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仁坂吉伸和歌山県知事の“先輩たち”~原発事故と交通事故を同列に論じる人々

 今晩(2015年4月25日)配信した「メルマガ金原No.2071」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
仁坂吉伸和歌山県知事の“先輩たち”~原発事故と交通事故を同列に論じる人々

仁坂吉伸和歌山県知事
2015年4月20日 定例会見での発言から
「私は、今回の件については、あんまり判決を読む時間もなかったんですけど、前回の大飯の差止請求の判決の一番の眼目は、生存権っていうことでしたね。ね。そうすると、我々はみんな生存権というのを持ってると。だけど、生存権があるからリスクのあるものについては、全部止めないといけない、リスクをゼロにしろと、こういう考え方、ちょっと誇張してるかもしれませんが、それに近いと思うんですね。は、それならば、自動車の使用差止請求ができたらなあと思うんですね。リスクからいえば、人間の生命に対するリスクからいえば、そっちの方がはるかに大きい。文明っていうのはみんなそういうリスクを持ちながらですね、メリットとデメリットを考えて、それで社会のシステムの中へ巻き込んでると思うんですね。だからそういう意味では、何で原子力発電だけ、そういう風に絶対の神様みたいなやつになるんだ
?という風にですね、思いますね。
 あの人が裁判長の時に、ちょっと誰か、自動車の差止請求したら、本当にされちゃうんじゃないですかね。という風に思います。
 
 原子力発電所事故のリスクと交通事故のリスクを同列に論じる仁坂知事の発言は波紋を呼び、翌々日の4月20日には、少なくとも3つの団体(「脱原発わかやま」「子どもたちの未来と被ばくを考える会」「憲法を生かす会・和歌山」)が和歌山県に抗議文を提出したことは、既に本メルマガ(ブログ)でお伝えしたとおりです。
 
 
 
 私は、以上の記事を書きながら、原発を論じる際に交通事故を比較に持ち出すという、独創性のかけらもない「論理」は、たしかに最近もお目にかかったことがある、と思っていましたが、どうしても思い出せませんでした。
 しばらくして、それが作家の村上春樹氏が書いた文章だったということを思い出しました。もちろん、村上氏が原発と交通事故をごっちゃにしている訳はなく、そのような考えが誤りであることを諄々と説明した文章でした。
 期間限定サイト(5月13日でサイト自体が閉鎖されて今掲載されているコンテンツは読めなくなるそうです)「村上さんんのところ」で取り上げられた質問に対する答えにおいて表明された意見です。

2015年4月9日 原発NO!に疑問を持っています
「もしあなたのご家族が突然の政府の通達で「明日から家を捨ててよそに移ってください」と言われたらどうしますか? そのことを少し考えてみてください。原発(核発電所)を認めるか認めないかというのは、国家の基幹と人間性の尊厳に関わる包括的な問題なのです。基本的に単発性の交通事故とは少し話が違います。そして福島の悲劇は、核発の再稼働を止めなければ、またどこかで起こりかねない構造的な状
況なのです。」
「それからちなみに、「年間の交通事故死者5000人に比べれば、福島の事故なんてたいしたことないじゃないか」というのは政府や電力会社の息のかかった「御用学者」あるいは「御用文化人」の愛用する常套句です。比べるべきではないものを比べる数字のトリックであり、論理のすり替えです。僕は何度もそれを耳にしてきましたが、耳にするたびにいささか心がさびしくなります。」
 
 そう、たしかに「常套句」であり、私も何度も目にしてきたような気はするものの、あらためて、誰が、どういう機会に、どのような発言をしていたかということになると、よく分からないのですね。
 ・・・と思っていたら、「本と雑誌のニュースサイト LITERA」に格好の記事が掲載されました。その記事の中に以下のような言及があったのです。
 
リテラ 2015.04.23
村上春樹が原発推進派を徹底論破! 15万人の人生を踏みつける“効率”に何の意味がある?(酒井まど)

「いやもう聞き飽きた、このセリフ。この質問者の疑問は、福島原発事故以降、百田尚樹ホリエモンビートたけし池田信夫町村信孝衆院議長、ミキハウス社長……原発推進派の人間たちがしょっちゅう持ち出してくる論理、いや、へ理屈の典型だ。「原発事故で死者は出ていない」「交通事故の死者のほうが多いから、原発のリスクは自動車のリスクより小さい」「毎年数千人の死者を出している自動車を廃止せよとは誰も言わないじゃないか」……。」
 
 ここまで書いてくれていれば、あとは得意の(?)ネット検索で出典を確認すれば良いということで、とりあえず以下にまとめておきました。
 ただし、本来であれば、全て1次資料にあたって引用するのが正しい態度であることは言うまでもないのですが、以下に引用したもののうち、堀江貴文氏、池田信夫氏、百田尚樹氏については、ご自身のtwitterやblogという1次資料で確認できたのですが、ビートたけし氏については、「新潮45」を引用したブログ記事からの孫引き、町村信孝氏については、もともと報道ステーションで放映されたインタビュー(原発再稼働 私はこう思う)であり、その概略の文字起こしをしているブログからの引用なので(オリジナルの動画は未見です)、正確性については何とも言えません。
 また、ミキハウスの木村皓一氏については、掲載誌「週刊現代」の記事を講談社が運営するサイト「現代ビジネス」で確認しましたので、記事自体は正確に引用できたものの、木村氏の発言を週刊現代がどの程度正確に文章化しかは保証の限りではありません。
 というような限界をご理解の上、目を通していただければと思います。
 
