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追悼 月山 桂 先生 Ⅱ~「新憲法と極東軍事裁判の思い出」他 折々の月山先生の思いを読む

 2018年11月6日配信(予定)のメルマガ金原No.3323を転載します。
 
追悼 月山 桂 先生 Ⅱ~「新憲法極東軍事裁判の思い出」他 折々の月山先生の思いを読む
 
 11月2日に配信した「追悼 月山 桂 先生~講演録「月山 桂 弁護士 憲法への思いを語る」(2005年8月25日)を読む」は、思いの他多くの方にお読みいただくことができたようであり、心から感謝致します。
 
 今日は、上記ブログでも少し予告させていただきましたが、月山桂先生が憲法に関わって書かれた短いエッセイを、ご遺族のご了解の下、紹介させていただきます。
 この「新憲法極東軍事裁判の思い出」は、2006年6月に発行された「憲法9条を守る和歌山弁護士の会 創立1周年記念誌 平和のうちに生きるために」の「第3部 会員寄稿~憲法にかける会員の思い~」のために月山先生が寄稿してくださった文章です。極東国際軍事裁判の結果について、「私は,これで良いのだと思った。」と書かれた月山先生のお言葉の背後には、日本国憲法への思いに裏付けられた、考え抜かれた末の深い思索があることを見逃すべきではないでしょう。
 
 また、月山先生は、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」顧問、あるいは「九条の会・わかやま」呼びかけ人として、市民向け講演会などにおける開会挨拶や閉会挨拶を引き受けられる機会も多かったのですが、そのような中から、2005年と2007年に行われた行事での挨拶をご紹介します。
 はじめは、2005年12月9日に和歌山市民会館市民ホールで開催された「リレートーク 自民党改憲案の検証」(主催:憲法9条を守る和歌山弁護士の会)での閉会挨拶、もう1つは、2007年6月2日に和歌山県勤労福祉会館プラザホープ4階ホールで行われた品川正治氏講演会「戦争・人間・憲法九条」(主催:九条の会・わかやま、憲法9条を守る和歌山弁護士の会)における閉会挨拶です。
 月山先生は、私の知る限り、ご自身が講演される場合はもとより、短い挨拶の場合であっても、周到に原稿を用意されるのが常でした。それでいて、一々原稿に目を落とされるというのではなく、ちゃんと聴衆に向かって話しかけられており、法廷での月山先生の弁論ぶりも(私自身はあまり拝見する機会がありませんでしたが)かくやであろうか、などと拝察していました。
 
 月山桂先生は、聖書研究にかかわるご著書を何冊か自費出版されていますが、「平和」についての思いをまとめられた著書としては、2009年5月1日に刊行された『法曹界に生きて平和をおもう』があります。
 自費出版でしたので、入手は困難であろうと思われますので、その「はしがき」の一部を引用させていただきます。
 先日ご紹介した講演も、今日ご紹介するエッセイや集会でのご挨拶も、全てはここに書かれた思いに導かれてのことであったと思います。
 
法曹界に生きて平和をおもう』「はしがき」より
(抜粋引用開始)
 私は、「九条の会 わかやま」の呼びかけ人の一人として、前大戦当時の軍隊時代の思い出を語り、在野法曹として憲法九条改正の動きに反対し、微力ながら何としてもこれを阻止したい。この想いが筆をとる切っ掛けとなった。
(略)
 私は、戦争とか、軍隊というものの実態を知らないまま九条が改正され、日本が再び軍隊を持ち、戦争のできるような体制になることは、前大戦の犠牲となり、現在の平和を購ってくれたあの世代の人たちに申し訳ない。国のために死んでいった戦友たちの死を無駄にすることになる。
 「学徒出陣」の名の下に、軍隊に駆り出されながら、「不思議に命永らえる」ことのできた一人として、北に南に、海に山に、戦死していった同僚たちの死を、何とかして今の世に意義あるものにしたい。そう願い、恥をも顧みず拙文を世に出す次第である。
(引用終わり)
 
 以下に、月山先生が遺されたエッセイやご挨拶を掲載しますが、その前に、11月3日(奇しくも日本国憲法が公布された日)に行われた月山桂先生の告別式に、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」会員一同が送った弔電をご紹介します。
 
日本国憲法9条が最大の危機を迎えた今、月山桂先生を喪ったことは痛恨の極みです。遺された私たちは、9条を守るという重大な責務を必ずまっとうすることを先生の御霊前にお誓いします。」
 
