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情報の真偽は自分の目で確認しなければならない~平成26年度東京大学教養学部学位記伝達式における石井洋二郎学部長の式辞から

  2019年1月23日配信(予定)のメルマガ金原.No.3401を転載します。
 
情報の真偽は自分の目で確認しなければならない~平成26年度東京大学教養学部学位記伝達式における石井洋二郎学部長の式辞から
 
 皆さんは、「レファレンス協同データベース」をご存知でしょうか?同データベースWEBサイトによると、以下のように説明されています。
 
レファレンス協同データベースとは?
(引用開始)
レファレンス協同データベースは、国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、調べ物のためのデータベースです。
事業概要
目的
レファレンス協同データベース事業は、公共図書館大学図書館学校図書館専門図書館等におけるレファレンス事例、調べ方マニュアル、特別コレクション及び参加館プロファイルに係るデータを蓄積し、並びにデータをインターネットを通じて提供することにより、図書館等におけるレファレンスサービス及び一般利用者の調査研究活動を支援することを目的とする事業です。
実施要項及び参加規定 (略)
データ概要 (略)
レファレンス事例   
参加館で行われたレファレンスサービス(質問回答サービス)の記録です。利用者の方々からの質問に、どのように回答したのかが記載されています。
(後略)
(引用終わり)
 
 本を貸し出すだけが図書館の役割ではない、ということが、以上の記載を読むだけでも分かりますが、実は、レファレンス協同データベースに掲載された1つのレファレンス事例をご紹介したくて、以上の説明をまずしたのでした。その事例というのは、以下のとおりです。
 
レファレンス事例詳細
(引用開始)
提供館 国士舘大学図書館・情報メディアセンター
事例作成日 2007年04月14日
登録日時 2007年04月14日 11時40分
更新日時 2015年04月11日 11時22分
質問 
 東大総長のいった「太った豚になるよりは、痩せたソクラテスになれ」の出典を知りたい。
回答 
 J.S.Mill ”Utilitarianism”より。(J.S.ミル「功利主義論」、「世界の名著38」収録)
 chapter II "What Utilitarianism Is"(第2章「功利主義とは何か」)
"It better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied." 
 訳は「満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい。」(関義彦訳,世界の名著38,中央公論社,1967)
 大河内の式辞はこの言葉の意訳であると思われる。
回答プロセス
 60年安保の頃、東京大学の卒業式で総長の言った言葉とわかっていたので、1950年代末より1960年代の東京大学総長を調査した。「東京大学百年史」 資料三.東京大学出版会,1986.に歴代総長一覧があり、1957-1963茅誠司、1963-1968大河内一男とわかった。昭和史全記録.毎日新聞社,1986.で調べると大河内一男のみの記載あり、p.736 1964.3.28 「東大卒業式で大河内一男総長はJ.S.ミルの言葉「ふとった豚になるよりは、痩せたソクラテスになれ」と告辞」とあった。さらに東京大学歴代総長式辞告辞集.東京大学出版会,1997.にて確認すると第十八代総長大河内一男 卒業式昭和39年3月28日の項があり、「・・・昔J.S.ミルは「肥つた豚になるよりは痩せたソクラテスになりたい」と言つたことがあります。・・・」とわかった。
 J.S.ミルの著作を確認するため、百科事典、人名辞典等のミルの項を捜すが、本事項の記載は全くなかった。そこでネットにて「痩せたソクラテス」「ミル」で検索すると個人のブログに「功利主義」からの出典という書き込みを発見した。ベンサム、J.S.ミル(世界の名著38).中央公論社,1967.に収録されている「功利主義論」を確認した。訳文の記載位置から原典の文章を探し原文も確認。
備考
 平成26年教養学部学位記伝達式(卒業式)式辞 において当時の東京大学教養学部石井洋二郎氏がこのことについて触れている。
 東京大学として公式の席におりてこの事例につき、初めての発言と思われる。詳細は上記調査と同じである。
 東京大学大学院総合文化研究科・教養部HP 平成26年教養学部学位記伝達式 式辞
(引用終わり)
 
