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伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラが伝える日本国憲法の意義-平和・反核・民主主義-(2018年)」を読む(前編)

 2018年4月14日配信(予定)のメルマガ金原No.3117を転載します。
 
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラが伝える日本国憲法の意義-平和・反核・民主主義-(2018年)」を読む(前編)
 
 ちょうど1週間前の4月7日(土)、和歌山市あいあいセンター6階ホールにおいて、伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)による講演会「ゴジラVSシン・ゴジラゴジラから読み解く平和憲法」を開催しました。
 主催した「伊藤宏氏講演会@和歌山実行委員会」のメンバーの一員として、準備に関わり、参加を呼びかけてきた私としては、何をおいてもブログでご報告すべきだとは思っていたのですが、講演が終わった後の達成感、充実感が素晴らし過ぎた場合には、かえってそれ以上何もしたくなくなるものだということを知りました。
 もっとも、当日のうちに、Facebookには簡単に速報していますので、それを引用しておきます。
 
【伊藤宏さん講演会&ゴジラ展、大成功!】
(引用開始)
 本日(4月7日)午後、和歌山市あいあいセンター6階ホールにおいて、伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)による講演会「ゴジラVSシン・ゴジラゴジラから読み解く平和憲法」が開かれ、100人近い聴衆を前に、伊藤先生から非常に熱のこもった分かりやすいお話があり、参加者一同、講演に引き込まれ、大成功でした。主に『ゴジラ(1954年の第1作)』と『シン・ゴジラ』を対比しつつ、他の作品にも言及しながら、ゴジラ作品が平和や反核とどう向き合ってきたかを跡づけるという、余人をもっては代えがたいお話の構成に、2時間の間、引き込まれっぱなしでした。最後のまとめでは、憲法9条の根底には「原発以後」という人類の歴史の大転換があるのだという幣原喜重郎(草案起草時の首相)の言葉(聞き書き)が引用され、講演は感動的な幕を閉じました。充実した質疑応答も行われ、ロビーに展示された膨大なゴジラ展(伊藤先生のコレクションの一部)が見られたことを含め、聴衆に大きな感銘と満足を与えてくれたはずと、企画した実行委員会一同確信しています。本公演会&展示会のために万全の準備をして臨んでいただいた伊藤先生に、満腔の敬意と感謝を表します。本当にありがとうございました。
 なお、写真は、開場前に急いでロビーに並べたゴジラコレクションの模様です(まだこの後追加で並べた分もありました)。実は、開演後と終演後の写真もたくさん撮っていたのですが、カメラからパソコンに取り込む際の作業ミスで、まことに残念ながら、誤って削除してしまったようで、ご紹介することができません。そこで、講演の模様やロビーの模様を撮影してくださった方は、是非ご紹介いただきたく、よろしくお願いします。
 ところで、もしかしたら、本日の模様を撮影した動画を、後日YouTubeにアップできるかもしれません。また、伊藤先生のご厚意で本日来場者に配布された伊藤先生の紀要論文「ゴジラが伝える日本国憲法の意義-平和・反核・民主主義-」(『信愛紀要』2018年第59号)をPDF化したものを、近日中に私のブログでご紹介できると思いますので、楽しみにお待ちください。
(引用終わり)
 

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 以上に書いたとおり、折角撮った写真データの大半が消失するという悲劇に見舞われたことも、本格的なレポートを書く意欲を削ぐ一因となっていたのですが、実行委員会事務局長である里﨑正さんから何枚かの写真(閉演後の伊藤先生と実行委員有志の集合写真が含まれていてほっとしました/里﨑さんが写っていないので申し訳ありませんが)を提供いただき、やや元気を回復し、これまた早速Facebookに投稿しました。
 
(引用開始)
 4月7日(土)の伊藤宏先生(和歌山信愛女子短期大学教授)講演会「ゴジラVSシン・ゴジラゴジラから読み解く平和憲法」(於:和歌山市あいあいセンター6Fホール)&ゴジラ・フィギュア展の写真です。私が撮影したデータの大半がアクシデントによって失われてしまったため貴重な画像です。提供者は、実行委員会事務局長の里﨑正さんです。ただ、惜しむらくは、ロビーに展示されたゴジラの全貌を写した写真がないことです。どなたか、そういう写真を撮っておられたら、是非ご提供ください(FBへの公開設定での投稿でも)。
(引用終わり)

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 ところで、上の投稿をシェアしてくださった伊藤宏先生の感動的なコメントをご紹介したいと思います。
 
「先日のゴジラ講演会(?)は、私自身は完全燃焼でした。近来稀に見るぐらい、力を込めてお話しさせていただき、今は真っ白な灰になった「明日のジョー」のラストシーン状態です(^_^;)」
 
