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政治家は「国民を守る」と嘘を言い~2012年の大飯原発再稼働を振り返る

 今晩(2014年12月31日)配信した「メルマガ金原No.1956」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
政治家は「国民を守る」と嘘を言い~2012年の大飯原発再稼働を振り返る

 現在、1基も動いていない日本の原子力発電所が、今続々と再稼働を目指しており、その先頭を走っているのが九州電力・川内(せんだい)原子力発電所(1号機、2号機)であることはご存知のことと思い
ます。
 定期点検のために停止中の原子力発電所が再稼働しようとすれば、いわゆる「新規制基準適合性」についての審査原子力規制委員会に申請しなければならないのですが、現在、同委員会に申請済みの原子力発電所は、既設原発が13箇所(20原子炉)、新設(工事中)が1箇所(大間原発)にものぼっています。
 
 
 上記、原子力規制委員会WEBサイト見ると、川内原発に続き、関西電力・高浜原子力発電所についての審査が進んでいるようです。
 

 なお、新規性基準適合性審査は、おおざっぱに言えば、設計・建設段階の安全規制に係わる設置(変更)許可申請と、実際の工事計画認可申請とに分かれて行われており、川内原発について原子力規制委員会が今年(2014年)の9月10日に「許可」したというのは、このうちの設置変更許可申請についてでした

 川内原発についての以下のような報道も、そのことを前提とすると理解しやすいと思います。
 
NHK「かぶん」ブログ 2014年12月24日
川内原発の再稼働 書類遅れ3月以降に

(引用開始)
 鹿児島県が再稼働に同意した川内原子力発電所について、九州電力は年内に原子力規制委員会に提出するとしていた書類の修正が遅れていることを明らかにしました。再稼働には規制委員会が修正した書類を認可したうえで検査を行う必要があることから、九州電力が目指す川内原発の再稼働は来年3月以降にな
る見通しです。
 川内原発1号機と2号機は、ことし9月、新しい規制基準に適合しているとされ、先月までに鹿児島県
の伊藤知事や県議会などが再稼働に同意しています。
 実際に再稼働するには、設備の詳しい設計などを記した「工事計画」の認可など2つの認可を原子力規制委員会から受ける必要があり、九州電力は1号機の「工事計画」の書類を耐震性などの説明を修正した
うえで、今月前半に提出し直す方針を示していました。
 しかし、修正部分について原子力規制庁との確認作業に時間がかかり、九州電力によりますと、修正し
た書類の提出は年明け以降にずれ込むということです。
 その後、規制委員会が修正した書類を認可したうえで、新たに設けられた安全対策の設備などの検査を
行う必要があることから九州電力が目指す川内原発の再稼働は早くて来年3月以降になる見通しです。
(引用終わり)
 
 九州電力は、9月10日に設置変更許可申請が許可された後、2号機については、10月24日に「工事計画認可申請書の一部補正について」を提出し、これで審査を受けることになったようですが、1号機については、補正書(の修正版)が年内に間に合わなかったということです。
 また、工事計画の他に、もう1つ認可を受ける必要があるというのは、2号機についての
保安規定変更認可申請のことでしょう。
 
 さて、残された工事計画や保安規定変更についての審査を原子力規制委員会が淡々と進め、「認可する」という決定をしたらどうなるのでしょうか?
 「先例」によれば、少なくとも、再稼働第1号については、首相官邸での総理大臣記者会見がセッティ
ングされる可能性が高いでしょう。
 その「先例」とは?

 ご記憶かとも思いますが、3.11の後も稼働を続けていた原発も全て定期点検のために停止し、いったん「原発ゼロ」が訪れたにもかかわらず、大飯原発3号機、4号機の再稼働を認めた内閣がありました
よね?
 結局、2012年7月から2013年9月まで、日本でこの2機だけが稼働し、そして再び大飯が定期点検に入ったため、日本は「原発ゼロ」でもどこも停電などしない状態に戻った訳ですが、それに先立つ2012年6月8日、記者会見を開き、「国民の生活を守るために、大飯発電所3、4号機を再起動すべ
きというのが私の判断であります」と宣言したのが、当時の野田佳彦内閣総理大臣でした。

 私は、早速その翌日、メルマガでこの記者会見を取り上げたのですが、今読み返してみると、タイトルにこそ『大飯原発再稼働演説』と書いたものの、本文の中では「大飯」とも何とも書いていないですね
。よほど頭に来ていて、冷静に文章を練るどころではなかったものと見えます。

 私たちが、今後の原発再稼働を許さない闘いを貫徹するためには、この悪しき「先例」を振り返ることも無意味ではないだろうと思い、以下に「メルマガ金原No.975」(2012年6月9日配信)を再配信することとしました。
 
 最後に、この約2年半前に自分が書いた記事を読み返して、念頭に浮かんだ感想を書き留めておきます。
 
民主党であろうが自民党であろうが、原発政策を動かしているのは政党や内閣ではない。というか、政党や内閣だけでは動かない。メルマガには主として官僚のことを書いたが、官僚を含むより「大きな力」が存在すると思わざるを得ない。

