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ビデオニュース・ドットコム 加藤紘一氏追悼無料放送「日本の針路が大きく間違っているようなこの感覚は何なのだろう」(2004年4月30日)のご紹介

 今晩(2016年9月12日)配信した「メルマガ金原No.2567」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
ビデオニュース・ドットコム 加藤紘一氏追悼無料放送「日本の針路が大きく間違っているようなこの感覚は何なのだろう」(2004年4月30日)のご紹介

NHKニュース 2016年9月10日 18時05分
加藤紘一 自民党元幹事長 死去

(抜粋引用開始)
 
自民党の元衆議院議員で、官房長官や党の幹事長など、政府や党の要職を歴任した加藤紘一氏が9日、東京都内の病院で肺炎のため亡くなりました。77歳でした。
 加藤氏は、山形県鶴岡市出身で、東京大学を卒業後、外務省を経て、昭和47年の衆議院選挙で旧山形2区から立候補して初当選し、13回当選しました。この間、第2次中曽根改造内閣で、防衛庁長官として入閣し、その後も、宮沢内閣の官房長官や、党の幹事長、政務調査会長など、政府や党の要職を歴任しました。
 自民党内では、総理・総裁の有力候補とされ、平成10年には派閥を宮沢元総理大臣から引き継ぎ、会長に就任しました。
 また、加藤氏は、小泉・元総理大臣、山崎・元自民党副総裁と近かったことでも知られ、3人の盟友関係は「YKK」とも呼ばれました。
 こうした中、平成12年秋の臨時国会で、内閣支持率が低迷していた当時の森総理大臣の退陣を求めて、野党側が提出した森内閣に対する不信任決議案に賛成する意向を示しながら、採決直前に方針を変更した、いわゆる「加藤の乱」を主導し、加藤派は分裂しました。
 平成14年には、みずからの事務所の元代表が所得税法違反の罪で起訴されたことを受けて、自民党を離党し、衆議院議員を辞職しましたが、翌15年の衆議院選挙に無所属で当選した後、自民党に復党しました。そして、平成24年12月の衆議院選挙で落選した後、3女の鮎子氏を後継に指名し、政界を引退していました。
 その後、加藤氏は体調を崩し、9日、東京都内の病院で肺炎のため亡くなりました。
(中略・・・金原注:この後、加藤氏を知る人のコメントなどが続きます。森元首相、古賀元幹事長、野中元幹事長、川崎元厚生労働大臣山崎元副総裁など)
言論の自由 訴え続けた
 加藤紘一氏は生前、自身の靖国神社をめぐる発言を理由に山形県の実家が放火されましたが、講演や著書で暴力に屈することなく、言論の自由の重要性を訴え続けました。
 加藤氏は小泉純一郎氏が総理大臣だった当時、近隣諸国との関係から総理大臣が靖国神社に参拝することに反対していました。小泉氏は総理大臣として最後の参拝を平成18年の8月15日に行い、加藤氏は、参拝後の記者会見でも「かつて日本と戦いを交えた国は、挑戦的な行動だと受け止めざるをえないので、できれば参拝を控えてほしかった」と述べていました。そして、その日の夕方に加藤氏の山形県鶴岡市の事務所と棟続きの実家が右翼団体の男に放火されて全焼し、この男は警察の調べに対し、「小泉総理大臣の靖国神社参拝に関して加藤氏が慎重な発言をするなど、その政治姿勢に不満があった」と犯行の動機を供述しました。
 この事件をめぐっては、政界だけでなく、弁護士やジャーナリストなどから「言論を封じるテロを断じて許さない」という批判の声が上がりました。放火された実家に住んでいた加藤氏の高齢の母親は、事件当時、外出していて無事でしたが、加藤氏は事件当初、強いショックを受けた様子でした。それでも、加藤氏は講演などでテロに屈しないという態度を貫き通し、言論の自由の重要性を訴え続けました。
 事件後に出版した著書、「テロルの真犯人」の中でも「代議士として国民の負託を受けている以上、発言を曲げることはあってはならないし、これからも、語るべきことは語っていくつもりでいる」と述べたうえで、「昭和初期の、五・一五事件二・二六事件の例を挙げるまでもなく、テロは自由な言論の最大の敵である。ここで私の心がくじけたら、この国の将来に対して大きな禍根を残すことになる」と、テロに屈しない覚悟を強く示していました。
新華社通信 功績を称賛
 加藤氏の死去について、中国国営の新華社通信は、日本時間の10日夜、記事を配信しました。この中で、加藤氏について、「長年にわたって、日本の侵略の歴史を反省するよう呼びかけ、これを美化するような言動を批判してきた。政治家を引退したあとも、安倍政権による自衛隊の集団的自衛権の行使を可能にする安全保障法制を公然と非難し、正義の声を発し続けた」と称えています。
 そのうえで、加藤氏が日中友好協会の会長を務めるなど、日中間の友好交流のために力を尽くしてきたことを紹介しました。
(引用終わり)
 
