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7/27(土)ぞう列車が走って70年 つながれ!!明日の夢へ ぞうれっしゃコンサート@和歌山市民会館小ホールのご案内

 2019年7月18日配信(予定)のメルマガ金原No.3423を転載します。

7/27(土)ぞう列車が走って70年 つながれ!!明日の夢へ ぞうれっしゃコンサート@和歌山市民会館小ホールのご案内

 昨年末に予告記事(ぞう列車が走って70年和歌山ぞうれっしゃ合唱団 団員募集!(公演予定日:2019年7月27日)/2018年12月19日)をブログに書いたものの、その後、体調不良のために「ブログ毎日更新」を断念したという事情も重なり、なかなか続報を書けなかった「ぞうれっしゃ」ですが、先日(7月15日)、正式なチラシをようやく入手しました。和歌山市民会館大ホールで開催された和歌山県第九合唱団「夏の合唱」のプログラムに挟み込まれていたものです。こんなに素敵なチラシが出来ていたのなら、もっと早くに誰かが届けてくれていたら、Facebookやブログで宣伝したのに(もっとも大した効果はないかもしれませんが)と思わないでもありませんが、まだ9日ある、ということでご紹介することとしました。関心のある方に「是非に」とお勧めしたいと思います。

 もっとも、7月27日(土)午後といえば、昨日のこのブログでご紹介した「平和のための戦争展わかやま」(於プラザホープ)の1日目、「「ビキニ事件」と日本の戦後~消されたマグロ漁船員たち~」ともろに日程がバッティングしているのですよね。私自身、正直「どちらに行こうか?」というハムレットの心境です。

(チラシ記載情報から引用開始)
-チラシ表面-
つながれ!! 明日の夢へ ぞうれっしゃコンサート

 今年はぞう列車が走ってからちょうど70年になり、全国で「ぞうれっしゃ」コンサートに取り組まれています。

 和歌山では5年ぶりの公演。全国のみなさんと心をつないで、子どもたちも、お父さんもお母さんも、ジィジもバァバも精いっぱい歌います。

2019年7月27日(土)午後1時開場 1時30分開演
和歌山市民会館小ホール

【第1部】 チェロとピアノでこんにちは
       チェロ/大町 剛 ピアノ/辻 恵子
【第2部】 合唱構成「ぞうれっしゃがやってきた
       2019和歌山ぞうれっしゃ合唱団
       指揮/由井 勝 ほか

入場整理券
 大人 1000円程度の協力金をお願いします。
 高校生以下 500円程度をお願いします。

主催/2019和歌山ぞうれっしゃ合唱団
後援/和歌山市教育委員会
事務局/和歌山市元寺町3-27 中北幸
      TEL:090-8826-5664 mail:spgcn608@yahoo.co.jp

-チラシ裏面-
【第1部】チェロとピアノでこんにちは
 2012年、2014年のぞうれっしゃコンサートに続き、3回目の出演となります。
 チェロの大町剛さんは、関西フィルハーモニー管弦楽団のチョロ奏者で、楽団の活動以外にも、アレンジ、作曲など幅広く活動されています。
 ピアノの辻恵子さんは、ピアニストであり作曲家。ミュージカル、合唱曲など作品は多数。
 お二人は2000年に共演して以来、毎年「楽しく」をモットーに小規模なコンサートを続けておられます。息の合った演奏は、音楽の楽しさを存分に伝えてくれることでしょう。

【第2部】合唱構成「ぞうれっしゃがやってきた
合唱/2019和歌山ぞうれっしゃ合唱団
指揮/由井 勝
ピアノ/大川求実
フルート/岡田睦子
ソロ・園長/藤田和巳
ソロ・ぞう使いの娘/蟹井理央

 和歌山での「ぞうれっしゃ」の公演は、1990年12月に始まり、今回は21回目の公演にります。

 平和・命の尊さ、音楽の素晴らしさ、歌う者も聴いてくれる人も、いっしょに感動を共有してきました。

「ぞう列車」は実際にあったお話です
 1937年日中戦争がはじまり、その年の12月、名古屋の東山動物園は、木下サーカスからキーコ(メス22歳)、マカニー(メス20歳)、エルド(メス17歳)、アドン(オス16歳)の4頭の像を譲り受けました。
 戦局が悪化した1943年、空襲で動物が逃げ出したら危険だと、全国の動物園に動物の殺処分の命令が下ります。東山動物園でも、猛獣に対して毒殺や銃殺が行われました。
 しかしなんとかゾウは助けたいと、動物園の中に穀物の畑をつくりエサの確保に努めました。軍の命令に、北王園長は「ゾウを殺すのなら私を殺してかれにしてくれ」と嘆願しゾウを守りました。
 しかし1944年2月、キーコが寒さに耐えられず亡くなり、翌年1月にアドンが栄養失調で亡くなりました。
 1945年8月15日ようやく戦争が終わりました。東山動物園は東洋一の飼育数を誇っていましたが、ぞう2頭、チンパンジー1頭、カンムリヅル2羽、カモ20羽、白鳥1羽しか残っていませんでした。それでもマカニーとエルドの2頭は生き残ったのです。
 1946年動物園再開。しかし動物がいないので獣舎の前に絵や写真を展示しました。
 1947年、東京都台東区の子どもたちが子ども議会を開き、そこで生き残っているゾウがいることを知り、ゾウを貸してくださいと子ども議会の代表東山動物園を訪れます。
 しかし、弱った2頭に長旅をさせることはできませんし、2頭のきずなは強く引き離すこともできません。北王園長は仕方なく断りました。
 子どもたちの願いを知った大人たちは、ならば子どもたちを名古屋の東山動物園に運ぼうと、特別仕立ての「ぞう列車」の運行に取り組みます。これには国鉄労働組合のみなさんをはじめ、大勢の大人が力を合わせました。
 1949年6月18日、彦根から1000名の子どもたちを乗せて第1号のぞう列車が名古屋へ走りました。6月25日には東京から。その後、大阪・京都・草津、埼玉・千葉・神奈川、石川・福井、津などから名古屋へぞう列車が走りました。
 近鉄は8月3日から約3ヶ月間、大阪~名古屋へ毎日500人ずつ約4万5000人の子どもたちを運びました。
(引用終わり)

 詳しくは上記チラシのとおりなのですが、考えてみると、合唱構成「ぞうれっしゃがやってきた」の作者については何の説明もありませんので、以下に記載しておきます。参照したのは「うたごえサークルおけら」です。

原作:小出隆司
絵:箕田源二郎
台本:清水則雄
作曲:藤村記一郎

 とりわけ有名な「ぞうれっしゃよはしれ」は様々な動画がアップされていますが、ここでは、2008年11月3日、徳島市文化センターで開催された「九条のつどい」での演奏をご紹介します。


ぞう列車がやってきた