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寺井拓也さん『青森~福島「反原発」ツアー』

 今晩(2013年10月23日)配信した「メルマガ金原No.1521」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
寺井拓也さん『青森~福島「反原発」ツアー』
 
 先月9月下旬の夜、和歌山を車で出発した5人のグループが、強行スケジュールを押して、青森県大間町の「あさこはうす」に小笠原厚子さんを訪ね、その後、福島県に立ち寄り、浪江町の「希望の牧場」や福島市の「ふくしま共同診療所」を見学し、佐藤幸子さんらと交流して帰途についた顛末については、西郷章さんの手記『“あさこはうす”と“福島”を訪ねて~大間・福島交流旅行報告記~』をご紹介しました。 
 
 このたび、その西郷さんから、ともにツアーに参加された和歌山県田辺市の寺井拓也さんの手記『青森~福島「反原発」ツアー』の原稿をお送りいただきました。寺井さんご本人に確認したところ、寺井さんが所属されている「つゆくさと大地の会」の会報「つゆくさ頼り」に掲載するために執筆されたものだとのことでしたが、快くメルマガ金原
への転載をご了解いただきました。 
 なお、写真については、西郷章さんがFacebookにアップされた写真の中から、そのご了解を得て使わせていただきました。
 是非、西郷さんの文章と併せてお読みください。
 
 ところで、「(仮称)小笠原厚子さんを迎える会」はもう立ち上がったのでしょうか?
 

 
         青森~福島「反原発」ツアー
                           寺井拓也
 
 こんな強行ツアーは自分の人生において、前にもあとにもないだろう。9月20日夜、和歌山県を出発した私たち5人は、トヨタの8人乗り乗用車「ノア」に乗り込み、一路青森県へ向かった。最初の目的地は下北半島の先端の大間町である。「大間のマグロ」で名高い町であり、原発を建設中の町である。
 
【初日のつまづき】
 もともと無理な日程が、初日からつまずいた。最初の宿泊は福井県敦賀。途中、
阪和道と名神高速で、それぞれ大渋滞に巻き込まれてしまう。ホテル到着が4時間遅れの深夜3時。それでも翌日はおよそ1000キロを走破しなければならない。朝9時に出発し、青森県の八戸をめざす。ひたすら走る。北陸道~磐越道~東北道と
北上し、ホテルに到着したのは深夜12時であった。
 そして、翌日はいよいよ目的地の大間原発建設予定地である。
 
【「あさこはうす」とは】
 大間原発予定地の真ん中に1ヘクタール(約300坪)ほどの私有地がある。157
名あった地権者のうち、ただ1人土地を売らなかった人がいた。熊谷あさ子さんである。電源開発は2億円の札束を積んだ。しかし、これを拒否した。「10億円積まれてもらない」。あさ子さんの決意は固かった。魚を取りすぎずに、まじめに漁に励めば大間の海で生きていける、という信念だ。これに対して、脅しの電話や手紙、誹謗中傷村八分が待っていた。それにも負けず、それに抗して親子で建てたのがログハウスである。その名が「あさこはうす」。これを娘の小笠原厚子さんが守り続けている。この「あさこはうす」を訪問しようというのであった。
 
【遠かった「あさこはうす」】
 22日、八戸市を出発。ここからは在来道だ。途中、六ヶ所村の再処理工場の脇
を通り、さらに進んで、東通原発を横に見て本州の最北端へと進む。走ることおよそ4時間ほどで「あさこはうす」に到着した。大間は遠かった。ここまで2泊し、18時間かけての旅だった。
 一般道から分かれ、「あさこはうす」へ通ずる連絡道路の両側には高さ2メートルほ
どのフェンスが続く。その入り口に構えるのは「見張り小屋」。常時「監視員」が控えている。防犯カメラも24時間、監視している。フェンスに囲まれたその通路を数百メートル進むと、終点「あさこはうす」だ。
 
【建設工事を再開】
 すでに大間原発の建設工事は始まっていた。タワークレーンが何基も立ち上がって
いる。巨大なタービン建屋がその姿を現している。福島第一原発事故で中断していたが、昨年の10月工事を再開した。野田内閣がゴーサインを出した。
 
【温かい出迎え】
 厚子さんが笑顔で出迎えてくれた。講演の時出会った険しい表情とは別人だった。
柔和だった。すでに時計は正午を少し回っていた。早速、庭で昼食。道中で仕入れたコンビニの弁当を開く。足元にはアイガモが遊ぶ。猫が徘徊する。のどかである。電力源は太陽光パネルとミニ風力発電のみだ。それでも、テレビと冷蔵庫くらいはまかなえるという。ただ、水がない。沢の水をくみ上げていたのだが、最近枯れた。自然に枯れるはずがない。誰の仕業だろうか。だから、飲料水はペットボトルでしのいでいる。
 およそ2時間の和やかな時間はあっという間に過ぎた。厚子さんのお母さんがどれほ
ど精神的に苦しまれたのだろうか。そのストレスがどれほど身体を蝕んだことだろうか。辛いお話をつぶさにきくことができた。その孤独の闘いが、今、全国の人々を励ましている。午後2時を回ってお別れをした。その日のうちに福島市内のホテルに着かなけ
ればならない。
 
