今晩(10月22日)配信した「メルマガ金原No.1145」からの転載です。和歌山県田辺市の寺井拓也さんからお送りいただいた文章をご紹介しています。寺井さんが末尾で引用されている、第78回全国麺類飲食業者福島大会(10月9日)での福島県飲食業生活衛生同業組合理事長・紺野昭治さんの「大会挨拶」にも是非注目してください。
寺井拓也氏の『10/12経産省前テントひろば訪問と首相官邸前デモ報告記』
10月7日(日)の「原発さよなら行進@和歌山市2」に田辺から参加された寺井さんから、「12日(金)に首相官邸前抗議行動に行ってみようと思う」というお話を伺っていましたので、いずれそのご報告が伺えると楽しみにしていましたが、経産省前テントひろばでの「あおぞら放送」にも出演されるなど、非常に充実した活動をしてこられたことが分かります。
ちなみに、当日の「あおぞら放送~テントひろばから~」第5回のユースト中継録画は以下のURLで視聴できます。
http://www.ustream.tv/recorded/26104707 1時間14分52秒)
冒頭~ 紙智子参議院議員(日本共産党)
10分40秒~ 小笠原厚子さん(あさこはうす)
34分10秒~ 木田節子さん(富岡町からの避難者)
52分20秒~ 舩橋淳さん(映画監督)
1時間07分30秒~ 寺井拓也さん
なお、経産省前テントひろばの後に向かわれた首相官邸前での抗議行動でも発言された寺井さんのスピーチは、IWJチャンネル5による中継の1時間21分40秒ころから視聴できます。
最後に寺井さんが引用されている第78回全国麺類飲食業者福島大会での福島県飲食業生活衛生同業組合理事長・紺野昭治さんの「大会挨拶」を紹介した「たんぽぽ舎メルマガNo.1619」は以下のサイトなどに転載されています。
また、同大会の公式サイト(まだ閉鎖されていません)に、紺野さんの「ご挨拶」(大会前の収録)の動画が掲載されています。
これは同業者に対して大会への参加を呼びかけるメッセージなのですが、その中で「大勢の皆さまがフクシマに来て下さるから、地獄を抱えながら、笑顔、元気、希望が湧いてくるのです」という異例の表現を使っているところからすれば、「大会挨拶」で何を訴えるかについての覚悟は既にこの時点で定まっていたということでしょう。
心して、この文章を受け止め、多くの人に読んでもらうべく努力したいものです。
寺井さんの文章を読ませていただき、様々なことに思いを馳せることができました。寺井さん、ありがとうございました。
経産省前テントひろば訪問と首相官邸前デモ報告記
寺井 拓也
1、経済産業省前のテントひろば
和歌山のミカンを
10月12日(金)の朝、新幹線で東京に向かった。1泊2日の日程である。目的は3つ。一つ目は、経済産業省前のテントひろば訪問である。二つ目は首相官邸前の金曜抗議行動への参加だ。三つ目は、翌日の「10・13さよなら原発集会in日比谷」への参加だった。
10月12日(金)の朝、新幹線で東京に向かった。1泊2日の日程である。目的は3つ。一つ目は、経済産業省前のテントひろば訪問である。二つ目は首相官邸前の金曜抗議行動への参加だ。三つ目は、翌日の「10・13さよなら原発集会in日比谷」への参加だった。
12日は、前日から上京していたNさんと、テントひろば前で合流した。前日、テントひろばに早稲ミカンを田辺から発送した。なぜか。ネットでテントひろばの「日誌」を読んだからだった。そこには、概略こう綴られていた。
「宿泊当番の方が風邪を引いた。原因はどうも急な冷え込みだった。リュックに詰めたはずの長袖が見あたらず、ついに風邪引きに」。
戦いの拠点
現地に行ってみると、このテントひろばは鎖で囲われていた。その鎖には「国有地立ち入り禁止」の看板がつけらていた。しかし、それに抗して踏ん張っている。振り返ると、テントひろばは設営して丸1年を越えた。当日で398日目だ。昨年は「原発いらない!福島の女たちの座り込み」が行われた。それに続いて「福島の女たちに続け!全国の女たちの座り込み」が敢行され、怒りの渦が巻いた。今年に入り、大飯原発再稼働阻止の集団ハンストが行われたのもここだ。この応援のために鎌田慧、瀬戸内寂聴、落合恵子、澤地久枝といった人々や、国会議員がかけつけた。5月には700名による「かんしょ踊り」もこの場所で行われた。おおい町の監視テントや、福岡の九電本店前ひろば・テントともつながっている。ここは、全国の反原発運動の結節点であり、東京における様々なアクションの中継点でもある。
