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憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

「原発がこわい女たちの会ニュース」第84号が届きました

 今晩(2013年5月6日)配信した「メルマガ金原No.1347」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
原発がこわい女たちの会ニュース」第84号が届きました
 
 「原発がこわい女たちの会」の松浦雅代さんから、ニュース第84号をお送りいただきました。
 今号は、古田伊公子さん、soraさん、松浦雅代さんによる充実した文章が3本も掲載されています。
 是非ご一読ください。
 
 
 

(1頁)
  原発がこわい女たちの会ニュース NO84号・2013年5月2日発行
事務局〒640-0112和歌山市西庄1024-15℡・fax073/451/5960松浦雅代方
 
     未来の子どもたちの為に
          原発を稼働させてはいけない!
 
 東京電力福島第一原発事故後、国は「4閣僚の政治判断」で「安全性は確保
されている」として、国内で唯一、関西電力の大飯原発3号4号を再稼働させた。それに対して福島事故を繰り返してはならないと原告262名の強い思いで関西電力を相手どった「大飯原発3・4号運転差し止仮処分裁判」を始めた。4月16日関西電力の主張「大飯は安全」を司法が追認した判決が出された。
 
4月26日大飯原発仮処分裁判の原告は即時抗告しました。
 

(2-3頁)
    福島県を訪れて(2013年4月10日~12日)
 
                              有田川町 古田伊公子
 
 2012年10月27日~28日に和歌山に話しに来て頂いた橘柳子さんを福島県本宮市に訪ねました。
 
 
 桜は例年の2週間遅れで満開。その下のモリタリングポストは0.4μシーベルト/h。橘さんの仮の住居脇には赤松林の丘があり、思わず「マッタケ!」と叫んでしまう。「そう この丘はきのこの宝庫よ。でも今はね」この仮設住宅の一角にもモリタリングポスト、赤い文字が刻々と変わる。
 
 2日目は喜多方のお百姓さんの案内で飯舘村を通って南相馬市の小高区(東北電力がついに原発建設予定を「住民の方々の心情を考えると」と撤退表明したところ)で試験田としてでも田畑を耕し続けると、避難仮設住宅相馬市から1時間かけて通って農業をされている方のお宅を訪れた。(小高は日中のみ立ち入ることが出来る)
 本家のお玄関の前には丹精されたお庭、奥さまが養蚕をしていた蚕部屋を若夫婦の家に新築されたとのことで2軒続きの立派なお家。人影の全く見えない飯舘村では出なかった涙が、本来なら、こうしてあるべき姿が理不尽にもはぎとられた家に人がいる様に、急にあふれ出てしまった。
 このご夫婦の案内で小高の原発予定地だった海辺と、浪江町の請戸港に。浪江町の入口には警官がいて事情を聞かれ許可証を渡されて入る。午後4時ギリギリに出た私達の後ろでゲートが閉められる。
 ここまで津波が来たという国道6号線から海辺まで、見渡す限り荒涼とした湿原状態になっていて、ひしゃげた車やコンクリートの塊が点々と。6号線を超えたところにも小舟数隻見かける。
 請戸の港には船はなく魚のせりをしていたであろう場所だけがそのかたちを遺し、又諸戸小学校の建物もあって、先生たちの誘導で全員近くに見える山に避難。橘さんは「請戸小だけは1人も犠牲者出なかったんだよ」その2つ位建物が残っているのみで、漁師町で家がぎっしり建っていたと話されても、私の乏しい想像力ではイメージが湧かず、どのように感じたら良いのか感情が混乱してしまっていて、今も尚ボー然でしかない。
 広~い広~い、ただただ荒地と化したはるか向こうに中世ヨーロッパの城のような森が見える「あれが原発だよ」ただ通り過ぎるのみ(この道を通るしか二本松から小高や浪江に行けない)の飯舘村は福島では珍しく平地がなく米や野菜が作れず、今の村長さんが苦心の末、牛を飼い、花を育てることを奨励して村の経済を立て直し軌道に乗った矢先の原発事故。津波の影響はなく田舎らしい大きな家が広々とした敷地と共に点在。所々に「飯舘牛」の看板やレストランが建っている。休日には家族や友人たちで、おいしいお肉を食べがてらドライブにハイキングにとい
うところだったのだろうが、切なく淋しい風景でしか今はない。
 小高のお宅で昼食を御馳走になる。(店など全くなし)「ここで0.3位だ。年間積算量1㍉シーベルトは0.12μシーベルト/hだからな」なかなか覚えられなかった数字がカキ―ンと頭に入ってしまった。現地現物の苦渋の言魂の力はすごい!
 化学物質過敏症で、合成洗剤のみならず、香料入りの普通の石鹸でもヤバイほどの私が0.3㍉シーベルトでも0.4㍉シーベルトでも全くな~んにも感じず不都合は一切なかった。毎日毎日気にして暮らす事を拒否したい人々にとっては平気になってしまうのは当然だろうな。と思う。
 でも私の友は60歳になって白血病発症。「私、広島出身やろ母は広島で被爆しているしもしかして、と思ってしまうョ」重い証言である。
 原子力をこわいながら許してきてしまった大人たちには、次世代を担ってくれる子どもたちを、何としても守らねばならなぬ義務があるんやろなあ。一人が出来ることはしれているけど何か出来ることはないか。とアンテナは張りつづけていこうと思っています。
 

