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wakaben6888のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

「日本傷痍軍人会」最後の式典での天皇陛下「おことば」と安倍首相「祝辞」(付・ETV特集『解散・日本傷痍軍人会』2/1放送予告)

平和 歴史
 今晩(2014年1月14日)配信した「メルマガ金原No.1605」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
日本傷痍軍人会」最後の式典での天皇陛下「おことば」と安倍首相「祝辞」(付・ETV特集『解散・日本傷痍軍人会』2/1放送予告) ※追記あり
 
 今のところ、総合テレビの報道番組ほどには安倍政権による干渉の手が及んでいないと思われる(どうかそうであって欲しい)NHKEテレ)「ETV特集」の番組告知です。
 
NHK 教育TV(Eテレ
【本放送】2014年2月1日(土)午後11時00分
【再放送】2014年2月8日(土)午前0時45分~ (金曜日深夜)
ETV特集 解散・日本傷痍(い)軍人会~戦傷病者の長い戦後~
 
 この番組のご紹介は、昨日お届けした「『忘れられた皇軍』(大島渚監督)とTVドキュメンタリーの未来」の末尾に、関連情報として掲載しようと思って書き始めたのですが、これはこれで結構書くことがあり、あまりに長く成り過ぎるので、独立させることにしたものです。
 まずは、番組案内をお読みください。
 
(引用開始)
 日中戦争・太平洋戦争で負傷し傷害を負った元兵士たちでつくる日本傷痍軍人会が2013年秋に解散した。かつて35万人を数えた会員も5千人、平均年齢も92歳を越えた。
 総力戦となった第二次世界大戦は、膨大な戦死者とともに多くの戦傷病者を生ん
だ。戦時中彼らは戦意高揚の中「白衣の勇士」とたたえられ、国家からさまざまな優遇施策を受けた。しかし敗戦後は軍事援護の停止による恩給の打ち切りなど、戦傷を負った人々とその家族の生活は困窮と苦難のふちにあった。講和と独立のあと、軍人恩給の復活とともに傷病者への支援も僅かに改善をみたが、手足の欠損、失明とう痛、体内に残った手りゅう弾の破片など戦争の傷跡は、彼らの生涯を苦しめた。
傷痍軍人にとって“戦後”はその一生を終えるまで続いたのである。
 かつて昭和40年代頃まで街頭や縁日、列車内などで見られた“白衣募金者”た
ちもとうに姿を消し「傷痍軍人」はまさに歴史の中に埋もれようとしている。傷痍軍人たちは戦後をどう生きたのか、どのような絶望の中に日々を送り、どんな思いでその困
難な人生を切り開いてきたのか。そして国や私たち国民は彼らをどう遇したのか。
 東京九段の「戦傷病者史料館・しょうけい館」には180人、計300時間にのぼる
傷痍軍人とその家族の証言映像記録がある。受傷の痛みと葛藤、社会復帰と自立、差別と心ない中傷、戦死した戦友への罪障感、労苦を共にした夫婦愛、戦後日本社会への違和感・・・・・・彼らの証言をベースに膨大な遺品、資料を取りまぜながら、傷痍軍人たちが問いかけたこと、言い残したこと、私たちがもう一度、見、聞き、知ら
ねばならないことを考える。
 戦後もすでに68年、ついにその戦傷の痛みと欠損を報われることなく、あまたの人
々がそれぞれの体験の記憶と無念の思いと共に、私たちの前から姿を消した。「国が、人々が、われわれのことを忘れてしまったのではないか」生きのびた傷痍の人々が異口同音に漏らす言葉である。傷痍軍人会解散という最後の機会に彼らの声に耳を傾け<日本人の記憶>として心にとどめる。
(引用終わり)
 
 以上の文章でお分かりのように、昨年11月に日本傷痍軍人会が解散することになったのを機に製作されたドキュメンタリー番組です。そこにも書かれていますが、街頭で白衣を着て募金を呼びかける(アコーディオンを奏でる人もいたような)傷痍軍人の姿を実際に見たことがあるのは、1954年生まれの私たちの世代がぎりぎり最後でしょうか。あるいはもう少し若い人でも見たことがあるかな?街頭に立っていた傷痍軍人の中に、サンフランシスコ平和条約発効後に制定された援護法などの支援対象とならなかった外国籍の人たちが多く含まれていたことは、昨日ご紹介した『忘れられた皇軍』(1963年作品)が訴えたとおりです。
 しかし、国からの支援の対象となった日本人傷痍軍人にも、辛い後半生が待ち受けていたことは想像に難くありません。
 
 ところで、この番組に関連する情報を検索していて、私は以下のような画像を見つけ、ある種の感慨を覚えざるを得ませんでした。それは、昨年(2013年)10月3日、明治神宮会館で開催された「戦傷病者特別援護法制定50周年並びに財団法人日本傷痍軍人会創立60周年記念式典」(これが最後の式典となりました)において「おことば」を述べる今上陛下と、その横に佇立する安倍晋三首相をとらえた写真です。
 
