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最後まであきらめないために~小出裕章さんの日高原発阻止運動への言及

 今晩(11月15日)配信した「メルマガ金原No.1169」を転載します。
 
最後まであきらめないために~小出裕章さんの日高原発阻止運動への言及
 
 久しぶりに、「小出裕章(京大助教)非公式ブログ」からのご紹介です。
 存続運動の盛り上がりにもかかわらず、秋の番組改編で「たね撒きジャーナル」(MBS毎日放送ラジオ)が打ち切りとなった後も、小出さんの積極的な発言は続いています。是非フォローしてくださいね。
 
 ブログ「小出裕章(京大助教)非公式ブログ」
 
 Facebook「小出裕章(京都大学原子炉実験所)の情報を拡散する会」
 
 さて、今回は、小出さんの発言のうち、以下の2件をご紹介します。
 
1月2日 「日高原発は建設の可能性がかなり高かった」それを許さなかったワケ 小出裕章(民医連新聞)
 非公式まとめ 
 全日本民医連 
 
11月8日「最後の最後まで抵抗を続ける人達が崩れる事なく残ったという歴史が最後の勝敗を分けた そういう人たちを孤立させない運動が必要なんだと思います」小出裕章(8bitnews)
 非公式まとめ
 You Tube http://www.youtube.com/watch?v=LARy2-D4eIs (12分44秒)
 文字書き起こし(みんな楽しくHappy?がいい♪)
 
 なぜこの2つの発言を取り上げたかといえば、どちらにも、日高町(和歌山県)における原発建設阻止運動への言及があったことによります。
 
 まず、「民医連新聞」から。
(抜粋引用開始)
 京都大学原子炉実験所に勤務した一九七四年当初から、日高原発の反対運動にかかわりました。住民勉強会の講師を務め、反対のビラをまいたこともあります。
 事故が起きるから過疎地に造る、原発とはそういうもの。人と富を中央に集め、地
方は切り捨て、やっかいなものを押しつける「差別の論理」です。日高原発も、その日本の原発政策の一例でした。
 今から考えれば、日高原発は建設の可能性がかなり高かった。それを許さなかっ
たのは、住民が体を張ってたたかったこと。比較的豊かな漁場で、原発補償金に頼らなくても生活できたこと。関西電力が同時期に福井県でも原発を建設中で、関電の力が分散されたこと、と推測しています。
(引用終わり)
 
 次に、ペイフォワード環境情報教室での発言から。
(抜粋引用開始)
 今、福島第一原子力発電所で、ものすごい放射能汚染が起きていますが、その放射能汚染を被った浪江町というところも、かつて原子力発電所をつくられようとしたのですが、住民が必死で抵抗してそれをとどめたという事がありました。ただ残念なが福島第一原子力発電所の事故に巻き込まれて、せっかく自分たちのところでは阻止したのですけれども、汚染には巻きこまれてしまうという事になりました。
 でもその他にも原子力発電所に狙われてそれを阻止したというところは、日本中に
沢山あります。新潟県の巻町もそうでしたし、三重県の芦浜、私の住んでいる大阪の近くでも、紀伊半島では日高、日置川(ひきがわ)、古座、那智勝浦、熊野というところに次々と原子力発電所が建てられようと計画されましたけれども、全てそれを阻止するという歴史が続いています。
 そういうのは若狭湾沿岸でもありますし、中国地方でもありますし、各地の住民が何
とか抵抗して留めてきたというような、ながーい歴史はこれまでにも沢山存在しています。
(中略)
 それはやはり、自分たちの村、自分たちの町は自分たちで作るしかないという固い意志。それだと私は思います。え…私のところに一番近い原子力発電所の候補地は和歌山県の日高というところでした。そこも原子力発電所の計画が持ち上がって、関西電力が金をばらまきながら住民を次々と切り崩していったのですが、最後の最後まで抵抗を続ける人達が崩れることなく残ったという事が、最後の勝敗を分けました。どこの地域にももちろんそういう人達はいる訳ですけれども、そういう人たちを孤立させないで、周辺からも支えていくという運動が、やはりどこでも必要なんだと思います。
(引用終わり)
 
 長年、和歌山県に住みながら、原発建設阻止闘争を「歴史」としてしか知らないというのは恥ずかしい限りですが、今年出版された以下の書籍などを読んで勉強しています。
 
原発を拒み続けた和歌山の記録』
 汐見文隆◆監修
 「脱原発わかやま」編集委員会◆編
  四六版並製252頁 
  定価1575円(税込)
  発行 寿郎社
※AMAZONや楽天ブックスでも注文できます。
 
 実は、今年の8月20日(月)、21日(火)の両日、毎年恒例となっている京都大学原子炉実験所「原子力安全研究グループ」(俗に「熊取6人組」とも言われる)のメンバー(無くなった瀬尾健さん以外の5人の皆さん)やその研究仲間、知り合いのジャーナリストらの合宿が、今年も和歌山県日高町の民宿で行われましたが、その民宿のご主人こそ、小出さんや今中哲二さんをして「濱さんが体を張ったから日高原発は止まった」と言わしめた濱一巳さんなのです。
 
※昨年(2011年)行われた合宿の模様が、以下の毎日放送の番組『放射能汚染の時代を生きる~京大原子炉実験所・"異端"の研究者たち~』の39分40秒から視聴できます。
 また、さらにその3年前(2008年)の合宿の模様が、『なぜ警告を続けるのか~京大原子炉実験所・“異端”の研究者たち~』の18分30秒から視聴できます(ご主人の濱さんも登場されます)。
  
 今年の合宿に参加した住民(どちらも女性)が書いた参加記が以下で読めます。
 
原発がこわい女たちの会」ブログ
「あまぐりさんのさくぶん」ブログ
 
 私も合宿の1日目だけですが、参加させてもらいました。
 そして、夕食前に、他の数人の参加者とともに、濱さんが操縦する漁船に乗せて戴き、関西電力が計画した原発建設予定地を海から見学することができました。しかも、当事者中の当事者であった濱さん自らの解説付きなのですから、これほど豪華な現地学習会はありません。
 無人の海岸沿いに、作業のためでしょうか、関西電力が電線を引いた電柱が今もぽつんと立つ姿を海上から眺めながら、まさに「古戦場」を見る思いでした。
 

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 しかし、「日高」に原発が建つことはもうないかもしれませんが、青森県の「大間」をはじめとして、次々と建設を再開しようとする動きが顕在化しており、また、12月に行われる総選挙の結果次第では、とんでもない原発推進政権が誕生しないとも限りません。
 今こそ、小出さんの以下の言葉をかみしめたいと思います。
 
(引用開始)
 私などはずっと原子力の巨大な力と戦いながら来たのですけれども、言ってみれば私の歴史は敗北の歴史でした。次々と原子力発電所を建てられてきてしまいました。…正直に言えば絶望しかけたことも何度もありますけれども、そのたびに「絶望した時が最後の負けだ」と自分に言い聞かせながらきましたし、「これからも決して絶望だけはしたくない」と思っています。
(引用終わり)
 
原発を拒み続けた和歌山の記録