 以上の事例をご紹介したのは、その「備考」でも触れられている、東京大学教養学部平成26年度学位記伝達式における石井洋二郎学部長(当時)の式辞を、いつかはご紹介したいと思っていたところ、たまたま「レファレンス協同データベース」の事例に気がついたので、まずはこちらをご紹介しようと思ったのです。
 ちなみに、「備考」欄の引用先URLは、現在では以下に変更となっています。
 
 石井学部長の式辞は、まずその前段で、「1964年の3月、当時の総長であった経済学者の大河内一男先生が語ったとされる有名な言葉」である「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」を例示し、今はやりの言葉で言えば「ファクトチェック」を試みます。そこでは、上記「レファレンス事例」でも紹介されている出典を掲げた上で、①この言葉は、大河内総長が自ら思いついた表現ではなく、J.S.ミルの「功利主義論」における表現を引用したものであること、②その引用も、「下手をすると、これは「資料の恣意的な改竄」と言われても仕方がないケース」であることを明らかにします。ここまでは、上記の「レファレンス協同データベース」を読んでも大体分かりますよね。
 しかし、石井学部長の式辞にはまだ続きがあるのです。その部分を引用してみましょう。
 
(引用開始)
 ところが、間違いはこれだけではないんですね。じつは、大河内総長は卒業式ではこの部分を読み飛ばしてしまって、実際には言っていないのだそうです。原稿には確かに書き込まれていたのだけれども、あとで自分の記憶違いに気づいて意図的に落としたのか、あるいは単にうっかりしただけなのか、とにかく本番では省略してしまった。ところがもとの草稿のほうがマスコミに出回って報道されたため、本当は言っていないのに言ったことになってしまった、というのが真相のようです。これが第三の間違いです。
 つまり、「大河内総長は『肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ』と言った」という有名な語り伝えには、三つの間違いが含まれているわけです。まず「大河内総長は」という主語が違うし、目的語になっている「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」というフレーズはミルの言葉のまったく不正確な引用だし、おまけに「言った」という動詞まで事実ではなかった。というわけで、早い話がこの命題は初めから終りまで全部間違いであって、ただの一箇所も真実を含んでいないのですね。にもかかわらず、この幻のエピソードはまことしやかに語り継がれ、今日では一種の伝説にさえなっているという次第です。
(引用終わり)
 
 ここまで読むと、「レファレンス協同データベース」の事例(国士舘大学図書館・情報メディアセンター)が「備考」欄で石井洋二郎学部長による式辞をフォローしてくれたのですから、そこで述べられた第3の間違いも紹介しておいて欲しかったと思いますよね。
 それでも、このデータベースまでたどり着き、備考欄でリンクされている東大教養学部の学部長式辞コーナーに掲載された式辞を全部読んだ人は、石井学部長が卒業生に語りかけた内容を理解することができたのですが、やがて、リンク先頁に掲載される式辞が、後年のものに差し替えられてしまった後に閲覧した人は、自分で「東京大学平成26年教養学部学位記伝達式(卒業式)式辞/石井洋二郎」というキーワードを入力して検索し直さない限り、大河内総長が、実は原稿に書いていた「昔J・S・ミルは『肥った豚になるよりは痩せたソクラテスになりたい』と言ったことがあります」という部分を飛ばして読まなかったという逸話には気がつきません。
 
