wakaben6888のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

集団的自衛権 “抑止力”を高めたいなら日米安保条約改定が先ではないか

 

 今晩(2014年7月5日)配信した「メルマガ金原No.1778」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
集団的自衛権 “抑止力”を高めたいなら日米安保条約改定が先ではないか
 
「外国の防衛それ自体を目的とする武力行使は今後とも行いません。むしろ、万全の備えをすること自体が日本に戦争を仕掛けようとする企みをくじく大きな力を持っている。これが抑止力す。」(冒頭発言)
「1960年には日米安全保障条約を改定しました。当時、戦争に巻き込まれるという批判が随
分ありました。正に批判の中心はその論点であったと言ってもいいでしょう。強化された日米同盟は抑止力として長年にわたって日本とこの地域の平和に大きく貢献してきました。」(冒頭発言)
「今次閣議決定を受けて、あらゆる事態に対処できる法整備を進めることによりまして、隙間の
ない対応が可能となり、抑止力が強化されます。我が国の平和と安全をそのことによって、が強化されたことによって、一層確かなものにすることができると考えています。」(北海道
新聞記者の質問に答えて)
「今回の閣議決定は、我が国を取り巻く安全保障環境がますます厳しさを増す中、国民の命
と平和な暮らしを守るために何をなすべきかとの観点から、新たな安全保障法制の整備のための基本方針を示すものであります。これによって、抑止力の向上と地域及び国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に貢献していくことを通じて、我が国の平和と安全を一層確か
なものにしていくことができると考えています。」AP通信記者の質問に答えて)
「段々安全保障環境が厳しくなる中において、正にそうした切れ目のないしっかりとした態勢を
作ることによって、抑止力を強化し、そして全く隙のない態勢を作ることによって、日本や地域はより平和で安定した地域になっている、そう考えたわけでありました。」日本テレビ記者の質問に答えて)
 
 以上は、7月1日の記者会見において、安倍首相が「抑止力」という言葉を使用した箇所を抜き書きしたものです。全部で6カ所もありました。
 ところで、記者会見の文字起こしを読んでいただければ分かると思いますが、ぬけぬけと北
拉致問題を質問したフジテレビの記者(本来なら幹事社から制止しなければならないでしょう。あ、フジテレビ自身が幹事社か)はさておき、以上に引用した発言を「引き出した」3社の記者の質問は、
 北海道新聞:新3要件は明確な歯止めとはならないのでは?自衛隊員が犠牲となる可能性が高まるのでは? 
 AP通信:日本を今後どのようなにするというビジョンを持っているのか?平和のための犠牲を
ともなうことについて国民はどのような覚悟が必要なのか?国民の生活に変化はあるのか?
 日本テレビ集団的自衛権について取り組もうと思った原点は?
というものだったのですが、訊かれたことには答えず、どういう質問にもワンパターンの答えで押し
通すというものであったことをあらためて再確認されたことと思います。
 とにかく、「隊員が戦闘に巻き込まれ血を流す」(北海道新聞)、「平和を守るためには、も
しかすると犠牲を伴うかもしれない」(AP通信)というような「答えたくない」キーワードが出てきたら知らん振りするという態度は徹底しています。もしかすると、こんな質問にまともに答えさせると、とんでもない発言が飛び出す可能性があるので、菅義偉官房長官世耕弘成官房副長官らが「絶対に答えるな」と裏で指図しているのではないか、などと勘繰りたくなるほどで
す。
 そういう意味でいえば、石破茂自民党幹事長がもしも総理大臣として同じような記者会見
に臨んでいたら、その内容は多分とても承服できないものだったでしょうが、少なくともこれほど
「不誠実」ではなく、より「正直」に見解を述べただろうな、とは思いますね(余談ですが)。
 結局、フジテレビと同様、お仲間としか思えない日本テレビ記者からの「ヨイショ質問」に対
するのと同じ答えを、北海道新聞記者やAP通信記者に対してもすることになる、というよりも、
それ以上のボキャブラリーの持ち合わせがないということでしょう。
 
 この記者会見では、毎日新聞記者が「グレーゾーン、国際協力、集団的自衛権、この3つについてどのようなスケジュールで法改正に臨まれるお考えでしょうか」と尋ねているにもかかわらず、「グレーゾーンにおいて、あるいは集団的自衛権において、あるいは集団安全保障おいて」と、知ってか知らずか、つい本音を吐露してしまったり、「ヨイショ質問」(最後の日本レビ記者)であることに気を許してか、「何人かの米国の高官から、米軍あるいは米国は日本に対して日本を防衛する義務を安保条約5条において果たしていく考えである。しかし、例えば日本を守るために警戒に当たっている米国の艦船がもし襲われた中において、近くにいて守ることができる日本の自衛艦がそれを救出しなくて、あるいはまた、その艦を守るために何の措置もとらなくて、アメリカ国民の日本に対する信頼感あるいは日本に対して共に日本を守っていこうという意志が続いていくかどうか。そのことを真剣に考えてもらいたいと言われたこともありました。」などと、真偽のほどはともかく(「高官」という以上「現役の政権スタッフ」のはずですから)、ここは、安倍首相にしてはめずらしく「正直」に、ジャパンハンドラーからの指
図が大きなきっかけの一つであることを認めてしまっていたりと、「抑止力」の点以外にも、なかなか興味深い点があるのですが、以下は「抑止力」について少し考えてみます。
 
