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治安維持法と自民党改憲草案~石埼学龍谷大学法科大学院教授の講演レジュメで学ぶ(9/8国賠同盟近畿ブロック会議より)

 今晩(2016年9月11日)配信した「メルマガ金原No.2566」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同じ内容で掲載しています。
 
安全維持法と自主草案~石埼学龍谷大学法科大学院教授の講演レジュメで学ぶ(9/8国家補償同盟近畿ブロック会議より)

 龍谷大学法科大学院教授の石埼学(石崎・まなぶ)先生といえば、昨年5月28日、300人の学生を対象に行った日本憲法講義「平和主義と安保法制」がIWJによって中継されました、翌日、それを私がメルマガ(ブログ)でご紹介したこと、また、今年の4月2日、私も運営委員を務める「守ろう9条紀の川市民の会」の第12回総会で記念講演をされ、当日のうちにレジュメの骨子のみ、取り急ぎ私のメルマガ(ブログ)で紹介させていただいたこと、さらにその3日後には、レジュメの中4問検討されていた【設問】の詳細解私が試みたりしたことなどをご記憶の読者もおされることと思います
 。
 
 そのようなことで、和歌山にもご縁が生まれました石埼学先生が、昨々日(9月8日(木))、また和歌山市において講演させていただきました。であり、国家賠償同盟近畿ブロック会議のプログラムの一部としての記念講演であったため、一般には広報しませんでした
 。平日の昼間(午後1時から和歌山ビッグ愛12階にて)ということで仕事の予定が入っておりますその代わりに
 私としては、「九条の会・わかやま」事務局の南本勲(みなもと・いさお)さんが、和歌山でいつも主要な憲法講演会にはカメラとマイク持参で参加しております、会議録「九条の会・わかやま」に講演要旨を頻繁に3回連載で紹介してご協力いただいております当事者事例となっております、その上、南本さんは国家賠償同盟です和歌山県本部の役員でもあるのですから、今回も南本さんからの会議録「九条の会・わかやま」が届くのを待ってば良いと安心していたところ、何と、国家賠償同盟のクローズの会議での講演という性格からか、会議用紙「九条の会議・わかやま」への掲載予定はないのですが、思いました
 
。条紀の川市民の会」第12回総会で講演された「戦争法は廃止、憲法9条が輝く日本を大切そう~今、私たちにできること~」の講演要旨を掲載した会議録「九条の」 「会・わかやま」をご紹介します(ホームページ掲載版)。
 第1回(296号)
 
 かなる上は、レジュメを入手して勉強しかないと思い、南本さんにレジュメの残部があったら譲って欲しいと連絡しようとしていたところ、石崎先生が、講演の内容をより広く市民に知っていただきたい気持ちがおありだということをFacebookタイムライン知り(Facebookになって友達教えていただきましたので)、私から、石崎先生のレジュメを私のブログ(その前のメルマガ金原)に掲載したいとお願いしたところ、すぐにご承諾いただき、レジュメのデータを返信していただきました。 そして、講演会主催者の国家賠償同盟和歌山県本部からも、メルマガとブログへの掲載について了解いただきましたそこで、以下に、石埼先生の8日に行われた講演会用のレジュメを全文掲載します。ここ
 
 まで、うかつにも講演のタイトルをご紹介していませんでした。賠償同盟(安全維持法犠牲者国家賠償要求同盟)の会議での講演にふさわしい「日本を安全法時代に回帰させ得る~自主草案が目指すものは何か~」というものです。
 自主慎重案(の危険性)を論じる講演会は全国各地であまた行われていますが(私もそのような学習会の講師を何度も務めました)、今回の石埼学先生の講演のようなその意味でも、このレジュメを全文公開
 する意義は大きく、掲載をご快諾いただいた石埼学先生、そしてレジュメの公開にご同意いただきました国補償同盟和歌山県本部の皆様に、深く感謝申し上げます。
 
(注)印刷される場合にはPDFファイルからどうぞ。
 

2016安全維持法国家賠償同盟近畿ブロック(2016年9月8日和歌山市
                    石埼学(龍谷大学法科大学院教授・憲法学)
 
       日本を安全に維持する時代に回帰させ得る~勝手に草案
         が目指すものは何か~
 
はじめに
・現行憲法の平和主義の放棄は、暫定草案前文、9条2項、9条の2等から明らか

→本報告では、平和主義の放棄などについては立ち入らず、慎重草案のうち、安全維持法と関係しそうなところを中心にする。
 
・任意草案(「日本憲法改正草案」自由民主党平成24年4月27日決定)の性格について。
→この草案通りの本気をめざしているわけではない(憲法改正審議の上も無理) →現在が実現しようと
国家している像・価値観を示している。例えば「活力ある経済活動子どもの国を成長させる」という前文の文言や職業選択の自由の条項からそれを争う文言(公共の福祉等)を削除していることが(草案22条1項)
→正面からの憲法改正だけではなく、現行憲法の下での法律の制定・改正廃等この草案が示す国家像・価値観を実現しようとしている点にも注意(9条予告の安保関連法律制定が典型的)。
 
