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「自衛隊を活かす会」呼びかけ人から学ぶ(2)柳澤協二さんが語る「日本の安全保障」

 

 今晩(2014年6月15日)配信した「メルマガ金原No.1758」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
自衛隊を活かす会」呼びかけ人から学ぶ(2)柳澤協二さんが語る「日本の安全保障」
 
 昨日(6月14日)お送りした「『自衛隊を活かす会』呼びかけ人から学ぶ(1)加藤朗さんの『憲法9条部隊』構想」はいかがだったでしょうか?
 「長過ぎて読んでいない」という答えが返ってくるのではないかと懸念しています。
 つい、あれもこれもと欲張ってしまうのですが、「読んでもらうための適度な量」というのがあるの
でしょうね。
 
 ということで、「『自衛隊を活かす会』呼びかけ人から学ぶ」シリーズの2人目、柳澤協二(やなぎさわ・きょうじ)さんは、ごくシンプルにいきたいと思います。
 
 元内閣官房副長官補(安全保障担当)であった柳澤協二さんについては、末尾の(参考ブログ)に掲載したとおり、過去何度も本メルマガ(ブログ)で取り上げてきており、今さらご紹介するまでもないことと思います。
 
 安倍政権集団的自衛権の行使容認に向かって暴走する中、半田滋さん(東京新聞
説兼編集委員)や阪田雅裕さん(元内閣法制局長官)などと並んで、最も多忙に各所をけ回り、信念に基づいた発言を繰り返しておられる柳澤さんを、最初に「ザ・官僚」と呼んだのは、何となく半田滋さんだったような気がしていたのですが、よく思い出してみると、2011年10階で、池田香代子さんがご自身のブログで柳澤さんのことをそう呼んでいたのでした。
 
2011年10月12日 池田香代子ブログ
【動画】「ザ・官僚」は心を失っていなかった イラク戦争検証の集いの柳沢協二
 
 そう、この頃はまだ民主党政権下であり、「沖縄米海兵隊の抑止力とは?」とか、「イラク争への協力を検証すべき」というようなことが問題となっており、集団的自衛権など、行使認を主張する者はいても、現実的な政治課題としては、はるか水辺線の彼方というような印象だったのですから、政治状況の変転の速さには驚かされます。
 
 ここ最近の柳澤さんは、新外交イニシアティブ(ND)の理事としても積極的に関与されており、それに加えて、6月7日には、「自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会(略称:自衛隊を活かす会)」の代表呼びかけ人としての活動を本格的にスタートさせました。
 さらに、国民安保法制懇の12人のメンバーにも名前を連ねておられるし、体力が保つの
だろうかと心配になってくるほどです。健康にはくれぐれも留意していただきたいと思います。
 
 さて、「ごくシンプルに」と言いながら、前置きが長くなってしましました。今日ご紹介しようと思うのは、去る5月25日に開催された第32回「マガ9学校」、「集団的自衛権自衛隊~「積極的平和主義」はホンモノか」の第1部、柳澤協二さんの講演部分を文字起こしして整理した講演録です。
 
 まだ映像は公開されていないようですが、整理された講演録は、中継映像にはない利点があるということは以前も書きましたが(商社九条の会・東京の講演録で学ぶ「《歴史の転換点》の検証」(山田朗氏))、是非、インターネット環境とは無縁の生活を送っている人たちにこそ、この講演録を読んでもらう努力をしなければと思います。
 以下には、その一部をご紹介しますが、そんなに長いものではありませんので、是非リンク先の「マガジン9」サイトで全文をお読みください。
 