 講師ご自身からこのように言っていただける講演会を準備した実行委員会もまた、とても幸せと言わねばなりません。
 
 ということで、4月7日の講演会に参加できなかった方に、どうやってその素晴らしさを伝えるべきかが問題です。
 当日のFacebookでは、①撮影動画のYouTubeへのアップ、②伊藤先生の紀要論文「ゴジラが伝える日本国憲法の意義-平和・反核・民主主義-」(『信愛紀要』2018年第59号)のPDFの私のブログでのご紹介を予告していました。
 この内、①については、「アップできるかもしれません」と、やや含みを持たせた表現にしていたのですが、諸事情(主には著作権法上の問題)から、YouTubeへのアップは断念しました。
 これに対し、②の紀要論文については、伊藤先生からブログへの転載をご許可いただき、すぐにPDFファイルも送っていただいていました。
 
 ご自身のFacebookの自己紹介のコーナーに、「原子力報道の検証、怪獣ゴジラウルトラマンの研究がライフワークです。」と書かれている伊藤先生にとって、ゴジラをテーマとする本格的な論文は、「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと-映画に描かれた「原子力」を読み解く-」(『子どもへの視点』(聖公会出版、2005)所収)に次いで、今回の
ゴジラが伝える日本国憲法の意義-平和・反核・民主主義-」(『信愛紀要』2018年第59号)が第2作となります(だと思います)。
 「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」は、伊藤先生のご厚意により、私のブログに2回に分載して紹介させていただいていますので(巻末リンク一覧をご参照ください)、未読の方は是非お読みください。
 
 4月7日に行われた講演「ゴジラVSシン・ゴジラゴジラから読み解く平和憲法」の内容は、概ね論文「ゴジラが伝える日本国憲法の意義-平和・反核・民主主義-」に沿ったものでしたから、私が講演の拙い要約をするよりも、端的にこの論文をお読みいただくに如(し)くはないと考えました。
 それも、PDFだけではなく、ブログ本文でもお読みいただけるようにした方が、読みやすいと感じてくださる方が多いのではないかと思いました。 ただ、その場合、1回でお読みいただくには分量的にボリュームがあり過ぎることから、前編・後編の2回に分載させていただくことにしました。章割りで言うと、
 
(前編)
要約
はじめに
1.深く刻まれた戦争の傷跡
2.強く打ち出された反核の決意
3.守り抜かれた非核三原則
(後編)
4.強調された平和の尊さ
5.民主主義社会への期待
6.『シン・ゴジラ』が描く「現実」
おわりに
【引用・参考文献および資料】
 
という風に分割しました。
 
 それから、4月7日の講演タイトルから想像がつくかもしれませんが、前作の「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと-映画に描かれた「原子力」を読み解く-」が、「制作者側(大人たち)は子どもたちに、原子力についてのメッセージをどのような内容で、そしてどのような方法でゴジラに託したのであろうか。さらに、そこから浮かび上がってくる問題点は何なのだろうか。映画における原子力の描かれ方の検証を通じて、それらを明らかにしていくことが本稿の目的である。」であったのに対し、今回の「ゴジラが伝える日本国憲法の意義-平和・反核・民主主義-」では、「今回の検証に当たってはその対象を、ゴジラがあくまでも「人類の脅威」として描かれた作品に限るものとし、「正義の味方」であったり、「怪獣プロレス」中心の内容であるものは割愛した。具体的には第1作『ゴジラ』(1954年)を中心に、第4作『モスラ対ゴジラ』(1964年)、第11作『ゴジラ対ヘドラ』(1971年)、第16作『ゴジラ』(1984年)、第25作『ゴジラ×モスラ×キングギドラ大怪獣総攻撃』(2001年)等を参照しつつ分析し、第29作『シン・ゴジラ』(2016年)の内容をその結果と比較するという手法を取る。」とされていることをお断りしておきます。
 