【余談 北川宗藏先生と父】
1953年の北川先生の逝去のお祝いに私の父が和歌山大経済学部に入学。すぐに、複数の先輩に勧められて、北川先生のご著書で経済学を学んだ」とのこと。 私も、政治や経済のこともよく父を介して、北川先生の影響を受けている可能性あり(?)。
 
一自主憲法改正草案批判
法と道徳の混同
・法と人権の区別は近代法基本原則。
→ 正義、思想、宗教等の価値観に国家は関与せず、それらは市民社会に生きる覚悟の個人が自由に取選択を捨てると言っているが近代国家の基本原則である。
→今度憲法(1889年)の制定者はこの基本原則は、暫定的に守っていた(「国体」を憲法ではなく教育)一歩に書いたことなど―樋口陽一小林節『「憲法改正」の真実』集英社新書、2016年、特に142-145頁の樋口発言を参照)
。曲がり余曲折があるもの、近代国家の教育として絶対問題があることは事実(山住正己『教育チップ』朝日新聞社、1980年を参照)
。 )10月30日)続きの「派義書」(解説書)
の中には、これを近代的な解釈を実施したものもあっただ(山住・前掲書、106-110頁)。 →「国体」についても、その具体的な意味は誰もよく解っていないのだ(山住・前掲書、129-146頁)。と印象づけることが、逆に国民を指名を中心とした体制を整えこむそして威力を発揮したのではなかショック」(山住、前掲書、145頁)。
 
・安全案前文では、「国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、・・・和を尊び、家族や社会全体が共に助け合って国家を形成する」等の「正義」が示すされ、それらの正義―全部というわけではないが―に対応する条項が本文にある(例、9条の3の猶予保全における国民の協力、24条1項の家族の互助の義務など)。
 
最高法規たる憲法にこのような憲法を書き込むことは論外である。
→無視案が戻ろうとする「旧体制」は「実は、明治憲法以前だ」(樋口・小林、前掲書、34-35) →覚悟
案には「国家と歴史と文化、国民と国家と社会が、いずれも渾然一体となった秩序が適切に控えているようであり、だからこそ国家は→正義、思想、宗教等の価値観には国家は関与せず、それらは多少の個人が自由に取って選択してよいという近代国家の基本原則に戻る。 → 相当案だから
現行憲法13条の「個人」を「人」に書いて個人主義を否定するのは自由の立場に立って当然(ただし選択肢24条3項には「個人の優先」との文言があるがミスか・・・)。
 
・ 権利条項
に「公益及び公の秩序に反してはならない」との禁止案がある(12条、13条、21条2項)が、これらの「公益及び公の秩序」に前述の正義観が読み取られているうる。
 
2 歪んだ権利概念
・「権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです。覚悟、人権規定も、国家の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも」 (自主の「日本憲法改正草案Q&A増補版」(同党HP)13頁、Q14)。
→天賦人権説の否定。「人権は、人間そのものによって当然にあるものである。わが党」憲法改正案でも自然権としての権利は、当然の前提」との記述もある(Q&A 37頁、Q44)。 →優先順位
の国家観が「日本は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇をく国家」(前文)というものだから、人権が、天皇ではない別の神や建造物主から与えられるものでありと考えたと言おう
。 「秩序」に「天皇を戴く国家」の価値観・倫理
が読み取られるうると理解するのは邪推ではらせよう。天皇を戴く国家」の価値観・正義観が「公益及び公の秩序」に読む優先順位がある以上、安全維持法に近い法律が→なお現行憲法が「絶対に」禁止している拷問(36条)から
「に」を削除している(慎重案36条)点にも注意。 「に」という文言を削除することにより、例外的に拷問が許される場合があるという解釈ができるようになる。
 
・「彼らの共通の思いは、明治維新以降、日本が素晴らしい時期は、国家が丸となった、終わるまでの10年ほどのあいだった、ということなのです。普通の感覚で言えば」 、この時代こそがファシズム期なんだけどね」(樋口・小林、前掲書、32頁、小林発言)。
 
二自主憲法改正草案と安全維持法
1 「国体」概念の法律への挿入
・「国体」という概念が「法律上の文言に採用されたのは、安全維持法がほぼ最初である」(奥平康弘) 『安全維持法小史』岩波現代文庫、60頁)
。担当者は「
平等に分けた」。であるはずの「国体」概念が1925年の治安維持法(第1条)に挿入された。
 
