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もう一度インドにおける女性に対する暴力を考える

 今晩(2014年1月28日)配信した「メルマガ金原No.1620」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
もう一度インドにおける女性に対する暴力を考える
 
 昨年(2013年)1月10日にメルマガ金原No.1228として配信した「インドにおける女性に対する暴力を考える」を再配信します。
 再配信しようと考えたのは、以下のような悲しい外信に接したからです。
 
2014年01月23日 18:10 AFP 発信地:コルカタ/インド
恋人と密会した女性に「集団レイプの刑」、インド村議会
(抜粋引用開始)
 警察によると、事件が起きたのは西ベンガル州の州都コルカタ(Kolkata)から約240キロ西方にあるスバルプル(Subalpur)村。被害者の女性(20)は20日、別の村の出身の恋人と一緒にいるところを村人に発見され、村議会議長が翌21日に緊急集会を招集した。
 村内の広場に呼び出された女性と恋人は別々の木に縛り付けられ、関係を持った
罰として、それぞれ2万5000ルピー(約4万円)の罰金を命じられた。恋人の男性は1週間以内に罰金を支払うことを約束して釈放されたが、女性の方は集会に出席していた両親が、罰金が高すぎて支払えないと表明した。
 すると村議会議長は、女性は罰として村人たちにレイプされなければならないと命
じたという。
 警察は女性に暴行を働いたとして、男12人を逮捕した。女性は病院で治療を受
けているという。(c)AFP
(引用終わり)
 
 1年前、ニューデリーのバスの中で起きた集団強姦事件の被害者が、治療の甲斐なくシンガポールの病院で死亡したとのニュースに衝撃を受け、メルマガで取り上げるために情報検索を行い、ヒューマンライツナウ事務局長の伊藤和子弁護士のブログをご紹介したものでしたが、今回もまた、伊藤弁護士のブログをお読みいただくことなるとは・・・。この文章を書かねばならなかった伊藤さんの「無念」の思いを受け止めながら、ご一読をお願いします。
 
人権は国境を越えて 弁護士伊藤和子のダイアリー 2014年1月27日
インドを揺るがすレイプ事件から一年余、被害があとをたたない。
(抜粋引用開始)
 一昨年12月にインドを揺るがすレイプ事件が発生してから、一年余が経過した。
 しかし、女性達を取り巻く状況は変化したのだろうか。レイプ被害は減り、女性達
が安心して生活できるようになったのだろうか。
 現状はとても厳しい。
(略/上記西ベンガル事件の紹介)
 驚くべきことであるが、残念ながら、インドの伝統的な村ではこうした慣習が続いている村も少なくない。
(略)
 ターゲットとなるのは、村の女性だけでなく、村に新しい価値観を持ち込もうとする女性。
 インドに広がる幼児婚をなくすため、女性のソーシャル・ワーカーや活動家たちが、
コミュニティで様々な運動をしてきたが、そのような行為が村の秩序を乱すとして、制裁されたケースも少なくない。
 1992年に、20歳のソーシャルワーカーが幼児婚をやめさせるためのキャンペーン活
動をしたことが村人の逆鱗にふれ、彼女を集団レイプする事件が発生(Vishakha事件と呼ばれる)。
(略)
 振り返って、2012年12月に起きた事件に戻ろう。昨年9月、成人の被告4人全員に対し、死刑判決が出された。
 この事件では被害者家族が厳罰を求め、世論もこれに呼応して、正義の実現
を司法に求めた。
 女性に対する残虐なレイプ事件が放置され、不処罰のまま被害者が泣き寝入
りし続けてきたインドにおいて、世論の厳しい監視のなかで、常にはてしない長時間をかけてきたレイプ裁判で、早期の審理により有罪判決が出たこと、刑事責任が重いと判断されたこと自体は、確かに評価できるかもしれない。
 しかし、4人全員死刑が本当に正しい結論なのか。正義は実現したのだろうか。
 死刑が滅多に執行されない国であったインドで、今回の事態を受けて雪崩を打
って死刑判決が増え、そして死刑執行が増えていくのではないかと人権団体は懸念している。
 その一方、この事件の熱狂が過ぎ去ったあと、女性を取り巻く実態は一向に変
わらない、ということになりかねない。
 過熱化した世論のもと、この事件の加害者がスケープゴート的に死刑判決を受
けただけ、また刑罰の厳罰化が進んだだけであり、過熱した人々の感情をそれによって沈静化・満足させることはできても、肝心の再発防止の対策は全く不十分、ということになりかねない。
 不処罰の克服、という点でインドは確かに1年前より前進したといえるし、女性達に勇気を与えている。
 しかし、短絡的に厳罰化・死刑を導入すれば、女性に対する暴力を根絶できる、
というものではない。
 被害者が安心して、生存したまま被害を訴えることのできる制度的確保や、レイ
プを根絶するために、地方のコミュニティの意識改革も含めた抜本的な政策の実施という点では、政府が十分な対策を、強い政治的意思で取り組んできたとはいえない。
 特に伝統社会のジェンダー規範や、懲罰としての集団レイプという風習は、どうし
ても避けては通れない、取り組まなければならない問題である。
 不処罰を克服する過程で明るみに出てきた、女性に対する暴力の根本原因を
なくすために、コミュニティの女性たち、ソーシャルワーカーNGOで働く女性たちからじっくり話をきき、地域の実情を把握して、きめ細かい政策をつくりあげ、実施していく。
 そのための、インド政府・地方政府・市民社会の政治的意思の発揮が待たれる。
(引用終わり)
 