だから、権力の攻撃対象にされる。今年1月24日、ついに経産省が強制撤去命令を出した。これを1000人の支援者と8000通の抗議メールで跳ね返した。右翼や警察の攻撃もあった。それに対抗してきたのが、24時間体制の「守り」だった。その最前線の「戦士」に和歌山のビタミンCを届けようと考えたのだった。
私が到着すると、すでにミカンが届いていた。1時間ほど前に着いた5キロのミカンは半分ほど消えていた。口々に「おいしい!」。
現地に行ってみると、このテントひろばは鎖で囲われていた。その鎖には「国有地立ち入り禁止」の看板がつけらていた。しかし、それに抗して踏ん張っている。振り返ると、テントひろばは設営して丸1年を越えた。当日で398日目だ。昨年は「原発いらない!福島の女たちの座り込み」が行われた。それに続いて「福島の女たちに続け!全国の女たちの座り込み」が敢行され、怒りの渦が巻いた。今年に入り、大飯原発再稼働阻止の集団ハンストが行われたのもここだ。この応援のために鎌田慧、瀬戸内寂聴、落合恵子、澤地久枝といった人々や、国会議員がかけつけた。5月には700名による「かんしょ踊り」もこの場所で行われた。おおい町の監視テントや、福岡の九電本店前ひろば・テントともつながっている。ここは、全国の反原発運動の結節点であり、東京における様々なアクションの中継点でもある。
だから、権力の攻撃対象にされる。今年1月24日、ついに経産省が強制撤去命令を出した。これを1000人の支援者と8000通の抗議メールで跳ね返した。右翼や警察の攻撃もあった。それに対抗してきたのが、24時間体制の「守り」だった。その最前線の「戦士」に和歌山のビタミンCを届けようと考えたのだった。
私が到着すると、すでにミカンが届いていた。1時間ほど前に着いた5キロのミカンは半分ほど消えていた。口々に「おいしい!」。
テレビ中継
毎週金曜日16時から、テントひろばではテレビの実況中継が行われる。といってもインターネットテレビ。だから、世界へも配信される。英語の通訳付きである。番組名は「あおぞら放送~テントひろばから~」(視聴アドレス http://www.ustream.tv/channel/tentcolor )
毎週金曜日16時から、テントひろばではテレビの実況中継が行われる。といってもインターネットテレビ。だから、世界へも配信される。英語の通訳付きである。番組名は「あおぞら放送~テントひろばから~」(視聴アドレス http://www.ustream.tv/channel/tentcolor )
続いて「今週のお客様」として小笠原厚子さんが登場。青森県の大間から上京してきた。亡母は大間原発予定地の地権者だった。土地を絶対に手放さなかった。1億円を積まれても売らなかった。そこに建てたログハウスの名が「あさこはうす」だ。亡母はたった一人で原発の着工を阻止してきた。嫌がらせや危険な目にも遭いながら、親子で孤独な苦しい長い闘いを続けてきた。その大間原発はこの10月1日から工事を再開した。地元は「反対」と思っていても声を出しにくい。だから大間の外から「大間原発は絶対いらない」という大きな声を上げてほしい。こう訴えた。
次に「福島から世界へ」。富岡町から転々と避難し、現状を訴え続けている木田節子さん(注1)の登場。福島の厳しい現実をまとめたレポート(「たんぽぽ舎」のメルマガ№1601)を読み上げた。
このあと、映画監督の舩橋淳氏(注2)のインタビューとイベントカレンダーのコーナーである。最後に「テントひろば 通りすがり」のコーナーで、私がインタビューを受けることになった。和歌山における金曜行動や和歌山の反原発運動について、簡単だが紹介することができた。
(注1)木田さんからは『ルポ イチエフ』(布施祐仁著 岩波書店)が紹介された。福島第一原発に通って取材したルポであり、被ばく労働の実態を明らかにする。
