今晩(2014年6月28日)配信した「メルマガ金原No.1771」を転載します。
なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
集団的自衛権行使“限定容認”のまやかしと政治的正当性の喪失
昨日、いよいよ閣議決定最終案なるものが公表され、とりあえずの「破局」までのカウントダウンが始まっていますが、閣議決定の【3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置】に対する明確な理論的反撃を準備すること、しかも、誰にでも分かりやすい言葉で訴えられるようにすることの重要性はいささかも低下していません。
特に、「5.15クーデター宣言」(安倍晋三首相記者会見)直後の5月17日から、東京新聞紙上で連載が始まった「半田滋編集委員のまるわかり集団的自衛権」は、Q&A形式で、様々な論点について分かりやすく解説されており、連載終了後の緊急出版が必ずやいずれかの出版社で企画されているだろうと期待しています。
それまでは、半田さんご自身が Facebook のタイムラインに、掲載された紙面の写真をアップしてくださっていますので、これをお読みいただければと思い、以下の私のブログ記事に、連載の全ての回にリンクをはっています。
これまでの連載については上記リンク先で(出来るだけ大きなディスプレイで見ることをお勧めしますが)お読みいただくとして、本日掲載された分については、事態の緊急性に鑑み、以下に主要部分を引用させていただきます。
(抜粋引用開始)
Q 安倍晋三首相は憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を容認したとしても『限定容認にとどまる』と主張しています。政府が27日に示した閣議決定最終案でも『専守防衛』に徹すると書いてあります。
A 政府の一方的な考え方を説明しているにすぎません。日本が集団的自衛権を使って攻撃する相手国の出方を無視しています。これまでも説明した通り、集団的自衛権とは「自衛」とは名ばかりの他国の防衛、すなわち「他衛」です。密接な関係にある国が受けた攻撃を自国への攻撃とみなして武力行使することを指しています。
Q 売られてもいないけんかを買って出るのに等しいのですね。
A その通り。「友人を救うため、ぼくは友人のけんか相手を一発だけ殴る」と主張し、その通りにしても、それで収まるかどうか決めるのは「ぼく」ではなく、「ぼく」が殴った相手国ということになります。『おまえのことは殴っていないのに、なぜ殴るのだ。許さない』というのが大方の反応ではないでしょうか。殴られた側からすれば先に攻撃したのはそっちだろうと。大げんかに発展しかねません。
A 政府の一方的な考え方を説明しているにすぎません。日本が集団的自衛権を使って攻撃する相手国の出方を無視しています。これまでも説明した通り、集団的自衛権とは「自衛」とは名ばかりの他国の防衛、すなわち「他衛」です。密接な関係にある国が受けた攻撃を自国への攻撃とみなして武力行使することを指しています。
Q 売られてもいないけんかを買って出るのに等しいのですね。
A その通り。「友人を救うため、ぼくは友人のけんか相手を一発だけ殴る」と主張し、その通りにしても、それで収まるかどうか決めるのは「ぼく」ではなく、「ぼく」が殴った相手国ということになります。『おまえのことは殴っていないのに、なぜ殴るのだ。許さない』というのが大方の反応ではないでしょうか。殴られた側からすれば先に攻撃したのはそっちだろうと。大げんかに発展しかねません。
(略)
A 安倍首相は集団的自衛権を行使して「国民の命と暮らしを守る」と言いますが、売られていないけんかを買った日本が攻撃を受ければ国民の命と暮らしが失われる」ことになります。マイナス面を隠してプラス面だけ強調するのは国民を欺く行為です。限定的な容認だから戦争には巻き込まれない、というのは空論にすぎません。
(引用終わり)
(引用終わり)
「限定容認論」あるいは「新3要件論」の最大のまやかしは、半田さんが指摘されているこの点でしょう。
いわゆる「高村試案」で示された3要件とは以下のようなものです。
第1要件 わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において
第2要件 これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないとき
第3要件 必要最小限度の実力を行使すること