【和歌山に招待】
 別れ際「和歌山にも遊びに来てください!」。すると、うれしいことにOKの返事が
返ってきた。お嬢さんも一緒に迎えることになりそうだ。帰ったら早速、(仮称)「小笠原厚子さんを迎える会」を立ち上げて準備に入ろう。
 
【福島へ】
 帰路は再び在来道を4時間をかけて八戸へ。八戸からは高速道に乗る。盛岡・
仙台そして福島へ。23時ころ福島市内のホテルにようやくのことたどり着いた。
 翌日は福島県内を回る。まず浪江町の「希望の牧場」(吉沢牧場)。10時に待
っていてくれる約束だ。朝8時にホテルを出発。福島市、川俣町、飯館村南相馬市、浪江町と進む。途中の飯館村などでガイガーカウンターがピーピーと鳴り続ける。除染作業も途中の何箇所かで散見される。
 
【「希望の牧場」と除染と】
 南相馬市からいよいよ浪江町へと入る。さらに進むと、道路にバリケード。その先は
進めない。その終点が「希望の牧場」だった。その入り口で測ると毎時1.7~1.8マイクロシーベルト。事務局長の針谷勉さんと吉沢正巳さんが、作業を中断して、私たちの訪問に応対してくれた。ここで約2時間吉沢さんの話を伺う。原発爆発後のパ
ニック状況やなぜ牛を飼い続けるのかなど、吉沢さんのお話を伺うことができた。
 いま、この牧場では360頭の牛を飼っている。「殺せ」と国はいう。しかし、この半強
制的命令を拒んできた。牛は放射能汚染の「証拠」である。だから、国は消そうとする。それに抗して吉沢さんは飼い続ける。牛は学術的にも研究材料にもなる。吉沢さんは腹を固めた。この放射線量の高い地で、牛と共に暮らす。ここで寝泊りする。そして、牛とともに暮らす未来の浪江町の設計図を描いていた。
 正午ころ失礼し、次の約束地に向かう。途中、飯館村のコンビニ前で、福島市内を
案内してくれるE人さん、Sさんと落ち合う。Eさんは車で先導。Sさんは、私たちの車に乗って、現地の説明をしてくれた。まず飯館村の山中。除染した汚染物を一時貯蔵する場所であった。そこでの測定値は毎時0.4マイクロシーベルト
 
【室内砂場と仮設住宅
 次は福島市内の「室内砂場」であった。それは市民会館の1階フロアーにあった。
室内のホールを改装して「砂場」を作った。入り口で利用者名簿に記入して入場する。親子のにぎやかな声がこだましていた。通称「さんど広場」である。私たちの口から思わず出たことばは「やるせない!」だった。
 次に仮設住宅。2箇所ほど回って案内してもらう。何回もの避難を繰り返してここ
へたどり着いた人が多いという。「もう疲れた!」と、もうここで過ごしたいという人もいるだろう。あるいは、早く元のゆったりできるわが家に戻りたいという人も多いはずだ。狭い空間。展望のない先行きである。当然ストレスがたまる。玄関につながれていたシェパードが他人にかみつく「事件」もあったという。ストレスがたまるのは犬だって同じだ。
 
【「ふくしま共同診療所」】
 最後に、福島駅前につくられた「ふくしま共同診療所」へ。その日は祭日で休診
日であったが、開けてくれた。伊達市からかけつけてくれた建設委員会のW事務局長が説明してくれた。
 今、子どもたちに甲状腺がんが出始めている。福島県の「県民健康管理調査」
検討委員会の8月20日の発表によると、18歳以下の子どもたちの検査では甲状腺ガンが18名、その疑いがあるものが25名。徐々に増加している。チェルノブイリ事故では事故後4~5年にかけて急増している。これからが心配だ。
 

 

【帰路へ】
 その日の夜は福島の人々5人と総勢10名で夕食を囲んでの交流会となった。
 翌24日は帰るのみ。朝から晩まで、とにかく走る。福島市から和歌山までおよそ
920キロの高速道路を突っ走った。田辺市に到着は22時。クルマの所有者のNさんはさらに串本へと向かった。
 かけがえのないツアーだった。大間と和歌山が近くなった。福島が一歩近づいた。