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安保法制:「5党合意」「附帯決議」「閣議決定」をどう読むか(2)~逐条的に読んでみた①(前文・1項)

 今晩(2015年10月5日)配信した「メルマガ金原No.2234」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
安保法制:「5党合意」「附帯決議」「閣議決定」をどう読むか(2)~逐条的に読んでみた①(前文・1項)

 昨日(10月4日)に引き続き、「安保法制:「5党合意」「附帯決議」「閣議決定」をどう読むか」の第2回として、9月16日に自由民主党公明党、日本を元気にする会、次世代の党、新党改革の5党間で締結された「平和安全法制に関する合意事項」を逐条的に読み込んでみたいと思います。1回では終わりそうもないので、今日はとりあえず前文と1項まで。
 以下には、16日の「合意事項」を引用します。合意の本体である1項~9項自体は、「合意事項」も17日の参議院・我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会での「附帯決議」も同文ですが、前文については、「附帯決議」は「合意事項」を修文して読みやすくなっています。
 しかし、19日の閣議決定が「趣旨を尊重し、適切に対処するものとする。」と決定したのは、直接的には「5党合意」についてであって「附帯決議」ではありませんので、以下には9月16日の「平和安全法制に関する合意事項」を引用します。
 なお、引用した「合意事項」は茶色で、私が書いた補注は黒色で、私が引用した文章は紺色で表記してあります。
 
平成27年9月16日
 
日本国憲法の下、戦後70年の平和国家の歩みは不変。これを確固たるものとする。二度と戦争の惨禍を繰り返さない。不戦の誓いを将来にわたって守り続ける。
国連憲章その他の国際法規を遵守し、積極的な外交を通じて、平和を守る。国際社会の平和及び安全に我が国としても積極的な役割を果たす。
・防衛政策の基本方針を堅持し、他国に脅威を与えるような軍事大国とはならない。平和安全法制の運用には国会が十全に関与し、国会による民主的統制としての機能を果たす。
 
このような基本的な認識の下、政府は、本法律の施行に当たり、次の事項に万全を期すべきである。
 
 以上は前文なので、基本的な「心構え」を述べただけの部分なのですが、興味のある方は昨年7月1日の閣議決定「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」(の特に前文)と読み比べてみても良いかもしれません。
 昨年の閣議決定の中で、上記前文に対応すると思われる冒頭部分を引用してみましょう。
 
「我が国は、戦後一貫して日本国憲法の下で平和国家として歩んできた。専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とはならず、非核三原則を守るとの基本方針を堅持しつつ、国民の営々とした努力により経済大国として栄え、安定して豊かな国民生活を築いてきた。また、我が国は、平和国家としての立場から、国際連合憲章を遵守しながら、国際社会や国際連合を始めとする国際機関と連携し、それらの活動に積極的に寄与している。こうした我が国の平和国家としての歩みは、国際社会において高い評価と尊敬を勝ち得てきており、これをより確固たるものにしなければならない。」
 
 読むたびに「夜郎自大」という四字熟語が連想される悪文(だと私は思います)ですが、それを我慢して読み比べると、9月16日「合意事項」前文に新たに盛り込まれたのは、主に以下の2点であることが分かります。

「二度と戦争の惨禍を繰り返さない。不戦の誓いを将来にわたって守り続ける。」
「平和安全法制の運用には国会が十全に関与し、国会による民主的統制としての機能を果たす。」
 
 「不戦の誓い」で直ちに想起されるのは、毎年8月15日に行われる全国戦没者追悼式における首相式辞において、2012年の野田佳彦首相に至るまで、歴代の内閣総理大臣がほぼ例外なく言及してきた「不戦の誓い」という言葉を、安倍晋三首相が2013年以降使わなくなった(昨年も今年も使っていません)ということです。安倍首相は、村山冨市首相以降の歴代首相が述べてきたアジア諸国民への加害についての反省と哀悼の意も「削除」してしまいました。
 「不戦の誓い」が入ったのは、おそらく「日本を元気にする会」の意向によるものでしょうが(まさか「次世代の党」ではないでしょう)、同党の意図がはたして安倍首相に伝わったでしょうかね。
 そして、後者の「国会による民主的統制」を具体化したものが、まさに合意事項の本体(1項~9項)となる訳です。
※参考 私は、全国戦没者追悼式における歴代首相の式辞を比較することにより、安倍首相の特異な歴史認識を明らかにしようとしたブログを昨年8月に2本書きました。ご笑覧いただければ幸いです。
2014年8月15日
“コピペ”でなければ良いというものではない~全国戦没者追悼式での安倍晋三首相の式辞を聴いて
2014年8月18日
続 “コピペ”でなければ良いというものではない~“平和と繁栄”はいかにして築かれたのか

