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集団的自衛権-彼らは何がしたいのか?私たちは何をしなければならないのか?

 本日(2014年5月18日)配信した「メルマガ金原No.1730」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
集団的自衛権-彼らは何がしたいのか?私たちは何をしなければならないのか?

 一昨日(5月16日)午後10時から放映されたNHKスペシャル集団的自衛権を問う」
は、以下の方々が出演されました。
  礒崎陽輔氏(首相補佐官
  北岡伸一氏(安保法制懇座長代理、国際大学学長)
  柳澤協二氏(元内閣官房副長官補、国際地政学研究所理事長)
  中野晃一氏(上智大学教授)
 前二者が憲法解釈変更推進派、後二者が反対派(慎重派)ということでしょう。
 私も録画をざっと視聴しただけですので、その議論を子細に分析することはできませんが、
おおざっぱな印象としては、この問題(安保法制懇の「報告書」や安倍首相の「基本的方向性」)について、賛否両論の立場からのかみ合った議論など本当に可能なのだろうか?と思わざるを得ませんでした。
 推進派から別の人が出ていればまた違った印象になったのかもしれませんが、この2人、特
礒崎陽輔氏にディベートするような意思も能力もあるようには見えません。何しろ、「立憲主義」など聞いたことがないと広言して恥じない人ですからね(参照「『立憲主義』を聴いたことがないという参議院憲法審査会委員」)。
 
 さて、そのNHKスペシャルでも最も筋の通った議論を展開していた柳澤協二さんが、昨日(5月17日)午後1時半から、和歌山市で講演をされました(主催:憲法九条を守るわかやま県民の会)。
 冒頭、柳澤さんから、和歌山県に初めて足を踏み入れたというお話があり、そういえば最
同じような話を聞いたことがあったなと思い出したのは、4月25日に青法協和歌山支部の招きによって和歌山市で講演された半田滋さん(東京新聞論説兼編集委員)からも、「和歌山に来たのは初めて」という話を伺ったからでした。大阪に隣接していても、和歌山に足を伸ばす用事って何にもなかったのでしょうね(小さなお子さんがいる人になら、日本で一番たくさんパンダが住んでいる県というアピールポイントがあるけれど)。

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 柳澤さんの講演内容は、常々 YouTubeUSTREAM で拝聴してきたとおり、地に足を付けて現実に立脚した明快かつ論理的なもので、聴衆にとっても非常に分かりやすく、感銘深く聴講できたのではないかと思います。
 私の手控えノートから一例をご紹介しましょう(あくまで私の理解に基づく再現ですから、柳
澤さんの真意に沿わない可能性があることはご了解ください)。
 
 安倍首相が言う「必要最小限度の武力の行使であれば限定的な集団的自衛権の行使は許される」という主張についての柳澤さんの批判
「目的のない『必要最小限度』などというものはない。子どもが親に小遣いをねだる場合でも、鉛筆(ではなかったかも?)を買うために必要な最小限度の金額と、ゲームソフトを買うために必要な最小限度の金額は全然違う。従来言われてきた『必要最小限度』というのは、我が国が急迫不正の侵害を受けた場合に、これを排除するために『必要な最小限度』の実力行使でなければならず、自衛隊も、そのような目的を達成するために『必要な最小限度』の実力でなければならないとされてきたのであって、自ずからその目的との関係で『必要最小限度』が何であるかは明確であった。ところが、集団的自衛権では、我が国は侵害を受けていないのであるから、いったいどういう目的を達成するための『必要最小限度』なのかがさっぱり分からない」
 
 さて、今日のメルマガ(ブログ)のタイトルにしたうちの前者「彼らは何がしたいのか?」については、柳澤さんの近著『亡国の安保政策-安倍政権と「積極的平和主義」の罠-』(岩波書店)の「1 安倍政権は、何をしたいのか」から、私が思わずうなずいた箇所を引用(14・15頁)するのが、最も理解しやすいと思います(講演の中でも言及されました)。  
亡国の安保政策――安倍政権と「積極的平和主義」の罠

亡国の安保政策――安倍政権と「積極的平和主義」の罠

 

 (引用開始)