 なお、今回掲載した2枚の写真は、いずれも憲法記念日に撮影されたものです(ともに金原撮影)。
 1枚目は、2013年5月3日、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」が呼びかけて実施された「憲法9条を守り生かそう わかやまアピール行進」の先頭で、「平和憲法9条を守ろう」と書かれた横断幕を持って先導される月山桂先生です(先頭の左からお2人目が月山先生)。 
 もう1枚は、その翌2014年の5月3日、「9条ネットわかやま」と「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」が提唱して、和歌山城西の丸広場で開催された第1回“HAPPY BIRTHDAY 憲法 in Wakayama”の会場を訪れた月山先生のお姿です(向かって右側は「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」共同代表の山﨑和友弁護士、左側は「9条ネットわかやま」共同代表、「九条の会・わかやま」呼びかけ人の花田惠子さんです)。

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憲法9条を守る和歌山弁護士の会 創立1周年記念誌 平和のうちに生きるために」(2006年6月28日発行)
「第3部 会員寄稿~憲法にかける会員の思い~」から
 
                          新憲法極東軍事裁判の思い出
 
                                       月 山   桂
 
 1948年11月中旬のある日,司法修習生の見学会か何かの催しが蔵前の国技館であり,その帰り,友人たちと別れ,駿河台の英米法研究室に立ち寄るべく,独り蔵前から両国橋近くを歩いていた。焼け野原も徐々に復興し,バラック建てながら店舗が立ち並んでいた。とあるラヂオ屋さんの前で5,6名の人が耳をそば立て佇んでいた。極東軍事裁判の判決の言渡しだ。私も仲間に入れて貰って聞き始めて間もなく,Hideki.Tojo,Death by hanging。ウェッブ裁判長による判決の宣告は,そのあとも続いた。聞いていたひとはみな特別の反応を表わすこともなく,黙って去っていった。私も。勝者が敗者を裁く。占領軍の統治下にあって占領軍が被占領軍の戦争指導者を裁く。インドのパル判事ならずとも,裁判に名を藉りた復讐にすぎない,と,裁判の国際法的な正当性に疑問はあった。しかし私は,これで良いのだと思った。国民の目を蔽い,国民を欺いて正義の戦いと思い込ませ,何百万もの国民を死に至らせるほか,広島,長崎,この東京をはじめ,50を超す都市を戦火により灰燼に帰せさせ,数え切れない犠牲を国民に強いた彼らの罪は,国内的にも許されるものではない。誰かによって裁かれなければならない。しかし果たして日本人が日本の法廷で能く裁くことをなし得ただろうか。悔しい想いがしつつ,私は,これで良いのだと思った。
 私は,その2年前の11月頃だったか,戦後最初の,そして最後の高文試験・司法科試験を受験した。憲法は,新・旧どちらでもよいと言うことなので,私は,新憲法を選択した。準備のできていない私には,印刷された資料といえば帝国議会での草案説明の新聞報道しかない新憲法の方が取り組み易かった。裏表ぎっしり印刷された新聞紙を,コピー機もなく紙質も良くなかった当時のこととて大切に保管し,これに赤線,青線を引いた記憶がある。内容的には殆ど記憶していない。三原則のうち平和主義に出た戦争放棄の九条については,左程違和感なく私には理解された。一つには,ポツダム宣言受諾による無条件降伏,軍の解体,占領軍の進駐前に一刻も早く兵隊を復員帰郷させる,軍用物資全部を進駐軍に滞りなく引渡しする,そういった終戦業務に携わったものとして「交戦権は認めない」とか「陸海空軍は持たない」ということは,やってきた業務の延長線上のものだった。また,それにもまして満州の陸軍経理学校の卒業のとき,校門まで見送って「手を揮って茲より去れば,蕭蕭として班馬鳴く(てをふるってここよりされば、しょうしょうとしてはんばいななく)」の想いで別れた戦友の多くが未だシベリヤから帰れないでいる。戦争とは,何と悲惨な,何とむなしいものか。そんな想いでいた私には,戦争放棄の規定は,理屈なしに受け容れられた。戦争のない世界,戦争をしない国,軍隊をもたない国。戦火によって人間を不幸にしない国。それは人類至高の夢であり,憧れだ。日本をその理想を掲げる国,その栄誉ある国にしたのが,ほかならぬ戦勝国である連合国であり,アメリカであった。アメリカや連合国には,日本を再び自分たちに刃向かうことのできない国にするため,という考えがあったかも知れない。しかし,このような機会がなければ,九条の規定は生まれない。
 私は,2年前に公布された新憲法と,先程聞いた極東軍事裁判の判決の意義を考えつつ,夕暮れ迫る駿河台の坂道を上ったことであった。60年も前のことである。
 

