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全国戦没者追悼式総理大臣「式辞」から安倍談話を読み返す(付・同追悼式での天皇陛下「おことば」について)

 今晩(2015年8月15日)配信した「メルマガ金原No.2183」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
全国戦没者追悼式総理大臣「式辞」から安倍談話を読み返す(付・同追悼式での天皇陛下「おことば」について)

平成27年8月14日 内閣総理大臣談話

 昨日発表された、だらだらと長い安倍談話には色々な読み方が可能でしょう。昨日から今日にかけて、主要紙の社説を含め、様々な意見が発表されており、全く新たな読み方を呈示することなど不可能でしょうから、あえて取り上げる必要もないようなものですが、これまで安倍晋三首相の歴史認識や70年談話について、それなりにフォローし続けてきた私としては、何か一言残しておきたい気持ちもあります。
 
 それは、今日(8月15日)行われた全国戦没者追悼式での内閣総理大臣式辞を読んだ上で、あらためて昨日の安倍談話を読み返すという読み方はどうだろうか?ということです。
 まず、今日の式辞を読んでみましょう。
 
平成27年8月15日 全国戦没者追悼式式辞
(引用開始)
 天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、戦没者の御遺族、各界代表多数の御列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行致します。
 遠い戦場に、斃れられた御霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遥かな異郷に命を落とされた御霊の御前に、政府を代表し、慎んで式辞を申し述べます。
 皆様の子、孫たちは、皆様の祖国を、自由で民主的な国に造り上げ、平和と繁栄を享受しています。それは、皆様の尊い犠牲の上に、その上にのみ、あり得たものだということを、わたくしたちは、片時も忘れません。
 七十年という月日は、短いものではありませんでした。平和を重んじ、戦争を憎んで、堅く身を持してまいりました。戦後間もない頃から、世界をより良い場に変えるため、各国・各地域の繁栄の、せめて一助たらんとして、孜々たる歩みを続けてまいりました。そのことを、皆様は見守ってきて下さったことでしょう。
 同じ道を、歩んでまいります。歴史を直視し、常に謙抑を忘れません。わたくしたちの今日あるは、あまたなる人々の善意のゆえであることに、感謝の念を、日々新たにいたします。
 戦後七十年にあたり、戦争の惨禍を決して繰り返さない、そして、今を生きる世代、明日を生きる世代のために、国の未来を切り拓いていく、そのことをお誓いいたします。
 終わりにいま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様には、末永いご健勝をお祈りし、式辞といたします。
                    平成二十七年八月十五日
                    内閣総理大臣 安倍晋三
(引用終わり)
 
 8月15日に行われる全国戦没者追悼式で内閣総理大臣が述べる式辞において、村山富市首相(1995年)以来、歴代総理大臣(その多くが自民党)が踏襲してきたアジア諸国に対する加害責任に対する反省と不戦の誓いを、2013年以降、安倍首相が語らなくなったこと、また、戦没者の犠牲の上に“平和と繁栄”があると述べながら、“平和と繁栄”をもたらしたものが「国民のたゆまぬ努力」との言及を行わなかったことなどを、歴代首相の式辞を引用しながら跡づけたブログを、私は昨年の8月に書きました。
 
 
 以上2つの文章を書いた上での私の結論を再掲しておきます。
 
① 村山富市首相から数えれば19年にも及んだ歴代首相によるアジア諸国民に対する加害についての反省と哀悼の意の表明を削除した。
② 多くの首相が述べた「不戦の誓い」にも言及しなかった。
③ 戦没者の犠牲の上に“平和と繁栄”があると述べながら、“平和と繁栄”をもたらしたものが「国民のたゆまぬ努力」との言及はなかった。
 以上を踏まえれば、安倍首相は、アジア諸国民に対する加害責任があるとは思っておらず、我が国の“平和と繁栄”をもたらしたのは戦没者らの「犠牲」によるものでり、今後、場合によっては日本が自ら武力行使に及ぶこともあると考えていると解するのがごく素直な解釈というものでしょう(これ以外の解釈の余地ってあるでしょうか?)。
 