 
1 存立危機事態の認定に係る新三要件の該当性を判断するに当たっては、第一要件にいう「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」とは、「国民に我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況」であることに鑑み、攻撃国の意思、能力、事態の発生場所、その規模、態様、推移などの要素を総合的に考慮して、我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険など我が国に戦禍が及ぶ蓋然性、国民がこうむることとなる犠牲の深刻性、重大性などから判断することに十分留意しつつ、これを行うこと。
 さらに存立危機事態の認定は、武力攻撃を受けた国の要請又は同意があることを前提とすること。また、重要影響事態において他国を支援する場合には、当該他国の要請を前提とすること。
 
 存立危機事態の認定が恣意的になされるのを極力抑制しようというのが第1文の意図でしょうが、第2文(存立危機事態)及び第3文(重要影響事態)は、事実上、法文には書かれていない新たな要件を課すに等しいもので、こんなことが許されて良いのか?つまり、本来なら法案の修正によって対応しなければならないことを、与党と一部の野党の合意に基づいて附帯決議に書き込んだ場合の効力如何という問題をはらんでいるように思います。
 もっとも、形式的に言えば、附帯決議に法的拘束力はないと答えざるを得ませんから、結局のところ、与野党5党が集まって、存立危機事態や重要影響事態の認定を行うために法律に規定された要件には欠陥があることを確認し合ったということに帰着します(そのために野党側は「閣議決定」も要求したということではあるのでしょうが)。
 まあ、重要影響事態を認定した上で実施する後方支援活動が(業務の性質上)米軍等からの要請と無関係に行われるはずはありませんから、附帯決議1項第3文は「念のために」確認しただけと解することも不可能ではありません。
 しかし、「存立危機事態の認定は、武力攻撃を受けた国の要請又は同意があることを前提とする」という第2文はそういう訳にはいきません。これは、れっきとした過重要件です。
 そして、安倍内閣は、9月19日の持ち回り閣議「平和安全法制の成立を踏まえた政府の取組について」において、「政府は、本法律の施行に当たっては、上記3の5党合意の趣旨を尊重し、適切に対処するものとする。」と決定したため、ここに、存立危機事態の認定にあたっての「武力攻撃を受けた国の要請又は同意」が必要ということが、事実上、内閣を拘束することになったという次第です。
 もっとも、法律で決まったことは法律で改正できるのと同じ理屈で、閣議で決まったことは閣議で変更できるのであって、本当に過重要件として機能するかどうかなど、今のところ誰にも分からないということは他の項目と同様です。
 
 ところで、前提的なことなのですが、この合意事項(附帯決議)で使われている「新三要件」という概念が何を指しているかは押さえておく必要があるでしょう。なにしろこの「新三要件」という言葉自体、今回の安保法制の中にも昨年7月1日の閣議決定の中にも出てきませんから、「いわゆる」付きの概念なのです。
 そこで、「いわゆる新三要件」と言う時は、昨年7月の閣議決定「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」の中の「3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置 (3)」で明示された以下の要件を指すものとして使用されてきました。
 
「こうした問題意識の下に、現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。」
 
 これを3つに分ければ、
第一要件 (我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず)我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合
第二要件 これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないとき
第三要件 必要最小限度の実力を行使すること
となり、これを「いわゆる新三要件」と称している訳です。

 ただし、これはあくまで7.1閣議決定における「新三要件」であって、それがそのまま今回の安保法制に取り込まれて要件になっていると思ったら大間違いであり、とりわけ第三要件「必要最少限度の実力の行使(にとどまるべきこと)」など、今回の改正武力攻撃事態法(事態対処法)や改正自衛隊法を隅から隅まで読んでも一切出てきませんからご注意ください。
 この稿は、第一要件についての5党合意を検討することが目的なので、これ以上説明する余裕はありませんが、この点については、倉持麟太郎弁護士が日刊ゲンダイに連載していた「安保法案の欠陥を衝く」第3回「武力行使に歯止めなし 新3要件は法律に明記がない」に要領良くまとめられています。
 