 それでは、伊藤宏先生による論文「ゴジラが伝える日本国憲法の意義-平和・反核・民主主義-」の、今日はまず前編をお届けします。

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 なお、上述のとおり、今回の論文では、「ゴジラがあくまでも「人類の脅威」として描かれた作品」に限定して論じられていますが、参考までに、現在までに公開された日本版ゴジラ30作品のタイトル、制作年、監督名を、ウイキペディアの「ゴジラ映画作品の一覧」から抜き出してご紹介しておきます。
(引用開始)
第1作『ゴジラ』(1954年)本多猪四郎
第2作『ゴジラの逆襲』(1955年)小田基義
第3作『キングコング対ゴジラ』(1962年)本多猪四郎
第4作『モスラ対ゴジラ』(1964年)本多猪四郎
第5作『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)本多猪四郎
第6作『怪獣大戦争』(1965年)本多猪四郎
第8作『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967年)福田純
第9作『怪獣総進撃』(1968年)本多猪四郎
第11作『ゴジラ対ヘドラ』(1971年)坂野義光
第12作『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』(1972年)福田純
第13作『ゴジラ対メガロ』(1973年)福田純
第14作『ゴジラ対メカゴジラ』(1974年)福田純
第15作『メカゴジラの逆襲』(1975年)本多猪四郎
第16作『ゴジラ』(1984年)橋本幸治
第17作『ゴジラvsビオランテ』(1989年)大森一樹
第18作『ゴジラvsキングギドラ 』(1991年)大森一樹
第19作『ゴジラvsモスラ』(1992年)大河原孝夫
第20作『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)大河原孝夫
第21作『ゴジラvsスペースゴジラ』(1994年)山下賢章
第22作『ゴジラvsデストロイア』(1995年)大河原孝夫
第23作『ゴジラ2000 ミレニアム』(1999年)大河原孝夫
第24作『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』(2000年)手塚昌明
第25作『ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)金子修介
第26作『ゴジラ×メカゴジラ』(2002年)手塚昌明
第28作『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)北村龍平
第29作『シン・ゴジラ』(2016年)樋口真嗣庵野秀明(総監督)
第30作『GODZILLA 怪獣惑星』(2017年・アニメ)静野孔文瀬下寛之
 

論文PDFファイル
 
                          ゴジラが伝える日本国憲法の意義
                             -平和・反核・民主主義-
 
                    Significance of the Constitution of Japan
                                that Godzilla conveys
                       -Peace, Anti-nuclear, Democracy-
 
                                                                           伊藤 宏
                                                                           Hiroshi Itou
 
                                         要 約
 本稿は、日本を代表するキャラクターの一つであるゴジラを素材に、シリーズ化された映画の内容分析を通して日本国憲法の意義を改めて問い直そうとするものである。ゴジラ映画の中で、日本国憲法について明確に語られるシーンはほとんどない。しかし、映画におけるゴジラの位置づけや描かれ方、登場人物の科白やゴジラへの対処方法などから、「憲法のことばに託された憲法の全体精神とはなにか、また、個々の条文にこめられた原理原則、つまり憲法の魂はなにか」(1)を汲み取ることが可能であった。また、現在大きな政治課題の一つとなっている憲法改正の議論についても、問題提起をすることができた。
 
                                        はじめに
 
 私は2005年に「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと・映画に描かれた『原子力』を読み解く」(2)で、ゴジラ映画における原子力の描かれ方を検証している。その際、ゴジラは1954年 に公開された第1作に主なメッセージが凝縮されており、それ以降のゴジラ映画、特に第5作目以降は何度か第1作への回帰が試みられたものの、結果的には「お子様ランチ化」「シリアスな大人向け恐怖映画として出発したゴジラが、子供だましの怪獣プロレスへと凋落してゆく過程」(3)から逃れられなかったとした。その後、ゴジラは銀幕から姿を消していたのだが、2014年にアメリカ版の『GODZILLA ゴジラ』が公開され、2016年に第29作となる『シン・ゴジラ』が、そして2017年には第30作となるアニメ版の『GODZILLA 怪獣惑星』が相次いで公開されるなど、再びゴジラが脚光を浴びるようになった。
 『シン・ゴジラ』は12年ぶりの日本版ゴジラということで、公開前から大々的な宣伝がなされていたが、その最中に1枚のポスターが目に止まった。一見すると映画の宣伝用ポスターのようだったが、「この今を、未来を、守る」というコピーが添えられた陸海空自衛官募集のポスターだったのだ。確かに、ゴジラ自衛隊との関わりは深い。1950年の朝鮮戦争勃発時、GHQ の指令に基づくポツダム政令で組織された警察予備隊に始まり、保安隊への改組を経て1954年、自衛隊法が施行され、陸海空の各自衛隊が成立したが、第1作『ゴジラ』は自衛隊が映画製作に協力した最初の作品となっている。だが、自衛隊の広報活動にゴジラが「協力」したケースはこれまでにはなかった。実際に、『シン・ゴジラ』を観てみると、その内容はややもすれば「自衛隊礼賛」となりかねない面もあったが、それ以上に登場人物の様々な科白が気になってしまった。
 『シン・ゴジラ』の総監督を務めた庵野秀明は「完成度と素晴らしさは最初のゴジラに集約している。あの面白さ、あの衝撃にわずかでも近づけたいと思ったら、同じようなことをやるしかないんです」と語っている(4)が、映画的な面白さはさておき、その内容を第1作と比較した場合、強い違和感を覚えてしまう。折しも、安倍晋三首相が進めようとしている憲法改正の中で、「改憲4項目」の一つが「第9条への自衛隊明記」であることを考え合わせると、第1作からゴジラ映画が紡いできた世界と、『シン・ゴジラ』が描く世界には大きな隔たりが感じられた。それが何なのかを、日本国憲法の目指す世界と対比しつつ検証を試みることが本稿の目的である。
 なお、今回の検証に当たってはその対象を、ゴジラがあくまでも「人類の脅威」として描かれた作品に限るものとし、「正義の味方」であったり、「怪獣プロレス」中心の内容であるものは割愛した。具体的には第1作『ゴジラ』(1954年)を中心に、第4作『モスラ対ゴジラ』(1964年)、第11作『ゴジラ対ヘドラ』(1971年)、第16作『ゴジラ』(1984 年)、第25作『ゴジラ×モスラ×キングギドラ大怪獣総攻撃』(2001年)等を参照しつつ分析し、第29作『シン・ゴジラ』(2016年)の内容をその結果と比較するという手法を取る。
 