(注2)舩橋淳氏は埼玉県加須市に避難している双葉町の人々を追い、ドキュメンタリー映画『フタバから遠く離れて』に納めた。すでに東京でロードショーが行われている。マスコミが報じない福島の人々の「苦難」を伝えている。また『フタバから遠く離れて』(岩波書店 2012年10月刊)にも記録されている。
突然の出会い
このあと、ハプニングが待っていた。突然の出会いである。この日のギャラリーは50人ほど。その中から、声をかけられた。「私はみなべ町の出身の者です」。見知らぬ同郷の方が突然現れた。藤原節男さんという。話を聞けば『原子力ドンキホーテ』(2012年4月刊 ぜんにち出版)の著者。元・原子力安全基盤機構の検査員である。2009年、泊原発3号機の検査データの改ざんを上司から求められたが、拒否したため解雇された(週刊『スパ』2011年12月13日号、『東京新聞』2012年9月27日付に関連記事)。その顛末と「原子力村」の内幕を前述の著書にしたためた。
次に渡された名刺には「野村保子」とある。ピンときた。『原発を拒み続けた和歌山の記録』の書評を『北海道新聞』に書いてくださった方だ。北海道からやってきていた。会ったことも話したこともない。ここでお会いするとは!
次にはT大学の准教授。和歌山の原発の歴史を知りたいというので、手持ちの『原発を拒み続けた和歌山の記録』を1冊即売。ご自分の研究に関連するのだろうか。「近く、和歌山へ行きたいのでよろしく」。
また、放送前のことである。スタッフが私にもその日のゲストを順番に紹介してくれた。「小笠原厚子さんです」。彼女とはそれまで文通のみの間柄だった。ミカンや本を贈ったことはある。しかし、会ったことはない。電話もしていない。突然目の前に青森県にいるはずの彼女が現れた。即座に握手。
このあと、映画監督の舩橋淳氏(注2)のインタビューとイベントカレンダーのコーナーである。最後に「テントひろば 通りすがり」のコーナーで、私がインタビューを受けることになった。和歌山における金曜行動や和歌山の反原発運動について、簡単だが紹介することができた。
(注1)木田さんからは『ルポ イチエフ』(布施祐仁著 岩波書店)が紹介された。福島第一原発に通って取材したルポであり、被ばく労働の実態を明らかにする。
(注2)舩橋淳氏は埼玉県加須市に避難している双葉町の人々を追い、ドキュメンタリー映画『フタバから遠く離れて』に納めた。すでに東京でロードショーが行われている。マスコミが報じない福島の人々の「苦難」を伝えている。また『フタバから遠く離れて』(岩波書店 2012年10月刊)にも記録されている。
突然の出会い
このあと、ハプニングが待っていた。突然の出会いである。この日のギャラリーは50人ほど。その中から、声をかけられた。「私はみなべ町の出身の者です」。見知らぬ同郷の方が突然現れた。藤原節男さんという。話を聞けば『原子力ドンキホーテ』(2012年4月刊 ぜんにち出版)の著者。元・原子力安全基盤機構の検査員である。2009年、泊原発3号機の検査データの改ざんを上司から求められたが、拒否したため解雇された(週刊『スパ』2011年12月13日号、『東京新聞』2012年9月27日付に関連記事)。その顛末と「原子力村」の内幕を前述の著書にしたためた。
次に渡された名刺には「野村保子」とある。ピンときた。『原発を拒み続けた和歌山の記録』の書評を『北海道新聞』に書いてくださった方だ。北海道からやってきていた。会ったことも話したこともない。ここでお会いするとは!
次にはT大学の准教授。和歌山の原発の歴史を知りたいというので、手持ちの『原発を拒み続けた和歌山の記録』を1冊即売。ご自分の研究に関連するのだろうか。「近く、和歌山へ行きたいのでよろしく」。
また、放送前のことである。スタッフが私にもその日のゲストを順番に紹介してくれた。「小笠原厚子さんです」。彼女とはそれまで文通のみの間柄だった。ミカンや本を贈ったことはある。しかし、会ったことはない。電話もしていない。突然目の前に青森県にいるはずの彼女が現れた。即座に握手。
11月10日、東京に来てください!
