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「原発がこわい女たちの会ニュース」第86号が届きました

 今晩(2013年10月1日)配信した「メルマガ金原No.1499」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
原発がこわい女たちの会ニュース」第86号が届きました
 
 「原発がこわい女たちの会」の松浦雅代さんから、ニュース第86号をお送りいただきました。
 前号に引き続き、昨年10月に和歌山で講演された橘柳子さん(浪江町から本宮市県内避難)と併せ、南相馬市小高の根本幸子さんからの「たより」も紹介されています(福島県からのたより)。
 是非ご一読ください。
 

(1頁)
 
  原発がこわい女たちの会ニュース NO86号・2013年9月29日発行
事務局〒640-0112和歌山市西庄1024-15 ℡・fax073/451/5960松浦雅代方
原発がこわい女たちの会ブログ http://blog.zaq.ne.jp/g-kowai-wakayama/
 
公開勉強会
 
再稼働と汚染水問題 
 
○講師 小山英之氏(美浜の会代表)
○2013年10月19日(土)13:30~
○和歌山市あいあいセンター5階(センターみらい研修室)
 (和歌山市小人町29番地 ℡073-432-4704)
○誰でも参加できます。参加費200円


 9/27日国会で、汚染水の問題は東電社長も安倍首相の「状況はコントロー
ルされている」を追認した。汚染水漏洩放出ルートは2つ。一つは地下水からの漏洩、2つはタンクからの漏洩。
 地下水は、原子炉建屋地下に山側から海に毎日約800~1000トンの流量が
有るとされている。海に排出する確実な迂回路が確保されないかぎり、放射性物質と接触し放射能汚染水となって海に排出される事態は、事故直後から明らかであった。毎日400トン程度の放射能汚染水が海洋放出されている。高濃度の放射能は湾の中にあり、海洋には少しづつ移動させているのをコントロールされていると云うのか。
 
勉強会チラシ
原発がこわい女たちの会・公式ブログに掲載された講師プロフィール
「小山英之氏 1967 年大阪大学大学院理学研究科博士課程(素粒子論専攻)終了。大阪府立大学工学部数理工学科で脳神経システムの数理科学的研究などを行い、講師として定年退職。スリーマイル島原発事故を契機に、原発新規立地に反対する運動に参加。91年の美浜2号機事故を契機に「美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会」を結成。同年、高浜2号機の蒸気発生器問題で大阪地裁に提訴。99年、MOXデータ不正事件で大阪地裁に提訴。全国のプルサーマル問題や六ヶ所再処理問題に関与。2000年12月福島第一
原発3号機用MOX 燃料の使用差止め仮処分申請(福島地裁)で証人として法廷に立つ」
 

(2-3頁)
 
   福島第一原発は━壊滅的な危険を孕んだまま━
               汚染水問題
 
 小出裕章氏のインタビュー記事「世界/2013年10月号」(福島第一原発はどうなっているのか)を参考に汚染水の基本的な部分のみ。事故が矮小化されつつある中で、ごまかされないように復習です。
 
