wakaben6888のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

メルマガ2000号到達!ありがとうございます~この500日で振り返る日米関係

 今晩(2015年2月13日)配信した「メルマガ金原No.2000」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
メルマガ2000号到達!ありがとうございます~この500日で振り返る日米関係

 今日配信するこの号が、2011年3月28日に配信を開始した「メルマガ金原」の第2000号となります。
 近年は、よほど特別なことがない限り、1日1便(号)に限定していますので、1500号から2000号に到達するまで500日を要したことになります。
 1500号到達に際しては、こういう記事を書きました。
 
 
 その1500号到達を取材して、朝日新聞和歌山総局の宋潤敏(ソン・ユンミン)記者が書いてくれたのが以下のような記事でした。
 
 
 創刊から約2年半で1500号まで来たのでしたが、その後の500日の間に、日本の状況は劇的に変化したという気がします。もちろん、悪い方にです。
 1500号到達記念号で取り上げた話題は、在韓米軍当局者が、安倍晋三首相が意欲を示す憲法改正に関し「地域にとって有益ではない」と疑問を呈した、というニュースでした。
 私は、「冷厳な『アメリカの国益』という尺度から、安倍政権がアメリカにとって有害であるというシグナルは、ニューヨークタイムズワシントンポストなどの主要メディアから再々発信されていました。もしかすると、そのシグナルが政府・軍の高官から発信されるレベルまで進んだということかもしれません」などと書いていたのですが、今から振り返れば、何という暢気な感想だったことかと思わざるを得ません。
 この時期に近接した米国と日本との関係を振り返れば、以下のような印象的な出来事がありました。
 
2013年10月3日
 日米安全保障協議委員会(2+2)のために来日した米国のジョン・ケリー国務長官チャック・ヘーゲル国防長官の2人が連れ立って千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪れて献花した。
2013年12月26日
 安倍晋三内閣総理大臣靖国神社を参拝し、在日米国大使館及び米国務省報道官が「失望した」とのコメントを発表した。
 
 「靖国問題」に象徴される安倍首相の「歴史認識」が、米国の国益を損なう限り、絶対に容認しないというメッセージが、米国政府から日本政府に送られたであろうということは、以上の経過を見れば誰でも分かることです。
 私が当時十分に理解していなかったのは、米国の国益を損なわない限り、安倍政権がいかに非民主的、強権的行動を日本国内でほしいままにしようが、米国政府が口をさしはさむことはなく(これ自体は当たり前といえば当たり前ですが)、それを日本政府が「米国政府のお墨付きを得た」と理解することも十分承知した上で、事態を見守るのだということについてです。
 その上で、日本政府が米国の国益を損なうような事態を引き起こしかねないと判断した場合には、米国政府は、再び介入することをためらわないだろうということも容易に推測されます。一例を挙げれば、戦後70年を機に今年8月に出されるとされる「安倍談話」には、米国政府としても重大な関心を持っていることでしょう。
 しかしながら、集団的自衛権行使のための新たな法制の整備や辺野古での工事強行など、米国の目先の利益にこそなれ、不利益ではないと判断した問題については、日本政府の好きなようにやらせるということでしょう。
 このような米国政府の政治姿勢は、これまで、アジアでも中南米でも中東でもアフリカでも、世界中至る所でいやというほど見てきた独裁国家、強権国家に対する米国のスタンスそのものであって、少しも目新しい点などないということに気がつきます。
 要するに、米国が南ベトナムニカラグアや帝政イランに対して過去どうのような政策をとってきたかという歴史を学べば、おそらく現在の日本が置かれた状況を考えるために大いに参考になりそうだというあたりをつけてはいるのですが、なかなかまとまった時間がとれないのが残念です。
  
 2014年、安倍政権の方針が明文改憲から解釈改憲に一転したかに見えたのは、以上のような政治的文脈の中に置けば「必然」であると理解していたのですが、昨年末の衆議院解散と総選挙の後、安倍政権が、にわかに来年の参議院選挙後の憲法改正に意欲を示しだしたことの背景がどうなっているのか、ということはまだにわかに判断がつきかねます。
 明文改憲(とりわけ9条の)を米国政府が「容認」するというサインを受け取ったと安倍政権が理解したのか、あるいは今はまだ「観測気球」を上げて米国政府の意向を測ろうとしている段階なのか、ということなのですが。
 自国政府の行動を検討するために、いちいち米国政府の意向を推測しなければならないというのは考えるだけでもうんざりしますが、それがつまり「戦争に負ける」ということではないのか?と、戦争指導者を「昭和殉難者」と讃える人々に言ってやりたいですね。