 そこで、「安倍首相は何をしたいのか」という質問に戻れば、「やり残したことがある」から、首相になった安倍氏が「そうしたいから、する」という以外に、論理的整合性がとれる答えはない。それを「国際情勢の変化」によって説明しようとするから様々な矛盾が生じ、安倍政権の安保政策に抽象性・非論理性、あるいはもっと直截に言えば、一種の胡散臭さがつきまとう。
 そこで、次の問題は、安倍首相が「そうしたい」と思う理由は何か、ということになる。
 安倍首相は、2004年に出版された『この国を守る決意』(扶桑社)の中で岡崎久彦氏(元
駐タイ大使)と対談し、「自分の祖父・岸信介は、日米安保条約の双務性を高めるために60年安保改定を行った。それは、祖父の時代のぎりぎりの努力の結果」であるとした上で、次のように述べている。
 「我々の世代には新たな責任がある。それは、日米安保条約を堂々たる双務性にしていくこ
とだ」
 「今の憲法解釈のもとでは、日本の自衛隊はアメリカが攻撃されたときに血を流すことはない。
そういう事態の可能性は極めて小さいが、それでは完全なイコールパートナーとは言えない」
 言い換えれば、アメリカと「血を流す」ことにおいて対等な「血の同盟」の構築であり、それによ
って、アメリカにも言いたいことが言える関係になる、ということである。それ自体、極めて抽象的であり、軍事的には非現実的だが、少なくとも、日本の安全や世界の平和といった政策目的とは別の論理から出てきた発想であることが分かる。
 血を流すということは、自衛隊員の命が失われることを意味している。私は、自らの生命の危
険に身をさらすことのない立場の人間が、日本人である自衛隊員の命にかかわることを軽々に口にすることに怒りを禁じえない。
(引用終わり)
 
 昨日の柳澤さんのお話では、『この国を守る決意』は、それまで読む気にもならなかったので買っていなかったけれど、今度の本(『亡国の安保政策』)を書くために「1円+送料」でネット注文して入手したということでしたが、引用部分末尾の「怒りを禁じえない」というのは掛け値なしの正直な柳澤さんの思いなのだろうと推測します。
 国際地政学研究所という、れっきとした(?)防衛省系列のNPO法人の理事長でありな
ら、政権批判を繰り返すについては相当の覚悟があってのことだろうと前々から思っていまし(参照「柳澤協二さんの覚悟~1/10名護市でのシンポにて(辺野古をめぐる言葉に耳をまそう 3)」)。
 『亡国の安保政策』の帯には「日本にとって最大の“脅威”は安倍政権だ」とまで書かれていますものね。
 そして、その覚悟を支えている様々な思いのうちの最も重要なものの一つが、大事な自衛隊員の命を「軽々に口にする」政治家に対する「許せない」という怒りであることは間違いないことだろうと思います。
 
 元防衛官僚の中で、柳澤さんのような人はたしかに例外中の例外かもしれません。けれども、口にこそ出さない(出せない)ものの、「柳澤さん、頑張ってください」と心からの声援を送自衛隊員やその家族は決して少なくないはずだと信じます。
 以前にも、私の母方の血縁の叔父2人まで元自衛隊員であったということを書いたことが
ありましたが、表向きには「任務だから、命令されればそれに従うだけ」と答えても、内心では安倍政権のやり方を「許せない」と考えている自衛隊員・家族は少なくない、それどころか「サイレント・マジョリティ」なのではないかと私は思います(私が自衛隊員やその家族であれば当
然そう考えますもの)。
 5月15日の記者会見を見ても、論理ではなく情緒で押し通そうとする安倍首相に対し、論理的反駁を行うことも大変重要ですが、それだけでは十分ではありません。
 私たちにも、多くの国民の「感情」に訴える言葉が是非とも必要だと思います。それを考え
るための重要な示唆が、柳澤さんの著書から得られると思い、ご紹介しました。
 

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 さて、メルマガ(ブログ)のタイトルの後者「私たちは何をしなければならないのか?」です。
 実は、昨日の柳澤さんの講演会には、予備椅子を大量に出さなければならないほど多く
の聴衆が押しかける盛況となりました。講演前の「連帯挨拶」を依頼された私が冒頭で述懐したとおり、この会場(和歌山県勤労福祉会館プラザホープ 4階ホール)で開催された憲法関係の行事で、これほど多くの聴衆が詰めかけたのは、2007年6月に行われた品川
正治(しながわ・まさじ)さんの講演会(主催:九条の会・わかやま、憲法9条を守る和歌山弁護士の会)以来のことでしょう(参照「品川正治さんを悼む(再掲「品川正治さんから力を貰おう!」)」)
 http://blog.livedoor.jp/wakaben6888/archives/31664310.html
 もちろん、2日前(5月15日)の安保法制懇による「報告書」提出と安倍首相の記者会
見をうけて、誰にとっても「戦争の足音」が現実のものとして聞こえてきたからこその「盛況」なのでしょうから、決して喜ばしいと諸手をあげて歓迎する訳にもいきませんが、これから「私たちは何をしなければならないのか?」を考える上でのスタート地点に多くの人がかけつけたこ
とは、力づけられる事実だと思います。
 