 
 私が抱いた「感慨」を理解していただくためには、陛下の「おことば」と安倍首相の「挨拶(首相官邸ホームページには祝辞として掲載)」を、皆さんに読んでいただくのが一番良いと思います。それぞれ全文を掲載します。
 
平成25年10月3日(木)(明治神宮会館)
(引用開始)
 戦傷病者特別援護法制定50周年並びに財団法人日本傷痍軍人会創立60周年の記念式典が行われるに当たり,全国から集まられた皆さんと一堂に会することを誠に感慨深く思います。
 昭和20年の終戦以来68年の歳月がたちました。国のために尽くし,戦火に傷つき,
あるいは病に冒された戦傷病者の皆さんが歩んできた道のりには,計り知れない苦労があったことと察しています。そのような中,皆さんが互いに,また家族と,手を携えつつ,幾多の困難を乗り越え,今日の我が国の安寧と繁栄を築く上に貢献してこられたことを深くねぎらいたく思います。戦傷病者とその家族が歩んできた歴史が,決して忘れられることなく,皆さんの平和を願う思いと共に,将来に語り継がれていくよう切に希望し
てやみません。
 この機会に戦傷病者と苦楽を共にし,援護のため,たゆみなく努力を続けてきた家
族を始めとする関係者に対し,深く感謝の意を表します。
 終わりに当たり,高齢の皆さんがくれぐれも体を大切にし,共に励まし助け合って,今
後とも元気に過ごされることを願い,式典に寄せる言葉といたします。
(引用終わり)  
 
平成25年10月3日 
(引用開始)
 先の大戦が終わりを告げてから、六十八年の歳月が流れました。この間、我が国は、自由、民主主義を尊び、ひたすらに平和の道を邁進し、繁栄を享受してまいりました。これは、戦場に倒れられた方々や戦禍に遭われ傷病を負われた方々の尊い犠牲の上に、築かれたものであります。そのことを片時も忘れてはなりません。 
 戦傷病者の方々やそのご家族が、並々ならぬ苦難を克服して、社会の各分野で
活躍され、戦後の平和と繁栄に寄与されてきたことに対し、心から敬意と感謝を表し
ます。
 また、財団法人日本傷痍軍人会におかれては、創立以来六十年の長きにわたり、
共に励まし合い、助け合いながら苦難を乗り越え、戦傷病者の福祉の増進に御尽
力いただきましたことに厚く御礼申し上げます。
 戦争に参加し、祖国や家族のことを案じながら、命を懸けて戦い、そのために、障
害を受けられた方々に対し、必要な援護施策を講じることは、国の果たすべき当然
の責務です。
 今後とも、戦傷病者の方々に対する援護施策の充実に全力を尽くしてまいります。
(引用終わり) 
 
 この「おことば」と「祝辞」を対比する趣旨は、天皇陛下の「おことば」が、安倍首相をはじめとする「靖国派」の「論理のまやかし」を映し出す見事な「鏡」となっていると思ったからです。
 通り一遍に読み流しただけでは、どちらも同じようなことを述べているという印象を持たれるかもしれませんが、この2つの文章(言葉)は全く似て非なるものです。
 私が考えるキーワードは「平和」です。「平和」という言葉が、それぞれどういう文脈で使われているかを分析してみましょう。 
 
天皇陛下「おことば」より  
昭和20年の終戦以来68年の歳月がたちました。国のために尽くし,戦火に傷つき,あるいは病に冒された戦傷病者の皆さんが歩んできた道のりには,計り知れない苦があったことと察しています。そのような中,皆さんが互いに,また家族と,手を携えつつ,幾多の困難を乗り越え,今日の我が国の安寧と繁栄を築く上に貢献してこられたことを深くねぎらいたく思います。戦傷病者とその家族が歩んできた歴史が,決して忘れられることなく,皆さんの平和を願う思いと共に,将来に語り継がれていくよう切に希望してやみません。
 
安倍首相「祝辞」より
 先の大戦が終わりを告げてから、六十八年の歳月が流れました。この間、我が国は、自由、民主主義を尊び、ひたすらに平和の道を邁進し、繁栄を享受してまいりました。これは、戦場に倒れられた方々や戦禍に遭われ傷病を負わた方々の尊い犠牲の上に、築かれたものであります。そのことを片時も忘れてはなりません。 
 
 陛下の「おことば」は、戦後の戦傷病者の苦労をねぎらい、困難を乗り越えて我が国の繁栄に貢献したことに感謝するとともに、これらの歴史が決して忘れられてはならず、戦傷病者の「平和を願う思い」と共に、その歴史が語り継がれていくことを希望するというものであり、日本傷痍軍人会がこの式典を最後に解散するということを踏まえ、戦傷病者やその家族に対する情理を尽くした細やかな語りかけとなっています。
 ポイントは、「平和」とは、戦傷病者やその家族の「願い」であり、「思い」なのだという位置付けです。決して、戦没者や戦傷病者の犠牲があった「から」平和がもたらされたなどという「まやかしの論理」に与していません。 
 