 原子炉はウランを核分裂させ、その際に発生する熱を利用して発電しています。
 ウランを核分裂させてしまうと核分裂生成物という放射性物質が出来てきます。
その放射能の強さは、もともとのウランが持っていた放射能の強さに比べると一億倍にも達します。「放射能」とは放射線を出す能力のことを指します。放射線とは物理的に言えばエネルギ―の固まりです。それが一億倍にも増えるということですから、核分裂生成物がだす発熱量も非常に多くなります。
 福島第一原発はウランの核分裂反応そのものは制御棒をいれて停止すること
が出来たと言われています。しかし原子炉の炉心には核分裂生成物がすでに大量に蓄積していますので、それが発熱を続け、その熱を冷却することが出来なければ、炉心は自らの熱で溶けはじめます。その過程で水素が発生して爆発し、原子炉建屋を吹き飛ばしました。
 それ以上炉心が溶けないように、放射性物質が周囲に飛び出してくるのを防ぐ
ために冷却を続けなければいけないのです。
 しかし、冷却のために水を入れれば、核燃料に接触した水自身が汚染してしま
うことは避けられません。圧力容器も底に穴があいて核燃料は落ちてしまっていますし、放射能を閉じ込めるための最後の防壁として設置されていた原子炉格納容器も、おそらくいくつもの穴が開いてしまっている。水をいくら入れても格納容器から漏れ出てしまい、原子炉建屋やタービン建屋の地下に、あるいはトレンチやピット、立抗といった地下のトンネルのようなところにあふれ出てしまっているのです。原子炉建屋などはコンクリートの構造物ですから、もともと水を漏らさないということはできません。事故直後から汚染水はどんどん環境中に漏れていたはずです。一方で、周辺の環境の方からは地下水がどんどん入り込んできます。その地下水が汚染水と渾然一体となって福島第一原発の敷地内に溢れているのです。原発の中の核分裂生成物は約200種類ぐらいありますがすでに事故から2年半経過していますので現時点で非常に重視すべき放射性物質はセシウム137、ストロンチウム90、トリチウムの3つで、これが現在の汚染水に含まれている主なものだと思われます。
 セシウム137は揮発性が高いため、事故直後から大量に大気中に放出され、東北地方から関東地方にかけて土地を猛烈に汚染しました。
 ストロンチウム90という放射性物質はセシウム137とほぼ同量炉心の中にあっ
たはずですが、セシウム137ほど揮発性が高くなく大気中に出てきた量はセシウム137の1000分の1ほどだった。炉心にそのまま残存していたのですが、水溶性であるため、今汚染水となって流出しているのです。
 トリチウムは別名三重水素というように水素です。環境中にある時は水素ガス
という状態ではほとんど存在せず、水の形で存在しています。炉心にあったトリチウムは、水そのものの形で汚染水に含まれています。
 ゼオライトという粘土鉱物などを用いて、とにかく汚染水の中からセシウム137を
除去することです。しかし、ストロンチウム90はゼオライトではほとんど除去出来ない。これまでの方法では除去出来ずに汚染水の中に残っています。そしてトリチウムは水そのものですから、何をやっても除去できません。汚染水はまだこれから継続して海へ拡散することは避けられません。世界で初めての事が起こっているのです。
 再稼働を進めている人は福島原発事故をどのように理解しているのでしようか。
 
(金原注)
 「美浜の会」サイトに掲載されている汚染漏えい・水流出事故についてのパンフレットを是非ご参照ください。
 

(4-5頁)
 
┼福島県からのたより┼
 
   風化の中で思う   避難の地本宮市から  橘 柳子
 
 大邸宅(仮設の嘲笑的表現)のトタンばりの屋根が抜けるかとおもうほどの大雨をしのいだと思ったら、次は灼熱の暑さ。部屋に居る限り、クーラーを入れずにはいられない。救いは、4.5帖の広さはすぐに涼しくなることだ。8月末になるとようやくすずやかな風と共に、さわやかさを運んでくれる。豪雨と太陽のいかりの熱がすぎ周りの自然も秋へと移っている。ナナカマドが色ずき稲穂も日1日と実りの重さを体現しはじめている。2年半の歳月はあらゆるものに、くまなく影響を与えていると思うのだが、今年は多くの小鳥たちの姿にもさえずりにも出あう。セミも秋の虫の声も聞かれる。たくましい生命力を感じると共に驚きでもある。個々の影響は解らないが学者さんが調べると変化が見られるようだ。
 人々の心にも変化があらわれている。福島を少し離れただけでも、まして遠
くにいけばいくほど、さらに都会では「福島はすでにない」はなやかさと表面的な豊かさがもどっているように思う。そして悲しい事に、福島自体も、さらに避難の者たちにさえもである。
 でも、でもしょうがないことなのかもしれない。苦しみからのがれたいのである。
すっかり忘れたわけではない。多くの悲しみと諸々の思いを心の奥深くたたみこんだだけなのだ。そうしなければ、日々生きていけない心情をかかえている。一日一日を生きなければならないのである。一方で放射能のことばかり考えていると「ストレス」になるから「忘れろ」と言うが、そのこととはちがうと思う。忘れてもらって喜ぶのは国と東電のみ。生きること命を長らえることは「原発事故と放射能」に対する怒りと共になのである。
 国をあずかる者たち、これだけ多くの人々を苦しめ、自然界を破壊し、国土
を汚染しつくし、輪廻をもくるわしたことを決して忘れてはいけないことなのだ。福島原発事故で、すぐ脱原発を掲げたのは、日本ではなくドイツのメルケル相。そしてそれを支持する国民のすばらしさを思い考えさせられている。そこには核の恐怖のない未来を引継ぐことの大事さがみえる。「ああ国よ東電よ民の真の願いと希望を風化に依拠する卑怯なことはしないで」と日々心の中でさけんでいる。人々の風化とは意味がちがうのだ。国民に対する責任というものがある。国土を汚染した責任というものがある。
 責任の意味を問い続けるべきだと考えている。      2013.8.26
 