テントひろば広報担当のY・Tさんから頼まれた。「11月10日に、和歌山からも東京へ来てくださいネ!」。この日は「再稼働阻止全国ネットワーク」の結成集会がある。今年7月に東京で最初の集まりをもった。8月には四国・松山で全国から100余名が集まった。そこで討論の結果、準備会を発足させた。この意義について、案内のチラシはこう訴えている。「迫りくる再稼働の嵐に立ち向かっていく全国的な闘いの連携を創り出していくことが、今強くもとめられているのではないでしょうか」。
この闘いを進めるために、原発を止めてきた和歌山からも是非出席してほしい、というのである。翌11日は、「国会包囲100万人大行動」の日である。私はこの両日とも、半年前から準備されてきた「紀南ピースフェスタ」参加のため、田辺を離れることができない。どなたか、「参加要請」に応えて下さる方がおられればありがたい。
テントひろば広報担当のY・Tさんから頼まれた。「11月10日に、和歌山からも東京へ来てくださいネ!」。この日は「再稼働阻止全国ネットワーク」の結成集会がある。今年7月に東京で最初の集まりをもった。8月には四国・松山で全国から100余名が集まった。そこで討論の結果、準備会を発足させた。この意義について、案内のチラシはこう訴えている。「迫りくる再稼働の嵐に立ち向かっていく全国的な闘いの連携を創り出していくことが、今強くもとめられているのではないでしょうか」。
この闘いを進めるために、原発を止めてきた和歌山からも是非出席してほしい、というのである。翌11日は、「国会包囲100万人大行動」の日である。私はこの両日とも、半年前から準備されてきた「紀南ピースフェスタ」参加のため、田辺を離れることができない。どなたか、「参加要請」に応えて下さる方がおられればありがたい。
断食24日目のFさん
テントひろばの前のイスに一人の年輩の老人が座っていた。脇の看板には「全ての原発を廃炉に!」。1ヶ月の断食を決行中だった。話を伺った。Fさんは広島県から上京した。9月7日付で実名入りの声明文を出した。そこでこう結んでいる。
テントひろばの前のイスに一人の年輩の老人が座っていた。脇の看板には「全ての原発を廃炉に!」。1ヶ月の断食を決行中だった。話を伺った。Fさんは広島県から上京した。9月7日付で実名入りの声明文を出した。そこでこう結んでいる。
「次の原発事故で日本が破滅するまでもなく、民主主義をはじめ、日本社会はすでに崩壊が始まっている。でもまだ間に合うと・・・思う。 まだ、一歩を踏み出していない人に呼びかけます。地球のため、未来のため、民主主義のために一歩を踏み出しましょう。お願いします。」
水と塩だけでの生命が24日目まで続いていた。あと6日!
水と塩だけでの生命が24日目まで続いていた。あと6日!