(4-5頁)
原発事故と動物たち 
 
以前みた1枚の写真がずっと気になっていた。
背骨の浮き出た乳牛たちが、牛舎でへたり込んでいる。すでに死んでいたのかも知れない。胸を衝かれた。福島原発事故が起きたため飼い主が避難してしまったのである。牛たちは見捨てられ、渇き飢えて悶え死ぬよりほかなく・・・阿鼻叫喚の地獄絵だったろう。むろん飼い主を責めることなど微塵も出来ない。いや、帰宅がままならず放置するしかなかった飼い主さんこそ慟哭の極みだろう。
たしかに家畜は人間のために、搾乳され食用になり皮革になる、そのために飼育され屠殺される。とはいえこんな死に方があってよいはずはない。数年前の宮崎県で起きた口蹄疫被害も悲劇だったが、今回は原発事故という人災に由来するだけに憤懣やるかたない。
 
牛や豚たち家畜に限らない、犬猫のペットとなるとさらに身近で切実だ。4月9日(16日再放送)、NHKテレビ番組をご覧になったかたもあろう。21頭の犬たちが福島県飯舘村へ一時里帰りをした。NPOが預かる岐阜から2日かけて、もとの飼い主家族と2年ぶりの再会。ご主人に飛びついて顔をなめまわすワンちゃんもいれば、どなたでしたっけ?と痴呆気味のもいる。高線量で荒れ果てた住宅と犬小屋に戸惑ったり、かつての散歩コースを辿って落ちついたり。だがどの犬もふるさとに滞在できるのはたったの3時間。さいごに「ハウス!」と車のゲージを示されて、従順に戻っていく彼らと、愛犬の後姿をじっとみつめる家族たち。
 
せつなく、涙なしにはとても見られない、衝撃の写真であり映像であった。
もっとマシな対処はないのか、ペットと住める住宅はないのか、家畜は野に放つほうがよかったのでは、せめて安楽死をもっと早期に、といった方法は浮かんでくるが、いずれも対応処置の域。もちろん行政の初動態勢の遅れは問題であるし、救出・保護活動のための経済的支援やボランテアも重要な役割をもつが。
いっぽう、動物たちどころではない、人の命が先、生活の安定安心が先、というのが被災者やご遺族の気持ちかもしれない、人間優先はそのとおりかも。
 
それでも!誤解をおそれず、情緒的に言い切ってしまえば、動物たちの姿に目を留めた多くの人が、居たたまれなさを感じるはず。
せつなくなるだけではなく、気持ちが重たく滅入るのだ。
家畜の牛や豚、ペットの犬や猫たちに、何万頭か数も知れない家畜やペットたちに、その他多くの動物たちに、私たち人間はひどいことをしてしまった、私たちの愚かさのために取り返しのつかない犠牲を強いてしまった。事故を起こした電力会社や原発政策を推進してきた政府の責任を追求することだけでは済まない、物言わぬ動物たちに対する人間としての後ろめたさ、それが気分を重くしてしまう。
こう考えてくると、私たちの倫理がとわれるのは、動物だけでなくやっぱり人間に対しても同じだ。それは、この先ずっと放射線の影響に晒され続ける子ども世代、高レベル放射性廃棄物のツケを圧しつける未来の子ども世代に対する倫理だ。
 