 さて、少し横道にそれましたが、存立危機事態の第一要件に話を戻します。
 存立危機事態については、改正武力攻撃事態法(事態対処法)2条4号に定義規定があります。
 また改正自衛隊法76条1項2号にも、自衛隊に防衛出動を命じるための要件として、同旨の規定があります。
 
事態対処法
第二条第四号
 存立危機事態 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態をいう。
 
第七十六条(防衛出動)
 内閣総理大臣は、次に掲げる事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。
 一 略(武力攻撃事態)
 二 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態
 
 まあ、少なくとも第一要件は法律に明記されたという訳です。もっとも明記されたところで、もともと意味不明な要件が明確になるはずはありません。政府答弁を聞いていても、結局政府が存立危機事態だと言えば何でもありなのか?と疑われる有様でしたから、そのような恣意的認定に少しでもしばりをかけようというのが、合意事項1項の第1文ということなのでしょう。
 ここで列挙されている内容は、2014年7月14日に開かれた衆議院予算委員会における、横畠裕介内閣法制局長官公明党北側一雄副代表からの質問に対する答弁を文章化したものです。以下に会議録から該当部分を抜き出しておきます。
 
○北側委員 それでは、もう少し各論の話をさせてもらいたいんですが、この新三要件で一つポイントのところは、他国に対する武力攻撃が発生して、これにより、この後ですね、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合、ここを定めているわけです。単に、密接な他国に武力攻撃があったというだけじゃだめなんですね。これによって我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由や幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合でなければ、自衛の措置は許されないわけでございます。
 そこで、ここが非常に大事なところだと思うんですが、この根底から覆される、国民のこれらの権利が根底から覆されるとは、どんな状況をいうのか。また、明白な危険があると言っています。防衛法制の中には、この明白な危険というのが六カ所で使われているんですけれども、この明白な危険があるという言葉がどういう事態を指しているのか、どんな要素からそれが判断されるのか、そこを長官に、ぜひこれはきっちり答弁してもらわないといけないと思っています。
 よく、要件が曖昧で時の政府が恣意的に判断するのではないか、そういう御批判もあるわけでございまして、ここは長官、しっかり明確な答弁をぜひお願いしたいと思います。
 
○横畠政府参考人 先ほどもお答えしたとおり、新三要件は、昭和四十七年の政府見解における基本論理を維持し、その考え方を前提としたものであり、御指摘の「他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」という部分は、昭和四十七年の政府見解の「外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態」に対応するものでございます。
 これまで、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみが、昭和四十七年の政府見解に言う「外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態」に当たると解してきたということを踏まえると、第一要件の「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」とは、他国に対する武力攻撃が発生した場合において、そのままでは、すなわち、その状況のもと、国家としてのまさに究極の手段である武力を用いた対処をしなければ、国民に、我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況であるということをいうものと解されます。
 いかなる事態がこれに該当するかは、個別具体的な状況に即して判断すべきものであり、あらかじめ定型的、類型的にお答えすることは困難でありますが、いずれにせよ、この要件に該当するかどうかについては、実際に他国に対する武力攻撃が発生した場合において、事態の個別具体的な状況に即して、主に攻撃国の意思、能力、事態の発生場所、その規模、態様、推移などの要素を総合的に考慮し、我が国に戦禍が及ぶ蓋然性、国民がこうむることとなる犠牲の深刻性、重大性などから客観的、合理的に判断することになります。
 なお、明白な危険というのは、その危険が明白であること、すなわち、単なる主観的な判断や推測等ではなく、客観的かつ合理的に疑いなく認められるというものであることと解されます。
 
 つまり、合意事項の1項第1文は、横畠答弁を丸々取り込み、これを閣議で「趣旨を尊重し、適切に対処する」と約束させたものだということになります。ただし、もともと与党と内閣法制局の間で十分なすり合わせを行った上で法制局長官が答弁した内容を確認したというだけのことであり、「心構え」という以上の意味があるのかということになると、確かに疑問は疑問ですが、少なくとも横畠答弁(及びそれを取り込んだ5党合意)に反するような政府答弁は、今後堂々とは出来なくなるでしょう。
 