 そして1年が経ちました。
 前日に安倍談話を発表した上での全国戦没者追悼式式辞です。
 過去2年間の式辞と何か変わった点があるでしょうか?昨日の談話で「引用」された4つのキーワード(「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「心からのお詫び」)のどれか1つでも、せめて歴代首相が式辞で述べていたアジアへの加害と「深い反省」くらいは、もしかすると復活させるのではないかと思わないでもありませんでしたが、それもありませんでした。
 全く正直というか現金というか、昨日の談話は何だったのか?という式辞です。
 本来は、3年間続けたこの式辞をベースとした安倍談話を出したかったのでしょう。それが諸般の事情(米国に対する配慮が最大のものでしょう)により、昨日実際に発表された鵺(ぬえ)のようなだらだらした文章になってしまったのは、誰にとっても不幸なことでした。
 
 実際、昨日の安倍談話には色々な「読み方」がある、という中には、「無かった」ことにして忘れてしまうという「読み方」もあると思います。案外、安倍首相自身が一番それを望んでいる可能性だってない訳ではないでしょう。
 しかし、鵺(ぬえ)であろうが蝙蝠(こうもり)であろうが、安倍談話が閣議決定の上発表されたという事実を「無かった」ことにする訳にはいきません。
 安倍首相の「真意」は今日の式辞を読めば誰でも分かるでしょう。
 その真意からは出てくるはずのない表現、心にもない表現こそ、多くの日本人にとって忘れてはならない重要な言葉なのだということを(やや逆説めきますが)私の一応の結論にしたいと思います。
 
 なお余談ですが(でもないか?)、昨日の「談話」もそうですが、今日の「式辞」も、安倍首相のスピーチに特有の「方言」が使われており、正直疲れます。人によっては生理的に嫌悪感を抱くでしょう。
 「堅く身を持してまいりました」くらいならまだしも、「一助たらんとして」、「孜々(しし)たる歩み」、「あまたなる人々」に至っては、「勝手に陶酔していろ」と言いたくもなります。
 このような「方言」の典型を読みたいという人には(そんな物好きは少ないとは思いますが)、昨年5月30日の第13回アジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)での基調講演をお勧めします。私もブログで紹介しています(安倍晋三首相の“正気とは思えない”歴史認識と積極的平和主義~第13回アジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)での基調講演から/2014年10月11日)。
 安倍首相の好みを忖度したスピーチライター(谷口智内閣官房参与)の苦心の作なのでしょうか?
 
 さて後半では、大きな話題となっている今日の全国戦没者追悼式における天皇陛下の「おことば」について触れておきます。まずその全文をお読みください。
 
ANNニュースチャンネル
天皇陛下 追悼のおことば 全国戦没者追悼式(15/08/15)
 

全国戦没者追悼式
平成27年8月15日(土)(日本武道館)

(引用開始)
 「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。
 終戦以来既に70年,戦争による荒廃からの復興,発展に向け払われた国民のたゆみない努力と,平和の存続を切望する国民の意識に支えられ,我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という,この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき,感慨は誠に尽きることがありません。
 ここに過去を顧み,さきの大戦に対する深い反省と共に,今後,戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心からなる追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
(引用終わり)
 
 参考のために、昨年の「おことば」も全文引用します。
 
全国戦没者追悼式
平成26年8月15日(金)(日本武道館)

(引用開始)
 本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。
 終戦以来既に69年,国民のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが,苦難に満ちた往時をしのぶとき,感慨は今なお尽きることがありません。
 ここに歴史を顧み,戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
(引用終わり)
 