あらためて、原発事故の悲惨さと、原発を54基も作ってしまった私たち人間の・大人の過ちをおもう。
 
※おススメの本
太田康介『のこされた動物たち』飛鳥新社 2011年7月
  〃   『待ちつづける動物たち』 〃   2012年3月
 福島第一原発20キロ圏内の動物の記録写真集。著者は、震災直後からボランテアで保護活動に奔走しているカメラマンです。
                                   (以上、sora)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※動画のご案内
昨年12月に開かれた脱原発世界会議2
原発ゼロへ、女たちが手をつなぐ」セッションの動画です。
このセッションには、「女たちの会」の松浦雅代がスピーカーとして登壇しています。
WANのウェブサイト( http://wan.or.jp/ )にてご覧いただけます。
 
You Tubeから直接ご覧になる場合はこちらから(松浦さんのお話は22分頃からです/金原注)。
 
すっかり遅くなりましたが、お知らせします。
 
女たちの会のブログが1歳になりました
 
原発がこわい女たちの会」がブログを開設したのは、ちょうど1年前の3月30日ことです。ニュース80号(2012年5月発行)には、
 これからは脱原発にむけてインターネット上で、多様な情報をすばやくお知らせするとともに、わたしたちの言い分を世の中によりアッピールしていく枠組みができたといえます。
 結成26年目という長い歴史をもつ私たちの会ですが、ブログのほうはよ
ちよち歩きを始めたばかりです。会員のみなさまの協力で大きく育てていただければと思います。
と記しましたが、記事は各月2、3本というスローペースで、リアルタイムの情報
発信もまだまだ。よちよち歩きであるのは変わりませんが、このメディア時代のこと、ブログは存在証明のようなものでもあります。そして会員外の方や、遠方から和歌山のことを見守っている方も、楽しみに待っていてくださるようで、励みになります。会員のみなさまには、これまでどおり「女たちの会ニュース」などを郵便物やファックスでお届けしていきますが、どうぞネットのほうにも訪問してください。
  こちらです→ http://blog.zaq.ne.jp/g-kowai-wakayama/
またブログへのコメントや、原発についてのご意見を原稿にして、お寄せいただければ嬉しいです。
 

(6-7頁)
   3月11日の記憶(1) (忘れない為に)   松浦雅
 
 2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震が起きた時、私は青岸にごみを捨てに行った帰りで車の中に居た。夫にお兄さんから電話が掛かっていたが大きな地震だと言って切った、と聞いたので、帰宅してパソコンを開けると、地震情報は東北地方で震度7だった。遠いから心配せずに犬の散歩に行った。海岸を埋め立てた河西公園で散歩が終わろうとした時、津波による避難勧告によりこの公園から退去して下さいの放送があった。通りがかりの人が「東北地方でえらいことになっている」と言った。
 帰宅してテレビをつけた。多分NHKだったと思う。大きな船が港を越えて流
されている。自家用車が駐車場から次々海に落下しているように見えた。大きな家が次々と津波によって押し流されていくようすを息をのむ思いで釘づけになってみていた。
 
 そして福島第一原発事故の情報が入って来た。
 私は遠くからの原子炉建屋の次々と爆発している映像を見ながら「この日
本で原発の事故が起きている。それも4基だと。気が遠くなる思いで聞いていた。そして「日本で起きてるんだ、日本で起きているんだと」何度も自分に言い聞かせている自分が居た。
 当時、枝野官房長官が「ただちに人体に影響がない」を繰り返しながら、「
のための避難」と言って最初は原発から5㌔。その次が10㌔→20㌔と避難指示が出された。この時、私は政府は念のためには避難させない、確かに避難させるだけの危険が起こっているのだと思った。
 3月18日は熊取の京都大学原子炉実験所の安全ゼミが事故前から計画
されていた。
私は参加申し込みを2月にしていた。チェルノブイリの石棺等の問題について、
ウクライナから講師をお呼びしていた。講師を先に和歌山の那智勝浦の温泉につれて行く話は今中さんからメールで知らされていた。それもキャンセルせざるを得なくなったと後日聞いた。    
 3月18日は京大の原子炉実験所のゼミは予定通り行われた。マスコミや専
門家や市民でいっぱいだった。(3月18日の安全ゼミのようすはユーチューブで流されている。)
 
