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見えない核災害を可視化する写真家・中筋純さん~2/22日本記者クラブ会見動画のご紹介

 今晩(2016年3月20日)配信した「メルマガ金原No.2401」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
見えない核災害を可視化する写真家・中筋純さん~2/22日本記者クラブ会見動画のご紹介

 和歌山出身の写真家・中筋純さんの巡回写真展「The Silent Views. 流転 福島&チェルノブイリ」をこのメルマガ(ブログ)でご紹介したのは2月1日のことでした(中筋 純 写真展「The Silent Views. 流転 福島&チェルノブイリ」へのお誘い)。
 思えば、中筋さんは、2月3日から銀座ニコンサロンで開催する写真展「The Street View. -Chernobyl to Fukushima-」(~2月16日)の準備で大わらわであった頃ということになります。
 この銀座ニコンサロンで開催された長尺のパノラマ写真(ストリートビュー)だけで構成するという意欲的な写真展は、大きな話題を集め、有力紙でも紹介されていました。

 ところで、ニコンサロンでの写真展も終わった後の2月22日、中筋さんが日本記者クラブに招かれてお話された動画がアップされていることに、つい最近まで気がつきませんでした。中筋さん自身のFacebookタイムラインでは紹介されていたようですが、見落としていたのはうかつでした。
 既に巡回展のスタートとなる和歌山県民文化会館(3月2日~7日)、2か所目のパルテノン多摩市民ギャラリー(3月11日(金)~16日)は終わってしまいましたが、4月の広島市以降、まだまだ巡回展が開催されますし、新刊の『かさぶた 福島 The Silent Views』(東邦出版)を1人でも多くの方に手に取っていただきたいと思いますので、遅ればせながら、日本記者クラブでの会見動画をご紹介することとしました。

 中筋さんが、チェルノブイリと福島を撮り続け、これを多くの人に観てもらいたいと考えている根っこのところにある思いを受け取り、写真展や写真集に向かい合ってもらえればと思います(会見のごく一部を文字起こししておきます)。
 なお、会見の後、日本記者クラブのホームページには、「記者による会見リポート」が掲載される例になっていますが、司会も担当された中井良則さん(日本記者クラブ専務理事)が書かれた中筋さん会見のリポートは、これまで私が読んだ「記者による会見リポート」の中で一、二を争う長さ(?)ですが、これも引用させてもらいました。
 
写真家 中筋純氏 「3.11から5年」⑨ 2016.2.22

(一部文字起こし/30分~)
 とにかく、核災害、原子力災害の福島の今後というのは、我々が記憶にきっちりとどめておいて、再び起こしてはならないということを、やっぱり肝に銘じておくというか、そういったことが必要だと思って、ここ数年ずっと活動してきてます。
 これは去年の夏に新宿西口の明治安田生命ビルの地下に壁面のギャラリーがあるんですけど、こういった会場を使って、本来はやるようにやってきました。とにかく、ギャラリーというと、聞こえはすごくいいんですけど、写真を観る目的がはっきりした人が来ると。ただやっぱり、福島の問題に関しては、普通に歩いてる人たちが、何かちょっと心にとどめて、その人たちの故郷(ふるさと)に思いを馳せてもらったりとか、そういったとこから、原発についてもう一度考えると、日本の将来のエネルギーについて考えると、そういったことのきっかけになって欲しいということで、とにかく目に付くところでやるっていうやり方をやってきました。

(引用終わり)
 