半田さんの今日の記事でも「朝鮮半島有事」に際しての北朝鮮の予想される動きについて触れられていましたが(この部分は引用を省略しています)、仮に、「日本有事」には至っていないが「朝鮮半島有事」である、つまり米軍、あるいは韓国軍もしくは米韓連合軍が北朝鮮軍と交戦状態に入ったとしてみましょうか。「日本有事」ではないのですから、在日米軍基地に対してミサイルなどもまだ飛んできていないということが大前提ですよね(飛んでくれば「日本有事」であって、誰が考えても個別的自衛権発動の場面ですから)。この時点において、自衛隊に北朝鮮軍に対する攻撃を総理大臣が命じた場合、北朝鮮軍に「反撃能力」があれば、当然日本にミサイルが飛来するということになるでしょう(密かに特殊部隊を上陸させるということもあり得る)。在日米軍基地や自衛隊基地だけが標的になるという保障などありません(それだけでも大変なことですが)。日本海沿岸に林立させている原子力発電所が攻撃目標にならないと誰が保障できるでしょうか。しかも、飛来するミサイルを百発百中で迎撃できるなどと楽観的に想定している軍事専門家はいないと思いますよ。このような、当たり前の想定も語らず「国民の命と暮らしを守る」と繰り返すデマゴーグを半田さんは「国民を欺く行為」と言われている訳です。
他方、既に北朝鮮軍に「反撃能力」が残っていない場合はどうかと言えば、たしかにその場合には日本にミサイルは飛んでこないかもしれませんが、その場合って、「わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」であるはずがないですよね。
以上は、「朝鮮半島有事」を想定して考えてみたのですが、「戦場」が中東やアフリカであるということも当然あり得ます。
そのような場合、自衛隊を派遣して参戦させたとしても、当該「敵国」から直接日本本土が反撃を受けるという可能性はそれほど高くはないでしょう(自衛隊員から犠牲者が出たり、自衛隊員が当該「敵国」国民~兵士だけとは限りませんよ~を殺傷することは別です)。その代わり、日本及び日本人が世界中いたるところでテロの標的となることを覚悟しなければ
ならないでしょうが。
以上のとおり、そもそも憲法解釈論上、集団的自衛権の行使を容認するように解釈する余地など全くないという根本的な点はさておいて、いわゆる「限定容認論」「新3要件論」の立場に立って考えたとしても、これらは完全に「論理破綻」しています。
、
それでは、限定的に集団的自衛権を行使できる場合があるという閣議決定は、単なる名目だけのことで、実際に発動される場合などほとんどないということなのでしょうか?もしかすると公明党幹部は自党の地方組織幹部や支援団体の会員に対してそういう「まやかし」を述べて丸め込もうとするかもしれませんが(いや現にやっているのでしょうが)、これにだまされる者がいるとすれば、初めから「だまされるつもりでいる者」だけでしょう。
以前にも書きましたが、安倍内閣の最大の特色は「恥を知る」という徳目の完全な欠落です。これほど、ウソをつくことを何とも思わない政権は日本の近代史の上で初めて登場したものでしょう。私は単に安倍政権を罵倒して快をむさぼろうとしているのではありません。「恥知らず」であるということは、この政権の最大の「強み」であり、そうであるがゆえに適切な対抗手段を見出しがたいことが我々にとっての決定的な問題だということを言いたいのです。
安倍晋三やその後継者(誰になるか分かりませんが)に「新3要件」を字義通りに守る意思などあるはずがありません。「そうではない」と主張する者との間で「安倍晋三はウソつきか正直者か」という論争をする気などありませんが、憲法尊重擁護義務を誠実に実践している人(たとえば天皇皇后両陛下のような)の言であれば、「言った以上は守るだろう」と信頼できますが、憲法を守ろうとしない者が何を言おうと、全ての言葉は疑惑の対象にしか過ぎません。
さて、公明党です。私は冒頭で「とりあえずの『破局』までのカウントダウンが始まっています」と書きました。
7月1日に想定されている「閣議決定」は、それだけの重みのあるものには違いないと思います。
もちろん、この「閣議決定」がなされたからといって、その日から目に見えて何かが変わる訳ではありません。ただし、この「閣議決定」以降、日本は憲法があっても、政府も与党も、それを無視して政治を行う国だということになるのです。
正当性を喪失した団体が、形の上でも消滅するまでの時間に長短はあるでしょうが、いずれ、正当性を回復しようとする政治的復元力の波に洗われ、自民党も公明党も消滅するはずです。私はこれは必然だと思っています。
ただし、そうなるまでの間に、実際に日本が戦争当事国となり、「とりあえずの破局」が「真の破局」になるかどうかは、これからの私たちの努力にかかっているのだと思います。
さて、「閣議決定」後の公明党やその支援団体への対応をどうするかについては、私の周囲にも様々な意見があるのですが、私の考えはほぼ固まりつつあります。それは、以上に述べた私の認識から必然的に導かれるものですが、あえて今それを書く必要もないでしょう。