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映画『ひまわり-沖縄は忘れない あの日の空を-』上映会(6/29@和歌山市)のお知らせ

 今晩(2014年5月23日)「メルマガ金原No.1735」として作成した記事を配信します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
映画『ひまわり-沖縄は忘れない あの日の空を-』上映会(6/29@和歌山市)のお知らせ
 
 映画『ひまわり』といえば、1970年のイタリア、フランス、ソ連合作映画(ヴィットリオ・デ・シーカ監督、ソフィア・ローレンマルチェロ・マストロヤンニ主演、ヘンリー・マンシーニ音楽)、戦争によって引き裂かれた夫婦の悲劇を描いたあの名作を思い浮かべる人が多いでしょうね(私もそうでした)。
 
 しかし、今日私がご紹介しようとするのは、2012年に作られた日本映画『ひまわり-沖縄は忘れない あの日の空を-』です。
 まずは予告編をご覧ください。
 
『ひまわり?沖縄は忘れない あの日の空を』予告編
 
 映画公式サイト( http://www.ggvp.net/himawari/ )の「作品紹介」と「宮森事件とは」から、その一部をご紹介します。
 
「作品紹介」
(抜粋引用開始)
あの悲惨な沖縄戦から生き延びた沖縄県民は、今度こそ戦争のない平和な時代をと一生
懸命働いた。その矢先の1959年6月30日、突然、嘉手納基地から飛び立った米軍のジェット戦闘機が石川市(現うるま市)へ墜落し民家を押しつぶしながら、宮森小学校へ炎上しながら激突した。住民6名、学童11名の尊い命を一瞬に奪う大惨事となった。そこはまるで生き地獄の有様だった。沖縄戦で多くの命を失った県民にとって戦後の子ども達は正に沖縄の希望の星であった。遺族をはじめ県民の嘆き悲しみは尽きることはなく52年たった今日まで続いている。この映画はその遺族・被害者たちの証言を元に制作され、今や沖縄だけではない日本人全体が抱える基地・外交問題などに大きな疑問投げかける久々の社会派ド
ラマである。
(引用終わり)
 
「宮森事件とは」
(抜粋引用開始)
1959年6月30日午前10時40分頃、米軍のジェット戦闘機が石川市6区5班・8班に墜
落し、その衝撃で撥ね上がり、付近の家々を引きずるようにしながら北西の方向約150m先の宮森小学校のコンクリート校舎6年3組2階の庇(ひさし)に激突、Z機のエンジンの一部が教室の中に突っ込みました。撥ね上がって激突するまでに、6区5班・8班の家々とすぐ隣の2年生のトタン葺き校舎3教室は撒き散らされた大量のジェット燃料で激しく炎上しました。この事故で18名(内後遺症により1人)の尊い命を奪い、多数の重軽傷者を出し、そして数千人の心に傷を負わした大惨事となりました。
(引用終わり)
 
 主要なスタッフ・キャストは以下のとおりです。
 
【スタッフ】
企画・製作 桂 壮三郎
監督 及川 善弘
原案 「石川・宮森ジェット機墜落事故証言集(石川・宮森630会編)」
脚本 大城 貞俊、山田 耕大
撮影監督 前田 米造(J.S.C)
編集 奥原 好幸
美術 春木 章
音楽 山谷 知明
 
【キャスト】
長塚京三
須賀健太
能年玲奈
福田沙紀
 
 来る6月29日(日)、和歌山県内初上映ではないようですが、おそらく和歌山市初上映と思われる上映会が開かれますので、是非多くの方にご参加いただきたいと思います。
 
開催日程 2014年6月29日(日)
上映時間 第1回上映 10:30~  第2回上映 13:30~
上映会場 男女共生推進センター(あいあいセンター内)6階ホール

        〒640-8226 和歌山市小人町29番地
上映協力券 1,000円(当日1,500円)
主   催 映画「ひまわり」上映実行委員会
お問合せ先 ℡:073-436-3578(和歌山地区労内)     
  
        
 上映協力券は私の手元にもありますので、参加可能な方は是非ご連絡をお願いし
す。
 
 最後に、映画公式サイトからもう1つご紹介したいものがあります。
 事故発生時の宮森小学校校長であった仲嶺盛文氏が犠牲となった子どもたちのため
に述べた「弔辞」です。
 二度とこのような「弔辞」を読まねばならないような事態が起こらぬように、私たちは何を
しなければならないのかということが、今でも突きつけられています。
 
あゝこの悲惨 - あなたたちの冥福を祈ります-
                宮森小学校校長 仲嶺盛文
あゝこの悪惨事
ゆきて帰らぬ子どもたち
あなたたちをなくして私はとても悲しいです
試練の負荷にたえかねて いくたびか
くずれさろうとするのを人々の情けとはげましにささえられてやっとたええています
もう児童は あなたたちはもう永久に帰らない
私は悲しくてたまらないのです
これは一体どうしたということでしょう
これでよいのか 戦争がすんで十五年もなるというのに
基地の島に住むわれわれ民俗の大きな悲劇と思うのです
三十日火曜日の二時間目までこの美しい学園で先生とたのしくまなんだあなたたちは
Z機の爆音と共に 全身火だるまになり先生に助けてと一声のこして
一瞬にしてこの世から消えさっていった
あまりにも悲惨な事ではないか
私はどうしてよいかわからない
けれど、もうどんなにないたってわめいたってあなたたちは帰らない 
あゝ私は勇気を出しておちつきをとりもどし あなたたちのめいふくをいのります
どうかあなたたちも安心していって下さい
天国では神様が愛の心をもってあたたかく迎えて下さいます
どうか いつまでも 学校の守り神となって下さい
そして 世界の平和のもと力になって下さい
私はいつまでもあなたたちのめいふくをいのりつづけます
 
              『琉球新報』 1959年7月2日(木)夕刊