2、首相官邸前行動
過剰警備の首相官邸前
経産省前を後にしたのは17時半頃だった。そこから徒歩でおよそ10分で首相官邸前に着く。初めての「官邸前」である。「官邸前」といっても、官邸の建物からは100メートルも離れている。そこから先は警察がブロック。この日も厳しい規制だった。歩道沿いには、移動式の鉄パイプ柵を並べている。その外側には警察車両をびっしり張り付けた。さらに大勢の警察官の配置と3重のバリケードである。警察も考えたのだろう。この6月には、膨れあがった参加者によって車道4車線が「占拠」された。その「反省」からか、警察の規制はだんだんと厳しくなってきた。周辺はおびただしい数のバスやトラックなどの警備車両。異常さが目を引く。都内中の全警察車両を集めたか、と疑うほどの多さだ。
警察は集会やデモを妨害する。横断歩道を渡らせない。目的地に行かせない。地下鉄出口から出さない。こうした過剰警備が、これまでも問題となっていた。交通警備を理由にデモを封じ込めるやり方だ。「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」(憲法21条)。この「表現の自由」を侵害するのではないか。こう指摘されるまでひどい状況になっている。
しかし、官邸前から追いやられた人々は官邸裏へ、国会前へ、自民党本部前へ、さらには地方各地へと次第に拡散している。
その日の参加者はというと、結局狭い歩道のまたその半分のスペースに押し込められていた。半分を通路としてとられたからである。私たちは、ごった返すその群衆の中に何とか割り込ませてもらった。
経産省前を後にしたのは17時半頃だった。そこから徒歩でおよそ10分で首相官邸前に着く。初めての「官邸前」である。「官邸前」といっても、官邸の建物からは100メートルも離れている。そこから先は警察がブロック。この日も厳しい規制だった。歩道沿いには、移動式の鉄パイプ柵を並べている。その外側には警察車両をびっしり張り付けた。さらに大勢の警察官の配置と3重のバリケードである。警察も考えたのだろう。この6月には、膨れあがった参加者によって車道4車線が「占拠」された。その「反省」からか、警察の規制はだんだんと厳しくなってきた。周辺はおびただしい数のバスやトラックなどの警備車両。異常さが目を引く。都内中の全警察車両を集めたか、と疑うほどの多さだ。
警察は集会やデモを妨害する。横断歩道を渡らせない。目的地に行かせない。地下鉄出口から出さない。こうした過剰警備が、これまでも問題となっていた。交通警備を理由にデモを封じ込めるやり方だ。「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」(憲法21条)。この「表現の自由」を侵害するのではないか。こう指摘されるまでひどい状況になっている。
しかし、官邸前から追いやられた人々は官邸裏へ、国会前へ、自民党本部前へ、さらには地方各地へと次第に拡散している。
その日の参加者はというと、結局狭い歩道のまたその半分のスペースに押し込められていた。半分を通路としてとられたからである。私たちは、ごった返すその群衆の中に何とか割り込ませてもらった。
「再稼働~ハンタイ!」
デモといっても、行進はしない。定位置で立ったままコールするのみ。このデモは非暴力である。行進はしない。座り込みはしない。「突入」はしない。ジグザグデモやフランスデモで身体を動かした昔のデモ経験者には物足りない面があろう。しかし、そこは抑制し運動の「継続」を優先しているらしい。
デモンストレーションが始まると騒然とする。各所に配置されたスピーカーから音響が伝わる。先導のコールに合わせて小太鼓演奏がリズムをとる。ラッパ吹きもいる。ホラ貝を吹き鳴らす者いる。そこに参加者のコールが加わる。
「原発ハンタイ!」「再稼働~ハンタイ!」「子どもが大事!」「みんなで守ろう!」「お魚 守ろう!」「野菜も守ろう!」「生き物守ろう!」「いのちを守ろう!」・・・。
薄暗い夜空にライトを振る者あり、うちわをかざす者あり、プラカードを掲げる者があり、である。中には日の丸の旗もなびいている。 プラカードやのぼりなどには次のような文字が並ぶ。
「原発はいらない」「再稼働反対」「原発を推進した自民党の責任を問う」「新橋アクション」「原発やめろ 野田やめろ 民死党もやめろ」「子どものいのちを守れ」「今すぐ 原発ゼロだ!」「主権者の声をきけ!原発いらん!」「今すぐ原発ゼロだ!」「NO NUKES」「全原発 即廃炉」「NO 原発」「上関 つくるな」「大間原発やめろ!」「大間建設 許さない!」「大間原発 断念を」・・・。