 とはいえ、基礎的な軍事知識が不足している私に「抑止力」を正面から論じる能力などあるはずがありません。従って、以下に述べることは一市民としての素朴な疑問であって、これを出発点として、信頼できる専門家の意見を学びながら、理解を深めていくための心覚えとしてメモしておこうというものです。
 
 日本の安全保障を語る際、好むと好まざるとに関わらず、日米安全保障条約の存在を無視しては何事も始まらないことは事実でしょう。
 サンフランシスコ平和条約と旧日米安保条約を締結した吉田茂内閣以降の歴代政権が、
日米安保条約体制(いつの頃からか意図的に「日米同盟」と呼称するようになりましたが)を、
日本の安全保障政策の基軸と位置付けてきたことは疑いありません。
 ということは、もしも「我が国を取り巻く安全保障環境は根本的に変容するとともに、更に変
化し続け、我が国は複雑かつ重大な国家安全保障上の課題に直面している」(閣議決定「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法”前文より)というのであれば、日本中の憲法学者の中で支持する者はおそらく1人か2人(どう多めに見積もっても片手の指にも足りないと思われる)「珍説」に従って憲法解釈の変更を強行するというのではなく、
まずは日米安全保障条約の見直しを検討するのが先決でしょう。
 そして、安保条約の改定をするために憲法の改定が必要ということになって、はじめて憲法
96条の規定に従って改正発議をするというのが当然の筋道だと思います(憲法学上の「改
正の限界」論はさておくとして)。
 ところが、集団的自衛権行使容認論者の中から、日米安保条約改定論がほとんど聞こえ
てこないことは(私が知らないだけなのかもしれませんが)実に不思議です。
 あたかも、日本国憲法アメリカ合衆国憲法よりも日米安保条約の方が上位規範である
かのようではありませんか。
 現行安保条約の中核となる規定は5条と6条です。
 
第五条
 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃
が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手
続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
 前記の武力攻撃及びその結果として執つたすべての措置は、国際連合憲章第五十一
条の規定に従つて直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を
執つたときは、終止しなければならない。
第六条
 日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するた
め、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。
 前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、千九百五十
二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(改正を含む。)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。
 
 そもそも日米安保条約上の適用対象事態は、「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」(5条)であって、これを公海上、あるいは第三国もしくはアメリカ合衆国の領土(領海、領空)に拡大するというのであれば、当然、真っ先に日米安保条約5条の改定が、そしてそれとの関係で、日本に一方的に課されている6条の「施設及び区域」の提供義務が改定議論の対象にならねばならないはずであるのに、その点がスルーされているのは一体なぜか?是非、国会での論戦を期待したいものですね。もっとも、いくら野党議員が的を射た質問をしても、安倍首相がまともに答えない(答える誠意も能力もない)ことは火を見るよりも明らかではあるのですが。
 
 それと、現行安保条約で注意しておくべきは、5条の「自国の憲法上の規定及び手続に
従つて」という部分です。少なくとも、この規定を読む限り(読まなくても当然ですが)、アメリ
カは、日米安保条約アメリカ合衆国憲法の上位規範だなどとは絶対に認めないでしょう。
 これは「抑止力」論とも関係することですが、アメリカ合衆国憲法第1章「立法部」第8条
連邦議会立法権限」には、第11項「戦争を宣言する権限」をはじめとする様々な権限が議会に留保されています。
 現実には、アメリカ政府が「宣戦布告」なき戦争をしばしば行ってきたことは周知のことですがオバマ政権がシリア攻撃のために当初議会承認を求める方針であったことが示すように、状況次第では、憲法上の原則に立ち戻ることもあるということでしょう。
 
 そのこととの関連で、集団的自衛権行使容認に賛成する日本人の多くが、尖閣をめぐって日中両国が武力衝突した場合、日米安保条約5条に基づいて、アメリカが自動的に日本を助けて中国を攻撃する義務を負っているという、とんでもない「誤解」を抱いているのではないか、政府もその「誤解」をさらに助長しているのではないか、という疑いが濃厚です。
 日米安保条約5条は、1960年以来、ずっと上記のとおりの規定なのであって、アメリカが自動参戦義務を負うなどという構造にはなっていません。
 アメリカ政府が、たかが無人島のために中国軍と戦闘を交えることなどご免だ、それが米国の国益にとって正しい選択だと思えば、どうすれば良いでしょうか?私が米国の大統領なら、日米安保条約5条及びアメリカ合衆国憲法第1章第8条第11項に基づき、議会に対中参戦のための承認を求めますね。そうすれば、議会が否決してくれることは100%確実です(もちろん、民主党・共和党の重鎮には、大統領の意のあるところは十分に伝えておきます)。こうすれば、一応日米安保条約5条の義務は履行したという体裁は整えられますしね。条文通りに「自国の憲法上の規定及び手続に従つ」たのですから、条約違反だと日本が抗議する訳にもいきません。
 もっとも、実際には(いや、実際に武力衝突など起きてもらっては絶対に困るのですが)、アメリカ政府は、こんなことすらせず、この厄介な国境紛争の拡大を回避するために、ロシアでたらって仲介役を演じようとするのではないでしょうか?
 軍事にも外交にも全く素人の田舎弁護士のたわごとと聞き流していただいて一向にかまいませんが、それほど見当外れとも思っていないのです。
 
