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9年前に9条「改憲」「護憲」を真剣に論じた和歌山大学学生がいた

 今晩(2015年11月10日)配信した「メルマガ金原No.2270」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
9年前に9条「改憲」「護憲」を真剣に論じた和歌山大学学生がいた

 ちょうど9年前(2006年)の今日(11月10日)、私の自宅から歩いて15分の距離にある和歌山大学栄谷キャンパスでは、年に1度の和大祭(大学祭ですね)の最終準備に追われながら、実行委員会
の学生たちが翌日の「雨」という天気予報が外れてくれることを祈っていました
 ところが、事態は予想以上に悪化し、1日目(11日)の和大祭は中止になってしまったのです。その事情を、2006年和大祭ブログは以下のように伝えました
「昨夜の大雨と暴風によるメインステージの倒壊によりご来場者様の安全が確保できないため、11日の企画を全て中止とさせていただきます。関係者の皆様にはご迷惑をお掛けしまして大変申し訳ありません
。」
 ということで、この年の和大祭は、2日目の日曜日(11月12日)だけの開催となりました。
 
 いかに徒歩15分とはいえ、自宅から小高い山を切り開いた栄谷キャンパスに行くにはちょっとした「山登り」が必要であり、それまで和大祭を見に行ったこともなかった私ですが、その年に限っては、1日目の和大祭に参加すべく前日から準備をし、当日も(中止とは知らず)重い荷物をリュックに詰め、裏山を登って和歌山大学正門までたどり着いたところ、実行委員会の学生さん(和大祭の法被を着ていたのですぐ分かった)から、「申し訳ありませんが今日は中止になりました。明日は予定通り開催します」と教えてもらい、がっくりきたものでした。
 
 私が参加するつもりだったのは、「和歌山大学憲法9条の会」と「守ろう9条 紀の川 市民の会」の共同企画であり、和歌山大学の学生が、憲法9条改憲派」と「護憲派」に分かれてディベートを行うというものでした(他に映画上映や展示も予定されていたようです)。
 ディベートの講評は、「守ろう9条 紀の川 市民の会」運営委員の小野原聡史弁護士が担当することになっていましたので、私は、その年の6月に発行した憲法9条を守る和歌山弁護士の会・創立1周年記念誌『平和のうちに生きるために』を参加者に進呈しようと考え、140ページ以上ある冊子を10冊以上もリュックに詰め込んで和歌山大学まで登って行ったのでした。
 
 結局、和大祭の一環としての企画は荒天のために中止となったのですが、ディベートだけでも是非やりたいという声が強かったのでしょう。単独企画として、同年11月26日(日)に、ディベート改憲vs護憲、どっちの憲法でしょう」(於:和歌山大学教育学部講義棟L-201教室)が実施されることになり(「和歌山大学憲法9条の会」と「守ろう9条 紀の川 市民の会」の共催)、私も仕切り直して参加しました(聴衆としてですが)。
 
 実は、この9年前のディベートのことを書こうと思い立ったのは、このディベートを傍聴した感想を、両共催団体の役員を兼ねていた原通範和歌山大学教育学部教授(当時)とディベートに参加した学生の皆さんに書き送った手紙の原稿を(パソコンのハードディスクから)ふとしたきっかけで発見し、9年ぶりに読み返してみたところ、色々思うところがあったからです。
 何しろ9年も前のことですから、ディベートの展開、内容などはほとんど忘れてしまっていましたが、9年後の現在から振り返った時、「憲法を無視して自衛隊に海外で武力行使させる」という選択肢が当時念頭にも浮かばなかったのは当然として(今や、国会ではこれが「多数派」なのですが)、9条をめぐる4類
型論は、考慮すべき重要な論点を尽くしていない弱点はあれ、それなりに議論の出発点にはなり得たかもしれない、と今でも思います。
 