記者による会見リポート
見えない放射能災害を可視化する 福島、チェルノブイリを記録した写真家

(引用開始)
●腐らずに枯れた直売所の大根
 「それ、何ですか」
 会場のスクリーンを指さして質問が飛んだ。痩せて老いた枯れ枝のような物体の画像が写っている。よく見ると値札らしきものもある。泥まみれにも見える。何だろう。
 「これですか。これは大事に作られた大根です。農協の直売所で売っていた」
 生産者の名前が書かれた「1本50円 福島県産」の値札。あの日、2011年3月11日、収穫されたばかりで福島県浪江町の農協直売所に並び、買い手を待っていた泥付きの大根だ。
 「肥料をほとんど使わなかったんじゃないかな。そういう作物は腐敗せずに形を残して枯れてゆくんだそうです。ぼくも畑、作ってるのでわかる」
 あるいは、皮がめくれ、ぼろぼろになり色が変わったボールの数々。
 「双葉高校って野球の名門なんです。グラウンドのホームベースの脇の箱にこのボールが入っていた。あの時、トスバッティングの練習をしていたそうです。硬式ボールって4年もたつとこんな風になるんですね」
 一瞬、きれいだな、と思わせる画像。何を撮っているのか戸惑う写真。ぎょっとするカット。一枚一枚の写真にストーリーがある。そして考え込ませる。
●自然に飲み込まれた難破船 チェルノブイリの石棺
 中筋純さんは福島原発事故で立ち入り禁止となった無人の町を歩き、シャッターを押し続けた。チェルノブイリにも通い、やはり無人となったアパートを歩き記録した。福島から5年、チェルノブイリから30年の今年、全国各地を巡回し写真展を開いている。
 チェルノブイリは2007年から訪ねるようになった。30キロ圏内の立ち入り禁止区域に入ると、文明の抜け殻となったビルが立ち並んでいた。「4キロ離れたプリピァチの団地で16階建の屋上から見ると、ご覧のように紅葉した木々が広がる。その奥に見えるここがチェルノブイリの石棺です。自然に飲み込まれる難破船のように見えます」。横長のパノラマ写真を説明した。
 3.11大震災の時はチェルノブイリ25周年写真展の準備をしていた。「福島はどう追いかければいいか答えが出なかった。むしろ、またチェルノブイリに足は向かいました」
●記憶の強制終了 『原発事故由来強制廃棄個人財産』 肉体感覚
 2013年、東京五輪開催が決まる。「これで流れが変わると思ったのです。福島の忘却が始まる、と」。浪江町に企画書を出し、「公益」目的の一時立ち入りパスを発行してもらった。
 チェルノブイリの俯瞰パノラマ写真と対応するのは、シャッターが下ろされ窓が割れた商店を一軒一軒撮影し、横長につないだパノラマ写真だ。どちらも人間が消え、真昼間なのに奇妙に静まり返っているのが、視覚でわかる。
 「チェルノブイリも福島も、すぐに帰れるといわれて車に乗せられた。それから子供たちは一度も帰っていない。8500キロの距離を隔て、25年の時間を隔て、同じように記憶を切り落としてしまったのです」
 「人々の記憶、土地の歴史、人間のつながり。そういったものを核災害は強制終了させてしまう」
 「福島のどこに行っても黒いフレコンバッグがうず高く積まれています。放射能汚染物だ、といわれるが、土地の人は『詰め込まれているのは俺たちの記憶なんだ』といっていました。だから、ぼくは『原発事故由来強制廃棄個人財産』と呼ぶことにしたのです」
とつとつとした語り口だが、写真に劣らずインパクトを持つことばを放つ。
 「見えない放射能をどうすれば見えるようにできるか。可視化して肉体感覚として放射能災害を体験する。身体の中に入ってきて記憶する。写真に語らせる、というか。福島にはものすごいパワー、メッセージがあるんです。メッセンジャーとして媒介して届けたいと思います」
●傷を癒すかさぶたのように緑が飲み込む
 2月末、福島の写真集「かさぶた 福島 The Silent Views」(東邦出版)を出版した。何度もページをめくり返し、写真の隅々まで読み込みたい記録だ。生い茂るセイタカアワダチソウアスファルトを割って育つ草。ガソリンスタンドが一面、緑で覆われる。見事に咲いただれも見ない桜にビニール片がひっかかる。
 「人間の時間が停止すると、自然の姿がわきおこるんでしょうね。かさぶたが傷を癒すように、植物が人間の作った構造物を飲み込んでいました」
 5年たった無人の町で写真家のシャッター音だけが聞こえるだろう。
   日本記者クラブ専務理事 中井 良則
(引用終わり)
 
 次の巡回展は4月の広島市です。
 
2016年4月15日(金)~26日(火)
日本銀行広島支店1F
広島市中区袋町5番21号 TEL:082-504-2500広島市文化振興課)
 
 広島以降の巡回展については、共通チラシ(の裏面)をご覧ください。
 また、写真展の最新情報については、中筋純さんのFacebookをチェックされることをお勧めします。
 
 3月2日~7日に和歌山県民文化会館中展示室で開催された写真展、私は3月6日(日)の開場(9時)早々に伺いました。1つ1つの作品が語りかける「無言の言葉」に耳をすまし、どれだけの言葉を聴き取ることができましたか?と、鑑賞者に問いかけてくるような写真展でした。
 特に、横長のパノラマ写真は、写真集ではなかなかその感動を再現することは難しいですから、写真展の会場で観られたことは幸いでした。

 最後に、会場で中筋さんから直接伺ったエピソードを1つご紹介しておきます。富岡町から和歌山に避難されている佐藤勉さん(2013年の「福島を忘れない!原発ゼロ 和歌山3・10フェスティバル」でもスピーチしていただきました)も会場を訪れられたそうですが、自宅に持ち帰った写真集『かさぶた』の109頁に掲載された宝泉寺(富岡町)境内の七福神像の写真を見て驚かれたそうです。何とその七福神像は、佐藤さんがお寺に寄贈されたものだったとか。奇遇というのはあるものですね。
 なお、「会場の写真は自由にお撮りください!」とされていました。

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