(以下は、2013年1月10日に配信したメルマガ金原No.1228を再配信するものです)
 
 インドにおける女性に対する暴力を考える
 メルマガ金原No.1228をお届けします(2013年1月10日現在の読者数225名)。
 
 私は、2012年度前期、放送大学教養学部の学生(全科履修生)として、「現南アジアの政治」という科目を履修しました。
 同じ「アジア」とはいうものの、東アジア諸国に比べ、あまりにも知識が無さ過ぎるいう自覚のあった「南アジア」について、少しでも認識を深められればと考えて受講したものであり、それなりの意義はあったと思いますが、科目名にある通り、政の側面から見た南アジアについての概説であり、宗教や社会生活上の問題なについては、また別に勉強しなければならないと思ったものです(思っただけで実践できていませんが)。
 
 南アジアの地域的特性としてまず第一に挙げられるのは、域内にける「インド」ガリバーぶりであり、中国、ロシア、ブラジルなどとともに、新興工業国の先頭を巨像に例えられるインドは、その目覚ましい経済発展に注目が集まりがちです。
 
 ところが、昨年末そのインドから、大勢の群衆によるデモの映像とともに以下のような悲しいニュースがもたらされました。
 
CNN.co.jp 2012.12.29 Sat posted at 09:26
インド集団強姦事件、被害者女性が病院で死亡
(抜粋引用開始)
 インドの首都ニューデリーで起きた集団暴行事件で重体となり、シンガポール
治療を受けていた被害者の女性(23)が29日未明、死亡した。
 担当医によると、女性は事件で体や頭部に重傷を負い、臓器不全を起こしていた。27日にインドからシンガポールの病院へ移った後も重篤な症状が続き、28日にはさらに容体悪化が伝えられていた。家族やインド当局者らが見守る中、静かに息を引き取ったという。担当医は「彼女は勇敢に闘ったが、体に負った傷が非常に重く、克服することができなかった」と述べた。
 女性の名前は公表されていない。インド政府の対応に抗議する活動家らの間では、ヒンディー語で稲妻を意味する「ダミニ」と呼ばれていた。1993年のインド映画で、家政婦への性的暴行を扱った同名の作品もある。
 事件は今月16日、走行中のバスの中で発生した。犯行グループは女性と同行していた男性を襲って持ち物を奪い、2人を車外へ放り出した。これまでにバス運転手や未成年者を含む6人が拘束されている。男性も病院に収容されたがすでに退院した。
 ニューデリーではこの事件をきっかけに、強姦事件への警察や政府の対応が不十分だとする大規模な抗議デモが展開されている。
(引用終わり)
 
