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憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

「9.23 さようなら原発 さようなら戦争 全国集会」(代々木公園)での武藤類子さんのスピーチ

 今晩(2015年9月24日)配信した「メルマガ金原No.2223」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
「9.23 さようなら原発 さようなら戦争 全国集会」(代々木公園)での武藤類子さんのスピーチ

 
 皆さんは、「スピーチの名手」という言葉から誰を連想されるでしょうか?思い浮かぶ顔ぶれは人によってそれぞれでしょうが、私の場合、男性なら村上春樹さん、女性なら武藤類子さんなのです。
 村上春樹さんの場合、海外での文学賞受賞記念スピーチにおいて、非常に印象に残るお話をされている
ということはよく知られていると思います。私が最初に村上さんのスピーチに感銘を受けたのは(多くの人もそうであったと思いますが)、2009年2月15日にイスラエルにおいて「エルサレム賞」受賞した際のスピーチ「壁と卵」でした。
 
 そして武藤類子さんです。
 2011年9月19日、東京の明治公園で開かれた「さようなら原発5万人集会」において、福島県
春町からやって来た武藤類子さんが行ったスピーチは衝撃的でした(それまで武藤さんという方の存在など全く知りませんでした)。
 当時、私は個人的なメルマガを始めて半年近く経った頃でしたが、OurPlanet-TVによる動画と「みんな楽しくHappy?がいい♪」による書き起こしを(自分でさらに校正を加えて)紹介するだけではなく、出来るだけ多くの人に読んでもらいたいと思い、スピーチ書き起こしをプリントアウトして機会あるごとに個人的に配ったりしていました(思えば著作権者に無断で勝手にやっていた訳です)。
 末尾に、そのメルマガを再配信したブログをご紹介してありますので、是非ご一読いただければと思います。おそらく多くの人が、4年前のスピーチが今で全く古びていないことを知って呆然とされることでしょう。
 
 そして、昨日(2015年9月23日)、東京の代々木公園で開かれた「9.23 さようなら原発ようなら戦争 全国集会-NO NUKES NO WAR-」(主催:「さようなら原発」一千万署名 市民の会、協力:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会)における発言者の1人として武藤類子さんが登壇しスピーチされました(当日のプログラムはこちら)。
 昨日は、武藤さんの他にも、多くの方がスピーチされており、動画で視聴できる方もおられますが、ここでは、午後の全体集会での武藤さんのスピーチの動画とスピーチ原稿(武藤さんが共同代表を務めておられる「ひだんれん(原発事故被害者団体連絡会)」ブログに掲載)をご紹介します。
 
武藤類子氏 スピーチ[9.23さようなら原発 さようなら戦争 全国集会 -NO NUKES NO WAR- ]2015.9.23 @代々木公園

 
2015.9.23 さようなら原発 さようなら戦争 集会スピーチ
(引用開始)
皆さん、こんにちは。福島から参りました、武藤類子です。
今日も、福島からバスでやって来た仲間たちがいます。遠い避難先からやって来た仲間もいます。

東京電力が起こした福島原発事故は終わっていません。今も被害は広がり、続いています。日々、福島で
起きていることの多くは、マスメディアで報道されることもありません。
 
2015年、秋。あれから4年半。
ほのかに色付き始めた福島の森はなお美しく、水は清冽な音をたて流れて行きます。野には紫のアザミ
青いツユ草が揺れています。
でも、森の中の朽ちた樹木に見え隠れするキノコを食べることはできません。アケビ、ナツハゼ、ハシバ
ミ、秋の稔りを素直に喜ぶことはできません。物言わずじっとたたずむ植物たちに、変わらず生を営む鳥
や虫や獣たちに、何が起こっているのでしょうか。
毎日大量の汚染水が流される海で、魚や海の生き物たちはどうしているのでしょうか。
大地や樹木、アスファルトに入り込み、今も発せられる放射線はあらゆる命に何をもたらすのでしょうか

豊かな生命を育む、大地も森も水も風も深い傷を負ったままです。
 
福島県は今、帰還と復興の激しい流れに呑み込まれています。
国と福島県は、放射線量がまだ十分下がりきらない地域の避難指定を解除し、避難者の借り上げ住宅制度
の廃止や賠償の打ち切りを、当事者の声を十分に聴かぬままに決めました。
オリンピックに注がれる莫大なお金で何人の避難者の生活が保障されるでしょう。
 
図書館や、郵便局や、コンビニにも置かれている、環境省放射線教育漫画には、9の真実に1の嘘を潜ませています。
福島県の小学5年生が全員訪れることになる放射線教育施設の完成が近づき、子どもの応募により愛称が
決まりました。小学生の時「原子力明るい未来のエネルギー」という標語を作った大沼さんは、事故後に
心を痛めていました。原発安全神話の次には放射線安全神話が作られて流布されています。
修学旅行の高校生や見学ツアーの中学生が福島を訪れます。
放射能安全神話と固く結びついた帰還政策は、被曝への警戒心や健康不安への言葉を封じ込めます。帰還
政策とは、放射能がある場所へ我慢して帰って暮らせと言うことです。
多発であるという警告を受けて、早急な調査と対策がされるべき小児甲状腺癌は、増え続けています。
福島県の災害関連死は、津波で亡くなった人をはるかに超えました。ふるさとへの郷愁と放射能への不安
のはざまで、精神の疲れは限界です。
 
そんな中、川内原発は再稼働し、次は伊方原発の再稼働が目論まれています。福島の次からは、原発事故が起きても賠償が大きく制限されるという制度が、経産省の小さな委員会でひそかに決められようとしています。原発を造ってきたメーカーやゼネコンは、責任を負うこともなく放射性廃棄物の処理で再び利益を上げています。
 