また、会場一帯は白い風船だらけ。手に手に風船を持っている。それが白色が闇に浮かぶ。スタッフが白い風船を歩いて配っている。その中に見覚えのある顔。ワイシャツにネクタイ姿の田中康夫衆議院議員だった。風船を配り歩いている。続いて「水はいりませんか?」。紙コップと飲料水を配布するスタッフも回ってくる。ほかには誘導班や救護班もある。多くのボランティアのサポートによって運営されていた。
車道を見ると、時々、「自転車隊」が疾走する。自転車はどれも白い風船をなびかせている。「反原発」のシンボルだ。3台、5台、10台と。付近を幾度も周回しているようだ。
固い決意
この3月、30人で始まったというこのデモの参加者は、6月29日には10万人超までふくれあがった。そのころに比べると、この日はぐんと減っていた。しかし、固い決意をもった人々が全国から駆けつけていた。
コールとコールの間に参加者のアピールの時間がある。栃木から、函館から、松山から、屋久島からと遠来者の発言が続く。中には北海道から参加した92歳のおじいさんもいた。ある者は大間原発の工事再開の不当性を追及し、ある者は福島原発告訴団への参加を訴えた。私も和歌山の原発の闘いについて1分ほどの発言をさせてもらった。しかし、和歌山よりさらに遠くからの参加者が多数いたのだった。「毎週、87歳のおばあさんが大阪からやって来ています」。こんな話題が、同じ時間帯の国会議事堂前で紹介されていた。
「みんなであきらめずに声を上げましょう」「へこたれないで、長い闘いなんだからじっくり腹を据えてやっていこう」。作曲家の坂本龍一さんが、同じ場でこう呼びかけたのは、今年の7月6日のことだった。この闘いはまだ続く。
デモといっても、行進はしない。定位置で立ったままコールするのみ。このデモは非暴力である。行進はしない。座り込みはしない。「突入」はしない。ジグザグデモやフランスデモで身体を動かした昔のデモ経験者には物足りない面があろう。しかし、そこは抑制し運動の「継続」を優先しているらしい。
デモンストレーションが始まると騒然とする。各所に配置されたスピーカーから音響が伝わる。先導のコールに合わせて小太鼓演奏がリズムをとる。ラッパ吹きもいる。ホラ貝を吹き鳴らす者いる。そこに参加者のコールが加わる。
「原発ハンタイ!」「再稼働~ハンタイ!」「子どもが大事!」「みんなで守ろう!」「お魚 守ろう!」「野菜も守ろう!」「生き物守ろう!」「いのちを守ろう!」・・・。
薄暗い夜空にライトを振る者あり、うちわをかざす者あり、プラカードを掲げる者があり、である。中には日の丸の旗もなびいている。 プラカードやのぼりなどには次のような文字が並ぶ。
「原発はいらない」「再稼働反対」「原発を推進した自民党の責任を問う」「新橋アクション」「原発やめろ 野田やめろ 民死党もやめろ」「子どものいのちを守れ」「今すぐ 原発ゼロだ!」「主権者の声をきけ!原発いらん!」「今すぐ原発ゼロだ!」「NO NUKES」「全原発 即廃炉」「NO 原発」「上関 つくるな」「大間原発やめろ!」「大間建設 許さない!」「大間原発 断念を」・・・。
また、会場一帯は白い風船だらけ。手に手に風船を持っている。それが白色が闇に浮かぶ。スタッフが白い風船を歩いて配っている。その中に見覚えのある顔。ワイシャツにネクタイ姿の田中康夫衆議院議員だった。風船を配り歩いている。続いて「水はいりませんか?」。紙コップと飲料水を配布するスタッフも回ってくる。ほかには誘導班や救護班もある。多くのボランティアのサポートによって運営されていた。
車道を見ると、時々、「自転車隊」が疾走する。自転車はどれも白い風船をなびかせている。「反原発」のシンボルだ。3台、5台、10台と。付近を幾度も周回しているようだ。
固い決意
この3月、30人で始まったというこのデモの参加者は、6月29日には10万人超までふくれあがった。そのころに比べると、この日はぐんと減っていた。しかし、固い決意をもった人々が全国から駆けつけていた。
コールとコールの間に参加者のアピールの時間がある。栃木から、函館から、松山から、屋久島からと遠来者の発言が続く。中には北海道から参加した92歳のおじいさんもいた。ある者は大間原発の工事再開の不当性を追及し、ある者は福島原発告訴団への参加を訴えた。私も和歌山の原発の闘いについて1分ほどの発言をさせてもらった。しかし、和歌山よりさらに遠くからの参加者が多数いたのだった。「毎週、87歳のおばあさんが大阪からやって来ています」。こんな話題が、同じ時間帯の国会議事堂前で紹介されていた。