(金原注)
 2012年10月28日(日)、「原発がこわい女たちの会」主催により、和歌山市で
開催された橘柳子さんの講演会「福島原発事故の今を生きる」を伝えた同会ブ
ログの記事
 
 
      南相馬市小高より        根本幸子                   
 
 長かった梅雨がやっと明け(8月に入って~)猛暑の連日30度を越す暑さに体が付いていきません。首からタオルをさげた毎日です。
 事故から2年半、落ちついたかと思っておりましたら又々汚染水の問題。東電
では事故前にもその程度は排出していたのだとぬけぬけと発表しているのです。私たちはただ々あぜんとしました。
 東電の方々とは物差しが違うようです。南相馬の元住民は農業をする事も出
来ず工場誘致をしたくても原発の廃炉が決まらなくては、又いつ爆発するか解らない所には来ません。結局、若い人の職場が無くては小高には帰って来ません。「見捨てられた民」です。でも政府以外の多くの方に支援を戴き一歩でも前に出なければと、心に言い聞かせております。春に植えた稲はすこぶる元気で、主人は大満足しております。野菜も良く東京のオルガン堂(オルガン堂は福島応援県産品販売所)から注文が多く、検査を受けて送っております。でも手数は掛かります。出来た野菜(胡瓜・南京・じゃが芋・玉葱等々、)全てそのつど検査を受けます。安心と安全はイコールになりませんが…。
 我が家で栽培したお米が食べられるのはいつの事だか先が見えません。残念
です。
 又こちらにお出掛けの節は、きっとお途り下さい。又お会い出来る事を願ってお
ります。

(原注)根本さんは南相馬市小高区のお百姓さんで、双葉郡浪江町の隣村に
なります。緊急時避難準備区域で、今も昼間だけ入村を許可され、許可を取って今年はお米を育てられてます。夜は相馬市の借り家に帰られます。毎日1時間ばかりかけて通っておられます。
 今年の4月に福島県の本宮市の仮設住宅にお住まいの橘さんを訪ねた時、
根本さん御夫妻に浪江町や港を案内して頂いた有田川町の古田伊公子さん宛の江本さんからの手紙の一部です。ご本人の許可を頂いて載せさせていただきました。
 

(6頁)
 
           鈴木静枝さんからのたより
 
 私たちの大先輩、鈴木静枝さんからおたよりをいただきました。個人宛の私信でしたが、ご本人のお許しを得てここにご紹介したいと思います。
 鈴木さんは、これまでブログにも書きましたが、日高町で長年和歌山の反原発
運動を担ってこられた方で、「女から女への遺言状」が『原発を拒み続けた和歌山の記録』(寿郎社)にも収録されています。現在、町内のケアハウスでお暮しです。
 おたよりは、この夏、日高町「波満の家(はまのや)」さんでの浦磯合宿からの帰
路にお訪ねし、後日、合宿のレポートをお送りしたことへの返信文です。鈴木さんのすごいなと思うところは、運動の功績もさりながら、95歳になられる今も、社会や自然に対して真っ当な関心を持ち続けられていることです。個室の机には新聞がひろげられ、絵筆が立てかけられています。訪ねた日も、「アメリカはシリアに爆弾を落とすんかいのう」と緊迫のシリア情勢を心配しておられました。明晰な思考と穏やかな話しぶり。こんな風に齢を重ねることはなかなかできるものではありません。
 