 ところで、石井洋二郎学部長が以上の例を挙げた上で、卒業生に伝えたかった後段もご紹介しておきましょう。
 
(引用開始)
 さて、そこで何が言いたいかと申しますと、まず、皆さんが毎日触れている情報、特にネットに流れている雑多な情報は、大半がこの種のものであると思った方がいいということです。そうした情報の発信者たちも、別に悪意をもって虚偽を流しているわけではなく、ただ無意識のうちに伝言ゲームを反復しているだけなのだと思いますが、善意のコピペや無自覚なリツイートは時として、悪意の虚偽よりも人を迷わせます。そしてあやふやな情報がいったん真実の衣を着せられて世間に流布してしまうと、もはや誰も直接資料にあたって真偽のほどを確かめようとはしなくなります。
 情報が何重にも媒介されていくにつれて、最初の事実からは加速度的に遠ざかっていき、誰もがそれを鵜呑みにしてしまう。そしてその結果、本来作動しなければならないはずの批判精神が、知らず知らずのうちに機能不全に陥ってしまう。ネットの普及につれて、こうした事態が昨今ますます顕著になっているというのが、私の偽らざる実感です。
 しかし、こうした悪弊は断ち切らなければなりません。あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、この健全な批判精神こそが、文系・理系を問わず、「教養学部」という同じ一つの名前の学部を卒業する皆さんに共通して求められる「教養」というものの本質なのだと、私は思います。
(略)
 さて、かく言う私も、この3月で教養学部長の任期は終了いたします。また、それと同時に、駒場の教員としても退職いたします。いささか恥ずかしげもなく月並みな言い方をすれば、今日は皆さんの卒業式であると同時に、私自身の卒業式でもあるわけです。人生のひとつの区切りを皆さんと一緒に迎えることができたというのは、何かのご縁かもしれませんが、ともあれこの壇上から式辞を述べるのも、これが最後の機会となりますので、私は大河内総長の「痩せたソクラテス」でもなく、濱田総長の「タフでグローバル」でもなく、自分自身が本当に好きな言葉を皆さんに贈って、この式辞を終えたいと思います。
 それはドイツの思想家、ニーチェの『ツァラトゥストゥラ』に出てくる言葉です。
 
きみは、きみ自身の炎のなかで、自分を焼きつくそうと欲しなくてはならない。きみがまず灰になっていなかったら、どうしてきみは新しくなることができよう!
 
 皆さんも、自分自身の燃えさかる炎のなかで、まずは後先考えずに、灰になるまで自分を焼きつくしてください。そしてその後で、灰の中から新しい自分を発見してください。自分を焼きつくすことができない人間は、新しく生まれ変わることもできません。私くらいの年齢になると、炎に身を投じればそのまま灰になって終わりですが、皆さんはまだまだ何度も生まれ変われるはずです。これからどのような道に進むにしても、どうぞ常に自分を燃やし続け、新しい自分と出会い続けてください。
 もちろん、いま私が紹介した言葉が本当にニーチェの『ツァラトゥストゥラ』に出てくるのかどうか、必ず自分の目で確かめることもけっして忘れないように。もしかすると、これは私が仕掛けた最後の冗談なのかもしれません。
 皆さんの前に、輝かしい未来が開けますように。そして皆さんが教養学部で、この駒場の地で培った教養の力、健全な批判精神に裏打ちされた教養の力が、ますます混迷の度を深めつつあるこの世界に、やがて新しい叡智の光をもたらしますように。
 万感の思いを込めて、もう一度申し上げます。皆さん、卒業おめでとう。
  平成二十七年三月二十五日
                                                  東京大学教養学部長 石井洋二郎
(引用終わり)
 
 私が石井洋二郎先生の東京大学教養学部平成26年度学位記伝達式における式辞を知ったのは、半年ほど前のことだったでしょうか。いずれブログで紹介したいと思いつつ、つい機会を逸して今まで来てしまったのですが、今日、是非この式辞を取り上げたいと思ったについては理由があります。
 それは、昨日のブログ(放送予告「変貌する自衛隊」(NNNドキュメント@2019年1月27日)とブログ素材2件のご紹介/2019年1月22日)の後半でご紹介した、もしかしたら今後のブログの素材にするかもしれないと思って昨日Facebookでシェアした投稿のうちの1つに関わる問題です。  http://blog.livedoor.jp/wakaben6888/archives/52946742.html
 その投稿につき、後に付記した部分も含めて再度リンクします。
 
【素材1 竹中平蔵を批判する看板を立ててビラを配った東洋大学4年生】
金原コメント「たった1人でも「やるべきだ」と思ったことをやるのが「勇気」というものだということを思い出させてくれます。自分が東洋大学の学生だったとして「できるだろうか?」と自問しています。
※ちなみにこの行動は昨日(21日)行われたようです。学生ご本人のFBでも公開設定で投稿されています。
 