 この悲惨な集団強姦事件が、残念ながら、決して特異な例外的事件でないことは、これまでも多くの団体や個人が発表した、インドにおける女性の人権状況に関する報告を読めば明らかなことなのだろうと思います。
 
 この事件について、ヒューマンライツ・ナウの事務局長である伊藤和子弁護が「なぜ悲劇が後をたたないのか」という文章をブログに掲載されています。
 以下にご紹介する報告書(2009年)取りまとめの中心を担った伊藤弁護士この事件をどう見ているか、抜粋してご紹介します。
 
人権は国境を越えて-弁護士伊藤和子のダイアリー
インドを揺るがすレイプ殺害 なぜ悲劇が後をたたないのか

(抜粋引用開始)
 残虐極まりないレイプ殺人事件がインドを揺るがしている。
 昨年12月、23歳のインドの女子学生がバスのなかで、酒に酔った6人の同
者から次々と集団レイプされ暴行を受けて、その後死亡した。
 犯罪者たちは、鉄パイプで彼女を殴り、鉄の棒を用いて性的な暴行をした
だという。この過酷な性的暴行により彼女は腸管を損傷、臓器不全に陥ったという。バスから裸同然で車外に放り出された後も、しばらくは警官や通行人も彼女を助けようとしなかったという。
 彼女はその後、病院で手当てを受けたが、手術の甲斐なく入院先のシンガールで死亡した。
 インド全土で抗議デモが広がり、規模を広げ、激しさを増しており、インドは
然としている。
 あまりにも残虐なレイプで怒りを禁じえない。
 しかし、現実には、こうした残逆な女性に対する暴力は、インドにおいては
後をたたない。そのことを人々は再認識したのだ。
(金原注:以下、インドに特有の女性に対する暴力の説明が続きますが、これについては後に引用する「報告書」をお読みください)
 NGOヒューマンライツ・ナウでは、2009年に調査報告書を公表しているが、イドにおける女性に対する暴力の残虐性は、日本人にとって想像を絶する過酷さであり、調査時には「どうしてそこまで」と絶句したものだ。
 その原因はなんであろうか。
 暴力の残虐性や、女性に対する差別意識の根深い浸透など、長年の慣習・気質については理解しがたく思うことがある。
 その一方、よくわかる背景もある。
 ひとつには不処罰の横行がある。女性がいかに残虐に虐待され、結果としてに至ったとしても、暴力をふるった者が有罪判決を受けることは本当にまれである。
 捜査機関は、女性が殺されたとしても深刻に受け止めることなく、きちんとした
証拠収集も行わず、多くの場合立件すらしない。証拠が保全されないため、また、裁判所が女性に対する暴力を軽視しているため、多くのケースが極めて不合理なかたちで無罪となる。
 そしてそもそも、インドでは慢性的に刑事裁判が滞留しているため、一つの有罪判決を勝ち取るために7年、10年とかかるのが通常である。
 遺族の多くは、有罪判決を待ち続けるよりも前に、司法制度に絶望し、わず
かな金で示談して事件を終結させてしまう。
(略)
 しかし、必要なのはもっと基礎的なことだ。女性に対する暴力被害が全く救済されず、加害が放置され、横行している状況をきちんとやめさせることだと思う。
 警察や公務員が女性を性犯罪から守る責務をきちんと果たすこと、女性を守るための適切な警察官等公務員の人員配置を行うこと、性犯罪被害に関するきちんとした捜査と証拠保全を行い、早期に判決を出すこと、裁判官や司法関係者の性的偏見をなくすためのトレーニング・教育を徹底することである。
 子どもたちに対する教育も徹底する必要がある。
 インドには活発な女性運動があり、NGOがある。
 NGOによるトレーニングや女性を守る警察官の創設など、一部のグッド・プラク
ティスはこれまでもインドのあちこちであったけれど、政府や司法には解決のための政治的意思が見られず、一部の先進的な取り組みでは焼け石に水、全体にひろがっていない。
 インドは法改正が得意な国であり、問題が起きるたびにエリートによる審議会
がつくられ、法改正をしてきたが、現実には、いかに素晴らしい法律も絵に描いた餅に終わり、明確なレイプ事件でも犯人を無罪放免にしてしまう実態に堕するということを繰り返してきた。
(略)
 問題は法律を実行する執行体制、性犯罪の被害者のための保護と予防の体制の構築であり、公務員の意識の抜本的転換、捜査機関・司法の機構改革であり、そのための政府の強い政治的意思なくして解決はないだろう。
 サティや残虐なダウリー殺人があかるみになるたびに、インドでは、全土で抗議運動が展開された。
 今回、かつてない規模に広がった抗議運動は今度こそ、インドの現実を変え
ることができるか、注目していきたい。
(引用終わり)
 