 さて、安倍首相が記者会見で6回も繰り返した「抑止力」です。これは、当然、日米安保条約体制によって現在担保されている「抑止力」をさらに高める効果があるという主張なのでしょうね。
 ここで、安倍首相愛用の例のパネルを見てみましょう。
 「邦人輸送中の米輸送艦の防護」と題されたこのパネルを見て、アメリカ政府のスタッフやアメリカ軍の高官は多分腹を抱えて笑っているでしょうね。そして、そうまでして米軍のため自衛隊員の命を差し出そうというのだから、別に断る必要もないので「歓迎」しておこうということでしょう。
 第一、安倍首相の言うように、「今回の閣議決定は、現実に起こり得る事態において、
国民の命と平和な暮らしを守ることを目的としたものであります。武力行使が許されるのは、自衛のための必要最小限度でなければならない。このような従来の憲法解釈の基本的考え方は、何ら変わるところはありません。したがって、憲法の規範性を何ら変更するものではなく、新三要件は憲法上の明確な歯止めとなっています」(北海道新聞記者の質問に答
えて)というのが文字通り本当であれば、それでどうして「抑止力」が強化されるのでしょうか。
 仮に朝鮮半島有事が起きた際、民間機や自衛隊によって邦人を保護することに失敗し、
自国民を優先するという方針を明言している米国艦船が何故か邦人を乗せて避難しているという、本来あってはならない(実際ありそうもない)日本政府の「大失態」を想定して対応策をとることによって、どうして「抑止力」が高まるのか、誰かまともに説明できる人がいま
すか?
 山口那津男公明党代表は、「閣議決定」について理解を求めるため、全国の地方組
織を回って丁寧な説明をするらしいので、その話を聞いた創価学会の会員の方、是非納得いく理由を山口代表から聞き出して教えてください。
 
 先にも述べたとおり、日米安保条約の改定には手をつけないということのようですから、その上で現在よりも「抑止力」が強化されると胸をはる以上、今よりも米軍と自衛隊を合わせた軍事行動能力が目に見えて増加することを前提としていると解するしかありません。
 首相が示すパネルが示すような、公海上で日本人を乗せた米輸送艦自衛隊が防護
するというような場面が付け加わるだけで「抑止力」が高まるなどと信じる者がいるはずがなく、要はアメリカの要請があれば自衛隊を差し出せるようにするからこそ、アメリカ政府が「歓
迎」するのでしょう。
 そこで思い起こすのは、昨年(2013年)秋の訪米時、9月25日にハドソン研究所で行った安倍首相の英語によるスピーチです。一般には、「もし皆様が私を、右翼の軍国主義者とお呼びになりたいのであれば、どうぞそうお呼びいただきたいものであります」という部分で記憶された演説ですが、もっと注目すべき発言は、上記発言に引き続く以下の部分だと思
います(これがこのスピーチの「まとめ」の部分です)。
 「日本という国は、米国が主たる役割を務める地域的、そしてグローバルな安全保障の枠
組みにおいて、鎖の強さを決定づけてしまう弱い環であってはならない、ということです。日本は、世界の中で最も成熟した民主主義国の一つなのだから、世界の厚生と安全保障に、ネット(差し引き)の貢献者でなくてはならない、ということです。日本は、そういう国になります。日本は、地域の、そして世界の平和と安定に、いままでにも増してより積極的に、貢献していく国になります。みなさま、私は、私の愛する国を積極的平和主義の国にしようと、決意しています。いまや私にはわかりました。私に与えられた歴史的使命とは、まずは日本に再び活力を与えること、日本人に、もっと前向きになるよう励ますこと、そうすることによって、積極的平和主義のための旗の、誇らしい担い手となるよう、促していくことなのだと思います
 
 おそらく一国のリーダーが絶対に持ってはならない「負の資質」とは、この種の「自己陶酔」だろうと思います。およそ、正統的な保守政治家に期待される資質を完全に欠落させた人物が今の自民党総裁なのでしょう。
 国民に対して、「記者会見で見せられたパネルにだまされてはいけない」と警告するだけで
は不十分です。この危険きわまりない人物の正体を、誰にでも納得できることばで訴え続けることが是非とも必要なのでしょうね。
 
 なお、今回の「閣議決定」強行の背後に米国政府の意向が働いていたことはほぼ確実だと思いますが、その点について触れる余裕はなくなりましたので、また機会をみて考えたいと思います。
 

(付録)
『ラブソング・フォー・ユー(LOVESONG FOR YOU)』 
 作詞作曲:ヒポポ大王 演奏:ヒポポフォークゲリラ