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柳澤協二氏著『自分で考える集団的自衛権 若者と国家』を読む

 今晩(2014年2月8日)配信した「メルマガ金原No.1995」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
柳澤協二氏著『自分で考える集団的自衛権 若者と国家』を読む

 いずれ読もうと思って購入した本でも、その「いずれ」がいつになってもやって来ず、うっかりすると
買ったことすら忘れてしまうこと自体、私にとって別に珍しくはないのですが、「時間があれば読む」ではなく、「絶対に時間を作って読む」と決意しながら、なかなか読めず、最近気になっていた本が2冊あ
ります。
 1冊は、このメルマガ(ブログ)でもご紹介した伊勢﨑賢治さんの『本当の戦争の話をしよう 世界の
対立を仕切る』(朝日出版社)です。
 
 
 既に読後感の予告編まで書いているのですから、一気に読めるかと思ったのですが、届いた本を手にとってみると、本文419ページに達する県立福島高校生徒との対話を基にした、実際の重量以上に重みを感じる本であり、なかなか読み進めることが出来ていません。
 
 そして、もう1冊が、伊勢﨑さんの本よりも早くに入手していながら、なかなか読めていなかった柳澤協二さんの著書『自分で考える集団的自衛権 若者と国家』(青灯社)です。
自分で考える集団的自衛権 ―若者と国家


 分量的にも本文221ページと適当でありながら、何故机上に積んだままになっていたかというと、毎日の
メルマガ(ブログ)の更新で忙しかったからというのが第一の理由ですが、この本の表題、特にメインのそれ(自分で考える集団的自衛権)と副題(若者と国家)との関係がしっくりしなかったので、つい手に
取りそびれていたのだという気がします。
 気になるのならさっさと読み始めれば良いのにと言われそうですが、本との出会いはタイミングですか
らね。
 ということで(?)、一昨日(6日)、大阪での会議に電車で出かけた往復、指定席券を購入して読書
環境を整え、気になっていた柳澤さんの本を半分まで読み、そして残りの半分を今日読み終えたというわけです。
 
 まず、気になっていた本のメインタイトルとサブタイトルの関係についてですが、全く根拠のない推測を述べれば、メインタイトル「自分で考える集団的自衛権」は編集者主導で決め、サブタイトル「若者と国家」は著者主導で付けたタイトルのような気がします。 
 版元のホームページから目次を引用します。
 
1.第一歩からの安全保障
2.尖閣問題をどう考えるか
3.尖閣で何が起きるか
4.北朝鮮のミサイルをどう考えるか
5.日米同盟のバカの壁
6.同盟疲れ
7.官僚と政治家
8.国家像が見えない安倍政権
9.ジャパン・ブランドを求めて
10.集団的自衛権と日本の将来
 
 以上の目次からも大体想像できると思いますが、この本の中で、安倍政権が推進しようとしている集団自衛権について正面から論じているのは最終章だけです。しかも、あえて「憲法論というよりも、安全保障論の観点から、あらためて論点をまとめておきたいと思います。」(180頁)というスタンスがとられています。
 いわば、1章から9章まで、安全保障とは何か?からはじまり、日本を取り巻く尖閣問題、北朝鮮問題
などを分析しつつ、日米同盟が日米両国にとって持つ意味を概観し、日本の政治状況と安全保障論の関係に説き及ぶことにより、安全保障の視点からものごとを見るとはどういうことかについて一定の認識を読者に持ってもらったその土台の上で集団的自衛権を考えようとしている本だということが出来ると思いま
す。
 その意味から言っても、「集団的自衛権」をタイトルに冠した類書の中では、相当にユニークな位置を
占める本だと感じました。
 
 先ほど、メインタイトル「自分で考える集団的自衛権」は編集者主導で決めたのではないかと適当な推測を述べましたが、私が本書を読み終えて勝手に思いついた書名は、『安全保障から考える集団的自衛権~どんな国家を守るのか?~』というものでした。
 実際に編集会議で提案してもすぐにボツになりそうですけどね。
 
 編集者サイド、営業サイドとしては、「集団的自衛権」を書名でアピールしたいと考えるのは当然だろうと思うのですが、はたして柳澤さん自身が同じように考えていたかには疑問もあるのです。
 もちろん、安倍政権が強引に進める集団的自衛権行使容認に対して柳澤さんが非常な危機感を抱き、強
く批判していることは今さら説明する必要もないことであり、本書を刊行した目的の1つが、政権の暴走に対する批判に、安全保障の専門家の立場から、理論的裏付けを与えたいというということであったとは思います。
 
