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集団的自衛権を中東(イスラーム諸国)から考える(内藤正典氏の講演を聴いて)

 今晩(2014年6月5日)配信した「メルマガ金原No.1748」を転載します。

 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。

 
集団的自衛権を中東(イスラーム諸国)から考える(内藤正典氏の講演を聴いて)
 
 安倍晋三首相は、集団的自衛権行使容認に向けての「基本的方向性」を明らかにし(2014年)5月15日の記者会見において、「自衛隊武力行使を目的として湾岸戦争イラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してありません」と大見得を切りたが、これを本気で信じる人がいるとすれば、控えめに言っても「野放図なお人好し」、あていに言えば「救いがたい愚か者」です。
 
 現実に自衛隊員が「集団的自衛権行使」の修羅場に投入されるとすれば、まず、「アメリの戦争」がどこでどのように遂行されてきたのかを検証するのが大前提になるべきであって、鮮有事(とおぼしいイラストでしたね)に際して母親や小さな子どもがアメリカの輸送艦避難するという(多くの人が指摘しているとおり)噴飯物の設定などにまどわされることなく、多くの国民の視線を「中東」に向けさせることが是非とも必要だと思います。
 
 これまでも、西谷文和さんや志葉玲さんらのフリージャーナリストの献身的な取材と報告によって、「中東の戦争」の実態の一面に接する機会を持った人も少なくないとは思いますが、いかんせん、そのような機会を持ち得た人は全国民の一部にとどまると考えなければなりません。
 
 近年の「アメリカの戦争」を語るということは、その多くは「中東の戦争」を語るということであり、しかもそれは同時に「中東におけるアメリカの失敗の連続」を語ることでもあります。日本がそのような「アメリカの失敗」に軍事的に加担するようなことが決してあってはならないということを、憲法学ではなく、国際政治学(地域研究)の観点から、長年、中東の研究を続けてこられた内藤正典氏(同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授)の講演によって学ぶ機会は貴重です。

 IWJによって、昨日(2014年6月4日)、京都市同志社大学烏丸キャンパスで行わ
同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科主催による連続セミナー「グローバル・ジャスティス」第44回「イスラーム諸国から考える、日本の集団的自衛権」(講師:内藤正典教授)が中継され、録画が視聴できますので、是非皆さまにもお薦めしたいと思います。
 
 
 同志社大学サイトに掲載されたセミナーの案内から引用します。
 
(引用開始)
 同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科では、連続セミナー「グローバル・ジャ
スティス」を開催いたします。このセミナーは、現代世界が直面するさまざまな課題における「ジャスティス」の問題を、講師が自らの視点で語っていくものです。したがって、どのような視角で、何を問題としてジャスティスを論じるかは講師にゆだね、主催者は一切の方向性をあらかじめ規定いたしません。ジャスティス(正義)という言葉のもつ多義性や問題性もふくめて、多様な議論の場として提供していくものです。

シリーズ「グローバル・ジャスティス」第44回
イスラーム諸国から考える、日本の集団的自衛権
 安倍政権の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」は、
憲法9条の下で個別的自衛権に制限されてきた日本の安全保障が「国家の存立を全うすることができるのか論証はなされてこなかった」として、集団的自衛権が行使できるよう、歴代の政府解釈を力づくで捻じ曲げようとしています。
 しかし本当に集団的自衛権の行使は、日本の、そして世界の平和構築に貢献してきた
でしょうか。1991年の第一次湾岸戦争以降、合衆国は中東諸国のあいだに緊張と紛争、そして多くの被害をもたらしてきました。他方で、日本はまさに武力を行使しないことで、中東
諸国とのあいだに欧米とは異なる、平和的な関係を築いてきたといえます。
 そこで今回のグローバル・ジャスティス・セミナーでは、トルコやアフガニスタンなど、中東諸国
と日本が築いてきた友好的な関係を踏まえて、イスラーム諸国にとって日本の集団的自衛権の行使がどのようなインパクトをもつのかをみなさんと考え、武力に訴えない形での平和構
築、紛争解決の道へを模索してみたいと思います。
(引用終わり)
 
 全編視聴しても1時間22分なので、是非全部を聴講していただきたいと思います。
 講演の中では、米軍のアフガニスタンでの戦闘シーン(13分~)や幹線道路でのいわゆる自爆テロ(貧者の爆弾)」(19分~)の生々しい映像も紹介されています。私たちは、その映像に登場してタリバンと銃撃戦を行ったり、銃を構えて庶民の家に踏み込むアメリカ兵の位置に自衛隊員を置いて考える「義務」があります。「自爆テロ」の標的となった装甲車の中には恐怖にふるえる自衛隊員が乗っているのだと想像する「義務」があります。
 そのような「義務」を果たさぬ者に集団的自衛権を語る資格などないのだと、私たちは自信をもって訴えるべきです。
 
 この他、内藤先生が近年中心的な研究テーマの1つとされているトルコについて、中東にけるアメリカ最大の同盟国でありながら、アメリカの強い出兵要請にもかかわらず、湾岸戦にも、アフガニスタン侵攻にも、イラク戦争にも参戦せず、わずかに、アフガニスタンにはNATOの一員としてISAFに派兵したものの、現地の事情に精通し、住民と敵対せぬように細心の注意を払ったため、墜落事故や交通事故による数名の死者以外の「戦死者」は1人も出さなかったという興味深いお話も聴けます(1時間05分~)。独立回復後、1度の例外もなく、「アメリカの戦争」を支持し続けてきた日本政府とのあまりの違いに驚きますよね。
 トルコ国軍が国防にのみ専念し、政治が軍を道具として利用することを許さないということ聴くと、さらに「それは素晴らしい」と思ってしまいますが、それだけシビリアン・コントロールが弱いということでもある訳で、内藤先生も指摘されているように(半田滋さんも近著で指摘されていましたが)、実際に自衛隊が戦場に投入されるという事態となれば、制服組の発言力が今以上に強まるという当然予想される事態を、集団的自衛権行使容認を主張する者が配慮しているようには全然思えないということが問題です。
 
 なお、講演の最後の方で内藤先生が結論として述べられた部分を書き起こしました。是非この言葉をみんなで噛みしめたいと思います(1時間19分~)。
 
「信頼というのは、市民の間でしか醸成できないというのが今日の話の結論でございます。軍事力をもって国家間の集団的自衛権を当然とする前に、軍事力を行使しない信頼関係を構築するということが絶対に必要です。もう一つ、間違って誤射であろうと誤爆あろうとですね、子どもを殺したら最後、世界の16億のイスラム教徒は、日本をアメリカと同じような国だとみなすということです」
 
(参考映像)
同志社大学今出川キャンパス・神学館・礼拝堂での講演 2008年10月4日
内藤正典「トルコにおける世俗主義


日本記者クラブでの会見 2013年6月21日
「トルコ情勢」内藤正典 同志社大学大学院教授
 
 
 
 

(参考サイト)