※以下で視聴できます(金原注)
3/18京大原子炉ゼミ1「もうやめよう、原子力ほんとうに」小出裕章1/2
3/18京大原子炉ゼミ2「もうやめよう、原子力ほんとうに」小出裕章2/2
3/18京大原子炉ゼミ3「原子炉に水が無くなると炉心は?」海老沢徹
3/18京大原子炉ゼミ4「チェルノブイリ事故と日本の汚染」今中哲二1/2
3/18京大原子炉ゼミ5「チェルノブイリ事故と日本の汚染」今中哲二2/2
3/18京大原子炉ゼミ6「第110回原子力安全問題ゼミ質疑応答1/3」
3/18京大原子炉ゼミ7「第110回原子力安全問題ゼミ質疑応答2/3」
3/18京大原子炉ゼミ8「第110回原子力安全問題ゼミ質疑応答3/3」
3/18京大原子炉ゼミ9「第110回原子力安全問題ゼミ報告後質疑応答1/2」
3/18京大原子炉ゼミ10「第110回原子力安全問題ゼミ報告後質疑応答2/2」
 
 事態はまだどうなるか分からない時だったので、懇親会も、みなさん興奮状態
で、ごった返していた。広島のSさんに「貴女は福島の被曝した人を引受けることが出来ますか」と面と向かって問われた。私は事故の事で、頭の中が真っ白状態だったのに、突然言われて何も答えられなかった。が言葉だけは私の中に残っていた。今やっと彼の言った意味が分かったような気がする。
 
 事故の実態を縮小化し、被害を小さく見せようとしている人たちは連日テレビ
に顔をさらしながらもウソをつき続けた。私はこのすざましい原子力村の住民たちに恐れおののきを覚えた。
 
 環境中に放出された放射性物質を唯一予防出来るのはヨウ素剤を飲ますこ
とだけだ。ほとんどの子どもたちが放射性ヨウ素を取り込んでしまったのだ。チェルノブイリの事故を原子炉の形が日本と違うから日本では事故は起きない。と言って教訓にしなかったばかりか、出鱈目で無責任な人たちが多い原子力の関係者については今まで常識ではあったが、実際事故が起こったのだ。私は悲しい怒りにさいなまれる日々が続いている。
 
 
本の紹介⇒是非あなたも読んで下さい。
「戦後史の正体」 孫崎 享(まごさき うける)著
             出版社・創元社1500円+税
 1945-2012間の日米関係を元外務省・国際情報局長が書かれています。
戦後70年、知らなかった事がいかに多いかが分かります。
 黒船~始まった米国の政策・広島・長崎への原爆投下も本当の事を知らし
めず原子力の平和利用で、洗脳されてしまった私たちは、福島の事故後の今こそ、これまでの米国占領政策を知る機会だと思います。
 
 
(学習会のご案内)
風力発電は本当にエコなのか?
「風力発電の不都合な真実
○日時 2013年6月2日(日)13:30~16:00
○場所 和歌山市勤労者総合センター4階(市役所西隣)℡:073-433-1800
○講師 武田恵世さん(歯科医師・日本生態学会・日本鳥学界・等)
○低周波音の問題については:汐見文隆さんがアドバイザーとして参加。
○参加費 300円
    主催:風力発電の被害を考える会・わかやま
        問合せ先 ℡:090-9164-1017(貴志)
 

(8頁)
◎報告・3月30日13:00~
原発がこわい女たちの会結成26年のつどい」
 映画「東京原発」上映と交流会 ・ 勤労者総合センター6階ホール
    
 交流会は日高町の濱一己さんの話から始まり、放射性ガレキの報告を内海
洋一さん、「あわたま」の高橋伸明さん、それから福島に何度も行かれている医師の山崎知行さん、西出いづみさん等がスピーチして下さいました。最後に熊取町から来られていた佐野稔さんから激励の言葉を頂きました。
 
 
【当日のアンケートから】
◎私たちは何とあやうい現実のなかで生かされていることか!目をおおって見な
いふりして生きて行きたい気持ちも却って少し分かってしまった。でもでもでもあきらめたらアカンと濱さんのお話しで、又、思い改めさせられた。
◎すごく風刺的な映画で今日、見せて頂けて参考になりました。このような映
画をもっとみんなに観てもらえる機会があれば良いのにと思います。この映画が3・11の前に製作されたということがおどろきです。濱さんのお話はとても感心しました。熱意をもって反対されたことすごいです。私たちも自分のできる範囲内で反対したいです。
◎映画の中に出てきた「無関心」「傍観」という言葉が印象的でした。笑える所
もあったけど、今は笑えない所も多々あり、笑ってられないなと強く思いました。
 
 
                    記
 4月26日はチェルノブイリ27年でした。今年28年目を迎えますがセシウムはま
だ半分にもなっていません。30年は人間の一生から考えると、とても長い。子どもたちにこの現実をどのように伝えられるのか。福島原発事故から2年過ぎてこれからです。それぞれの持てる力でがんばりましょう。
                                   松浦雅