 私を含め、多くの日本人は、政治だけではなく、宗教、文化、そして人権状況など、南アジアやインドをめぐる様々な問題について、あまりにも知らなさ過ぎると実感せざるを得ません。
 以下に、インドにおける女性に対する暴力についての、
ヒューマンライツ・ナウによる調査報告書
○パメラ・シングラ氏(デリー大学准教授)による論文
の2点をご紹介しておきます。
 これらの報告を手掛かりに、インドにおける女性の人権状況を学ぶことは、翻って我が国における人権状況を考える「鏡」にもなり得ることだと思います。
 
特定非営利活動法人ヒューマンライツ・ナウ
「尊厳ある女性たちの生を求めて~インド・女性に対する暴力に関する調
報告書~」(2009年5月)
(目次)
Ⅰ 序文
Ⅱ インドにおける女性に対する暴力および人権侵害の概観
Ⅲ インド概観
Ⅳ インドにおける女性に対する暴力に関する~実態と法制度の変遷~
Ⅴ DV の実情と、DV 法の施行状況
Ⅵ 政府、NGO、国際機関の取り組み
Ⅶ ラージスターン州における暴力の実情と根絶の取り組み
Ⅷ インド政府の国際法上の義務
Ⅸ CEDAW の最終所見及び勧告
Ⅹ 政策提言とまとめ
AnnexⅠ DV に関する実態調査データ
AnnexⅡ 調査団が聞き取りを行ったDV、幼児婚の実態
AnnexⅢ DV 法和全文訳
(序文より抜粋)
 特定非営利活動法人ヒューマンライツ・ナウの「女性に対する暴力プロジェクト」が、2008 年9 月15 日より22 日まで、インドにおいて、女性に対する暴力に関する調査を行った。同プロジェクトの目的は、アジア地域における女性に対する暴力を根絶するため、アジア各地域で暴力と戦うNGO、女性団体とネットワークを築き、現地NGO女性団体と連携した事実調査・政策提言を行うことを通じて現状の改善をひとつひとつ図っていくことである。アジア地域の多くの国々において、日本は主要援助国でありながら、女性に対する暴力を根絶するための開発援助プランは皆無に等しいことから、こうした援助政策の転換を求めていくことも重要である。
 今回の調査では、女性に対する暴力が深刻であると報告されているインドを対
地域とした。インドにおける女性に対する暴力は、後に詳述するとおり、家庭暴力(Domestic Violence、以下DV)、ダウリーに関連する暴力、サティー(寡婦殉死)、硫酸による攻撃、魔女狩り、幼児婚に伴う暴力、レイプなど、極めて重大であり、深刻である。
 このうち、今回は、DV に焦点を当てて調査を行った。インドでは、多くの女性
ちが夫や夫の家族によって殺害されておりDV は極めて深刻な状況にあり、こうした認識のもと、NGO はDV を禁止する法律の制定を求め、長年にわたってを重ねてきた。その結果、2005 年にはDVから女性を保護する法律 (Protection on the Women from Domestic Violence Act 2005、以下DV 法ともいう)が制定されたが、その後の実情は、DV 法の施行が極めて不十分な段階にとどまっていることを示唆している。
 そこで、今回の調査は、DVの実態調査とともに、DV防止法が現実に機能して
いるのか、現実に機能していないとすれば、その原因は何であり、どのような解決策がとられるべきかを確認することを主な目的とした。
(インドにおける女性に対する暴力および人権侵害の概観より抜粋)
1. 暴力・人権侵害の形態
 インドにおいて、女性に対する暴力は、様々な形で出現している。配偶者によ
る暴力、職場におけるセクハラ、レイプといった世界共通の現象のほかに、日本おいては耳慣れない現象として、サティー(sati/sutee)、ダウリー死(dowry death)、女児殺し(female infanticide)、硫酸による攻撃(acid attack)、魔女狩り(witch hunting)等が挙げられる。また、それ自体が暴力ではないが、暴力の要因であり、かつ女性の権利と発展を阻害する現象として幼児婚(child marriage)、パルダー(purdah/parda)、寡婦の再婚禁忌の慣習がある。
・ダウリー死:ダウリーとは花嫁が結婚時において持参する財産をいう。ダウリーの
授受はダウリー禁止法(Dowry Prohibition Act, 1961)で禁止されているが、実際実効性がない法律であると言われている。嫁ぎ先で、このダウリーの額に不満がある場合、花嫁を虐待するケースがあり、酷い場合には、灯油をかけて焼き殺すという、ダウリーに関連した殺人まで起きている。ダウリーが原因による虐待があまりにひどいため、自殺に至るケースも多い。
 上記の殺人も、自殺に見せかけていることも多いため、実際に殺人であっても自
殺として処理されるケースも多い。