                            1.深く刻まれた戦争の傷跡
 
 第二次世界大戦中(日本の場合は日中戦争から太平洋戦争にかけて)約310万人(軍人が230万人、一般人が80万人)の日本人が命を落としたとされる。度重なる空襲や広島・長崎への原爆投下によって、日本の多くの都市部は文字通り焼け野原と化した。人命もさることながら、和歌山県では国宝に指定されていた和歌山城天守閣が焼失するなど、膨大な文化遺産も焼失してしまった。人々は戦争の愚かさ、悲惨さを目の当たりにし、二度と同じ過ちを繰り返すまいという強い決意のもと、日本国憲法は誕生したのである(1946 年11月3日公布、1947年5月3日施行)。その決意は、以下に示す前文に込められている。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。(原文のまま)
 第1作『ゴジラ』が公開されたのは、憲法の公布からちょうど8年後の1954年11月3日、つまり文化の日であった。文化の日とは、国民の祝日に関する法律の第2条によれば、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨としている。日本国憲法が公布された日であり、日本国憲法が平和と文化を重視していたことから、1948年に「文化の日」と定められた。11月3日は明治天皇の誕生日であったため、1873年に公布された「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」では天長節、1927 年に改正された「休日ニ関スル件」以降 1947 年までは明治節として休日となっていたが、「文化の日」はそれとは直接関係はない。奇しくもゴジラは、憲法と「誕生日」が一緒になっているのだ。
 1954 年の日本は、敗戦から9年が経過し復興もかなり進んでいたとはいえ、まだまだ戦争の傷跡が残されており、それは第1作の中で随所に現れている。ゴジラ襲来の際、燃え上がるデパートの陰で夫を戦争でなくした母親が、2人の子どもを抱き「もう、お父ちゃまのそばへ行くのよ。ね。もうすぐ…もうすぐお父ちゃまの所へ行くのよ」と語りかけ、言い終わるとともに炎に飲み込まれるシーンがある。あるいは、GHKテレビアナウンサーが、ゴジラの移動を伝えるときの口調は、戦時中の大本営発表を思わせるようなものであったし、テレビ塔のMS短波無線機による実況報告班がゴジラの襲撃を受けて、まさに最後の瞬間を迎えようとした際に、まるで特攻隊のように「さようなら皆さん、さようなら」といって落下していった。登場人物の一人、芹澤大助博士は黒い眼帯を着けているが、その理由について尾形秀人は「戦争さえなかったら、あんなひどい傷を受けずに済んだはずなんだ」と述懐している。また、ゴジラの出現を伝えるニュースを受けて、電車の中で以下のような会話が交わされるシーンがある。
 
男性:そろそろ疎開先でも探すとするかな。
女性:私にもどこか探しといてよ。
男性:あーあ、また疎開か。全くいやだなぁ。
 
 さらに、ゴジラ襲撃後の焼け野原や傷ついた人々の描写は、まさに空襲後や原爆投下後の情景そのものであった。冠木新市は「東京は火の海と化した。この光景は戦時中の東京大空襲の再現ととらえられがちである。だが、特技スタッフの作ったミニチュアは1954年(昭和29)の東京を再現したものであり、実際には当時の日本人が見たこともない未来形の災害の映像化なのである。(中略)観客を近未来の災害の世界へ誘うと同時に過去の戦争体験へと向かわせる」(5)と述べている。ゴジラの脅威とは、まさに戦争そのものであったと見ることができるのであった。
 日本国憲法は11の章と103の条文から成り立っているが、特異な章がある。それは「第2章 戦争の放棄」で、ただ一つの条文しか記されていない。第9条である。
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 この第9条をめぐっては、憲法作成時の首相であった幣原喜重郎の次のような言葉が伝えられている。
「非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。だが今では正気の沙汰とは何かということである。武装宣言が正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考え抜いた結果もう出ている。要するに世界は今一人の狂人を必要としているということである。何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ」(6)。
 深い戦争の傷跡を背景に生み出された「非戦」の決意を、ゴジラがもたらす惨状によって、映画を見る者は再認識させられたであろうことは、想像に難くない。
 
