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なぜ国家を歌わない権利が守られなければならないのか?

 今晩(2014年4月8日)配信した「メルマガ金原No.1690」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
なぜ国家を歌わない権利が守られなければならないのか?
 
 まだしも今ほど息苦しくなかったと今では思える平成11年(1999年)8月、その後の本を「息苦しい国」にするのに大きな力を発揮することになる本文わずか2箇条の法律が成立しました。
 その法律をしっかりと読んだことのない人も多いと思いますので、以下に引用します。
 
国旗及び国歌に関する法律(平成十一年八月十三日法律第百二十七号)
(国旗)
第一条 国旗は、日章旗とする。
2 日章旗の制式は、別記第一のとおりとする。
(国歌)
第二条 国歌は、君が代とする。
2 君が代の歌詞及び楽曲は、別記第二のとおりとする。
   附 則
(施行期日)
1 この法律は、公布の日から施行する。
(商船規則の廃止)
2 商船規則(明治三年太政官布告第五十七号)は、廃止する。
日章旗の制式の特例)
3 日章旗の制式については、当分の間、別記第一の規定にかかわらず、寸法の
割合について縦を横の十分の七とし、かつ、日章の中心の位置について旗の中心から旗竿側に横の長さの百分の一偏した位置とすることができる。
   別記第一(第一条関係)
日章旗の制式
一 寸法の割合及び日章の位置
    縦 横の三分の二
   日章
    直径 縦の五分の三
    中心 旗の中心
二 彩色
    地 白色
    日章 紅色
   別記第二(第二条関係)
君が代の歌詞及び楽曲
一 歌詞
   君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで
二 楽曲
   省略
 
 国会での審議の課程においても、憲法19条が保障する思想・良心の自由を侵害することになるのではないかとの懸念が強く指摘され、当時の小渕恵三総理大臣は、国会での答弁及び成立後の談話において、「国旗の掲揚に関し義務づけ
などを行うことは考えておりません」「国旗と国歌に関し、国民の皆様方に新たに義務を課すものではありません」と、その強制性を否定する発言を繰り返していました。
 
小渕恵三総理大臣の衆議院本会議における答弁(平成11年6月29日)
(引用開始)
 学校におきまして、学習指導要領に基づき、国旗・国歌について児童生徒を指導すべき責務を負っており、学校におけるこのような国旗・国歌の指導は、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけることを目的として行われておるも
のでありまして、子供たちの良心の自由を制約しようというものでないと考えております。」
「国旗及び国歌の強制についてお尋ねがありましたが、政府といたしましては、国
旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。」
(引用終わり)
 
小渕恵三内閣総理大臣の談話(平成11年8月9日)
(引用開始)
本日、「国旗及び国歌に関する法律」が成立いたしました。
我が国の国旗である「日章旗」と国歌である「君が代」は、いずれも長い歴史を
有しており、既に慣習法として定着していたものでありますが、21世紀を目前にして、今回、成文法でその根拠が明確に規定されたことは、誠に意義深いものがあ
ります。
国旗と国歌は、いずれの国でも、国家の象徴として大切に扱われているものであ
り、国家にとって、なくてはならないものであります。また、国旗と国歌は、国民の間に定着することを通じ、国民のアイデンティティーの証として重要な役割を果たして
いるものと考えております。
今回の法制化は、国旗と国歌に関し、国民の皆様方に新たに義務を課すもの
ではありませんが、本法律の成立を契機として、国民の皆様方が、「日章旗」の歴史や「君が代」の由来、歌詞などについて、より理解を深めていただくことを願っ
ております。
また、法制化に伴い、学校教育においても国旗と国歌に対する正しい理解が
促進されるものと考えております。我が国のみならず他国の国旗と国歌についても尊重する教育が適切に行われることを通じて、次代を担う子どもたちが、国際社会で必要とされるマナーを身につけ、尊敬される日本人として成長することを期待いたしております。
(引用終わり) 
 
 しかしながら、その後、「君が代」をめぐる主として公立学校における校長の職務命令と教職員の起立・斉唱の拒否をめぐり、教育委員会による懲戒が繰り返されていることはご存知のとおりであり、この点につき、懲戒の程度については一定のしばりをかけつつ、最高裁判所が、校長による「君が代」斉唱時の「起立・斉唱」命令などについて一貫して合憲の判断を続けていることは大きな問題と言わざるを得ません。
 
 裁判で争われる事案の多くは、教職員の思想・良心の自由が問題になったケースですが、そもそも、国旗・国家の事実上の強制は、まずは児童・生徒に向けられるのであって、彼らの思想・良心の自由は本当に守られているのか?ということが国民的関心事とならねばなりなせん。
 多くの日本語を母国語としない児童・生徒が日本の公立学校で学んでいる現在、「多文化共生」というスローガンが本当に学校現場で実践されているのかということについて、「君が代を歌わない権利」が認められているのかどうかが試金石と
なるのではないかという気がします。
 
 以上の問題を考える上で、非常に参考となる文章がレイバーネット日本のWEBサイトに掲載され、多くの人に注目されて読まれているようです。
 モントリオール在住の長谷川澄さんという方が、ご自分の子どもさんの小学校卒業式における印象深いエピソードを紹介しながら、「なぜ国家を歌わず、国旗に敬意を表さない権利が守られなければならないのか?」について、実に説得力豊かに論じられていて感銘を受けました。
 