第32回マガ9学校 集団的自衛権自衛隊(その1)
柳澤協二さん講演レポート
 
(抜粋引用開始)
「邦人保護」は集団的自衛権とは無関係
 私は長年、官僚としてずっと自民党とお付き合いをしてきましたが、かつての自民党の大
物政治家には、なんだかんだ言っても「戦争はダメだ」というコンセンサス、物事を判断する前提として持っている共通の価値判断の基準があったと思います。しかし、戦争体験のある人たちが亡くなったり、引退したりして世代交代が進む中で、その部分が変わってきてしまった。「戦争はダメだ」ではなくて、「戦争もありだよね」というところから話がスタートしてしまう。人を殺すこと、死ぬことについてまったく実感のない人たちが、戦争と平和の一番重要な問題を議論しているというところにこの集団的自衛権の問題の一番の恐ろしさがあるように思います。
 僕は、今すぐ安倍さんが戦争をすると思っているわけではありません。ただ、本当にこの
人は自分が言っていることの意味を自分で客観的に理解しているんだろうかと感じることがある。そういう人がリーダーであるということに非常に危機感を持っているんです。
 先日の、安保法制懇の報告書提出を受けての記者会見のとき、総理が掲げていた
パネルにある親子の絵を見て、私は「なんだこりゃ」と、本当にのけぞるほどびっくりしました。海外で有事があったときに、赤ちゃんを抱えた母親、あるいはおじいさんおばあさんがアメリカの船に乗って逃げてくる、それを自衛隊が守らないでいいのか、という話でした。もちろん、守らなきゃいけないに決まっています。だけどそれと集団的自衛権と何の関係があるのかということです。(略)日本人を守るのだから、警察権か、個別的自衛権の範疇です。
(略)
 
政治は「情念で動かす」べきものではない
(略)
 安倍総理は2004年に『この国を守る決意』という対談本を出されていますが、その中
で、「祖父の岸信介は、60年安保を改定してアメリカの日本防衛義務というものを入れることによって日米安保を双務的なものにした。自分の時代には新たな責任があって、それは日米同盟を堂々たる双務性にしていくことだ」という話をしています。ちなみにその後で、「軍事同盟というのは血の同盟であって、日本人も血を流さなければアメリカと対等な関係にはなれない」とも言っているんですが、この「血」というのは当然自分の血ではなく人の血です。そんな言葉をいとも簡単に使うこと自体がどうかと私は思いますね。
(略)
 私はよく「情念で政治を動かすな」という言い方をするのですが、政治というのはやはり
客観的に、全体の国益を幅広く見てやらなければいけないものです。もちろん背後には一定の哲学や理念がなくてはいけないけれど、それをむき出しにしてはいけない。むき出しにして戦争をしたのがイラク戦争のときのブッシュJrだったわけですけれど、それはもはや利害の調整という意味での政治ではないだろうと思います。
(略)
 
「隣の友達を助ける」のは「当たり前」なのか
 集団的自衛権について考えるときに、頭に入れておかなくてはならないのは、これが大
国が軍事介入を正当化する論理として使われてきた論理だということです。時々、小さな国が寄り集まって大きな国に対抗するために集団的自衛権があるんだという人がいますし、最初の理屈はそうだったのかもしれませんが、実際に使われたのは、1956年のソ連によるハンガリー民主化運動弾圧が最初。その後も、ベトナム戦争や「プラハの春」など、集団的自衛権を行使してきたのは主に、米ソをはじめとする大国です。
 それから、「普通の国」はみんな当然のものとして集団的自衛権を行使している、日
本も容認して普通の国になるべきだ、という意見もあります。しかし、米ソがやってきたように、他国の戦争に軍事介入する、あるいは自分から軍事介入して戦争を起こす、それが本当に「普通の国」なのでしょうか?
 あるいは「隣にいる友達が殴られたら助けなきゃいけないじゃないか」という人もいる。た
しかに、日常生活ではそうでしょう。しかし、国際社会においてはそんな単純な話ではない。特に日本は、自分が殴られないために、世界の誰からも殴られない一番強いお友達と安保条約を結んでいるわけで、なぜその友達が殴られることを心配するのか。そもそも、その「強い友達」と自分とが並んで歩いていれば、殴られるのは自分のほうじゃないでしょうか。
(略)
 
