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天皇陛下の“日本国憲法観”(付・「陛下」という敬称について)

 今晩(2014年1月6日)配信した「メルマガ金原No.1597」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
天皇陛下の“日本国憲法観”(付・「陛下」という敬称について) ※追記あり
 
 1年前から、このメルマガに書いた記事は、配信直後に「弁護士・金原徹雄のブログ」に転載することにしています。
 そのブログ機能の1つとして、「人気記事」のコーナーを右サイドバーに設けています。
 これは、「過去2週間」のアクセス数ベスト20がランキング表示されるというもので、どんな記事にアクセスが多いかを知ることができるので、執筆している本人としても結構気になる数字です。
 本日(2014年1月6日)現在、1月1日にアップしたばかりの「なぜ総理大臣が国神社に参拝してはいけないのか?(基礎的な問題)」へのアクセス数が飛びけて多のですが、その理由は今のところ不明です(フォロワーの多い方が twitter で紹介してくれたのかもしれないと推測しているのですが)。
 
 以上のような一気にアクセス数が増える記事とは対照的に、アップしてから2週間が経過しても累計アクセス数が落ちていかない、つまり少しずつアクセスが途切れずに続いている記事も稀にはあります。
 その典型が、昨年(2013年)10月30日にアップした「五日市憲法草案を讃えた皇后陛下の“憲法観”」です。
 特にどこかのサイトで紹介してもらったということもなく(多分)、アップ当初は目立たぬアクセス数であったのですが、2か月以上にわたって常に数十のアクセス数をカウントし、ベスト10位前後にずっとランクインしており、年が明けてからは2週間の累計アクセス数が増加する傾向まで示し始めています。
 もともと、私のブログのアクセス数など人気ブログに比べれば桁違いに少ないとはいうものの、これはこれで興味深い数字かなと思います。
 
 さて、いささか旧聞に属する話になりますが、上記「五日市憲法草案を讃え皇后陛下の“憲法観”」の“姉妹編”というか“夫婦編”をまだ書いていなかったことに気がつきましたので、取り上げることにしました。
 それは、満80歳の誕生日を迎える5日前の先月(2013年12月)18日、皇居において行われた天皇陛下記者会見です。
 Facebookでは紹介済みであったので、メルマガ(ブログ)に取り上げようかどうしようかと考えていたのですが、やはり取り上げようと思ったのは、半澤健市さんが「リベラル21」に掲載された以下の論考を読んで共感したことによります。
 
 
 私の意見は、半澤さんと基本的に同じです。
 なお、両陛下がそれぞれの誕生日にあたって発表した文章(皇后)及び記者会見での発言天皇)は、宮内庁サイトで全文を確認できます。
 
 
 
 皇后陛下の“憲法観”については、先述の私のブログを参照していただけばと思いますので、ここでは、12月18日の天皇陛下記者会見から一部を抜粋して引用します。
 
(抜粋引用開始)
問1 陛下は傘寿を迎えられ,平成の時代になってまもなく四半世紀が刻まれます。昭和の時代から平成のいままでを顧みると,戦争とその後の復興,多くの災害や厳しい経済情勢などがあり,陛下ご自身の2度の大きな手術もありまし
た。80年の道のりを振り返って特に印象に残っている出来事や,傘寿を迎えられたご感想,そしてこれからの人生をどのように歩もうとされているのかお聞かせ下さい。
天皇陛下
80年の道のりを振り返って,特に印象に残っている出来事という質問ですが,
はり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した時に中国との戦争が始まっており,その翌年の12月8日から,中国のほかに新た米国,英国,オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校の後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われていす。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が,若くして命を失ったことを思うと,本当に痛ましい限りです。
 戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経,今日,日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても,人と人との絆(きずな)を大切にし,冷静に事に対処し,復興に向かって尽力する人々が育っていることを,本当に心強く思っています。
(略)
天皇という立場にあることは,孤独とも思えるものですが,私は結婚により,私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え,これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています。
(略)
(引用終わり)
 
 天皇皇后両陛下の“憲法観”を多くの人に知ってもらうこと、これをしも「天皇の政治利用」と言うのでしょうかね?ネトウヨなら言いかねないけれど。もっとも、ネトウヨとは正反対の方角からも反対の声が聞こえてきそうな気もしますが。
 それにしても、「が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました」という一節には感動しますね。そうは思いませんか?
 