 元衆議院議員の(と今となっては言うべきなのでしょうね)加藤紘一氏が一昨日(9月9日)死去したことを伝える報道の中で、以上のNHKニュースは、最も詳しいものの一つだったでししょう。
 加藤紘一氏の訃報を伝える際、どのマスコミでも必ず触れるのは「加藤の乱」ですが、靖国神社参拝に関する発言をきっかけとした右翼による鶴岡市の実家への放火をめぐる対応に、記事のうちの相当な分量を割くという見識に対しては、素直に敬意を表したいと思います。
 
 さらに、加藤氏の政治家としての姿勢を伺える映像として、ビデオニュースドットコムが追悼のために無料公開したマル激トーク・オン・ディマンド 第162回「日本の針路が大きく間違っているようなこの感覚は何なのだろう」は、是非じっくりと視聴したいと思います。
 
マル激トーク・オン・ディマンド 第162回 2004年4月30日
日本の針路が大きく間違っているようなこの感覚は何なのだろう


加藤紘一氏 (自民党元幹事長)
 マル激トーク・オン・ディマンド 第162回
 対米協調が全てに優先されるかのような外交政策を愚直なまでに貫く小泉政権だが、肝心のアメリカが戦争の大義だった大量破壊兵器を見つけられなかったり、軍によるイラク人捕虜の虐待事件を起こしたり、かと思うと、戦闘が終わったはずなのに未だにファルージャで市民を巻き込んでの掃討戦を展開したりと、どうも様子がおかしい。そのアメリカと一蓮托生の道を選んだ日本の選択は本当に正しかったのか。この道で日本の国益は本当に守れるのか。日本には他の選択肢はないのか。加藤の乱と秘書による金銭スキャンダルで一度は失脚し、出直しを迫られた自民党の元幹事長にして総理候補加藤紘一氏をゲストに招き、現在の日本外交の針路の問題点を根本から考えてみた。また、今井・郡山両氏の会見と彼らの発言に対する世論の反応を受けて、なぜ今回のような醜いバッシングが起きたのかを再検証した。」
 
 12年前の収録ですが(神保さんも宮台さんも若い!思えば、宮台真司さんは「東京都立大学」の「助教授」だった)、イラク戦争開戦の翌年、日本人人質3人に対して「自己責任論」なる醜悪な(上記の文章のとおり)バッシングの嵐が吹き荒れた当時、しっかりした見識に基づいた意見を述べることを躊躇しなかった保守政治家の姿を見ることができます。
 「対米協調が全てに優先されるかのような外交政策を愚直なまでに貫く小泉政権だが」
「アメリカと一蓮托生の道を選んだ日本の選択は本当に正しかったのか。この道で日本の国益は本当に守れるのか。日本には他の選択肢はないのか。」という問いは、「小泉政権」を「安倍政権」に置き換えてもそっくりそのまま、いや、現在の自民党には加藤紘一氏がいないのですから、もっと悲痛な問いかけと思えます。