集団的自衛権は「日本人の安全を守る」のか?
 それから、国際貢献のために集団的自衛権の行使容認が必要だという話。私はこ
れまでも、自衛隊PKO派遣された際に、丸腰の現地住民、あるいはPKOスタッフを守ることは、やれる範囲でやるべきだと考えてきました。ただ、他国の軍隊を守るということ、そのために本格的な武装をするということは、現地の武装勢力と本格的に敵対することを宣言することでもあります。そうすれば、「日本もついに我々の敵になった」ということで、テロの標的になる可能性があるし、海外在住の日本人の身が危なくなることもあるでしょう。
 「国際貢献」というと聞こえがいいけれど、そういうリスクもあるんだということ、いいこと
ばかりじゃないんだということを、本来ならきちんと国民にも知らさなくてはなりません。安倍総理がそこに触れないということは、おそらく本人がリスクを認識していないのではないか。そこが危機管理をするリーダーとして私が心配でならないところです。
(略)
 あと「必要最小限度で容認する」という話も盛んにされていますね。でも、例えば皆
さんだって、子どもが「お母さん、必要最小限度のお小遣い下さい」と来たら、必要最小限度って、おまえいったい何買うんだって聞くでしょう。重要なのは、何の目的のための必要最小限度なのかということです。今まで政府が言っていたのは、日本が攻撃を受けた場合にそれを排除するための必要最小限度。一方、集団的自衛権は日本が攻撃を受けていない場合を想定しているわけで、全然違う話なんです。
 そもそも、集団的自衛権は「行使できる」ということにしてしまえば、性格上歯止め
がかからないものです。個別的自衛権というのは、日本が攻撃を受けたという誰の目にも分かる条件がついていますから、それがもう歯止めになるわけですね。それを外してしまえば、日本が戦争に参加することに対する歯止めはなくなると言っていいと思います。
 
戦後日本の「ブランド力」を考えよう
 このように、集団的自衛権に関する議論は、矛盾だらけのままでずっと来ています。
「日本人を守れなくてどうする」という言葉だけを聞いて「そうだ」なんていう反応をしてたら、まともにかみ合った議論はできない。やはりそこは、いろんな方が自分できちんと考えて――結論はそれぞれに違っていてもいいけれど――自分の軸を持って声をあげていくということが非常に大事なんだと思います。
(略)
 安全保障面において、アメリカの抑止力が以前よりも限定的になっているのは事
実かもしれません。だから自分たちで軍事的な防衛力を持つんだ、突き詰めれば自前の核武装もするんだというのは一つの行き方でしょうが、軍事力だけではなく紛争解決や平和構築などの現場で「日本人ここにあり」という姿を見せていくことも、日本という国の価値を世界に示すパワーになるはずです。これまでにも、日本はPKOに参加しながら自衛隊からは1人の犠牲者も出さず、現地の人材育成などにも貢献してきた、それが日本が築き上げてきたブランド力になっていると思います。
 安倍総理のきわめて粗雑な問題提起の本質は、反戦とか平和といった理想を実
現するためにはいろんな道筋があるんだということを、我々に改めて思い起こさせてくれたことだったのかもしれません。それはそれとして受け止めて、私たちのほうで現政府とは違う答えをぜひ出していかなくてはならない。その意味で、こうした議論はまだまだ長く続いていくものなのだと思います。
(引用終わり)
 
(参考映像)
20140519 UPLAN 柳澤協二「安保法制懇報告書と安倍総理記者会見 徹底批判」
 
(参考ブログ)
2013年10月19日
柳澤協二氏が語る安全保障の“リアリズム”(10/17立憲フォーラム主催講
演会)
2014年1月11日
柳澤協二さんの覚悟~1/10名護市でのシンポにて(辺野古をめぐる言葉に
耳を澄まそう 3)
2014年4月3日 
5/17に柳澤協二さん講演会が和歌山市であります(憲法九条を守るわかや
ま県民の会)
2014年4月25日
映像のご紹介・NDシンポジウム「今なぜ、集団的自衛権なのか-安全保障
の最前線から考察する-」(4/22)
2014年5月16日
(増補版)日本記者クラブ・研究会の映像で考える“集団的自衛権”(北岡
伸一氏、阪田雅裕氏、柳澤協二氏、長谷部恭男氏)
2014年5月18日
集団的自衛権-彼らは何がしたいのか?私たちは何をしなければならないの
か?
2014年5月22日
柳澤協二さんの「安保法制懇報告書と安倍総理記者会見 徹底批判」(5/
19)
 
(参考書籍)
『亡国の安保政策-安倍政権と「積極的平和主義」の罠-』(岩波書店