リレートーク 自民党改憲案の検証
日時 2005年12月9日
場所 和歌山市民会館市民ホール
主催 憲法9条を守る和歌山弁護士の会
閉会のあいさつ
 
○月山 桂
 たいへんお疲れでございました。
 私が伺っておりましても、ある意味では難解で、こういう難しいことで憲法九条を守らなければいけないのかなという感じをしたぐらい、難しい問題というふうに捉えられた向きもあったんじゃないかと。尤も、今日お越しの方は、皆さん日頃から勉強されておりますので、聞いておられてもそれほど難しい問題じゃない、ある意味ではもっと高次な考え方をすべきだというふうな方もいらっしゃるかとも思います。
 この九条の問題、これは単なる政治の問題じゃない。また、政治家のみの問題じゃない。国民一人ひとりの問題、命の問題だと。そういうところに原点をおかなければいけないというふうに常々思っております。
 自民党の案では、交戦権を認めよう。戦うことを認めよう。あるいはまた、戦うことの正当性というものを見出そうというふうなことで一生懸命になっているように感じます。自民党のような考え方もあろうかとは思いますけれども、この交戦権を認めた場合の軍隊、その軍隊に組み込まれていく我々国民、それはどういうふうになるのかという点です。戦力に組み込まれる国民。私はその国民の立場に立たなければ、この憲法九条の問題というのは理解しがたいんじゃないかというふうに思っています。
 先程から理論的に立派なお話を伺いましたけれども、私はしょっちゅう感じるんですけれども、憲法九条の問題というのは命の問題だ。そして、この憲法九条のそもそもの制定の由来、これはやはり戦争による悲惨さ、そこから出ているんだというふうに思うんです。我々の親兄弟、あるいはまた子どもたち、これらが戦場で、また銃後で非常に苦しい中を戦い、そして倒れていった。そういうふうな思い。あるいはまた、原爆によるあの広島・長崎の悲惨な状態。それは象徴的なもので、この我々和歌山市民にとりましても、この温かい町の全てが灰じんに帰せられたあの7月9日の焼夷爆弾。死の灰じん。私はそういうところがやはり憲法九条の出発点だというふうに思うんです。憲法九条は、そういうふうな戦争の悲惨さということを背景にしてできた。その点を決して忘れてはいけない。憲法九条を守ろうという出発点はやはり広島であり長崎であり、この空襲で焼けて灰じんと帰した和歌山市の情景だというふうに私は常々思っております。
 だから、非常に難しい問題も学ぶことは大切だと思いますけれども、何よりも戦争の悲惨さ、この点を私どもは出発点におかなければいけないと考えます。
 私は、昭和18年というと、ちょっと古い言い方ですが、1943年でしょうか、東条首相による学徒出陣で代々木の外苑を雨の中を行進させられた1人でございますけれども、その時の私どもの仲間の誓いといいますか、「二度とこういう戦争は…」という強い思いであります。
 また、弁護士というような、これは法曹の中でも在野法曹、私は在野ということに非常に誇りをもっております。また、在野精神、これを忘れては弁護士というものは駄目だというふうに私は思っております。ところがこの頃はみんな賢くなりまして、在野ということについてそれほど誇りをもたない。在野精神というようなことを言うのは古ぼけているというふうに考えているんじゃないかと思われる先生方もいらっしゃると思うんですが。しかし、私は弁護士が在野の精神を忘れたら、もうこれは弁護士じゃないというふうにさえ思っております。これは弁護士、お前達自身が考えればいいことだということかもしれませんけれども、これはですね、決して弁護士だけのことじゃなくて、先ほど申しましたように、この憲法九条を考えるということは、これは自分の問題として考えなければいけない。その点につきまして、私は弁護士ということを一つの例にとって申し上げたわけです。
 私ども弁護士が、この「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」というのを立ち上げたのも、そういうふうなところにあるわけです。駒を振る立場、政治家の立場、総理大臣や、あるいは防衛庁長官外務大臣、そういうふうな立場の人が考えるような、そういう立場に立って考えるんじゃなくて、振られる駒の立場、戦場に赴かされる恐れのある我々の立場、苦しい目にあわされる国民の立場、その立場に立って物事を考えなければいけないというふうに思っております。
 そういう意味で、この9条の会というものが立ち上げられたというふうに聞いております。そういう意味で、今日、大勢の方々がご参加いただきましたことにつきまして、非常に感謝申し上げるとともに、是非とも我々一致協力しまして、九条を守るということに頑張っていこうではありませんか。たいへん長時間にわたり、ご静聴いただき、ご参加いただきましたことを感謝いたします。ありがとうございました。(拍手)
 どうかお気をつけてお帰りください。
 

品川正治氏講演会「戦争・人間・憲法九条」
日時 2007年6月2日(土)午後2時~
場所 和歌山県勤労福祉会館プラザホープ4階ホール
主催 九条の会・わかやま、憲法9条を守る和歌山弁護士の会
閉会挨拶
 
