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「総理大臣が立憲主義からの離脱を表明しても問題にならない国」(ビデオニュース・ドットコム)

 今晩(2013年7月8日)配信した「メルマガ金原No.1412」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
「総理大臣が立憲主義からの離脱を表明しても問題にならない国」(ビデオュース・ドットコム)
 
 参議院議員通常選挙が公示される前日の(2013年)7月3日、恒例となった日記者クラブ主催による「党首討論会」が行われました。
 
第一部(56分41秒)
第二部(1時間08分13秒)
 
 「党首討論会」が行われたことは知っていましたが、正直、大いに注目していたか言えば、少なくとも私は全然そんなことはなく、「どうでもよい」くらいにしか思っていませんでした。
 ところが、「そうではない」と真正面から指摘するメディアがあったのですね。
 神保哲生さんが主宰するビデオニュース・ドットコムです。
 最新のニュース・コメンタリー(無料放送)において、表題(総理大臣が立憲主義からの離脱を表明しても問題にならない国)のとおり、安倍晋三総理大臣(自民総裁)の発言の問題性を全く報じようとしない日本のメディアのありようが厳しく問われています。そして、問われているのはメディアだけではないのだと思いました。
 
Facebookなどのソーシャルメディアでは話題になりつつありますが、そういうものにご縁のない方も多いでしょうから、メルマガ&ブログで取り上げることにしました。
 
ビデオニュース・ドットコム 2013年7月6日 ニュース・コメンタリー
総理大臣が立憲主義からの離脱を表明しても問題にならない国(33分54秒)
 
 番組案内を引用します。
 
(引用開始)
 参議院選挙の公示を目前に控えた7月3日、9党党首による討論会が日本記クラブで開かれた。翌日の新聞各紙やテレビのニュースでは、「アベノミクスを巡り与野党党首が論戦」などといった暢気な見出しが躍っていたが、党首討論の中で最も重要な発言に触れていたメディアはほとんど見当たらなかった。
 それは憲法の位置づけに関する安倍首相の発言だった。
 福島社民党党首から「私は憲法は国家権力を縛るものだと思っています。立憲
主義です。総理はこれに同意をされますか。もし同意をされるとすれば、自民党の憲法改正案はこれに則ったものでしょうか」と問われた安倍首相は、「まず、立憲義については、『憲法というのは権力を縛るものだ』と、確かにそういう側面があります。しかし、いわば全て権力を縛るものであるという考え方としては、王権の時代、専制主義的な政府に対する憲法という考え方であってですね、今は民主主義の国家であります。その民主主義の国家である以上ですね、同時に、権力を縛るものであると同時に国の姿についてそれを書き込んでいくものなのだろうと私達は考えております」と答えたのだ。
 これは安倍首相の元で自民党が提唱している憲法改正案が、憲法の性格その
ものを過去の、そして今日の世界の民主主義国家のそれとは明らかに異なるものに変質させようとしていることを、首相自らが認めた発言だった。ましてや、民主主義の時代だからこそ立憲主義なのだ。王権、専政時代に政府を縛る目的で憲が存在したというような話は、歴史上終ぞ聞いたことがない。
 日本は立憲主義から離脱しようとしている。それを内閣総理大臣自らが、公の
で明言した。しかし、この発言を問題視するメディアは一つも見当たらなかった。首討論はトータルで2時間にも及ぶ。これを最初から最後まで傍聴できる人は少ない。大半の市民は、その内容をニュース報道を通じて知る。しかし、その肝心のメディアがこの問題を全く報じなければ、そのような発言があったことすら、ほとんどの日本人は知る機会を奪われて しまう。
 どうやら今の日本は、一国の総理が立憲主義からの離脱を表明しても、それ
がさして問題視されない国に成り下がってしまったようだ。あるいは、これは「アベちゃんは憲法が何たるかを理解できてないんだね」で済まされてしまっているのかもしれない。「原則論に そんなに目くじらを立てなくてもいいのではないか」と言う人もいるかもしれない。しかし、今、われわれがこの問題をこうして自由に告発したり批判したりできるのも、今月21日に民主的な選挙が行われるのも、いずれも今の憲法がわれわれにそれを保障しているからではないのか。これから衆参両院で過半数を得る可能性が高いと言われる政党の党首にして内閣総理大臣が、その憲法の性格を変えることを公言していることの意味を、そこまで 軽視していて、本当に大丈夫なのか。われわれはあまりにも民主主義を舐めていないか。
 石破茂幹事長や船田元憲法改革推進本部代表代行らは、改正される憲法
に政府が国民に命令するような条文や道徳的規範が書き込まれたからといって、府がそのようなことを要求する法律を作って国民にそれを強制するつもりはないと説明し、義務規定や道徳規定への理解を求める。もしかすると石破氏や船田氏は本当にそのつもりなのかもしれない。しかし、憲法に義務規定が書き込まれれば、むしろ政府はその義務を果たさない人を罰する 法律を作ることが求められると考える立憲主義の立場だ。憲法に書かれていることを 政府が実行しないことは憲法違反になってしまうし、そこで違憲訴訟を起こされたら勝てない。 更に言えば、仮に石破、船田両氏はそのような良識を持ち合わせていたとしても、他の議員はどうだ。自民党の次に政権に就く政党はどうだ。政権は変わっても憲法は残る。自民党はそこまで考えた上で、今の改憲草案を推しているのか。
 総理大臣が民主憲法の性格を根本から変えることを宣言してもまったく問題に
らない日本の現状を、今日のNコメではあえて問題にしたい。

 

(引用終わり)