に現実の政治に汲み上げるには、たしかな組織と地道な活動が必要だ。すぐに数合わせや野党再編の話に引き寄せようとするメディア報道も大いに問題である。永田町政治に取り込まれず、普通のひとびとのまともな「共通感覚」から、政治を取り戻そうとする動きに期待している
(引用終わり)
(弁護士・金原徹雄のブログから/YouTube版・立憲デモクラシー講座)
2018年2月18日
2018年3月12日
2018年3月14日
(弁護士・金原徹雄のブログから/立憲デモクラシー講座)
2015年11月15日
2015年12月12日
山口二郎法政大学教授による「戦後70年目の日本政治」一応の総括~12/11立憲デモクラシー講座 第3回)
2016年1月8日
中野晃一上智大学教授による「グローバルな寡頭支配vs.立憲デモクラシー」~1/8立憲デモクラシー講座第4回)
2016年1月31日
2016年3月28日
2016年4月11日
2016年4月25日
2016年5月15日
2016年6月16日
2016年10月22日
2016年11月21日
2016年12月17日
2017年1月16日
「立憲デモクラシー講座・第Ⅱ期」第4回・山口二郎法政大学教授「民主主義と多数決」のご紹介
2017年3月11日
2017年5月5日
2017年6月29日
2017年12月17日
2018年1月30日
2018年3月3日
「立憲デモクラシー講座・第Ⅲ期」第3回・石田淳氏(東京大学大学院総合文化研究科教授)「安全保障のディレンマと立憲デモクラシー」のご紹介