                          2.強く打ち出された反核の決意
 
 第1作が公開された年の3月1日、静岡県焼津港所属のマグロ延縄漁船「第5福竜丸」が、アメリカの水爆実験による放射能を浴びるという事件があり、これに触発されて『ゴジラ』が制作されたという事実は有名である。当時、各国の度重なる核実験の影響で、日本各地で放射能を含んだ雨が観測されたことも重なり、核実験および核兵器に反対する世論が、またたく間に日本全国に拡がりつつある中、第1作は公開されたのであった。第1作の原作者である香山滋は、その著書『怪獣ゴジラ』の序章で次のように述べている。
「1952年11月X日―この日を境として、われらの地球は、かつて誰ひとり予想もしなかった恐怖の実験におびえおののかなければならなくなった。第1回水爆実験!それは破壊というよりはむしろ抹殺であった。実験基地エルゲラーブ環礁は一瞬にして『無』に帰し、放射雲は悪魔の髪さながら成層圏32マイルの空に乱れ狂った。越えて1954年3月X日―さらに新しき完成を誇る水爆がエニウエトック環礁において実験に供された。その成果について、われわれは詳細を知らされてはいない。しかし、実験当局自身『予想だもしなかった破壊力』と目をみはったということからして、その威力の恐ろしさに、われわれは肌に粟を生ぜざるを得ない。それは幸いに、実験の範囲にとどまってくれたであろうか。否、断じて否!」(7)
 大戸島で最初にゴジラと遭遇した山根恭平博士は、国会の委員会で、目撃したゴジラについて「ジュラ紀から白亜紀にかけて、極めて稀に生息していた海生は虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物であったとみて差し支えない」恐竜の生き残りと推測する。その上で、日本近海に出現した理由について「おそらく、海底の洞窟にでも潜んでいて、彼らだけの生存を全うして、今日にまで生きながらえておった。それが度重なる水爆実験によって彼らの生活環境を完全に破壊された。もっとくだいて言えば、あの水爆の被害を受けたために、安住の地を追い出されたと見られるのであります」と説明する。さらに、ゴジラと水爆実験との関連について根拠を問われた山根は「その粘土(筆者注:足跡から発見されたもの)のガイガーカウンターによる放射能検出定量分析によるストロンチウム90の発見」「つまり、ゴジラに付着していたこの砂の中に、水爆の放射能を多量に発見することができたのであります」と解説した。そして「これらの物的根拠からして、ゴジラも相当量の水爆放射性因子を帯びているとみることができます」と締めくくる。ゴジラは「水爆大怪獣」として、日本に姿を現したのであった。
 核をめぐる当時の日本の状況は、次のようなやり取りに端的に表れている。
 
女性:いやね。原子マグロだ、放射能雨だ…そのうえ、今度はゴジラときたわ。もし東京湾へでも上がり込んできたら、いったいどうなるの?
男性:まず真っ先に君なんか狙われるクチだね。
女性:いやなこった。せっかく長崎の原爆から命拾いしてきた大切な身体なんだもの。
 
 東京に上陸したゴジラに対し、防衛隊(後の自衛隊)のあらゆる攻撃は全く効果がなかった。東京は焼け野原と化し、かつての空襲の惨状が再現されてしまう。後述するように、以後のゴジラ映画では度々ゴジラを葬るために核兵器の使用が取り沙汰されるが、当時はまだその発想はなかった。それどころか、「いかにしたらゴジラの生命を絶つことができるのか、その対策を伺いたいんです」という政府関係者の問いに対して、山根博士は「それは無理です。水爆の洗礼を受けながらも、なおかつ生命を保っているゴジラを、何をもって抹殺しようというのですか」と答えているのだ。
 為す術もない中、最終的に登場するのが芹澤博士が研究していた「オキシジェンデストロイヤー」(もちろん架空のものである)であった。芹澤博士は、かつて許嫁だった山根恵美子(山根博士の娘で、尾形の恋人)に、最初にその存在を打ち明けている。その際、次のようなやり取りがある。
 