(鈴木さんからの手紙)
 
 先日はわざわざお訪ね下さいまして、ありがとうございました。こんな所にいますと、お客様が何よりの楽しみです。写真いい思い出になります。
 合宿でのコピー、ていねいに読ませて頂きました。
 はまのやで、いっしょに先生方のお話をうかがっているような気がしました。アベさ
んたら、事故はコントロールされているなんて世界の人々の前で公言して、あとで恥をかかなければいいのですが。
 
 私の若い頃読んだ小松左京さんのSFを思い出しました。
 日本の活火山、休火山、いっせいに火を吹き、地震で島々が海の中へ沈んで
いく、故郷を捨てて命からがら、知らぬ他国へのがれていく人々。
 原発も放射能も文中に出現しなかったような気がします。五十年前だから、こ
こまでひどいことになるとは、想像出来なかったのかも知れません。
 他国へのがれた人々は、こっそりと、心細く、小さくなって生きてゆかねばなりませ
ん。何だか五十年後の日本を暗示しているような気がします。
 オリンピックで浮かれているより、まず、汚染水のしまつですね。やはり声をあげて
それを言わなければ、ほんとうに意識から忘れ去られるかもしれません。
 
 今日もきれいに晴れて、白い舟がいくつも見えます。
 一ヶ所に止まっているのは貝をとっているのか、海藻をきっているのか。台風18
号が近づいているそうですが、まだそのけはいは見えません。
 ようやく秋のけはいが感じられて、やれやれです。
 ご活躍を期待しています。
 またこちらへいらしたら来てくださいね。
 ご健康をお祈りしています。
 
              九月十三日             静枝
 
(金原注)
 鈴木静枝さんが1993年に講演された記録「女から女への遺言状」は、昨年刊行された『原発を拒み続けた和歌山の記録』に収録された他、ご本人の了解を得て、以下のサイトにも掲載されています。
 
PDF(「原発いらない和歌山の女たち」ブログに掲載)
HTML(「梅の里自然農園便り」ブログに掲載)
 

(7頁)
 
     映画「ひろしま」を観ておもったこと─戦後68年─
 
 今年の8月6日に映画「ひろしま」のDVDを観賞する機会がありました。
 私の忘れ行く記憶の中で、小学校低学年の時、講堂(旧木造の講堂)の前列に座り込んで観た原爆の映画がありました。その映像で2~3日、夜、うなされて眠れなかった事だけは覚えています。私の家が小学校の近くだったので、一人で行ったのか、誰かと一緒だったかは覚えていませんが、今回の「ひろしま」を観て9歳の私がうなされたのはこの映画ではなかったような気がしました。
 原作は「原爆の子 広島の少年少女の訴え」(長田新さん編・1951年岩波
書店刊)です。
 同じ原作で1年はやく1952年5月、新藤兼人監督による映画「原爆の子」
が上映されています。私が観たのはこの映画だったかもしれません。
 今回観た1953年作の関川秀雄監督(1908~1977)の映画「ひろしま」は、製作費は全国の日本教職員組合の先生たち他50万人が一人50円ずつ出
資して2500万円を元に製作され、広島市民約9万人がエキストラで出演。1953年5月20日~7月末まで、広島市内にロケ班が入り撮影された映画だそうです。広島市の人々のこの映画にかけるエネルギ―が映画を観ていると伝わって来ます。勿論白黒です。岡田英次さん、月丘夢路さん、山田五十鈴さん、加藤嘉さん、子役に松山英太郎さん、河原崎健三さんなど。(若い人は知ってるかな)
 この映画は1955年ベルリン国際映画祭長編映画賞を受賞されていますが、
全国で広く上映されることなく 「幻の映画」と言われ、長い間眠っていたそうです。私も知りませんでした。
  映画を観ると「幻の映画」になぜなったのかわかるような気がします。
1945年広島・長崎へ原爆投下され、日本は(ポツダム宣言を受諾)敗戦。1950年朝鮮戦争勃発・警察予備隊設立。1951年にサンフランシスコ講和条
約を結んで日本は独立国になるわけですが、1952年日米行政協定、日米安保発効により、対米従属的な国家体制の枠の中へ。
 映画「ひろしま」は被爆による白血病死、朝鮮戦争などの主張がアメリカに
とって不都合な真実だったのでは、と思います。私が興味があったのは、映画「ひろしま」の上映と同年に、1953年8月米アイゼンハワー大統領、国連で「平和のための原子力」演説をしています。
 その翌年、1954年3月1日アメリカ、ビキニ環礁で水爆実験。第五福竜
丸被災、3月14日に第五福竜丸焼津港に帰港。マグロが放射能汚染されていたので大きなニュースになりました。この時の新聞記事も私は覚えています。54年9月に久保山愛吉さんが亡くなりました。
 大きなニュースになり、その後、反核運動は大きく広がりをみせました。
 しかしビキニ環礁で第5福竜丸が被災した日の翌日に、1954年3月2日
曽根康弘氏が原子力予算2億3千5百万円を国会に提出しています。
 1955年に原子力基本法公布。2011年福島事故後、日本に原子力導入
時の「毒には毒をもって制す」話など、私たちの知らない過去の歴史がボロボロと出てきました。ボロボロ出て来たものを次に伝えなければと思います。この映画も伝えたい一つです。                  (松浦雅代) 
 