○政治家(総理大臣を含む)は、台本が手元にあればどんな嘘でも平気でつく。他方、台本がなくても嘘
をつけるのは一つの才能(もしくは人格)であるが。

○政治が「国民を守るために」行われるのは当たり前である。国民国家というのは、そのことを前提として構想された制度なのだから。従って、政治家、とりわけ大きな権力を持つ一国の指導者が、ことさらに「国民を守るため」と強調する時は、「本当は国民以外の何者かの利益のため」の政策を遂行しようとしていると考えるべきである。間近くは、今年7月1日の閣議決定「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」がそれである。ここでは、「国民の命と平和な暮らしを断固として守り抜く」という言葉が繰り返されていた。「守る」ではあきたらず、「断固として守り抜く」である。一体、国民以外の誰の利益を図ろうとしているのだろうか。
 

(以下は、2012年6月9日に配信したメルマガ金原No.975「野田首相大飯原発再稼働演説』と末弘厳太郎『役人学三則』(1931年)」を再配信するものです。
 
野田首相大飯原発再稼働演説』と末弘厳太郎『役人学三則』(1931年)

 昨日(6月8日)の野田佳彦総理大臣による歴史に残る愚かな演説を、とにかく記録にとどめるために取り上げねばならないな、と思いつつ、どうにも気が進まなかったのですが、そこで思いついたのが、「解
毒剤」とともに服用するという方法でした。

 まずは「毒」の方です。
 昨日夕刻に開かれた総理記者会見です。
 首相官邸ホームページに映像と文字起こしが掲載されています。
 SankeiNewsの映像も紹介しておきます。

※こちらでは、質疑応答は省略されています。

 文字起こしされたものを読むと、「演説(冒頭発言)」部分だけではなく、馴れ合い的な記者クラブ
盟社からの質問への答弁部分も含め、「官僚の作文」だろうということがありありと想像できます。
 そうでなければ、
「国民生活を守ることの第1の意味は、次代を担う子どもたちのためにも、福島のような事故は決して起こさないということであります。福島を襲ったような地震津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整っています。これまでに得られた知見を最大限に生かし、もし万が一すべての電源が失われるよ
うな事態においても、炉心損傷に至らないことが確認をされています。」
などという嘘八百を真顔で読み上げることなど出来るはずがありません。
 この人の表情は、突き詰めて自分で考えることを放棄し、全てを操り手に委ねた者のそれです。

 さて、以上の「毒」を飲んだ後には、急いで次の「解毒剤」の服用をお薦めします。
 末弘厳太郎(すえひろいずたろう)という高名な法学者が、1931年に雑誌「改造」に発表した『役人学三則』というエッセイです。
 著作権切れのため、青空文庫で読むことができます。そんなに長いものではありません。
 
 末弘厳太郎氏は、明治21年(1888年山口県出身。東京帝大法科大学院独法科を卒業後、大正3年(1914年)、東京帝大法科大学助教授に就任。1917年から20年にかけてシカゴ等に留学後、大正10年(1921年)、東京帝大法学部教授に就任。1942年から45年まで同大法学部長。昭和21年(1946年)退官。同22年(1947年)、中央労働委員会会長に就任。昭和26年(1951年)逝去。民法労働法、法社会学の分野に貴重な業績を残した他、『嘘の効用』(1922年)などの軽妙なエッセイの書き手としても知られた人でした


 法律学を少しでも学んだ者にとっては、1922年の雑誌「改造」に掲載された『嘘の効用』は、「法の適用」「法の実現」とはどういうことかを考える上で、誰にとっても「蒙を啓かれる」素晴らしいエッセイ
(というかほとんど一般向け論文の感があります)で、こちらも是非ご一読をお薦めしたいと思います。
 留学から帰朝して間もなく、東京帝大法学部の教授に就任した翌年に書かれた『嘘の効用』は、大正デモクラシーという時代背景もあってか、非常に筆致が伸びやかです。
 しかし、その9年後に同じ雑誌「改造」に掲載された『役人学三則』は、一見軽妙なエッセイの体裁はとっていても、文章の背後に非常に重苦しい何かを感じると言っては、その後の歴史を知る後世の者の深読
みに過ぎるでしょうか。

 官僚が作文した野田首相演説の「解毒剤」として、『役人学三則』の服用を推奨したのは、1931年に末弘教授が慨嘆していた日本の役人の病巣が、81年も経った今に至るも少しも改善しておらず、それどころか、いよいよひどくなっていることに注意を喚起したかったからですが、よく考えてみると、野田首相
「毒」にあたった症状は少しも改善せず、絶望のあまり、ますます悪化してしまうかもしれませんね。

 「絶望」の果てには必ず「希望」が見えると信じ、一人一人が、自らの良心に恥じない行動をするのみです。
 

(付記)
 2011年3月28日に25人の最初の読者に向かって第1号を配信した「メルマガ金原」も、いよいよ明日は5年目に突入します。この間、3年9ヵ月余りの間、ほぼ「毎日配信」を続けてこられたのは、我ながら奇跡的と思わざるを得ません。これも読んでくださる方々がいればこそであり、誰に読んでもらう訳でもなく、ただ自分のために書いていたらこうはいきません。
 また、2012年9月から「wakaben6888のブログ」を、2013年1月から「弁護士・金原徹雄のブログ」を立ち上げ、「メルマガ金原」で配信した直後にブログにアップするようになって以来、そちらの方で記事を読んでくださる読者も一定数おられます。
 そのうち「毎日配信」「毎日更新」はストップするかもしれませんが、憲法問題も原発問題も、危機的な状況が続いていますので、少しでも息長く続けていければと考えています。これからも、倍旧のご愛読を何卒よろしくお願い致します。