・サティー:サティーとは夫が妻より先に亡くなった場合、夫が荼毘に付される時に
妻も同時に焼かれるというヒンドゥー教の慣行である。サティーはイギリス植民地支配下である1892年から禁止されている。1987年には、ラージャスターン州において、Roop Kanwar という18 才の寡婦が夫の葬儀で一緒に焼かれた事件が起き、こ事件をきっかけに再びサティー禁止法が制定された。サティーにより焼かれた寡婦やその家族にとっては、殺されたのも同然であるが、サティーにより殉死した寡婦は、域社会によってその勇気を称えられ、名誉なことと受け止められるという実情がある。
・女児殺し:2001年の国勢調査によると、インドにおける0歳から6歳までの女児
比率は男児1000人に対し927人の割合である。1961年には、男児1000人に対し女児976人であったのに比べ、明らかに女児の出生率あるいは乳幼児生存率が低下していることを示している。インドでは伝統的に男児が好まれる傾向に加え、ダウリーの慣習により、女児は親にとって経済的負担となることなどの理由から、生前及び生後に肉親が女児の命を絶つことが少なくない。最近は、本来、胎児の病気の診断等を目的とする出生前診断が堕胎目的の胎児の性別判断に悪用され、女児であれば胎児のうちに堕胎する現象がひろがっている。
・硫酸攻撃:男性の意に沿わない行動をとった女性に対し、戒めの意味を込め
硫酸をかけるという暴力である。DVにも、交際中の男女間でも、また交際中でないケースでも広く行われている。硫酸は、女性の顔にかけられることが多く、女性の象徴とされている部分に損傷をあたえることにより、女性の尊厳を踏みにじろうとする意図がある。女性の顔と皮膚が原形をとどめないほど破壊されてしまうため、その被害は甚大である。
・魔女狩り:魔女狩りとは、村落において女性が魔女の烙印を押されて殺された
り、自殺に追い込まれたり、村から追放されるといった現象を指す。魔女とされる女性たちは、子どもがなく、寡婦でありながら積極的に活動していたり、一般的に女性に課された規範に沿わない女性たちである。特に部族コミュニティにおいて多く発生している。加害者は婚家の家族である場合が多く、結果として、魔女とされた女性たちが所有している土地などの財産を手に入れる。
・幼児婚:ヒンドゥー教では、カースト内婚が義務であり、しかるべき相手と子どもを結婚させることが父親の宗教的義務とみなされていた。そのため、限定された集団内で様々な条件の折り合う結婚相手を探すことはしばしば困難であり、10 歳前後での婚姻が行われていた。イギリス植民地政府によって1929年に法律によて禁止されるが、現在も広く行われている。現在では、人生の早い時期に結婚生活に入ることによって、以下のように女性の生涯にわたっての福利厚生を阻害する様々な弊害が問題として指摘されている。女児は教育の機会が奪われ、教育を受けず権利意識の乏しい妻はDV などの暴力に対して抗するすべを持たない。また未熟な母親が子どもを産むために、不健康な子どもが生まれ、知識に乏しい母親によって身体的に虚弱な子どもが育ち、さらにその子が幼児婚を繰り返すという負の連鎖の要因となっている。
・パルダー:語義的には、ペルシア語のカーテンの意味であるが、南アジア全域で
実践されている女性隔離の慣習を示す。空間的に女性を隔離することと、家の外では身体を布で覆うこと、さらに、婚家内で特定の相手や見知らぬ男性に対して顔を覆い声を発っさないなどが特徴的である。インドではムスリム女性だけではなく、主に北インドや東インドのヒンドゥー教徒の高位カースト女性に多く見られる行動であった。同時に、下位カースト女性も自らの家族やコミュニティの社会的地位の上昇を意図して、高位カースト女性の慣習を模するという意味合いでパルダーをすることもある。文化や伝統の名の下に実践されているこのパルダーの慣習は、現代では、公的空間から女性を阻害し、男性への依存と従属を強化するといえるだろう。
寡婦の再婚禁忌:19世紀のヒンドゥー社会において、寡婦の再婚禁忌はバラ
モンなどの高カースト間の規範であった。ヒンドゥー教のもとでは女性は生涯一人の男性に仕えることが求められ、「多くの場合、周囲の人々に生活の糧を依存せざるをえない経済的な状況に置かれていたがゆえに、寡婦は社会的弱者として、苛酷な差別的処遇を受ける存在であり、不浄・不吉という宗教的な負の表象性を担わされた存在であった」。また、下位カーストにおいても、パルダー同様、社会的地位の上昇を求め寡婦の再婚を禁止することもあった。また、本来離婚や再婚を禁止していないムスリムの場合も、特に上層ムスリムは、高カースト的な離婚・再婚への禁忌を共有していた。法的規制としては、イギリス植民地支配下である1856年にヒンドゥー寡婦再婚法が制定されている。
 