芹澤博士:水中の酸素を一瞬にして破壊し尽くし、あらゆる生物を窒息死させ、その後で液化してしまうオキシジェンデストロイヤー、つまり液体中の酸素破壊剤です。僕は酸素というものをあらゆる角度から徹底的に研究しようと考えた。ところがその研究途上で、思いがけないエネルギーを発見した。そして初めて実験をしてみた時、あまりの威力に我ながらゾッとした。2~3日は食事も喉を通らなかった。もしこれの砲丸大のものが1個あれば、それこそ東京湾一円の海中も、一瞬にして死の墓場と化すことも可能なのです。
恵美子:どうして、そんな恐ろしい研究を…。
芹澤博士:僕はただ科学者として研究を続けているにすぎません。
恵美子:ただ、もしもよ。もしもそれが恐ろしい目的に使用されたとしたら…。
芹澤博士:もしも兵器として使用されたならば、それこそ水爆と同じように人類を破滅に導くかもしれません。しかし僕は必ずこのオキシジェンデストロイヤーを社会のために役立つようにしてみせます。それまでは絶対に発表しません。もしもこのまま何らかの形で使用することを強制されたとしたら、僕は僕の死と共にこの研究を消滅させてしまう決心なんです。
 
 恵美子は芹澤博士と、絶対に口外しないと約束したものの、ゴジラ襲撃後の惨状を見るに見かね、恋人の尾形に自分が見聞きしたことを打ち明けてしまう。尾形は芹澤博士との約束を破ってしまった恵美子に対し、「芹澤さんだってこの悲惨な災厄を救うためならば、きっと許してくれるに違いありませんよ」と言い、2人で芹澤博士のもとに向かった。だが、芹澤博士はオキシジェンデストロイヤーの使用を頑なに拒む。その際のやり取りを以下に示す。
 
芹澤博士:尾形、許してくれ。もしこれが使用できるなら誰より先にこの俺が持って出たはずだ。だが今のままでは、恐るべき破壊兵器にすぎないんだよ。わかってくれよ。な、尾形。
尾形:よくわかります。だが、今ゴジラを防がなければ、これから先、いったいどうなるでしょう。
芹澤博士:もしも一旦このオキシジェンデストロイヤーを使ったら最後、世界の為政者たちが黙って見ているはずがないんだ。必ずこれを武器として使用するに決まっている。原爆対原爆、水爆対水爆、その上さらにこの恐怖の武器を人類の上に加えることは、科学者として、いや一個の人間として許すわけにはいかない。そうだろう?
尾形:では、この目の前の不幸はどうすればいいんです。このまま放っておくよりしか仕方がないんですか。今この不幸を救えるのは芹澤さん、あなただけです。たとえ、ここでゴジラを倒すために使用しても、あなたが絶対に公表しない限り、破壊兵器として使用される恐れはないじゃありませんか。
芹澤博士:尾形、人間というのは弱いものだよ。一切の書類を焼いたとしても、俺の頭の中には残っている。俺が死なない限り、どんな事で再び使用する立場に追い込まれないと誰が断言できる。ああっ、こんなものさえ作らなきゃ…。
 
 芹澤博士がオキシジェンデストロイヤーの使用を拒む理由は、日本への原爆投下についてトルーマン大統領が「原爆投下は戦争を早く終わらせ、人命を救うため、やむを得なかった」と主張した正当性に対する強烈なアンチテーゼとなっている。ゴジラの脅威から人々を救うという正当性を前にしても、なおかつ使用を拒む芹澤博士の姿勢は、核兵器を開発してしまった人類の愚行を二度と繰り返すまいという決意の表れであった。
 最終的に芹澤博士は、自らの命と引き替えにオキシジェンデストロイヤーを使用してゴジラを倒す。その後、山根博士の次のような言葉で『ゴジラ』は終幕している。「あのゴジラが最後の1匹だとは思えない。もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がまた世界のどこかへ現れてくるかもしれない」。このように、『ゴジラ』は核兵器に対する「怒り」が一貫して主張された作品であった。同時に、科学と政治との関わり、科学者の好奇心の問題、科学技術が軍事利用されることへの危惧など、21世紀に入った現在においても色あせない様々な問題提起が随所で明確に提示されていた。
 