 過去の「おことば」は、宮内庁ホームページの中の「天皇皇后両陛下のおことばなど」というコーナーに集積されています。
 私は、昨年、平成元年の即位以来の全国戦没者追悼式での「おことば」を全部読んでみました。
 その結果、毎年ほとんど同じ表現の「おことば」であるものの、平成7年(1995年)に初めて「戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い」という憲法前文を踏まえた表現が付け加えられ、その後ずっと継承されているということを知りました。ちなみにこの時の総理大臣は村山富市氏でした。
 今年の「おことば」における「さきの大戦に対する深い反省と共に」という表現の付加は、平成元年(1989年)の即位後、2度目の大きな変更(追加)です。
 さらに細かく言えば、昨年は「国民のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられました」とされていた部分が、「戦争による荒廃からの復興,発展に向け払われた国民のたゆみない努力と,平和の存続を切望する国民の意識に支えられ,我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました」と手厚い表現になっており、とりわけ「平和の存続を切望する国民の意識」が強調されていることを見落とすことはできません。
 これが、天皇陛下ご自身の意向に基づく追加であることは、今年の元旦に公表された年頭所感を再読すれば明らかです。
 
天皇陛下のご感想(新年に当たり) 平成27年
(引用開始)
 昨年は大雪や大雨,さらに御嶽山の噴火による災害で多くの人命が失われ,家族や住む家をなくした人々の気持ちを察しています。
 また,東日本大震災からは4度目の冬になり,放射能汚染により,かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。昨今の状況を思う時,それぞれの地域で人々が防災に関心を寄せ,地域を守っていくことが,いかに重要かということを感じています。
 本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。
 この1年が,我が国の人々,そして世界の人々にとり,幸せな年となることを心より祈ります。

(引用終わり)
 
 日本の大手メディアも、天皇陛下の「おことば」における「深い反省」は伝えていますが、これを安倍首相の「式辞」と対比することはあえて避けようとするでしょう。おそらく皇室と官邸の意見の対立という文脈での報道は、外国メディアから大きく報じられる予感がします。
 そのような事態は、天皇陛下にとっても決して本意ではないでしょうが、それでも言わずにはいられなかったということでしょう。
 
 なお、今日の天皇陛下「おことば」を最も詳細に伝えたメディアは、(私の目に付いた範囲では)東京新聞でしょう。最後に、水谷孝司記者の解説部分を引用します。
 
東京新聞 2015年8月15日 夕刊
天皇陛下「深い反省」初言及 終戦70年 追悼式でお言葉

(引用開始)
◆平和の継承 強い願い
<解説> 戦後七十年の全国戦没者追悼式で天皇陛下が読み上げられたお言葉は「平和の存続を切望する国民の意識に支えられ」「さきの大戦に対する深い反省とともに」など、過去の追悼式より踏み込んだ表現が随所に盛り込まれた点が強い印象を与えた。
 追悼式のお言葉は陛下自らが筆を執っている。「深い反省」という言葉が戦没者追悼式のお言葉で使われたのは、陛下の即位後は初めてのことだ。追悼式以外の場で「深い反省」と述べたのは、一九九二年に訪中した際の晩さん会や、九四年に韓国大統領を迎えた宮中晩さん会のあいさつがある。ただ、最近の追悼式では、前年の内容をほぼ踏襲していただけに、今回の表現の変更には、戦後七十年がたって、陛下が戦没者追悼と平和の継承に危惧の念を抱いている証しといえるだろう。
 「平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、わが国は今日の平和と繁栄を築いてきました」。お言葉にこの一文を入れたことは、不戦を誓う憲法の下で、戦争をしない国であり続けた国民の意思に対する陛下の強い気持ちがにじんでいるように思う。
 今年四月には天皇、皇后両陛下のパラオ訪問が大きな注目を集めた。
 陛下が平和を希求するようになった原点は、戦後に疎開先の日光(栃木県)から帰京し、原宿駅から一面の焼け野原を見て衝撃を受けたことだったとされる。
 七十年間の平和への歩みを積み重ね、将来もそういう国であり続けてほしいという陛下からのメッセージをどう受け止めるか。「世界の平和とわが国の一層の発展」を担うこれからの世代に問われている。(水谷孝司)
(引用終わり)