レイバーネット日本 2014年4月2日
歌わない権利を守ること~カナダ国歌についての思い出
長谷川 澄(カナダ・モントリオール在住)
(抜粋引用開始)  
今年41歳になった息子が小学校を卒業した時のことだから今から殆ど30年ものことですが、日本の公立学校での国旗、国歌の強制の話を聞くたびに思い出し、日本の人に話したいと思うことなので書いてみます。
(略)
全校生徒数が200人と少しの小さい学校でしたが、ある時、親の出身国の歌や詩を紹介する学芸会をしたら40カ国近い国が出てきたという学校でした。こういう背景の学校だからか、息子がこの学校を卒業する時の式では、カナダ国歌を歌いました(このことは後で説明します)。私は子ども達の席の後ろに用意された父兄席からその様子を見ていました。すると、起立して歌う6年生の中に一人だけ、着席したままの子がいるのです。
それで、休憩時間に、私のところに顔を見せた息子に「国歌を歌わない子がいるんだね、どうしたんだろう?」と聞いてみました。すると息子はすごい勢いで「ママ、そんなことを言っちゃいけないんだよ!国歌を歌う歌わないは完全に個人の自由なんだから、そんなことで、何か言うのはとても失礼なんだよ!」と怒るのです。「いや、何か言ったんじゃなくて、どうしたのかなと聞いただけよ」と言っても「聞くだけでも駄目なの!どうしてなんて、理由を聞く必要も、理由を説明する必要もないの!」と全く、取り付く島もないのです。
それで、息子は自分の席に戻ってしまったので、私は何か呆気にとられて、ぼんやりしてしまいました。すると隣の席にいたお母さんが少し笑いながら「あれはきっと、歌わないお子さんの権利を守るために、先生が教室で皆に厳しく注意なさったんでしょうねえ。私が思うには、あのお子さんは多分、エホバの証人のご家庭の子なんだと思いますよ。エホバの証人は神の国は一つという考えで、国家を認めないから、国歌も歌わないと思います」と教えてくれました。
家に帰ってから、息子に,気を付けて言葉を選びながら経過を聞いてみたら、国歌の練習の時にその子が先生に話しに行って、先生は「もちろん歌わないで良い」と言ってから、皆に歌う歌わないのは個人の自由であること、だから、そのことで何か
言ったり、理由を聞いたりしてはいけないと話し、その子にも「あなたが説明したければ、勿論、説明しても良いのだけれど、したくなければ答える必要もないのだと言ったことを話してくれました。勿論、校長先生も全部ご存知だったと思います。ス
テージの上にいた校長先生にはよく見えたはずですから。このことは私の中に強い印象を残しました。
それまで疑問に思うこともなかったカナダ国歌の歌詞もよく考えてみました。仏語の方は『おーカナダ、我が父祖たちの地よ』で始まるのです。例えばカナダ先住民の家族だったら、これはとんでもない歌詞かもしれません。我が父祖たちからだまし取
った地なのですから。(先住民がカナダ国歌を歌わされることはないでしょうが、先住民以外の人と結婚して、リザーヴの外で生活していればあり得ることです)。そう考えていくと、どこの国の国歌でも、国旗でも、それに反発を覚える人は必ずあるはずだと思うようになりました。だから、国歌や国旗がある限り、それを歌わない権利、敬意を表さない権利を保障することは非常に大事なことなのだと心から納得しました。
(略)
兎に角、日本では、『外国では、、、、』と言うとき、その外国は米国のことが多く、他の国とは大分様子が違うことも多いのです。色々な国で、国旗や国歌がどう扱われているか私も知りたいと思います。歴史的背景を考えれば、私も「君が代」や
「日の丸」に全く敬意を表することは出来ませんが、一番大事なことは歌いたくない人、敬意を表したくない人の権利を守ることだと思います。
(引用終わり) 
 
 約30年前のカナダ、ケベック州モントリオールの小さな小学校の卒業式でのピソードから学べることは実に深く広いと思いませんか?
 多様なバックグラウンドを持つ人々が、それぞれ個人として最大限に尊重されなければならない(日本国憲法13条)ということも、思想・良心の自由(19条)とともに「国家を歌わない権利」が認められなければならない重要な根拠だろうと思います。
 
 ところが、自民党日本国憲法改正草案」は、次のような条項を憲法に書き込もうとしているのです。
 (国旗及び国歌)
第三条 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。
2 日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。
 
 しかも、この第三条というのは「第一章 天皇」の中に規定されているのですよ。そもそも、国旗・国家を憲法で定めること自体が不適切である上に、国民に尊重義務を課そうというとんでもない規定であることは多くの論者が指摘していますが、
天皇」の章にこの規定を位置付け、「君が代」を国家として尊重することを国民に義務づけるという発想自体、現行憲法の「個人の尊重」を真っ向から否定しようという規定であって、到底許せないものです。
 
 最後に、非常に有名なエピソードであり、多くの人が聞いたことがあると思いますが、自民党改憲案における国旗・国家条項と対比させる意義が大きいと思われますので、あえてこの挿話をご紹介したいと思います。
 
朝日新聞 2004年10月28日
国旗・国歌「強制でないのが望ましい」天皇陛下園遊会
(抜粋引用開始)
 天皇陛下は28日の園遊会の席上、東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄さん(61)から「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけられた際、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べた。
 米長さんは「もうもちろんそう、本当に素晴らしいお言葉をいただき、ありがとうございました」と答えた。
 天皇が国旗・国歌問題に言及するのは異例だ。
 陛下の発言について、宮内庁羽毛田信吾次長は園遊会後、発言の趣旨を確認したとしたうえで「陛下の趣旨は、自発的に掲げる、あるいは歌うということが好ましいと言われたのだと思います」と説明。さらに「国旗・国歌法制定時の『強制しようとするものではない』との首相答弁に沿っており、政策や政治に踏み込んだものではない」と述べた。
(略)

 (引用終わり)