国立女性教育会館研究ジャーナル」第14号(2010年3月)所載
パメラ・シングラ(Pamela Singla)デリー大学准教授 著
「インドにおける女性の権利とジェンダーに基づく暴力」
(要旨)
 人間開発の問題に深く関わるジェンダー不平等は、多くの形態で現れる。女性に対する暴力は、ジェンダー不平等の具体的な形態の1つである。女性の権利の侵害、特に女性に対する暴力への世界的懸念が女性差別撤廃条約制定に道を開き、同条約はインドを含めた加盟国により批准されている。しかしながら、インドには非常に女性擁護色の強い憲法や女性を優遇するさまざまな法律が存在するのにもかかわらず、女性の権利の侵害が続いていることは、既存の法律と政府プログラムを実施するための強力な実施機構の必要性を物語っている。デリー警察により導入されたパリヴァルタン(Parivartan)プログラムは、女性に対する暴力と闘うことを目的とするイニシアティブの一例である。2005年に導入されたこのプログラムは、人々の考え方を変え、女性が自分で自分の身を守ることができるようにすることを目指している。ソーシャルワーク専門家は、このプログラムに不可欠で、彼らは自らの知識ベースを駆使してプログラムの基盤強化を試みている。そうするなかで浮上した多くの問題と、彼らが直面した多数の課題を本稿のなかで読者に
紹介する。また本稿では、インドにおける女性の権利およびジェンダーに基づく暴力の本質について論考し、コミュニティ参加促進型の暴力防止モデルを紹介する。
  

 (付録)

『UNITED(ユナイテッド)』 ユース・フォー・ヒューマンライツ ジャパン