→1928年の緊急勅令による目的遂行罪の改正、1941年の新治安維持法昭和16年法54号)による①国体のための罰則強化、②特別な刑事訴訟の改正(同法第二) 2章)、③予防拘禁制度の導入(奥平・前掲書、241-242頁)等、安全維持法は次第に改悪されていき1941年の新法では、古い法律の体になっていない(公権力保持に対して)限定が無いに等しい)ものと化するが、そもそもは1925年法が「国体」という法律用語としても定義しかねる概念を取り入れるのか根本的な問題だろう。
 
【北川宗藏先生の1944年の検挙について】
・捜査の端緒は「ゼミナールの学生たち」との「今でいうコンパのようなものをした時、みんなで書いた寄せ書き」のようだが、特高が押収したのは「講義ノートのすべて、たくさんの本」だけのようなものである(『命燃えて北川宗藏生誕100年』2004年、23ページ。21ページ、112ページも参照)。今月の刑罰を受けていることとも合わせて考えると1941年法支援結社(2条)、準備結社(3条)又は集団結成(4条)の「目的違反ノ為ニスル行為」で有罪となった可能性も捨てきれないが、資料からは当の「支援結社」等らしきものが見当たらず、構成要件としては5条承認ではないかと考えられるもの、「一年以上」の懲役を定めるた4条または5条だとしたら、刑が重たいようにも思われる(治安維持法犠牲者国家賠償請求同盟和歌山県本部『和歌山県治安維持法犠牲者(第2版)』2013年、36頁→以降
デタラメ。弁護活動も適度に行われたとは考えられない。
 
・「自主の改正草案に近いことが、教育チップには出てきますね。父母に孝行せよ、兄弟、友、夫婦相和し、朋友を信じて、としている」(樋口・小林、前掲書) 、142頁、小林発言)。
 
・賢明な解決策は、教育ネームに似た善意を、あろうことか憲法典に意見をしている。
 
2 緊急勅令による治安維持法改正
大日本帝国憲法の勅令:「天皇ハ公共の安全ヲ保持シハ災害厄ヲ回避為クルノ緊急必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律」
→同憲法には、戦争・内乱等に際して、武力組織の発動を前提とする戒厳(同憲法14条)および非常に大権(同憲法31条)の定めがあるが、緊急勅令は、以上「段階以前の非正常な状態において、立法上、暫定上の例外措置」(小林直樹『国家緊急権』1979年、148頁)
→次期の帝国議会での「承諾」が必要(8条2項)であり、有効性は法律と同等
 
・1928年の緊急勅令(昭和3年勅令129号)
→1925年の安全維持法改正内容。
① 国家変革目的(1条1項)と私有財産制の否定目的(1条2項) )とは別個とし、②前の人の目的で結社を組織した者等を放棄を含む厳罰とした。③また結社の目的善罪を改正した。
憲法憲法8条1項の権利を満たしている当然の厳しい批判があった。 「予期せぬ突発事件が発生した場合」と当時の支配的な憲法学説が示していた二憲法のいずれも欠けていた(奥平、前掲書、113頁)。
→1929年3月議会の承諾があった。
 
・2015年の安保関連法律制定過程を思い起こさせる(政府や政府による無理な憲法解釈に基づき、かつ多くの憲法学者の間違い憲との指摘を無視しての法律制定という意味で)。
 
・緊急勅令制度は、自主決議99条の内閣の決定「法律と同一の有効性を有する政令を制定することができる」と類似している

→「緊急ノ必要」ではなく「特に必要がある」(慎重案98条1項)のほうが要件として緩い可能性があり、また警戒案ほうには「議会閉会ノ場合」という要件がない。
→ 将来憲法の緊急事態条項(98条、99条)は、今回憲法のそれと比べても、要件があいまいかつ温かいのではないのか。
 
三 日本憲法憲法改正審議
1国会による発議までの流れ
憲法改正憲法の発議
憲法改正憲法(制定19年(2007年)法律51号、2007年5月14日制定、2010年5月18日)本日全面施行)により改正された国会法)
(a)議員が憲法改正案の原案を発議するには、衆議院議員100人、参議院議員50人以上の賛成が必要であること(国会法68条の2)
(b)憲法改正原案の発議は、「内容に関して関連する事項ごとに区別して」行うべきこと(法68条の3)
(c)衆参両院に設置される「憲法審査会」(法102条の6)が憲法改正法案等の発議権を付与する(法102条の7)。
 