「みんなであきらめずに声を上げましょう」「へこたれないで、長い闘いなんだからじっくり腹を据えてやっていこう」。作曲家の坂本龍一さんが、同じ場でこう呼びかけたのは、今年の7月6日のことだった。この闘いはまだ続く。
心を突き動かす、ある「大会挨拶」の紹介
同じ頃、国会議事堂前では一人の男性が、ある大会挨拶文を紹介していた。これをインターネットで知ったのだが、この挨拶は「魂の叫び」と言えるものだった。これを「たんぽぽ舎」のメール(No1619)から以下に転用する。時間のある方はお目通しを。
同じ頃、国会議事堂前では一人の男性が、ある大会挨拶文を紹介していた。これをインターネットで知ったのだが、この挨拶は「魂の叫び」と言えるものだった。これを「たんぽぽ舎」のメール(No1619)から以下に転用する。時間のある方はお目通しを。
以下「たんぽぽ舎」のメールマガジン(No1619)転載
先日友人からもらったA4・1枚の文章をもう一度読み返す。それは10月9日に福島県いわき市で開催された、第78回全国麺類飲食業者大会(日本蕎麦屋がメインの組合の大会)で、大会会長が述べた挨拶であった。大会会長は福島県飲食業生活衛生同業組合理事長であり、いわき市で蕎麦屋を営む紺野昭治さんということであった。
この大会は、兵庫以東20数都道府県から550名以上の同業者が年に一度集うもので、片山さつき・中川雅治国会議員をはじめ、蕎麦業界所管の厚労省や農水省の役人諸氏、県の幹部がひな壇に並ぶ中で始まり、その前で正々堂々と語りかけられた挨拶だったという。
新聞報道などには全く出てこないが、是非とも知っていただきたいと思い、ここに掲載します。
《 大 会 挨 拶 》
常に弱気な気の小さい私を突き動かした途方もない力。今こうして全国の皆様の前に立ってご挨拶申し上げている私は、やはり同じ力を実感しております。この力に導かれ、北海道・東北のお仲間たちの同意を結集し、私たちの思いは全国の仲間たちに伝わりました。そしてこうして各界のリーダーの皆さんもお祝いに駆けつけて下っております。この途方もない力は私たちを何処へ導こうとしているのでしょうか? 「フクシマ」を福島に戻す。戻さなければ歴史が絶える。
しかし「フクシマ」を福島に戻せば、原発も又戻る。「フクシマ」を福島に単に戻すのではなく、福島を超えて福島を創り上げて行かなければならない。福島復興ではなく、フクシマ創生!です。 では、誰がフクシマ創生を果たすのでしょうか?福島県民でしょうか?日本国でしょうか?フクシマ創生!、実は誰が果たすという問題ではないのです。世界の意識、人類の思いの問題なのです。
福島再生、復興(と言われます)故郷を失った人たちに、故郷に戻りたくとも戻れない人たちに、この言葉は何と虚しく響くことか。
私を突き動かした途方もない力。そして今日この時、フクシマにお集まりの全国の麺類業者の皆さんを動かしている大きな力。
この力は、地球に刻まれた40億年という圧倒的な長い生命史の中で、僅か700万年に満たない歴史しか持たない人類の、自らの絶滅への強烈な危機感そのものなのではないでしょうか。
文明史の頂点に原子力利用を位置づけることが、人類を絶滅に追い込む。原子力を利用する!とは何と思い上がった意識でしょう。そんな人類の意識を変える力、これが私を突き動かした途方もない力の正体です。そして途方もない力が、私の自然な呼吸を原発全廃!という言葉に変えました。
私は今、無意識に自然に原発全廃を呼吸しています。議論の余地はありません。フクシマに立てばそれが分かります。そして今日、全国からこれだけ大勢の皆さんに、フクシマに立って頂きました。私を突き動かした力のお蔭です。
この大会は、ここに立っている皆さんが、原発全廃を日常的に自然に呼吸する契機になることを私は強く望みます。
ここからフクシマ創生!が始まって来ます。
2012年10月9日
第78回全国麺類飲食業者福島大会大会長・
福島県飲食業生活衛生同業組合理事長
紺野 昭治
福島県飲食業生活衛生同業組合理事長
紺野 昭治
(付録)
『ちびっとだけ』 なつおmeets南風 (2012年7月15日 池袋西口公園)
作詞作曲:嶋田奈津子
(多分そうだと思うのですが、間違っていたらメンバーのどなたかご指摘ください)