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今中哲二氏『チェルノブイリ事故と福島事故』(共同研究報告書より)

 今晩(2013年4月22日)配信した「メルマガ金原No.1333」を転載します。
 
今中哲二氏『チェルノブイリ事故と福島事故』(共同研究報告書より)
 
 FacebookTwitter は、私も少しは関わっていますが(主として Facebook)、流れてくる情報量は膨大なもので、とてもではないけれど、その全ての情報を吟味ることなどできるはずがなく、ほとんどは見出しを一瞥しただけで流すことにならざるを得ません。
 そういう限界を意識していればまだ良いのですが、うっかりすると、吟味もしていないのに、あたかも自分が「情報通」になったような気分になることがあり、これが最も警戒すべきことでしょうね。
 とはいえ、見過ごしてしまいかねない自分にとって有益な情報に気付かせてくれることもたびたびあり、要は「使い方次第」という当たり前のことなのですが。
 
 先日も、Facebook のニュースフィードに流れてくる情報を流し読みしていたところ、高橋伸明さんが今中哲二さんのリンクをシェアしているのに気がつきました。
 気になってリンク先を閲覧してみたところ、pdfファイルで224ページにも及ぶ大部の報告書(『旧ソ連の原子力開発にともなう放射能災害とその被害規模に関する調査研究』2013年2月)が、京大原子炉実験所・原子力安全研究グループのホームページに掲載されていました
 今中さんが書かれた「はじめに」から一部引用してみます。
 
(引用開始)
 本報告書は、2008-2010 年度に私が研究代表者として行った、科研費成研究『旧ソ連の原子力開発にともなう放射能災害とその被害規模に関する調査研究』(基盤(B)2042001:3年間 840 万円)のまとめである。“2年前に済んだことの報告をなんで今頃”と思われるかも知れないが、もちろん福島原発事故のとばっちりである。
(中略)
 私はチェルノブイリのことを調べながら、被災者たちから『自分たちの歴史は“チルノブイリ前”と“チェルノブイリ後”に引き裂かれた』と聞かされてきた。いまの私は、“福島後”という事故の前とは別の時代を生きている気分がしている。たぶん、2年前の 3月11日を境に、地震・津波そして原発事故で被災した多くの方々も同じように感じておられるであろう。私にとって福島後の時代で変わったことのひとつは、チェルノブイリについて私がやってきたことに関心が寄せられるようになったことである。その意味でも、このレポートを完成しておく義務感のようなものがあり、当初の思惑より中味は少々変わってしまったものの、ようやく“宿題”を果たせた感じでいる。
(引用終わり)
 
 上記報告書の中で、今中さん自身が書かれたのは、巻頭に掲載された『チェルノブイリ事故と福島事故』であり、人類が経験した2つの破局的事故の概要を分かりやすく対比しており、分量もそれほど多くありませんので(pdfファイルで10ページ)、是非ご一読されたくお勧めします。
 
 余談ですが、この『チェルノブイリ事故と福島事故』は、本年3月に明石書店ら刊行された今中哲二さんの新著『放射能汚染と災厄-終わりなきチェルノブイ原発事故の記録』(475頁/定価4800円+税)の巻頭に、一部加筆の上、Ⅰ第1章として収録されています。
 
 報告書には、英語論文も数点掲載されていますが、今中さんの論考以外にも日本語で書かれた(翻訳された)ものもありますので、時間があれば是非読んでいただく価値はあると思います。
 目次から引用しておきます。
 
2. チェルノブイリ事故現場での数日間の個人的な体験
   ニコライ・カルパン 11p~
3. First Days of the Chernobyl Accident: Private Experience
   Nikolay Karpan 22p~ (上記の英語版)
9. チェルノブイリ・旧プリピャチ住民へのインタビュー記録
   川野徳幸 121p~
10. チェルノブイリ裁判記録
   (翻訳)平野進一郎 151p~
 
 上記のうち、「チェルノブイリ・旧プリピャチ住民へのインタビュー記録」は、以前本メルマガNo.1164として、広島大学平和科学研究センターサイト内の研究報告の一つとしてご紹介したことがありましたが、今回の報告書には、そのうちの3人分が掲載されているとのことです。
 
 以上のインタビューも貴重ですが、最後に掲載されている「チェルノブイリ裁判」の記録は初めて見るものです。
 事故翌年の1987年7月に開かれた、チェルノブイリ原発の事故当時の所長以下の職員数名に対する刑事裁判の記録(というか、公式記録はいまだに非公開のため、証人として出廷し、傍聴した共同研究者であるニコライ・カルパン氏による著書の一部を翻訳したもの)です。
 翻訳者の平野氏も書かれているとおり、
 「責任者を速やかに処罰し、事故の幕引きをはかるのが第1の目的」
 「事故原因や事故背景の究明には主眼は置かれていない」
 「あくまで被告人たちの罪による事故であると結論付けるために開かれた、一
 定の『シナリオ』どおりの『茶番劇』、『出来レース』の印象」
であることは間違いないと思いますが、「福島」では、その「出来レース」でさえ行われ気配もないのですからね。