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品川正治さんを悼む(再掲「品川正治さんから力を貰おう!」)

 今晩(2013年9月6日)配信した「メルマガ金原No.1474」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
品川正治さんを悼む(再掲「品川正治さんから力を貰おう!」)
 
 本日(2013年9月6日)、各メディアは一斉に、経済同友会終身幹事、元日本火災海上保険(株)社長、会長であった品川正治(しながわまさじ)さんが、去る8月29日に食道ガンによって逝去されていたことを報じました。
 
共同通信 2013年9月6日
品川正治氏が死去 財界の護憲派
(引用開始)
 財界の護憲派として知られる経済同友会終身幹事の元日本火災海上保険(現日本興亜損害保険)社長、品川正治(しながわ・まさじ)氏が8月29日午前4時45分、食道がんのため東京都内の病院で死去した。89歳。神戸市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。後日、お別れの会を開く予定。喪主は妻初巳(はつみ)さん。
 1949年に日本火災海上保険に入社。社長、会長を歴任した。経済同友会では、副代表幹事を経て終身幹事。国際開発センター会長も務めた。
 旧制三高に入学後、召集され中国で終戦を迎えた。その経験から憲法9条堅持を主張し、武器輸出三原則の緩和に反対した。
(引用終わり)
 
 ご高齢ではありましたが、元気に講演活動をされているものと思っており、6月から入院されているとは知りませんでした。
 心より哀悼の意を表します。
 
 品川さんについて何か書こうと思うと、どうしても、2007年6月2日、和歌山市のプラザホープで開かれた品川さんの講演会「戦争・人間・憲法九条」(共催:九条の会・わかやま、憲法9条を守る和歌山弁護士の会)が思い出されます。
 私がその講演会の司会を担当し、さらに講演を収録した録音CDと格闘しながら、一人で完全文字起こしをしたことなどは、今年(2013年)1月16日に配信したメルマガに書きました。
 
 私が1月に書いた文章のタイトルを「品川正治さんから力を貰おう!」としたのは、品川さんが和歌山で講演されたのは、第一次安倍晋三内閣当時のことでしたが、憲法にとって、6年前とは比較にならないほどの危機的状況の中で第二次安倍内閣が再登場した今こそ、品川さんの揺らがぬ信念を再確認して自らの力とするため、その講演録を読み直してみようと思った次第です」という思いからでした。
 
 参議院選挙が終わり、内閣法制局長官人事などに象徴されるとおり、「集団的自衛権行使容認」に向けた憲法解釈変更を突破口に、日本国憲法体制を破壊しようという意図を露骨に示し始めた第二次安倍政権との本格的な闘争が始まろうとするこの時期に、品川さんを喪ったことは大きな痛手です。
 私たちは、品川さんの揺らぐことのなかった信念に基づく献身に心から感謝するとともに、品川さんの「志」を引き継ぎ、決して日本を「戦争のできる国」にしないための努力を怠らないことをご霊前に誓いたいと思います。
 
 なお、以下に、1月16日に配信した「品川正治さんから力を貰おう!」を再掲します。
 そこでご紹介している2007年6月2日、和歌山での講演録を是非お読みいただきたいと思います。
 
(付記)
 鈴木邦男さんが「マガジン9」に連載している「鈴木邦男の愛国問答」第91回(2012年1月25日)に、「品川正治さんと戦争について語り合った」という文章が掲載されています。
 その中で、品川さんの言葉として鈴木さんが紹介されている以下の部分は特に感銘深く読みました。
品川さんはまず言う。〈戦争を見るときは兵隊の立場で見てほしい。将校の立場からでは、国民の大多数の立場には立てません。財界では、経団連会長だった平岩外四さん(故人)が陸軍の兵隊でした。ダイエー創業者の中内功さん(故人)も兵隊でした。あの二人は戦争に際して一般の財界人とは距離を置いた格好を取っていましたね〉
 将校の立場の戦争論が余りにも多すぎると思っていただけに、品川さんの発言には納得させられた。将校の立場だと、「あの時、ここを攻めていれば」「こうしたら勝てたのに」とゲーム感覚になる。兵隊の立場や一般の国民のことは考えない。「そんなことを考えていたら、戦争は出来ない」というのだろう。あの時は失敗したが、こうしたら勝てた」という話ばかりになる。「こうしたら勝てた」、「次はこうしたらいい」となると、「次の戦争」を想定する。「次」をやってはダメだ。「次」はないように考えるのが政治だ。その上で、憲法や国民投票、軍隊の話をした。対談というよりも、品川さんに僕が一方的に質問をしたかんじだった
 

(2013年1月16日配信 メルマガ金原No.1235 を再掲します)
 
品川正治さんから力を貰おう!
 