過去の過ちを反省せず、多くの国民の反対を押し切って推し進める。これは、憲法違反の安保法案が、安倍政権の暴挙によって決められたことと重なります。多くの市民の枯れ果てるまでに上げ続ける声を聞かずに決めたこととも同じです。
過酷な被曝労働は、日本中で仕事を求める人々の受け皿になっています。今度は兵役がその受け皿になる
のでしょうか。
戦争も原発事故も、起きてしまったことから学ばなければ、悲劇は何度でも繰り返されるのです。犠牲に
なった人々の怒りと悲しみは決して慰められはしません。
国土を失い、平和を失い、民主主義を失うものは、原発と戦争です。
人権を侵害し、命を冒とくし、生きる尊厳を奪います。
 
ぼんやりとうごめいていた不穏なものは、はっきりと姿を現してきました。
私たちは自覚しなければなりません。
 
国が子どもを守ろうとしないことを。
被害者が切り捨てられていくことを。
原発関連企業がその罪を問われないことを。
政府が国民の声を無視することを。
 
この呆然とする現実を前に、膝をつき言葉を無くす日々があります。
起き上がれずに、目を背けたい朝があります。
 
でも、私たちは自分を無力だと思わなくていいのです。
「9条守れ」「戦争いやだ」のプラカードを手に、雨の中も国会の前に立ち尽くす何万という人々がいま
した。
年齢や立場、党派をも超えて共に闘う人々がいました。
原発事故の被害者たちは共に手を繋ぐことを約束しました。
全国散り散りになった避難者も、繋がっていこうと動き出しました。
刑事責任を問わない検察庁の代わりに、市民による検察審査会は、刑事裁判への扉を開きました。
それは、長い間コツコツと、平和と原発反対を訴え続けて来た人々から繋がっています。
緑の田んぼを渡る風のように、爽やかに吹き渡っていく若者たち。
子どもを胸に抱きながら汗を光らせマイクを握る、戦争法案反対を訴える母親たち。
そのシンプルで率直な感性とまぶしさは、私たちの世代が乗り越えられなかったものをやすやすと超えて
いくでしょう。わたしは彼らの心優しい賢さに学びたいです。
 
どんな暗がりにあっても、私たちは確かな明かりを一つずつ灯していこう。
今はまだ冷たい雪の下の一粒の種であっても、やがて一輪の花を咲かせる者たちを、心して待とう。
 
私たちは、戦争法案にも、原発社会にも閉じ込められない、愛に満ちた自由な者たちです。そのことを、繰り返し思い出しましょう。
自分を大好きでいましょう。共に歩むものを大切にしましょう。誰も私たちの想いを止めることはできません。
原発も戦争も無い世界を、私たちひとりひとりが創っていきましょう。
(引用終わり)
 
 スピーチは、スピーチそのものだけで味わうべきもので、私が無駄なコメントを述べることは控えるべきでしょう。是非お1人お1人が、自分のこととして武藤さんのスピーチを受け止めていただければと思います。
 
 なお、当日の午前中、Bステージ(Aステージは「さようなら戦争」で、Bステージが「さようなら原発」だったようです)でも武藤類子さんはお話をされていますので、その動画もご紹介しておきます。
 
当たり前のことを当たり前に望みたい:武藤類子さん(Bステージ)
 

(弁護士・金原徹雄のブログから)
2011年9月21日(2013年2月16日に再配信)
(必読!)スピーチ書き起こし9/19「さようなら原発5万人(6万人)集会」
2012年7月19日(2013年2月17日に再配信)
7/16武藤類子さんスピーチ原稿(さようなら原発10万人集会)
 

(忘れないために)
 「自由と平和のための京大有志の会」による「あしたのための声明書」(2015年9月19日)を、
「忘れないために」しばらくメルマガ(ブログ)の末尾に掲載することにしました。
 
(引用開始)
  あしたのための声明書
 
わたしたちは、忘れない。
人びとの声に耳をふさぎ、まともに答弁もせず法案を通した首相の厚顔を。
戦争に行きたくないと叫ぶ若者を「利己的」と罵った議員の無恥を。
強行採決も連休を過ぎれば忘れると言い放った官房長官の傲慢を。
 
わたしたちは、忘れない。
マスコミを懲らしめる、と恫喝した議員の思い上がりを。
権力に媚び、おもねるだけの報道人と言論人の醜さを。
居眠りに耽る議員たちの弛緩を。
 
わたしたちは、忘れない。
声を上げた若者たちの美しさを。
街頭に立ったお年寄りたちの威厳を。
内部からの告発に踏み切った人びとの勇気を。
 
わたしたちは、忘れない。
戦争の体験者が学生のデモに加わっていた姿を。
路上で、職場で、田んぼで、プラカードを掲げた人びとの決意を。
聞き届けられない声を、それでも上げつづけてきた人びとの苦しく切ない歴史を。
 
きょうは、はじまりの日。
憲法を貶めた法律を葬り去る作業のはじまり。
賛成票を投じたツケを議員たちが苦々しく噛みしめる日々のはじまり。
人の生命を軽んじ、人の尊厳を踏みにじる独裁政治の終わりのはじまり。
自由と平和への願いをさらに深く、さらに広く共有するための、あらゆる試みのはじまり。
 
わたしたちは、忘れない、あきらめない、屈しない。
 
     自由と平和のための京大有志の会
(引用終わり)
 

(付録)
『ほんものとにせもの』 作詞・作曲:ピート・シーガー 日本語詞・演奏:中川五郎