今晩(2014年7月11日)配信した「メルマガ金原No.1783」を転載します。
なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
防衛省・自衛隊サイトで、4日前の7月7日午後3時半ころまで閲覧可能であった「憲法と自衛権」というコーナーが話題を集めていますが、このメルマガ(ブログ)をお読みいただいていた方であれば、「7.1クーデター」前から、私がしばしば「憲法と自衛権」を引用していたことをご記憶でしょう。一例をあげれば、
2014年7月3日
今あらためて考える 自衛隊員の「服務宣誓」
今あらためて考える 自衛隊員の「服務宣誓」
7月3日の時点でまだ「憲法と自衛権」が削除されていないことに気がついた時、私の脳裏に浮かんだのは、「防衛省の中にも良識派はいる。それも、必ずしも少数派とは言い切れない程度の勢力はまだあるのではないか」ということでした。
つまり、「閣議決定」後も「憲法と自衛権」の書き換えをサボタージュすることによって、無言の抵抗を示していたのではないかということです。
もちろん、省内の実情が私などに分かるわけはありません。「考え過ぎ」あるいは「過大評価」かもしれません。
しかし、この「憲法と自衛権」は、私のような普通の市民でも、集団的自衛権についての政府の公権解釈の内容を知りたいと思ってネット検索をかければ、まずまっさきにたどり着くページです。防衛省の官僚が、このページのことを意識していなかった、失念していたなどということは「あり得ない」でしょう。
少し考えれば分かることですが、防衛省・自衛隊の中が、安倍晋三や石破茂に共感する極右主義者ばかりのはずがありません。「専守防衛」を信じて自衛隊に入隊した者、防衛庁(防衛省)に入庁(省)した官僚が大半のはずなのですから。
つまり、「閣議決定」後も「憲法と自衛権」の書き換えをサボタージュすることによって、無言の抵抗を示していたのではないかということです。
もちろん、省内の実情が私などに分かるわけはありません。「考え過ぎ」あるいは「過大評価」かもしれません。
しかし、この「憲法と自衛権」は、私のような普通の市民でも、集団的自衛権についての政府の公権解釈の内容を知りたいと思ってネット検索をかければ、まずまっさきにたどり着くページです。防衛省の官僚が、このページのことを意識していなかった、失念していたなどということは「あり得ない」でしょう。
少し考えれば分かることですが、防衛省・自衛隊の中が、安倍晋三や石破茂に共感する極右主義者ばかりのはずがありません。「専守防衛」を信じて自衛隊に入隊した者、防衛庁(防衛省)に入庁(省)した官僚が大半のはずなのですから。
「声なき柳澤協二」は必ずいます。
問題は、彼らが各個撃破されて逼塞を余儀なくされ、権力者に媚びへつらう者によって防衛省・自衛隊が覆い尽くされない前に、極右勢力から権力を奪取するという展望を持ち得るかどうかということです。
1日も早く「憲法と自衛権」のページが元のとおりに復活する日を目指して、防衛省・自衛隊の良識派にエールを送り続けたいと思います。
問題は、彼らが各個撃破されて逼塞を余儀なくされ、権力者に媚びへつらう者によって防衛省・自衛隊が覆い尽くされない前に、極右勢力から権力を奪取するという展望を持ち得るかどうかということです。
1日も早く「憲法と自衛権」のページが元のとおりに復活する日を目指して、防衛省・自衛隊の良識派にエールを送り続けたいと思います。
上記ブログで注目すべきは、以下の記述でしょう。
(引用開始)
ところで、インターネット上で防衛省が公開する2013年度の『防衛白書』にも、集団的自衛権に対する政府見解を述べた箇所がある。2013年度版『白書』の公開は続いており、HPからは抹消された内容がほぼ同じ文言で残されており、現在でも閲覧が可能である。
その時々の防衛方針を示した公的刊行物である『白書』に対して、後から修正や削除が加えられることは考えにくい。今後も、2013年度版『白書』は、その内容が変更されないまま、インターネット上に残り続けるのだろう。
逆に言えば、2014年度の『白書』に、政府見解の変更が明記されるのは確実だと思われる。2013年度版『白書』は、2014年7月1日に起きたことの重大さを裏づける史料として、後世の歴史家たちに、これからも参照され続けることになるのではないか。
(引用終わり)
逆に言えば、2014年度の『白書』に、政府見解の変更が明記されるのは確実だと思われる。2013年度版『白書』は、2014年7月1日に起きたことの重大さを裏づける史料として、後世の歴史家たちに、これからも参照され続けることになるのではないか。
(引用終わり)
平成25年版防衛白書
2 憲法第9条の趣旨についての政府見解
もう1つのブログはこちらです。
憲法と自衛権
1.憲法と自衛権
わが国は、第二次世界大戦後、再び戦争の惨禍(さんか)を繰り返すことのないよう決意し、平和国家の建設を目指して努力を重ねてきました。恒久(こうきゅう)の平和は、日本国民の念願です。この平和主義の理想を掲げる日本国憲法は、第9条に戦争放棄、戦力不保持及び交戦権の否認に関する規定を置いています。もとより、わが国が独立国である以上、この規定は主権国家としての固有の自衛権を否定するものではありません。
政府は、このようにわが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏付ける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められると解しています。このような考えの下に、わが国は、日本国憲法の下、専守防衛をわが国の防衛の基本的な方針として、実力組織としての自衛隊を保持し、その整備を推進し、運用を図ってきています。
1.憲法と自衛権
わが国は、第二次世界大戦後、再び戦争の惨禍(さんか)を繰り返すことのないよう決意し、平和国家の建設を目指して努力を重ねてきました。恒久(こうきゅう)の平和は、日本国民の念願です。この平和主義の理想を掲げる日本国憲法は、第9条に戦争放棄、戦力不保持及び交戦権の否認に関する規定を置いています。もとより、わが国が独立国である以上、この規定は主権国家としての固有の自衛権を否定するものではありません。