                            3.守り抜かれた非核三原則
 
 日本国憲法の条文には反核(非核)という文言は一言も出てこない。だが、幣原首相は次のように語ったとされる。
原子爆弾というものが出来た以上、世界の事情は根本的に変わって終(しま)ったと僕は思う。何故ならこの兵器は今後更に幾十倍幾百倍と発達するだろうからだ。恐らく次の戦争は短時間のうちに交戦国の大小都市が悉く灰燼に帰して終(しま)うことになるだろう。そうなれば世界は真剣に戦争をやめることを考えなければならない。そして戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる」(8)
 そうした経緯から、日本は「非核三原則」を持つに至った。非核三原則とは、次のように説明される。
核兵器を製造せず、持たず、持込みを許さない、とする日本政府の方針。1967年12月、佐藤栄作首相が国会答弁で述べたもの。野党はこの非核三原則を国会決議とするように要
求したが政府、自由民主党は応ぜず、かえって非核三原則に加え、日米安全保障条約の堅持 (米核抑止力への依存)、核軍縮の推進、核平和利用の推進を核4政策と称し、核否定
の印象を緩和した。しかし71年11月、沖縄返還協定の承認に関連し、国会で非核三原則確認の決議が実現した。佐藤の74年度ノーベル平和賞受賞の第1の理由には、日本の非核政策があげられる」(ブリタニカ国際大百科事典)
 第1作『ゴジラ』以降、シリーズの中では度々ゴジラを倒すために核兵器の使用が提案される。しかし、一度も使用されることはなかった。その第一の理由が非核三原則にあったのだが、それが顕著に表現されたのは1984年に公開された第16作『ゴジラ』である。「昭和29年から昭和39年4月までのおよそ10年間に作られたゴジラ映画は4本だったが、昭和39年12月封切りの第5作目『三大怪獣 地球最大の決戦』から昭和53年3月封切りの第15作目『メカゴジラの逆襲』までの次の約10年間には、何と11本のゴジラ映画が作られている。子供をターゲットとする商業戦略の中で、ゴジラ映画は粗悪品の大量
生産・大量消費がなされてゆく時代へと入っていった」(9)のがゴジラ映画であった。そこで一旦は銀幕から姿を消すのであるが、第1作を強く意識して復活を期したのが第16作『ゴジラ』(タイトルも第1作と同じ)だ。以後の作品は「平成ゴジラシリーズ」と呼ばれているが、昭和最後のゴジラ映画でもあった。
 第16作では、ゴジラが日本の原発を急襲して一旦姿を消した後、その後の対応をめぐってアメリカとソ連(当時)が、三田村清輝首相に核兵器の使用を提案するシーンがある。その際のやり取りは以下の通りだ。
 
アメリカ特使:首相。アメリカはゴジラに対する有効な武器として、戦術核兵器の使用を決定しました。
ソ連特使:ソビエト核兵器ゴジラに対抗することを決定しました。
アメリカ特使:もしもゴジラが日本の周辺に現れた時は、核兵器を使わせていただきたい。これが大統領から三田村首相への要請です。
ソ連特使:首相。ゴジラ撃滅の方法は、戦術核の使用以外にない。貴国の同意を求めます。
アメリカ特使:その通り!
ソ連特使:いいですか。爆発はごく狭い地域に限られ、精密な慣性誘導装置により、正確にゴジラを葬れるのです。おわかりですか。もし日本がゴジラに襲われた場合、次に狙われるのはウラジオストックなどの太平洋艦隊基地です。首相、ご返答願いたい。
 
だが、三田村首相は黙って聞き入るのみで一切の返答はしなかった。
 場面は、アメリカとソ連の提案について協議する閣議となって、次のようなやり取りが展開される。
 
官房長官防衛庁長官。米ソの言う戦術核兵器というのはどの程度の規模のものですか?
防衛庁長官:えー、核威力は双方とも10キロトン。広島型原爆の約半分と聞いてます。
官房長官国土庁長官ゴジラが東京へ上陸したと仮定した場合、どの程度の被害が予想されますか?
国土庁長官:えー、予測は不可能です。
官房長官科学技術庁長官。戦術核の場合は?
科技庁長官:3平方キロの地域が完全破壊されます。しかし、住民等の避難誘導さえうまくいけば…。
大蔵大臣:つまり、戦術核を使用した方が被害が少なくてすむ。この際、やむを得ないんじゃないかな。
通産大臣:大蔵大臣。そう簡単に結論を出さんでほしい。核を使用した場合の放射能汚染の問題はどうなるのかね? それにゴジラに対して絶対に核が有効だという保障は?
大蔵大臣:万が一、首都圏が壊滅すれば経済的にも日本は半身不随だ。通産大臣はそこのところがおわかりになっとらんらしい。
通産大臣:私が申し上げてるのは、戦術核が本当にゴジラに対して…。
自治大臣:それは誰にも分からんだろう、やってみなければ。
統幕議長:よろしいですか、官房長官
官房長官:どうぞ、統幕議長。
統幕議長:戦術核というものは、実戦の小規模な戦闘に使われてこそ初めて効果のある兵器です。ところが米ソは、これまで何度もチャンスがありながら、実戦では使いそびれてきました。つまり…。
官房長官:米ソは実験をしたがっていると。
統幕議長:そうです。
自治大臣:なるほど、それで足並み揃えたってわけか。
外務大臣:総理、米ソの申し入れを蹴った場合、日本が外交的に孤立するということも。
 