 ところで、ビートたけし氏の「新潮45」での発言などを読むと、原発のリスクと交通事故のリスクとを対比して、原発反対派を揶揄するという推進派の態度は、何も3.11後から始まったことではなく、それ以前から普通のことだったと推測されます。
 ただし、3.11後に至り、このある種幼稚な「交通事故ロジック」を持ち出す者が増えたように思えるのは、それだけ推進派に危機感が共有されているからでしょうか。
 
 なお、村上春樹さんの文章の中で、「「御用学者」あるいは「御用文化人」の愛用する常套句です。」とあったのですが、LITERAの記事がピックアップした中には残念ながら「学者」と言えるような人はいなかったので、せめて1人くらい「学者」の説を1次資料から引用したいと探してみました。
 すると、「日本原子力学会誌 ATOMOS」2012年8月号の巻頭言に、その名もズバリ「原子力と自動車の安全性」という文章が掲載されていました。
 執筆者は、茅陽一(かや・よういち)氏。東京大学工学部教授、慶應義塾大学大学院教授等を歴任された方だそうで、「学者」代表として登場していただくのにまことにふさわしいと思われます。・・・とは思いますが、これが、3.11から1年以上経過した時点で日本原子力学会・学会誌の巻頭を飾った文章というのですから、恐ろしい。
 編集部から巻頭言を依頼されたものの書くことが思い浮かばず、やむなく一晩ででっち上げた文章ではないか?と、茅氏の名誉のために思いたいですね。
 
 さて、私が仁坂吉伸和歌山県知事の“先輩たち”の発言を振り返ろうと思い立ったのは、その一々に反論したいからではありません。
 反論は、4月22日に書いた記事の中で引用したとおり、2014年5月21日言渡しの福井地方裁判所「判決」をお読みいただくだけで十分です。
 
 私の意図は、この作業を行うことによって、なぜあのタイミングで仁坂知事がわざわざ定例会見の場において、あそこまで熱を入れた福井地裁(樋口コート)判決&決定批判をしなければならなかったのか、ということを推測させるものが見つかりはしないかと考えてのことでした。
 あの会見での時事通信記者からの質問とそれに対する知事の答えは、明らかに事前に予定されていたものに違いありません。
 一部には、4月12日に投開票の行われた和歌山県議会議員選挙において、知事与党であり、原発推進政党である自民党が、再び圧倒的な議席を獲得したからではないかという推測を述べる方もおられて、それもそうかなと思わないではないのですが、それにしても、何故あそこまで踏み込んだ発言をしようと考えたのか。ああ言えば賞賛に包まれるとでも思ったのでしょうか?まさかね・・・。
 仁坂知事の“先輩たち”の発言を振り返ってみても、結局のところ、よく分かりませんでした。
 松浦攸吉さん、雅代さんらが、4月22日に秘書課長に申し入れた仁坂知事との直接対話が早期に実現することを祈っています。
 
 それでは、仁坂知事の“先輩たち”の発言録をご紹介します。  
 
「相変わらず原子力発電に反対する人もいるけど、交通事故の年間の死者の数を考えて、自動車に乗るのを止めましょうとは言わない。やっぱり使ったほうが便利だからね。どうも原子力発電というとリスクばかり言う傾向があるけれど、実際、おいらたちはもっとリスクのある社会に生きている。変質者に刺される確率のほうがよほど高いって(笑い)」。
 
堀江貴文氏のtwitterから
2011年3月25日7:07
「そう。まだ今回の原発放射性物質漏れ事故で死者いないのにこれだけ批判されるが、毎年数千人の死者を生み出してる自動車が批判されないのはなぜ?」
2011年3月25日 7:08
「そしてほとんど誰も自動車反対運動をしないのはなぜ?安全対策は技術的にはもっと進められるのになぜしない?全てはトレードオフなんだよ。」
 