 
(金原注)映画「ひろしま」予告編(修正版)
 

(8頁)
 
福島原発事故の責任を問う告訴(女の会83号・2013年1月30日発行に記載)
 2012年6月に福島県民1324人の第一次告訴に続いて11月には全国にびかけ13000人を超える告訴告発を行いました。和歌山県内では40人参加していました。
 何故なのかわかりませんが、9月9日福島地検から東京地検に移送され、そ
の日のうちに東京地検は不起訴を決定。
 他の団体から東京地検に訴えられていた菅元首相も不起訴になり「当たり
前だよ」とテレビに映し出されていましたが、福島原発告訴団が菅さんを訴えたように取られるマスコミ報道でした。
 菅さんや民主党の政治家を告訴した団体の名前がマスコミ報道されないと
云う不思議さでした。
 不起訴処分に対して「私たちは挫けない!原発被害者は生きるために正
義を求める!」と検察審査会への審査の申し立てを行うことになりました。
 
福島第一原発汚染水漏洩・流出事故についての緊急国際
署名が始まっています。〆切り10月10日
 署名用紙同封しています。(松浦まで)ネット署名もしています。
 署名フォーム→ https://fs223.formasp.jp/d576/form1/
 
★『原発を拒み続けた和歌山の記録』が地方出版文化功労
賞・奨励賞を受賞しました。
 「ブックイン鳥取2012年」に出品展示された全国の地方出版物650点の
中から選ばれました。これは、1987年鳥取県で開かれた「日本の出版文化展」の催しを機に<ブックインとっとり・地方出版文化功労賞>を制定、以来、当地で毎年開催されているものです。今年の6月22日の最終審査で「原発を拒み続けた和歌山の記録」が第26回奨励賞を受賞しました。
 本をまだ読まれていなくて購入希望者は松浦まで。

★記 みなさんお元気でしょうか? 今年の夏は暑くて大変でした。
 セミの喧しい鳴き声が少なかったように思いました。温度差が大きくなり公
園でツクツクボーシの疲れたような、か細い声を聞いて、私は同情してしまいました。
 あぜ道に季節の彼岸花が真っ赤に咲いています。10/19久しぶりの勉強
会是非参加して下さい。
 
 福島原発事故炉は4つもあることを。その現場で被ばくしながら遥かなる収束に向けて働いている人たちの事を。15万人を超す人たちが故郷を追われ家族と地域が分断されている事を。年間20ミリシーベルト以下の地域には住民を帰還させようと云う国の方針の中で、財物賠償も進まず、避難生活を送る住民は疲弊と困難を極めている事を。忘れないで。(松浦)