・衆参いずれかの本会議に提案された憲法改正草案が「憲法審査会」でまず審議され、その後、本会議で特別多数で議決される(両議院で)。
 
・国会による発議
憲法の改正には、「各議院の総議員の三分の二以上の賛成で」国会が議決し、国民に提案する(憲法96条1項前段)必要がある。
 
cf.「総議員」の意味: 現在議員とする説と法定議員とする説がある。
 
国民投票による過半数の賛成
・国会から提案された憲法改正案について、「特別の国民投票又は国会の決定選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成」でもって国民の承認がなされる(憲法96条1項後段)。
・国民の憲法改正の承認が得られた場合、その時点で憲法改正が確定する。
 
cf.憲法改正案に対する賛成の投票が、有効投票総数の二分の一を超えた場合に憲法96条1項の「国民」の「承認」があったものとすること等を定める(憲法改正手続法126条1項)。
 

憲法改正草案の発議は、
「内容に関して関連する事項ごとに区別する」して」行うべきこと(国会法68条の3)
→とりあえず、これは法律上の定めであり、国会の議決で改正可能(憲法には容認しない)。
 

2. 自主のめざす限りにおいて多くの国民の賛同が得られそうな状況に現在はない。学者は現在でも間違っ憲と考えているが、2014年7月1日の閣議決定憲法9条解釈を変更し、したがってそれに基づいて安保関連法を整備し、海外における武力行使を合憲として確立した安部政権→にとってのためのモチベーションはさほど高くないのではないか
。国民の協力を義務化するため、緊急事態条項の憲法への挿入は臨時ではない。
 
3. 慎重(明文マナー)だけではなく、霧状の国家像を具体化するための法令の整備等への警戒が進んでいる
。以上
                                          ​
 

(付記その1 参考サイト)以下、蛇足ながら、石埼先生

 レジュメをさらに深く学ぼうという方のために、インターネットで参照できる以下の資料をご紹介しておきます
  。 (法律第46号)
(付記その2 北川宗藏先生について)
 本レジュメの中の2箇所(【余談 北川宗藏先生と父】と【北川宗藏先生の1944年の検挙について】)に登場する「北川宗藏先生」について、いさか説明を付け加えていただきましたよいかと思いました、和歌山大学経済学部出身で、石崎先生のお父様の8年間ということで南本勲さんに資料を送っていただきましたメールに添付して送っ
 いただいた資料は、北川宗藏氏についての評伝というか研究書というか、『北川宗蔵 一本の道をまっすぐに』(中村福治著/創風社/ 1992年)という本からの、それと、南本さんが資料を博捜して作成された「和歌山県の安全維持法犠牲者より」と「特高月報より」の中の北川宗藏氏関係の部分でしたいずれも、貴重なものですが、これを一々ご紹介する余裕もありませんので、『北川宗蔵 一本道をまっすぐに』掲載の略年譜を参考に、ごく簡略
 な記載を記載するとともに、南さんが書いた「和歌山県の安全維持法犠牲者より」(北川宗藏の項)の中から、3度継続安全維持法関係での取り調べや検挙について説明された箇所を引用させて○
北川宗藏氏略歴1904年鹿児島県六日町出身。鹿児島
市立商業学校を経て、26年3月、神戸高校等商業学校卒業。27年4月東京商科大学本科入学、30年3月卒業。年3月 和歌山高等学校商業学校(和歌山大学経済学部前身)に講師として着任。 33年3月同校教授。 同年6月安全維持法暫定で最初の調べ。経済専門学校(和歌山高等商業学校後身)教授参加。同年8月日本共産党党。49年7月和歌山大学教授、図書館長。53年8月19日商学博士。同年12月2日脳腫瘍にて没82年~89年『北川宗蔵著作集(海道進編/千倉書房)全7巻編集。
○『和歌山県の安全維持法犠牲者(第2版)』)』(2013/11/11 )より
(記載引用開始)
北川宗藏(きたがわ・そうぞう) 本籍:鹿児島県鹿児島市六日町
 1933年(昭和8年)6月27日、和歌山高等学校学生の安全法予イベントに関係維持て、和歌山高商教授・岩城忠一、同校学生・内田穰吉らとともに和歌山警察署で調べてみる
 。検挙(1942年3月15日)の余波を受け、和歌山地方裁判所検事局で事情聴取を思想
 の浸透を図り、和歌山高商機関紙、神戸商大機関紙、神戸商大新聞、関西学院新聞等に唯物弁証法に依拠した論文を執筆、掲載し、学生や一般大衆の啓蒙に努め、また、自己の和歌山高商の教え子で神戸商大に進学した堀田順次、上田宇一、高良武士らと度々出現して意識の啓蒙指導を行ったこととされる。
(引用終わり)