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中日新聞【日米同盟と原発】第6回・第7回

 今晩(2013年3月30日)配信した「メルマガ金原No.1309」を転載します。
 
中日新聞【日米同盟と原発】第6回・第7回
 
 2012年8月から、中日新聞原発取材班による特集記事【日米同盟と原発】が、ほぼ1ヵ月に1回のペースで同紙(及び系列紙)に掲載され、同時にWEBページにもアップされて、連載の全てを読むことができるようになっています。
 
 メルマガ金原でも、No.1246(2013年1月27日配信)として、第1回~第5回をまめてご紹介しました。
 
 その後、同紙に掲載された第6回「アカシアの雨 核の傘」と第7回「油の一滴は血の一滴」をご紹介します。
 
原発核武装潜在力に 64年に首相ブレーン報告書(2013年2月26日)
 http://www.chunichi.co.jp/article/feature/arrandnuc/list/201302/CK2013022602100009.html
第6回「アカシアの雨 核の傘」(1)昭和の妖怪(2013年2月26日)
 http://www.chunichi.co.jp/article/feature/arrandnuc/list/201302/CK2013022602000215.html
第6回「アカシアの雨 核の傘」(2)「岸に賭けよう」(2013年2月26日)
 http://www.chunichi.co.jp/article/feature/arrandnuc/list/201302/CK2013022602000216.html
第6回「アカシアの雨 核の傘」(3)最後にほほえみたい(2013年2月26日)
 http://www.chunichi.co.jp/article/feature/arrandnuc/list/201302/CK2013022602000217.html
第6回「アカシアの雨 核の傘」(4)デモは終わった就職だ(2013年2月26日)
 http://www.chunichi.co.jp/article/feature/arrandnuc/list/201302/CK2013022602000218.html
第6回「アカシアの雨 核の傘」(5)「原爆製造は可能」(2013年2月26日)
 
第7回「油の一滴は血の一滴」(1)米の濃縮ウラン大量購入(2013年3月26日)
 http://www.chunichi.co.jp/article/feature/arrandnuc/list/201303/CK2013032602000230.html
第7回「油の一滴は血の一滴」(2)「理研は私の大学」(2013年3月26日)
 http://www.chunichi.co.jp/article/feature/arrandnuc/list/201303/CK2013032602000231.html
第7回「油の一滴は血の一滴」(3)資源外交 田中の執念(2013年3月26日)
 http://www.chunichi.co.jp/article/feature/arrandnuc/list/201303/CK2013032602000232.html
第7回「油の一滴は血の一滴」(4)都会へ電気 田舎へカネ(2013年3月26日)
 http://www.chunichi.co.jp/article/feature/arrandnuc/list/201303/CK2013032602000233.html
第7回「油の一滴は血の一滴」(5)「原子力ムラ」の誕生(2013年3月26日)
 http://www.chunichi.co.jp/article/feature/arrandnuc/list/201303/CK2013032602000234.html
石油ショックと原子力をめぐる動き(2013年3月26日)
 
 第6回・第7回でとりわけ私が関心を引かれたのは、佐藤栄作首相のブレーンとして、沖返還交渉に深く関与し、米国との核持ち込み密約に直接携わった国際政治学者・若泉敬(わかいずみけい)氏が、中国が核実験に成功したわずか2ヵ月後の1964年12月に内閣調査室に提出した報告書において、「わが国はあくまでも自ら核武装はしないという国是を貫くべきだ」としながら、同時に「何時でもやれるのだという潜在的な能力」を持つ必要があるとし、「原子力の平和利用に大いに力をそそぐと共に、他方では日本が国産のロケットによって日本の人工衛星を打ち上げる計画を優先的に検討するよう提案したい」とし、原発建設や宇宙開発に取り組むよう提言していたことが明らかにされたことでした。
 原子力政策を推進した政治家、官僚らの中には、当初からそのような意図をつ者がいたと思われますが、核兵器は持たないものの、いつでも持てるという潜在的な能力を強力に保持するという政策に理論的根拠を与えた報告書が1964年の段階で書かれていたということは注目すべきでしょう。
 また、このような歴史的背景を踏まえれば、自衛隊の「国防軍」化を推進することを公約に掲げる自民党が政権の座にある限り、原子力(核)発電を廃絶するなどという政策がとられることは金輪際ない、ということでもあります。
 
 なお、若泉敬氏は、沖縄返還交渉における米国政府との極秘交渉の経緯を記した著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(1994年・文藝春秋)を刊行し、同書の英語版の原稿を完成させた1996年7月27日、福井県鯖江市の自宅で死去ました。青酸カリによる服毒自殺でした。
 若泉氏については、評伝なども出版されていますが、ネット環境で読める以下の文章をご紹介しておきます。
 
週刊朝日」 2010年3月19日号、3月26日号掲載
「密約」検証結果外伝 若泉 敬─知られざる「密使」の苦悩
 
池田香代子ブログ 2010年7月6日
無残なり日本外交 NHK「密使若泉敬 沖縄返還の代償」