池田信夫blogより
2011年03月31日12:30 自動車や石炭火力は原発より危険である
「自動車のリスクを「年間5000人」と書くのなら、同じ基準で原発のリスクを比較しないと不公平だろう。日本の原発事故の死者は、これまでゼロである。2名の死者が出た東海村事故は核燃料加工施設だが、それを入れても年間0.04人。少なくとも「原発のリスクは自動車をはるかに上回る」とはいえない。」
2014年02月10日00:22 もう「原発こわい祭」は終わりにしよう
「(小泉純一郎氏の)最大の間違いは「決して事故を起こすことができない」という部分だ。もちろん事故は起こさないように努力しなければいけないが、リスクをゼロにする必要はない。それは自動車と同じだ。起こってもリスクは保険でカバーできる(現に福島第一以外は保険がかかっている)。原発事故の死
者は、史上最悪のチェルノブイリでも約60人。日本の交通事故の5日分にもならない。
 賠償コストは大きいが、これは放射線の安全基準が間違っているからで、正しい基準(100mSv/年)にすれば、福島第一のまわり1kmぐらいしか賠償も除染も必要なく、原賠法の1200億円以内で収まるだろう。このへんは冷静に見直す必要がある。小泉氏や細川氏の錯覚しているバックエンドのコストは、向こう数十
年にわたって償却すれば1円/kWh以下だ。」
2015年04月11日17:29 被災者の地獄への道は村上春樹の善意で舗装されている
原発(核発電所)を認めるか認めないかというのは、国家の基幹と人間性の尊厳に関わる包括的な問題」だというなら、累計で50万人以上の人命を奪った自動車や、毎年13万人の死者をもたらしているタバコを認めるか認めないかも、国家の基幹と人間性の尊厳にかかわる包括的な問題だ。原発だけが特権的な大問題だというのは、マスコミの作り出した錯覚である。」
 
町村信孝衆議院議員自民党
2012年3月27日 報道ステーション「原発再稼働 私はこう思う」での発言
「僕らはあまりにも100%安全だということを強調しすぎていたのかもしれない。でも、考えてみると世の中100%ということは、この社会にはあり得ない。ただそれを極限まで小さくしていく努力をするということではないでしょうか。自動車だって毎年数千人の方が亡くなる。でも皆さんは自動車を使い続ける。原発を自動車と同列に論ずるつもりはないが、結果としてみれば、そういう問題と共通するものがあるんだと。しっかりとした安全基準、さらに想定を上回るような事態が起きた時の国の規制のあり方、電力会社の対応のあり方というものを、新たに決めていくということです。」
 
茅陽一氏(地球環境産業技術研究機構理事長)
「もちろん、事故の危険性が図抜けて大きい、という場合には脱原発という決断は仕方がないかもしれない。しかし、数字で考えると、どうもそうはならないのではないか。一つの方式として、事故の危険をコストではかってみよう。今回の福島第一の事故の被害は、政府のコスト等検討委員会の報告によると5兆8千億円だという。そして、この委員会はこのような事故は40年に1回程度起こるという前提でこのコストを発電コストに換算している。これは、日本が原発の建設を本格的に始めてからほぼ40年経って今回の事故が起きた、ということを考慮に入れているからだろう。そこで、このコストは日本人一人あたり年あたりどれだけになるかを求めてみると、上の被害を1億人×40年で除して1,500円/人・年という答えが出てくる。そこで、比較のために別な例として自動車事故を取り上げよう。日本では、年間ほぼ5,000人が自動車事故で死ぬ。人ひとりの損失をどうとるか、いろいろ考えはあるだろうが、一人5,000万円とすると年間2,500億円となる。これを人口1億で除すると2,500円/人・年という結果になる。
 上記にあげた数字はもちろん幅があっていろいろ変わり得る。だが、原子力の損失が自動車利用の損失とさほど違わないものであることはたしかだろう。しかし、交通事故で人が死ぬから自動車の使用を止めろ、といった意見はおよそ聞いたことがない。これは人々が自動車を必要だ、と認識し、この程度の損失はその必要性にくらべて仕方がない、と考えているからだろう。それなら、原子力を人々に受け入れてもらうためには、原子力を自動車と同じように重要だ、と理解してもらうことが必要である」(2012年5月30日記)
 
ミキハウス・木村皓一社長の発言
現代ビジネス 経済の死角(2012年7月4日 週刊現代)
民主も自民もついでに財界もこうしてぶっ潰す 橋下徹 反乱軍を鎮圧する

(抜粋引用開始)
 そんな木村氏が、橋下氏に対して公然と苦言を呈している。
「橋下さんは大阪都構想などについては、期待通りの働きをしてくれていると思います。しかし、誤算が
ありました。いつのまにか府市の顧問団とやらを50人くらい集めてしまって。
 原発反対派で、経産省の言うことには何でも反対の古賀茂明氏が筆頭です。原発反対、節電と言っても
、それで大阪はどうするのですか、と。経営者にクビくくれと言いたいのですか。
 原発は危険というけど、(原発が稼働した)この50年で、交通事故で100万人以上が死んでるわけです。原発でそんなに死にましたか?橋下さんは、ただ単に注目を浴びたいだけだと思いますよ。実際、大停電が起
きたら誰が責任取るのかと言いたいですわ」
(引用終わり)
 
百田尚樹氏のtwitterから 
2015年3月25日
原発が危険だから廃止すべきという論理に従えば、年間5000人の死者を出し続けている車も同様に廃止すべきという意見が出てもおかしくない。現代の文明は常に危険と利便性のバランスをどう考えるかが難
しい。」
2015年3月25日
「日本が原発を永久停止すれば、やがて多くの企業は倒産し、リストラによる失業者が大量に出るだろう
原発廃止デモをしている人たちは、その覚悟があるのだろうか。原発再稼働は国民投票をしてもいい問題だと思う。そして「貧乏国に落ちぶれても原発をなくせ」と国民が判断したら、私はそれに従う。」