 最後に三田村首相は、「皆さんのご意見は承りました」と述べて席を立つ。
 閣議後、再び米ソ特使との会談に臨んだ三田村首相は、「我が国には非核三原則というものがあります。核は作らず、持たず、持ち込ませず。今度の場合も、私はこれを順守したいと考えます」と述べる。するとソ連特使は「あなたの国のエゴイズムだ!」と怒り、「現に我が国の原潜はゴジラに撃沈されている。我々には報復する権利がある」と主張。アメリカ特使も「今は原則論を語っている時ではない!」と抗議するが、三田村首相は「こういう状況だからこそ、私は敢えてこだわるのです。安全な核兵器などあり得ません。そして一度使われてしまえば、抑止力としての均衡が破れ、世界の破滅につながります。それが核というものです。非核三原則が我が国のエゴイズムだと言われるのなら、それは認めざるを得ません。しかし、核を使いたがるのもアメリカとソ連のエゴイズムではないでしょうか」述べた。
 米ソ特使は苛立って頭を抱え、「いかがでしょう?」という三田村首相の問いかけにも返事がない。すると三田村首相は「仕方がありません。私が直接、両国の最高責任者と話しましょう」と言って、会談を終了する。その後、直接会談(電話会談であったと思われる)を終えた三田村首相は、「米ソ両首脳にはどのように話されましたか?」という官房長官の問いに、「もしあなた方の国、アメリカとソ連ゴジラが現われたら、その時あなた方は首都ワシントンやモスクワで、ためらわずに核兵器を使える勇気がありますかと。両首脳は納得してくれたよ」と答えた。1984年当時の日本は、ゴジラという未曾有の危機に際してもなお、非核三原則を守り抜いたのであった。
 
【脚注】
(1)奥平康弘『いかそう日本国憲法』(岩波書店、1994)P4
(2)西尾宣明・中村博武・伊藤宏編『子どもへの視点』(聖公会出版、2005)P149-188
(3)佐藤健志『さらば愛しきゴジラよ』(読売新聞社、1993)P76
(4)「シン・ゴジラ現代に急襲」(東京新聞2016年7月28日付17面)
(5)田中友幸有川貞昌中野昭慶川北紘一ゴジラ・デイズ ゴジラ映画40年史』(集英社、1993)P40
(6)鉄筆編『日本国憲法 9 条に込められた魂』(鉄筆文庫、2016年)P138
(7)香山滋『怪獣ゴジラ』(大和書房、1983)P7
(8)鉄筆編・前掲書P130
(9)小林豊昌『ゴジラの論理』(中経出版、1992)P20
 
【引用・参考文献および資料】
・赤星政尚、青柳宇井郎『大怪獣ゴジラ 99 の謎』(二見文庫、1993)
・和泉正明『公理的ゴジラ論』(アートン、1998)
井上寿一『戦争調査会 幻の政府文書を読み解く』(講談社現代新書、2017)
・奥平康弘『いかそう日本国憲法』(岩波書店、1994)
川北紘一監修『僕たちの愛した怪獣ゴジラ』(学習研究社、1996)
香山滋『怪獣ゴジラ』(大和書房、1983)
・小林豊昌『ゴジラの論理』(中経出版、1992)
・サーフライダー21『ゴジラ研究序説』(PHP、1996)
・サーフライダー21『ゴジラ生物学序説』(ネスコ、1992)
佐藤健志『さらば愛しきゴジラよ』(読売新聞社、1993)
・高橋敏夫『ゴジラの謎・怪獣神話と日本人』(講談社、1998)
武谷三男原子力発電』(岩波新書、1976)
田中友幸有川貞昌中野昭慶川北紘一ゴジラ・デイズ ゴジラ映画40年史』(集英社、1993)
・鉄筆編『日本国憲法 9 条に込められた魂』(鉄筆文庫、2016年)
・西尾宣明・中村博武・伊藤宏編『子どもへの視点』(聖公会出版、2005)
・野真典和他『ゴジラ研究読本』(パラダイム、2000)
野村宏平編『ゴジラ大辞典』(笠倉出版社、2004)
・ミック・ブロデリック編『ヒバクシャ・シネマ』(現代書館、1999)
・未来防衛研究所ゴジラ自衛隊』(銀河出版、1998)
 
(後編に続く)
 

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