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憲法記念日に石川健治氏(東大教授)の論考「9条 立憲主義のピース」(朝日新聞)を読む

 今晩(2016年5月3日)配信した「メルマガ金原No.2445」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
憲法記念日石川健治氏(東大教授)の論考「9条 立憲主義のピース」(朝日新聞)を読む

 憲法記念日の今日、一昨年、昨年に引き続き、“HAPPY BIRTHDAY 憲法 in Wakayama 2016”和歌山城西の丸広場で開催され、私も実行委員会構成団体の1つである「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」の会員として、終日会場に詰めていました。
 今日は朝から和歌山市暴風警報が出たということで、出演者の一部が出演辞退となるなど、開演前はどうなることかと心配しましたが、1日中風は強かったもののテントが飛ばされることもなく、雨は何とか終演までは降らず、大過なく終了したのは幸いでした。
 このレポートもメルマガ(ブログ)に書かなければと思っていますが、まずはFacebookへの写真投稿を優先しているため、今晩のうちに書く時間はとれそうもありません。
 明日か明後日には、Facebookに書いたレポートをまとめてメルマガ(ブログ)に載せようと思いますので、少しお待ちください。
 
 ということで、今日は何を書こうかと思っていたところ、九条の会・わかやま事務局の南本さんから、昨日、毎日新聞・特集ワイドで取り上げられた石川健治東大教授が、今日の朝日新聞(朝刊)に「9条 立憲主義のピース」という文章を寄稿されているということをメールで教えてくださっていました。
 和歌山城西の丸広場から歩いて事務所に戻り、このメールに気がついた私は、すぐに事務所に配達されていた今日の朝日新聞を開いてみました。
 大阪本社・13版では、13面の6段を使い、石川教授の論考が掲載されていました。 タイトルは「9条 立憲主義のピース」、それと同じくらいの大きさで、「70年やっとここまで」「軍国主義の毒気なお
」「改正論もっと慎重に」「公共空間の「結界」壊すのか」という見出しが連ねられていました。
 そこで、朝日新聞デジタルこの記事を探したところ、全4154文字の内、公開されているのは150文字分だけで、残り4004文字分は、登録しなければ読めない設定になっていました。
 登録する場合には、有料会員と無料会員が選べます。無料会員でも、1日3本までは会員限定記事が読めます。読める記事の数でいうと、デジタル毎日の無料会員-1か月10頁-よりも多いですね(※デジタル朝日・無料会員登録のページ)。
 実は、私も無料会員なのですが、皆さまにも是非無料登録されることをお勧めします。
 
 昨日に引き続き、石川健治教授がフューチャーされた全国紙の記事をご紹介することになるのですが、今日もまた、本文はリンク先でお読みください(無料会員登録をしないと読めませんが)、ということになります。
 
 
 この、新聞への寄稿としては長く、論文としては短い文章を一読しての私の感想は、昨年来、石川教授の講演動画を視聴しながら、どうにも理解しにくかった様々な論点、すなわち、「立憲・非立憲」、「藤林益三元最高裁長官による津地鎮祭事件少数意見」、「9条は安全保障だけに関わる条文ではない」などについて、ようやく一本の線が通り、自分なりに「一応腑に落ちた」というものでした。
 もちろん、とてもではないけれど、「理解できた」などと言えませんけどね。
 
 そして、この論考は、以下に引用したところで明らかなように、石川教授による、いわゆる「新9条論」に対する憲法学者としての厳しい応答でもあります。
 とりわけ、石川教授の東大での同僚である井上達夫教授(法哲学)に対しては、事実上名指しでの批判です。「実際には全く論点にもなっていない、9条削除論を提唱してかきまわしてみたりする」という表現は、よほど腹に据えかねていたのでしょう。
 
(引用開始)
 改憲を唱える人たちは、憲法を軽視するスタイルが身についている。加えて、本来まともだったはずの
論者からも、いかにも「軽い」改憲発言が繰り出される傾向も目立つ。実際には全く論点にもなっていない、9条削除論を提唱してかきまわしてみたりするのは、その一例である。日本で憲法論の空間を生きる
のは、もっと容易ならぬことだったはずである。
(略)
 ここから明らかになるのは、9条がまず何よりも、長らく軍国主義に浸(つ)かってきた日本の政治社
会を、いったん徹底的に非軍事化するための規定である、という消息である。それにより、「公共」の改造実験はひとまず完成し、この「公」と「私」の枠組みに支えられる形で、日本の立憲主義ははじめて安定軌道にのることができた。結果オーライであるにせよ、70年間の日本戦後史は、サクセスストーリー
だったといってよい。
 しかし、こうした段階を踏むことで、かつて軍国主義を演出した何系統かの言説が公共空間から排除され、出入り禁止の扱いになった。もちろん憲法尊重擁護義務は「公共」「公職」にのみ向けられており、国民には強制されていない。それらの言説は、私の世界においては完全な自由を享受できる。けれども「戦後改革」から日本国憲法に受け継がれた諸条文がいわば「結界」として作用して、立憲主義にとって危
険だとみなされる一連の言説を、私の領域に封じ込め続けているのは事実だ。
 その意味で、封じ込められた側からいえば、日本国憲法が敵視と憎悪の対象になるのは、自然であるといえる。きわめて乱暴にいってしまえば、日本国憲法という一個の戦後的なプロジェクトには、少なくとも政治社会から軍国主義の毒気が抜けるまで、そうした「結界」を維持することで立憲主義を定着させる
、という内容が含まれているのである。
(略)
 こういう流れのなかで9条を動かすのは、危険きわまりないといわなくてはならない。日本の立憲主義
を支える結界において、憲法9条が重要なピースをなしてきた、という事実を見逃すべきではないのである。もちろん、9条は、どんな国でも立憲主義のための標準装備である、という性質のものではない。しかし、こと戦後日本のそれに関する限り、文字通り抜き差しならないピースをなしているのであり、このピースを外すことで、立憲主義を支える構造物がガラガラと崩壊しないかどうかを、考えることが大切で
ある。
 それにしては、あまりにも無造作な9条論が、目立つ。9条は、とかく安全保障の局面だけで手軽に語られるが、決してそれだけの条文ではない。ただ、その一方で、世論調査による限り、9条改正は危険ではないかという直観が、おそらくは皮膚感覚のレベルで広がりつつあるのも事実である。すでに述べたように、この直観には根拠がある。私たちが生命・自由・幸福を追求する枠組み全体を支える9条をもっと
慎重に扱うことが、国家の安全保障を論ずる前提条件になっている。
(引用終わり)
 
 どうですか。「朝日新聞デジタルに無料会員登録して全文読んでみたい」と思われましたか?
 
(弁護士・金原徹雄のブログから)
2015年6月8日
憲法学者の矜恃~佐藤幸治氏、樋口陽一氏、石川健治氏(6/6「立憲デモクラシーの会」シンポジウムにて
2015年11月15日
佐々木惣一が発見した「国民の存在権」(憲法13条)と自民党改憲案~石川健治東大教授の講義で学ぶ(11/13立憲デモクラシー講座 第1回)
2016年1月25日
「立憲デモクラシーの会シンポジウムin岡山」(1/22)中継動画を視聴して今後の企画に期待する

2016年2月6日
立憲デモクラシーの会・公開シンポジウム「緊急事態条項は必要か」を視聴する
2016年5月2日
憲法記念日を前に~「憲法学者、石川健治・東大教授に聞く」(毎日新聞・特集ワイド)を読む
 

(付録)
『For a Lfe』 作詞:中川五郎 作曲:PANTA 演奏:中川五郎