 さて、安倍首相の「祝辞」です。既に上に述べたことでお分かりでしょうが、我が国が「自由、民主主義を尊び、ひたすらに平和の道を邁進し、繁栄を享受」してきた(書き写すのが恥ずかしくなるほど歯の浮くような言葉ですね)のは、戦没者や戦傷病者の「尊い犠牲の上に」築かれたとする主張は、全く非論理的と言うしかありません。
 大規模な戦争の当事国となれば、国民に多大な犠牲者を出すのが当然であり、その追悼や補償は各国に共通する普遍的な課題に違いありませんが、だからといって、犠牲があった「から」、その後に「平和」や「繁栄」が築かれるものでは決してありません。
 安倍首相をはじめとする「靖国派」の主張は、そもそもその出発点において根本的に間違っています。
 戦後の「平和」や「繁栄」は、戦争に至る経過を「反省」し、2度と同じような悲劇を繰り返さぬようにしたいという国民の「願い」や「思い」が国の政策となって結実し、初めて達成されるものではないですか。
 戦没者や戦傷病者を顕彰することを隠れ蓑に、戦争への「反省」を「自虐史観」と貶める論理が、すなわち「靖国派」の「まやかしの論理」に他なりません。
 この10月3日の「祝辞」を読んだ人は、その「論理」が、先月(2013年12月)26日、靖国神社に参拝した直後に安倍首相が発表した談話「恒久平和への誓い」の一節「今の日本の平和と繁栄は、今を生きる人だけで成り立っているわけではありません。愛する妻や子どもたちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々。その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります」と全く同じであることに気がつかれたでしょう。
 
 歴史修正主義者の「まやかしの論理」のポイントは、まさにこの種のフレーズの中にこそあります。
 
 さて、2月1日放映のETV特集です。まだ見ていないので何とも言えませんが、10月3日における安倍首相「祝辞」のような視点からではなく、今上陛下「おことば」と同じ立場から製作された番組であることを切に願います。
 
(付記1)
 2013年10月3日といえば、アメリカのケリー国務長官ヘーゲル国防長官が連れ立って千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れて献花することにより、靖国神社をアメリカのアーリントン墓地になぞらえて参拝の正当性を主張した安倍発言をアメリカ政府は決して容認しないという明確なメッセージを発した(そのことを世界が知った)日として記憶される日でもあります。
 私がブログに書いた「千鳥ヶ淵戦没者墓苑に献花したケリー、ヘーゲル両長官が意図したこと」をご参照いただければ幸いです。
 
(付記2)
 「靖国派」の「まやかしの論理」を見抜き、真にあるべき戦没者・戦争犠牲者の追悼の在り方を志向(あるいは試行)しているのが、長野県中川村の曽我逸郎村長だと思います。私が書いた「戦没者・戦争犠牲者はどのように追悼すべきか?(長野県中川村の場合)」をご参照ください。
 
(付記3) 
 「傷痍軍人」やその家族がたどらねばならなかった苦難の歴史は決して忘れてはなりませんが、「現代の戦争」において傷つき犠牲になるのは、「軍人」だけではなく、というよりは、まず第一次的には、普通の生活を送っている一般市民、しかも弱い立場の女性や子どもであることはしっかりと認識すべきです。
 そもそも、現代の戦争で「宣戦布告」が行われ、正規軍と正規軍が、民間人のいない戦場を設定し、陸海で大会戦を行うというようなシチュエーションはあり得ないでしょう。これは、1世紀以上前の日露戦争の頃の話です。
 国境での偶発的な武力衝突が拡大してしまえば、次は私たちの生活の場が「戦場」になるのだということを、対中国強硬論に同調する「善良な普通の日本人」の内、どれだけの人が本当に覚悟しているのか、はなはだ疑問です。
 「現代の戦場」の実相は、勇気あるフリージャーナリストの活動をフォローすることによって、ある程度「想像」することができます。そのようなサイトの一つとして、西谷文和さんが、イラクアフガニスタン、シリアなどの「戦場」から送ってくださったレポートが集積されている「イラクの子どもを救う会ブログ」アーカイブに是非注目いただきたいと思います。

(追記 2014年1月29日)
 2月1日放送予定であった『解散・日本傷痍(い)軍人会~戦傷病者の長い戦後~』は、「引き続き取材を続け」るとの理由から、3月15日放送に変更となりました。
 変更後の放送日程は以下のとおりです。
 
NHK 教育TV(Eテレ
【本放送】2014年3月15日(土)午後11時00分
【再放送】2014年3月22日(土)午前0時45分~ (金曜日深夜)
ETV特集 戦傷病者の長い戦後
 
 これを機に、メルマガ(ブログ)で「ETV特集が心配だ(付・特別サイト『わたちたちは忘れない ビキニ被ばく60年』のご紹介)」という記事を書きました。