 この投稿は、内海信彦さんという方が、船橋秀人さんという東洋大学4年生が、「大学キャンパスで東洋大学教授竹中平蔵の講義と、竹中平蔵が行って来た犯罪的な行いに抗議して、単身で立て看を立て、ビラ撒きを行いました。学生の反応はいまひとつ、立て看は10分で撤去されたそうです。大学当局は、彼を呼び出して二時間半も尋問して、「学則に違反する行動」として、「学生の本分」から外れ、「大学の秩序」を乱したと決めつけて、卒論審査も済んでいる彼に「退学処分」を警告したそうです。」と記述した上で、船橋さんから貰ったビラの文章を転記して紹介するというもので(投稿日:1月21日23:04)、写真も5枚付いていました。
 昨日(22日)、私のFacebook友達の1人がシェアしていたために気がつき、内海さんとも船橋さんともFacebook友達でも何でもありませんでしたが、基本的に「フェイクではない」と判断しましたので、私も以上の文章を付けてシェアしました。
 その判断の根拠の1つは、掲載された写真の1枚が、配布されたビラとおぼしく、内海氏が転記した文章がその写真のとおりであり、おそらくは起案者からデータの提供を受けている可能性が高いと考えたこと、大学当局が看板を撤去する写真をタイミング良く撮影するためには、立て看板やビラを作った学生本人と事前の打ち合わせがあったと考えるのが自然であること、などによります。
 
 さて、その後、この内海信彦さんの投稿は瞬く間にシェアを広げ、この稿を書いている1月23日(水)21時20分現在、「3,755」件のシェアが行われており、さらにこの件を取り上げるネット上の記事も散見されるようになってきました。
 
藤田孝典「東洋大学生の竹中平蔵氏批判の背景にある若者の貧困とワーキングプア
 
 それだけであれば、私が石井洋二郎先生の式辞を取り上げようということにはならなかったと思いますが、問題は、この「投稿」をシェアしたり、コメントしたりした人たちの姿勢にとても違和感を感じたということにあります。
 
 勇気をもって抗議に立ち上がった学生を賞賛・支持するコメントにはそう違和感は感じませんが(実際、私が書いた文章もそういうトーンのものでした)、中には、この投稿をシェアすることを利用して、ここぞとばかりに竹中平蔵批判を行う人も多く、これはどうなんだ?それをやりたければまず自分が行動したら?という印象は否めません。
 さらに、慎重にシェア元の投稿を読んでいれば、そういういことになるはずはないと思うのですが、問題の学生が退学処分になる、と断定する投稿まで出回っており、さらにそれを無自覚にシェアする人多数という状況を目の当たりにすると、これはいけない、と思わざるを得ません。
 まさに、石井洋二郎先生が言われた「そうした情報の発信者たちも、別に悪意をもって虚偽を流しているわけではなく、ただ無意識のうちに伝言ゲームを反復しているだけなのだと思いますが、善意のコピペや無自覚なリツイートは時として、悪意の虚偽よりも人を迷わせます。そしてあやふやな情報がいったん真実の衣を着せられて世間に流布してしまうと、もはや誰も直接資料にあたって真偽のほどを確かめようとはしなくなります。」という言葉通りの状況が目の前で進展していると思いましたので、今日のブログは石井先生の4年前の式辞をご紹介しようと決めたという次第です。
 
 ちなみに、立て看板を立て、チラシを配布した当事者である船橋秀人さん本人のFacebookを閲覧すると、「公開」設定で、「私船橋秀人が、立て看&ビラ撒きへの取り調べに対して、東洋大学の学生部の人間から退学勧告されたのは本当です。この青線の表現に該当するとの指摘を受けました。」という投稿(おそらく学生部の職員から渡されたとおぼしいラインマーカーが引かれた学則写しの写真付き)がなされていました。
 
 今日のブログは、単なる他人に対する批判ではなく、自らを戒めるためにこそ書いたものであると申し上げて、この稿を終えることにします。
 
(弁護士・金原徹雄のブログから/大学式辞関連)
2014年3月27日
山本健慈和歌山大学学長の「平成25年度卒業式式辞」
2014年5月27日
岡村吉隆和歌山県立医科大学学長の「平成26年度 入学式式辞」
2015年2月6日
退任前にもう一度読み返す山本健慈和歌山大学学長の「平成25年度卒業式式辞」(付・予告3/3退任記念シンポジウム)
2015年3月25日
山本健慈和歌山大学学長 最後の卒業式式辞(付・予告4/29山本健慈氏講演会「学び続ける自由と民主主義~不安の時代に抗して」)
2015年4月6日
3人の大学人からのメッセージ(大谷實同志社総長、田中優子法政大学総長、山本健慈和歌山大学(前)学長)