 私が短い「連帯挨拶」でお話したことも、憲法記念日における「HAPPY BIRTHDAY 憲法 in Wakayama」への参加の御礼を除けば、私たちが「しなければならないこと」「しようと思えばできること」の具体的な提案でした。
 一昨日(16日)来、9条ネットわかやまMLには、同じような問題意識の下、次のような具
体的な提案がなされています。
1 少なくとも毎月1回はデモ(昼休みデモ)をやり続けよう。
2 昼休みデモが市内中心部だけでは参加できない者も多いので、たとえば郊外のショッ
ピングモール付近でもやってはどうか。
3 新聞に意見広告を出そう。
4 各地の9条の会だけではなく、様々な団体が、憲法解釈の変更による集団的自衛権
の行使容認を認めないという「声明」を出して首相官邸に送るとともにマスコミにも参考送付する。それも、驚くほど多くの団体から「切れ目なく」送り続けることが重要である。
5 上記の抗議声明とともに、公明党山口那津男代表に「応援のメッセージ」を送ろう。
6 個人でも、名前を出してもかまわないという人は、積極的に意思表示を行おう(個人「声
明」を送付してもよい)。
 ちなみに、4~6は私の提案です。
 
 個人にとっても団体にとっても、力の限界というのは確かにありますから、現実を無視した想論を並べ立てても仕方がないということも事実ですが、しかし、可能な限り私たち国民の力を結集し、出来ることは何でもやるという覚悟が求められていることも間違いありません。
 「私たちは何をしなければならないのか?」ということについて、私が今語れるのはその程
度のことですが、早急に具体的なアイデアを実行に移し、それらの情報を志を同じくする国民が共有していくことが重要であると思います。そのためのツールとして、私のメルマガ(ブログ)も、何ほどかのお役に立つのではないかと考え、「毎日発信(更新)」を続けているのです。
 
 最後に一言付け加えるとすれば、1人1人が自分に出来ることを実行に移すということで言えば、先ほど述べた、「多くの国民の『感情』に訴える言葉」を紡ぎ出すのも、私の仕事の一つかなと思っています。

 


(付録)
『ひとつ』 演奏:なつおmeets南風 作詞作曲:嶋田奈津子
 5月17日の柳澤協二さんの講演に先立ち、ナツオさん(嶋田奈津子さん)が演奏された曲のうち、『ひとつ』をご紹介します。
 YouTube のクレジットには「うにやっ2(ウニャッツ)」とユニット名が表記されていますが、実際に演奏しているのは「なつおmeets南風」(ボーカルがナツオさん)です。
 ちなみに、最近、ナツオさんは、ウクレレ弾き語りによるソロで主に活動されているのですが、昨日(17日)は、いつもお子さん(昨年4月に生まれたとってもリズム感の良い女の子)の面倒を見るために同行してくれる旦那さんが、どうしても行かなければならない所用があったため、添付した写真のとおり、赤ちゃんをおんぶしたママによる演奏という珍しい光景が満員の聴衆の前で展開しました。
 もっとも、子どもさんが泣き出したため(たしかにこの姿勢はしんどそう)、2曲目以降は(子どもさんは会場の女性たちが預かり)ナツオさん1人での演奏になりましたが。
 ナツオさんは、『ひとつ』の次にやはりオリジナル曲の『ちびっとだけ』を演奏し、自分のような若い世代が、自分の子どもやさらにその次の孫の世代のためにも、今頑張らなければという決意を述べてステージを終えました。
 柳澤協二さんは、ナツオさんの演奏の途中で会場入りされたのですが、講演終了後、ナツオさんに、「あの曲(多分『ちびっとだけ』)はご自分で作ったのですか?」と質問されていましたので、講演前に聴かれて感心されたのだと思います。

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