政府は、このようにわが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏付ける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められると解しています。このような考えの下に、わが国は、日本国憲法の下、専守防衛をわが国の防衛の基本的な方針として、実力組織としての自衛隊を保持し、その整備を推進し、運用を図ってきています。
自衛のための必要最小限度の実力の具体的な限度は、その時々の国際情勢、軍事技術の水準その他の諸条件により変わり得る相対的な面を有していますが、憲法第9条第2項で保持が禁止されている「戦力」に当たるか否かは、わが国が保持する全体の実力についての問題です。自衛隊の保有する個々の兵器については、これを保有することにより、わが国の保持する実力の全体がこの限度を超えることとなるか否かによって、その保有の可否が決められます。
しかしながら、個々の兵器のうちでも、性能上専(もっぱ)ら相手国の国土の壊滅的破壊のためにのみ用いられる、いわゆる攻撃的兵器を保有することは、これにより直ちに自衛のための必要最小限度の範囲を超えることとなるため、いかなる場合にも許されません。したがって、例えば、ICBM(Intercontinental Ballistic Missile)(大陸間弾道ミサイル)、長距離戦略爆撃機、あるいは攻撃型空母を自衛隊が保有することは許されないと考えています。
しかしながら、個々の兵器のうちでも、性能上専(もっぱ)ら相手国の国土の壊滅的破壊のためにのみ用いられる、いわゆる攻撃的兵器を保有することは、これにより直ちに自衛のための必要最小限度の範囲を超えることとなるため、いかなる場合にも許されません。したがって、例えば、ICBM(Intercontinental Ballistic Missile)(大陸間弾道ミサイル)、長距離戦略爆撃機、あるいは攻撃型空母を自衛隊が保有することは許されないと考えています。
①わが国に対する急迫不正の侵害があること
②この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと
③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
という三要件に該当する場合に限られると解しています。
②この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと
③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
という三要件に該当する場合に限られると解しています。
(3)自衛権を行使できる地理的範囲
わが国が自衛権の行使としてわが国を防衛するため必要最小限度の実力を行使できる地理的範囲は、必ずしもわが国の領土、領海、領空に限られませんが、それが具体的にどこまで及ぶかは個々の状況に応じて異なるので、一概には言えません。しかしながら、武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣するいわゆる海外派兵は、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであって、憲法上許されないと考えています。
わが国が自衛権の行使としてわが国を防衛するため必要最小限度の実力を行使できる地理的範囲は、必ずしもわが国の領土、領海、領空に限られませんが、それが具体的にどこまで及ぶかは個々の状況に応じて異なるので、一概には言えません。しかしながら、武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣するいわゆる海外派兵は、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであって、憲法上許されないと考えています。
(4)集団的自衛権
国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているとされています。わが国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上当然です。しかしながら、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであり、他国に加えられた武力攻撃を実力をもって阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は、これを超えるものであって、憲法上許されないと考えています。
国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているとされています。わが国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上当然です。しかしながら、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであり、他国に加えられた武力攻撃を実力をもって阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は、これを超えるものであって、憲法上許されないと考えています。
(5)交戦権
憲法第9条第2項では、「国の交戦権は、これを認めない。」と規定していますが、ここでいう交戦権とは、戦いを交える権利という意味ではなく、交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であって、相手国兵力の殺傷及び破壊、相手国の領土の占領などの権能(けんのう)を含むものです。
一方、自衛権の行使に当たっては、わが国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することは当然のことと認められており、その行使は、交戦権の行使とは別のものです。
憲法第9条第2項では、「国の交戦権は、これを認めない。」と規定していますが、ここでいう交戦権とは、戦いを交える権利という意味ではなく、交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であって、相手国兵力の殺傷及び破壊、相手国の領土の占領などの権能(けんのう)を含むものです。
一方、自衛権の行使に当たっては、わが国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することは当然のことと認められており、その行使は、交戦権の行使とは別のものです。
(付録)
『丸々赤ちゃん』