 しかしそれだけではないだろう、それと密接に関連はするものの、これまで各地の講演会などではあまり語ることのなかった思いを、出来れば若者に伝えたかったのではないか、という気がします。

 それでは、柳澤さんが語りたかったこと(と私が理解したもの)とは?
 それが本書の副題「若者と国家」だと思うのです。
 著者の柳澤さん自身、冒頭の章「第一歩からの安全保障」の中で、その執筆意図を明確にされ
ています(11~12頁)。
 
(引用開始)
 特に、最近の傾向で言うと、中国・韓国との関係などは、もうほとんど感情的な対立です。このような
ものをどのようにして解きほぐしていって、何を目標にするかということを、一歩引いた大人の見方でもって整理してやる必要があるのではないか。それは、自分の人生にとっても国の生き方にとっても、とても大切なことだと思います。それは、一言で言えば「自己実現」ということですが、その目標や道筋を決めるのが人生観であり、国であれば国家像・国家戦略につながっていくからです。この本は基本的にそのような趣旨で、それをひとつの共通した、一貫したテーマとしてお話をさせていただきたいと思っていま
す。
 私は、どのような世界、どのような国が必要かといえば、そこに暮らす個人が、金持ちでも貧乏でも、
学歴があってもなくても、それぞれ自分の目標を持ってそれを実現できるような国、世界であってほしいと思います。そのために最も必要な条件は何かといえば、意見の違いや肌の色の違いなど、様々な違いがあることを認め合うこと、少なくともそれを変えることを強制されないことだと思います。その意味で、やはり安全保障ということが、重要なポイントになってくる。自分も他から強制されない、他を強制しな
い。そういう世界をどのように作っていくか、それが安全保障の本質だからです。
(引用終わり)
 
 もう1つ、本書を通読して強く印象に残ったのは、柳澤さんの「世代論」です。その一例をご紹介しましょう(117~119頁)。ちなみに、柳澤さんは、1946年の東京生まれです。
 
(引用開始)
 そのように戦争を体験した世代、あるいは戦争を実際に横から見ていた世代が私たちの上司、先輩にず
らっといて、そういう人たちは目標が非常にはっきりとしていた。「日本を立て直して、経済的に発展させて」という、大変ポジティブな、前向きな生き方をしていて、われわれはその背中を見ながら育ってい
ったという印象があります。
(略/高校の同期生であった菅直人、東大駒場の1期先輩であった鳩山由紀夫という2人の同世代の総理
大臣に失望したことが語られた後)
それなりの期待感はありましたが、皆さんご存じのようなていたらくで、そこで私が思ったことは、「自
分たちの世代って何だろう」。先輩の背中を見て、それに素直に従い、あるいは時には反発しながらも、要は自分たちの目安となる先輩の生きざまがあり、それとの見比べの中で自分が生きていたという印象が強い。それは何かと言うと、自分のものがないということです。自分の人生の原点になるような、強烈な
原体験がないということなのです。
(引用終わり)
 
 同世代の2人の総理大臣に対する失望はともかく、先にも述べたとおり、私は、この本全体が、柳澤さんのお子さんたちや、それよりさらに若い世代に向けて語りかけるために書かれたのではないかという印象を強く持ちました。
 約40年間防衛官僚として生きてきた柳澤さんの、「あとがき」に書かれた次のような述懐(219頁
)は、次の世代に対する責任を自覚した者でなければ書けないだろうと思います。
 是非、皆さんにご一読をお勧めしたい著作です。
 
(引用開始)
 私は、官邸勤務の間に二度、「防衛計画の大綱」を作る仕事をしてきましたが、今日の状況を見れば、
それが世界の平和や日本の安全に役立っていたのだろうか、率直に反省せざるを得ません。一番の反省点は何かと言えば、世の中の流れの本質を正確に理解できていなかったことだと思います。つまり、日本がどのように生きていけばよいのか、真剣な格闘が足りなかったのだと思います。給料をもらいながら仕事として安全保障を考えてきた人間がそのようなことでは誠に申し訳ない。何とかしなければいけない、と
いうのが、私を動かしている最大の動機だと感じています。
(引用終わり)