wakaben6888のブログ

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4番目のブログ「冬の陽中(ひなか)から」について~こんなに簡単にブログが出来てしまって良いのだろうか?

 2019年4月3日配信(予定)のメルマガ金原.No.3412を転載します。
 
4番目のブログ「冬の陽中(ひなか)から」について~こんなに簡単にブログが出来てしまって良いのだろうか?
 
 2013年1月24日から2019年1月25日までの6年と2日間、「毎日更新」を続けていた私のブログが実は2つありました。
 
 
wakaben6888のブログ(Hatena) Since 2012年8月30日
 
 いずれも、私が限られた友人・知人にBCCで送信していた「メルマガ金原」をそのまま転載していましたが、当初、「Hatenaブログ」で「wakaben6888のブログ」を始めた時には、試験運用というつもりで、「毎日配信」ではなく、それなりに選別した上でアップしていました。
 一つには、「メルマガ金原」自体、2011年3月28日の創刊以来、はじめのうちは1日に複数発信することもたびたびで、その代わり、1つ1つの記事はごく短いものもたくさんあったという事情もありました。
  それが、2012年のうちに、「メルマガ金原」も原則1日1本となり、本格的に「弁護士・金原徹雄のブログ」を「livedoorブログ」で立ち上げた2013年1月以降は、メルマガ毎日送信&ブログ毎日配信となったのでした。
 その際、「wakaben6888のブログ」の更新を止めようかとも思ったのですが、既にこちらのブログにも固定読者がある程度付いてくれていたので、メルマガの記事をコピペするだけならそんなに更新の手間もかからないということで、こちらの方も更新を続けて(内容は基本的に「弁護士・金原徹雄のブログ」と一緒です)今に至っているという次第です。
 
 その後、「livedoorブログ」では、1つのアカウントで10個までのブログを作れるということだったので、2013年2月にもう1つのブログを立ち上げました。
 
 
 こちらの方は、「弁護士・金原徹雄のブログ」を補完するものという位置付けで、「メルマガ金原」からの転載ではない記事をアップしたい時に利用するつもりでスタートしたのでした。
 
 さて、以上のような経過から、3つのブログの更新を続けてきたのですが(もっとも、「あしたの朝 目がさめたら」の更新ははなはだ不規則でした)、今年の1月26日以降、私の体調の問題から、更新が思うにまかせなくなったことは、何度かブログでもご報告してきたところです。例えば、以下の2つの記事などをご参照ください。
 
2019年1月31日
 
2019年3月23日
 
 そのような状況にもかかわらず、私が3つ目のプロバイダ(ameba)で4つ目のブログを新たに始めた、と聞かれたらさぞ驚かれるでしょうね。
 実際、私自身がいささか呆然としているところです。そのブログというのはこちらです。
 
 
 実際、新たなブログを作ろうなどというつもりは一切なく、ただ単に知人がアメブロで開設しているブログをフォローしようと思って作業をしていたところ、いつの間にか自分でアカウントを作成する手順となり(これがものすごく簡単)、あっという間に「アメブロ」に自分のブログが出来てしまったというのが実情です。
 呆然とした後、すぐに削除してしまうことも出来たのですが、何だか勿体ないような気がして、つい1本目の記事を書いてしまいました。ここまで来ると、やはり「業」なのでしょうかね?
 その記事「はじめに~ブログタイトルについて」は、私が高校時代に作った(その後は作っていないので唯一の)俳句(これを基にブログタイトルを決めました)からの連想で、高校時代に古本屋で購入した書籍の思い出を書いたごく短いものなので、以下に全文引用しておきます。
 私のブログは原則として敬体(ですます調)で書くようにしていますが、この新たなブログでは、意図的に常体(である調)で書いてみました。文体を変えると、中身も少しは変化が見られるのではないか、という期待からです。
 
 もっとも、他の3つのブログの更新も間遠になっている今、このひょんなことから誕生させてしまった「冬の陽中(ひなか)から」をそうそう更新できるとは思えませんが、従来から私のブログを読んでいただいている方には、とりあえず「お披露目」をしておかねばと思い、ご紹介したという次第です。
 
 それにしても、メールを1本書くのと同じ程度の手間でブログが1つ立ち上がってしまうのですから、何と言ったら良いのか・・・。皆さんもやってみます?
 
 
冬の陽中(ひなか)から 2019年4月2日
はじめに~ブログタイトルについて
 
(引用開始)
 ひょんなことから、また一つブログを作ってしまった(これが3社目のプロバイダーで、ブログとしては4つ目)。はたしてこれから更新していけるのか、また、実名を公表する気になるのかすら定かではないが、そういういい加減なブログがあってもよいか。
 ということで、最初はブログタイトルについて。
 もう何十年前になるだろうか、私が生まれて初めて作った俳句(高校時代だったのは間違いない)、
   古本屋 冬の陽中の 店の前
が思い浮かんだので(というか、私はこれ以降俳句など作っていないので、それで憶えていた)、とっさにタイトルにしてしまったに過ぎないのだが、しばらくはこれでいこうと思う。
 ちなみに、陽中は「ひなか」と読んで欲しいと思っているが、そんな用法・読み方があるのかどうかも知らずに作ったものだ(今でも知らないが)。
 自転車通学していた高校時代、私が学校帰りによく立ち寄っていた古本屋が2軒あった。私の住む町は地方の県庁所在地であるが、当時(昭和40年代後半)でも既に古本屋は数少なくなっており、市内に数軒もあったかどうか。
 私が上記の俳句を詠んだ際に頭に浮かんでいたのは、行きつけの2軒のうちの1軒で、狭い裏路地に面し、西向きの店の表には客寄せのために格安の古本が平台の中にぎっしり並べられており、学校帰りに自転車で立ち寄った午後4時頃、冬の暖かい陽光に包まれながら、平台内の本を手に取っている情景が頭に浮かび、それをそのまま十七文字にしたものだった。
 この店では、高校生でも気軽に買える格安本も購入したはずだが、どんな本を買ったかは憶えていない。憶えているのは、戦前、坪内逍遙訳により、中央公論社が文庫サイズのハードカバーで出版した「シェイクスピヤ全集」全40巻を、親戚から貰ったお年玉をはたいて(5,500円だったと思う)購入したことであり、この全集は、今でも私の書庫に収められている。
 戦前の本といえば、北畠親房の『神皇正統記』(和綴じだった)を購入し、ぱらぱらと読める部分だけ流し読みしたことがあったが、これも同じ店で買ったのか、あるいはもう1軒の方で買ったのかは記憶にない。この本も、購入から既に40数年経つが、いまだに私の書庫の隅にひっそりと収まっている。
 ブログタイトルからの連想で、若い頃に購入した本のことを思い出して書いてみた。他の3つのブログ(今年に入ってからあまり更新できていないが)では、自分の職業や身元なども公開した上で、社会的な発言をすることを主な目的としてきたので、このような極めて個人的な思い出話を語るブログがあっても良いかという気がする。もちろん、「読者」などは全く期待できないけれど。
(引用終わり)