 国際開発センター会長、日本興亜損保(株)相談役(元社長、会長)の品川正治(しながわ・まさじ)さんは、経済同友会終身幹事にして革新懇(平和・民主・革新の日本をめざす全国の会)代表世話人でもあるという、非常にユニークな立場におられる方ですが、そのお話を伺えば、これが少しも不自然なこととは思えず、自らの信念に忠実に身を処せばこうなる、ということが納得されます。
 
 1924年生まれの品川さんは、旧制第三高等学校在学中に召集されて中国の最前線に送られて負傷したという戦争経験を持っておられます。
 そして、敗戦の翌年に復員し、日本に着いた復員船の中で、日本国憲法草案を掲載した日本の新聞を読んだ時の感動を忘れず、現在まで護憲の立場から積極的な発言を続けてこられています。
 
 講演活動にも熱心で、和歌山市でも、去る2007年6月2日、「戦争・人間・憲法九条」と題した講演を行われ(九条の会・わかやま、憲法9条を守る和歌山弁護士の会共催)、立錐の余地もなく詰めかけた聴衆に深い感銘を与えられました。
 実は、私自身、この講演会の司会を務め、深く感動した講演内容を1人でも多くの方に知ってもらいたいという熱意にかられ、今となっては自分でも信じられないのですが、1人で講演全部の文字起こしをやり遂げたのです。
 この講演録については、共催団体である九条の会・わかやま事務局の皆さんにも手伝っていただいて推敲し、最終的には講演者である品川正治さんご本人による正をあおぎ、確定版を九条の会・わかやまのWEBサイトに掲載することができました(ちなみに、小見出しも私が付けました)。
 
 品川さんが和歌山で講演されたのは、第一次安倍晋三内閣当時のことでしたが、憲法にとって、6年前とは比較にならないほどの危機的状況の中で第二次安倍内閣が再登場した今こそ、品川さんの揺らがぬ信念を再確認して自らの力とするため、その講演録を読み直してみようと思った次第です。
 そして、未読の方には是非とも一字一句味わってお読みいただきたいのです。
 
 なお、上記和歌山講演と近接した2007年7月18日に明治学院大学国際平和研究所で行われた講演のダイジェストが You Tube にアップされています。
 これにより、品川さんの人柄や語り口を知っていただくことができます。
 
その1(9分34秒)
 
その2(9分58秒)
 
その3(8分33秒)
 
その4(8分47秒)
 
 最後に、品川正治さんの和歌山での講演の中の「日本国憲法草案との出会い」の部分を引用します。何度読んでも感動します。この憲法が、当時の日本人にどのように受け止められたのかについての貴重な証言です。
 
(引用開始)
 ところで、私たちは、その収容所からは、翌年の5月1日、山口県の仙崎というに復員した訳です。船は、もっと早くに着いておりました。しかし、私たちの部隊はもともと山陰の部隊でその山陰に着いた訳ですから、遠くの人を先に上陸させ、私たちは2日間ほど懐かしい本土を眺めながら上陸は許されなかった。しかし、その船内で、全部隊に新聞が配られたのです。新聞といっても、今日出たとかっていう新聞じゃないです。民家からかき集めてきた古い新聞なんです。「日本国憲法草案」が発表された日の新聞なんです。その新聞を全部隊に配られました。「お
前たちはこれから帰る、国に帰るんだ。この国の憲法草案、こういう形で発表されておる。どういう国になるか、それを十分知った上で国に帰れ」そういう趣旨で配られた訳なんです。
 新聞を見た途端に全員泣きました。あの憲法前文、今の憲法の前文が、「前
文」ですね、前文から9条まで読んで、皆泣きました。我々の生き方は、それしかないと思っておったけども、よもや国家が憲法で戦争放棄を明確にする、国の交戦権を認めないっていう、そこまで書いてくれたか、これなら生きていける、これなら中国の人たちにも贖罪の気持ちを表せる、亡くなった戦友の魂に対しても、「こういう国になるんだ」っていうことを我々言えるようになる、そういうのが私自身の憲法、現憲法に接した一番最初の日なんです。その思いだけは、私自身、それこそ忘れることができませ
ん。

 

(引用終わり)