(付記・「陛下」という敬称について)
 ところで、私が「陛下」という敬称を使用することについて、「使うべきではない」という否定的意見もあるだろうと思います(直接指摘された方もあります)。
 以前は、「陛下」を使うべきではないのではという意識(一種の強迫観念だったかも)が私にもあり、「明仁天皇」「美智子皇后」というような言い方をしていた時期もあるのですが、最近は、文脈によって相応しいと思えば、「陛下」という敬称を使用することをためらわなくなりました。
 ちなみに、「陛下」という敬称の法的根拠は皇室典範(これも法律です)にあります。
 
第二十三条  天皇、皇后、太皇太后及び皇太后の敬称は、陛下とする。
2 前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。

 
 もちろん、この規定に「強制力」はありませんから、皇室典範所定の敬称を使おうが使うまいが自由であり、仮に事実上とはいえ、この敬称を「強制」するようなことがあれば、私は絶対に反対します。
 現に、私自身、「天皇陛下」「皇后陛下」とは言っても、「皇太子殿下」「皇太子妃殿下」などとは言いませんからね。個人が敬称を使用するかしないかを決める「自由」は絶対に保障されなければなりません。
 従って、個人が自らの信条に基づいて「皇族に敬称は用いない」という方針を貫くことは全面的に支持しますが、私も、他人から「使ってはいけない」というような指図は受けたくありませんね。
 まあ、この「敬称」問題を突き詰めていくと、日本国憲法下における天皇をどう評価し、位置付けるのかということについて、それなりの態度決定を求められるという側面があり、(付記)として、ついでに語れるようなことではなかったのですが。

 
(追記・2014年1月12日)
 週刊文春WEB版(2014年1月10日アップ)に天皇の憲法発言に秘められた安倍政権への強いメッセージ」という記事が掲載されました。
 抜粋して引用します。
(引用開始)
宮内庁担当記者が語る。
「(誕生日)会見での陛下のお言葉からは何かを伝えようという強いご意志が感じられました。ご発言には、安倍政権を意識されているのでは、と思われる部分が随所にありました」
(略)
 皇室関係者が語る。
憲法を作った主語を日本としたうえで、わざわざ知日派の米国人の協力に言及されたのは、現行憲法が単に米国から押しつけられたものに過ぎないとの考え方に、反論されたとも受け取れます。安倍政権憲法を改正して、天皇を象徴ではなく元首に戻そうとしていることに対し、憲法に従い『象徴天皇とは何か』をずっと追求してこられた陛下は、ご自分の生き方を否定されたように感じられたのではないでしょうか。だからこそ、昨年4月の『主権回復の日』を記念する式典に陛下をひっぱりだすなど、皇室の政治利用に遠慮をみせない安倍政権へのメッセージとして、あえて憲法を遵守する立場を強調されたのだろうと思います」
 会見では、五輪招致をめぐる皇室の政治利用問題で菅義偉官房長官とバトルを繰り広げた宮内庁の風岡典之長官にも言及。「宮内庁長官始め関係者も、この問題が国政に関与するかどうか一生懸命考えてくれました」と述べられ、天皇の良きアドバイザーになっていることを示唆して風岡長官に助け舟も出されている。
「現政権が風岡長官を毛嫌いし、交代させようとしているとの噂もあるので、陛下は釘を刺されたのではないでしょうか」(前出・記者)。果たしてメッセージは届くのか?
(引用終わり)