 さて、問題の第2文「さらに存立危機事態の認定は、武力攻撃を受けた国の要請又は同意があることを前提とすること。」です。
 実は、国会論戦を通じても、存立危機事態を認定して自衛隊を出動させる要件として、武力攻撃を受けた「我が国と密接な関係にある他国」から我が国への「要請」が必要なのか否かということは問題になっていたにもかかわらず、政府の答弁ははなはだ曖昧なものでした。
 そもそも政府は、存立危機事態について、いわゆるフルスペックの集団的自衛権を認めるものではなく、あくまで自国防衛のためのものであるかのような答弁を繰り返してきました。
 そして、この被攻撃国からの「要請」というのは、国際司法裁判所によるニカラグア事件判決などから見ても、普通の集団的自衛権であるなら当然要件となってしかるべきものであるにもかかわらず、政府が、答弁をあいまいにしてそれを認めてこなかったのは、他国防衛のための普通の集団的自衛権ではないと言い張っていたからです。
 ところがこの土壇場に来て、5党合意であっさりと「武力攻撃を受けた国の要請又は同意があることを前提とすること。」を認めてしまったため、それでは、存立危機事態というのは、やっぱりフルスペックの集団的自衛権(他国防衛のための武力行使)を認めるための要件だったんだね?ということにならざるを得ません。
 もしも、本当に自国防衛のために必要であるというのなら、そのような必要があるにもかかわらず、他国(武力攻撃を受けた国)の要請又は同意がない限り、自衛隊を出動させることができないはずはないでしょう?他国の要請又は同意が要件だというのなら、それは、存立危機事態が、自国防衛のためではなく、他国防衛のためだということを認めたということでしょう?とまあ、そういうことになるはずなのです。ご理解いただけたでしょうか?
 前回ご紹介したビデオニュース・ドットコムのニュース・コメンタリーのリード文で、神保哲生さんが「附帯決議に集団的自衛権の行使には攻撃を受けた国からの要請が必要となることが明記されたことで、国家の存立が危ぶまれるぎりぎりの事態で最後の手段として行使されるべき集団的自衛権が、その実は他国からの要請がなければ使えないという、「存立危機事態」という概念そのものの矛盾点も露呈することとなった。」と書いていたのはそういう趣旨なのです。
 野党3党としては、出来るだけ存立危機事態と認定される場合を限定しようということで、「武力攻撃を受けた国の要請又は同意」を条件に盛り込んだのかもしれませんが、これを与党・政府に認めさせることにより、はなはだあいまいであった存立危機事態の本質的な危険性がはっきりと露呈した、というのが私の評価です。
 また一面、いよいよ論理的に破綻して法律の体をなさなくなったとも言えますが。
                                              (続く)
 
(弁護士・金原徹雄のブログから)
2015年10月4日
安保法制:「5党合意」「附帯決議」「閣議決定」をどう読むか(1)~とにかく読むだけは読まなければ(資料編)

 


(忘れないために)
 「自由と平和のための京大有志の会」による「あしたのための声明書」(2015年9月19日)を、「忘れないために」しばらくメルマガ(ブログ)の末尾に掲載することにしました。
 
(引用開始)
  あしたのための声明書
 
わたしたちは、忘れない。
人びとの声に耳をふさぎ、まともに答弁もせず法案を通した首相の厚顔を。
戦争に行きたくないと叫ぶ若者を「利己的」と罵った議員の無恥を。
強行採決も連休を過ぎれば忘れると言い放った官房長官の傲慢を。
 
わたしたちは、忘れない。
マスコミを懲らしめる、と恫喝した議員の思い上がりを。
権力に媚び、おもねるだけの報道人と言論人の醜さを。
居眠りに耽る議員たちの弛緩を。
 
わたしたちは、忘れない。
声を上げた若者たちの美しさを。
街頭に立ったお年寄りたちの威厳を。
内部からの告発に踏み切った人びとの勇気を。
 
わたしたちは、忘れない。
戦争の体験者が学生のデモに加わっていた姿を。
路上で、職場で、田んぼで、プラカードを掲げた人びとの決意を。
聞き届けられない声を、それでも上げつづけてきた人びとの苦しく切ない歴史を。
 
きょうは、はじまりの日。
憲法を貶めた法律を葬り去る作業のはじまり。
賛成票を投じたツケを議員たちが苦々しく噛みしめる日々のはじまり。
人の生命を軽んじ、人の尊厳を踏みにじる独裁政治の終わりのはじまり。
自由と平和への願いをさらに深く、さらに広く共有するための、あらゆる試みのはじまり。
 
わたしたちは、忘れない、あきらめない、屈しない。
 
     自由と平和のための京大有志の会
(引用終わり)
 

(付録)
『Don't mind (どんまい)』 作詞・作曲:ヒポポ大王 演奏:ヒポポフォークゲリラ