月山 桂 氏
 今ご紹介にあずかりました月山でございます。主催者の1人と致しまして、閉会のご挨拶を申し上げたいと思います。品川先生には、遠路、非常にご多忙の中、私どもの願いをお聞き届け戴きまして、本日このように盛会裡に先生のご講話を承ることができました。厚くお礼申し上げます。ありがとうございました。(拍手)
 また、ご参加戴きました皆様には、私どもの意のあるところをご了解戴きまして、先生の貴重な体験を通じてのお話を最後まで熱心にご静聴戴きました。これもまた、主催者と致しまして、非常に感謝に堪えない次第でございます。
 時間が押し迫っているところ、私ごとで恐縮なんですけれども、私も先生と同じような歳、私の方が一つ年上でございます。私は、先生よりも甘い戦時中を過ごした、例のあの学徒出陣っていうので、昭和18年の6月から12月まで、満州経理学校、教育隊の方におりました。ところが、原隊復帰っていうことで、早く日本に帰ることが出来ました。で、内地勤務となりました。そういう関係で、先生が体験されたような戦争体験っていうもの、戦闘体験と申しますか、そういう風な体験を全く持っておりません。従って、戦争の時の話、苦しみっていう風なことを話す資格は全くない訳でございます。確かに早く復員することが出来ました。また、復学することも早かった訳で、その上に、司法試験もですね、火事場泥棒と申しますか、(笑)火事場泥棒というのは、例えば憲法にしましても、新憲法は出来たてのほやほやで、教科書も出来ていないという風な状態ですね。それからまた、よく出来た同僚、これらがまだ復学してきていない。(笑)相手は、こんなこと言って非常に恐縮ですけども、まさに火事場泥棒。そういう風な中で、第1回の司法試験に合格致しました。
 そういうことで、それも幸いして、判事補としまして、東京地方裁判所に職を得まして、そこでですね、いわゆる戦後訴訟って言われるものに色々関係することが出来ました。先ほどちょっと先生のお話にも出ましたけれども、戦争による利得、戦時利得、こういうものが許されるべきじゃないんだというような趣旨のこともお話あったかと思いますけれども、それに見合ったようなものとして、戦争中に、中島飛行機が第一軍需工廠というものになりまして、戦争が終わると同時に、第一軍需工廠というものが、これが元の中島飛行機に還った。その間に、軍の援助でですね、非常にたくさんの施設・物資で太っておった。非常な利得を得た。そういう風なところから、戦時補償特別措置法っていうのが出来まして、その利得というものを税金の形で国が取り上げていった訳です。その戦時補償特別措置法っていう税金訴訟にも関係することが出来ましたし、その判決も書かせて戴いた。
 また、刑事の面では、皆様方としてはご承知かどうか、もう昔のことになりますけども、皇居前のメーデー騒擾事件というのがございました。あの事件では、非常に被告がたくさん逮捕されていまして、何百人といた、そういう関係で一つの部で、一つの法廷で審理することが出来なくって、八つの部に分かれて審理しておった。そういう風なことで、中の一つに私も関係させて戴いたというようなことも記憶しております。そういう風なことで、いわゆる戦後訴訟っていう風なものに、私も関係することが出来まして、先ほど先生が色々とお話されていることを伺いながらですね、かつて裁判官として日々仕事に追われながら、判決書きに追われながら、その下でなおかつ新憲法での訴訟制度のあり方、あるいはまた憲法自体を一生懸命勉強した。かつては、本もなかったですから。
 そういう風な勉強をしておった当時のことを非常に懐かしく、先生のお話を承りながら、思い出させて戴きました。そして、あらためて憲法への思いというものを熱くさせて戴いたというようなことでございます。立場は違いますものの、今日お越し戴きました皆さん方も、品川先生のお話を伺って、非常に深い感銘を受けられたという風に私は思います。また、今日先生からお教え戴いたところを、それぞれの活動におきまして、日常活動におきまして、あるいはまた、我々の九条の会の取組にあたりましても、活かして戴くようにする、このことが、先生がわざわざ今日お越し戴いた先生のご苦労に対するご恩返しだという風に思います。是非とも皆様方も、先生のご期待に添うように、私ももちろんそういう風に頑張っていきたいと思いますけども、みんな一生懸命頑張っていこうじゃありませんか。(拍手)
 先生におかれましては、どうぞくれぐれも健康にご留意賜りまして、今後とも憲法9条を守る取組につきまして、とりわけ、先生が仰った9条2項、軍隊を持たない、日本はもう軍隊を持たないぞという風な決意の下での運動、闘い、これにつきまして一層ご尽力賜る、ご指導賜るということをお願い致しまして、この私どものお礼の言葉、そしてまた、本日のこの会の閉会の言葉とさせて戴きたいと思います。どうも大変ありがとうございました。(拍手)