 問題は、その年以降、「和大9条の会で再びディベートを試みる機会」が無かったことでしょう(多分
無かったと思います。あれば必ず耳に入っていたでしょう)。
 これは、「和歌山大学憲法9条の会」だけのことではなく、9条を守る運動に関わってきた私たち全てにとって、本当に「9条改憲派」と真正面から対峙してきたのか?という問いが、厳しく突き付けられているのだと痛感します。
 
 9年前に真剣に9条「改憲」「護憲」を論じた和歌山大学学生(当時)の皆さんにあらためて敬意を表するとともに、これからの運動を再考する(まずは自分自身の)参考とするため、9年前に私が書いた「9条ディベートに参加された和歌山大学学生の皆さんへ」を引用します。
 
(引用開始)
                                       2006年11月26日
 
和歌山大学教育学部
 教授 原  通 範 先生
 ならびに 9条ディベートに参加された和歌山大学学生の皆さんへ
 
                                     弁護士 金 原 徹 雄
 
 本日の9条ディベート、大変お疲れ様でした。
 さぞ準備に苦労されたであろうということが十分に伺われました。
 また、和大祭から半月遅れの開催となってしまったことも、自然現象によるアクシデントとはいえ、心
残りであったと思います。
 しかし、取り組むべき価値のある目標を成し遂げられたことは、必ずや今後の皆さんにとって有益な経
験となられたことと思います。
 
 さて、ディベート自体についての感想文を書いてくるのを失念してしまいましたので、いささか書いてみたいと思います。
 第1論点である「我が国に対する侵略(あるいはその脅威)に対する防衛力(抑止力)を備えることは必要なのではないか?」というのは、改憲派が最も声高に主張するところですから、護憲派としては、こ
の問題に対する十分な答えを用意する必要があるでしょう。
 ただし、この問題を突き詰めていくと、自衛隊の存在(及びその将来像)についてのビジョンがなけれ
ば明確な答えというのは不可能なのですがね。
 細かな話ですが、護憲派が、「首相の靖国参拝だけでも周辺アジア諸国の大きな反発を招いているのだから、まして9条改憲などということになった場合の反発ははかりしれない」という趣旨の発言をしたの
に対し、改憲派が、「実際に日本がアジア諸国を侵略することなど考えられない」と答えたのは(政府関係者が言いそうなことではありますが)、明らかに議論がかみあっていませんでした(護憲派の主張は、周辺諸国に重大な懸念を与えること自体を問題にしているのであって、実際に侵略するかどうかは問題に
していないのですから)。
 ここは、司会者が議論を整理するか、護憲派から再反論すべきところでしょうね。
 他の箇所で「国益」という概念が登場していましたが、「何が真の国益か?」という重要な問題を論ず
るとすれば、この場面こそ適切であったかもしれません。

 第2論点である国際貢献論については、ほぼ主要な主張は出ていたと思います。この問題は、(大量虐殺などが行われている場合に)「人道的目的から、平和回復のための手段として、どうしても武力を行使しなければならない」というシチュエーションを認めるとして、その場合、「誰がその目的の正当性を判定するのか?」「相当な手段(武力行使の程度)として認められるのはどこまでか?」という風に議論が
発展していくところですがね。
 その議論を前提とした上で、日本が軍隊派遣以外の貢献を行うという選択肢が、本当に国際的に非難さ
れるような道なのか?ということになるのでしょう。
 第3論点(その他)は、ややまとまりを欠く結果になったのはやむを得ないところでしょう。
 
 というような具合に、当事者でない者はいくらでも好きなことが言えますが、私がその場で以上のような発言をしなかったのは、以下のような私自身の経験によります。
 司法試験に合格した者は、裁判官や弁護士になるために、2年間(今は1年半ですが)司法修習生とし
て実務の研修を行います。そして、配属された実務庁での研修の最後に、かならず刑事模擬裁判という行事があり、各修習生が、裁判官役、検察官役、弁護人役などに別れて、指定された事件を基に(実際の法廷を使って/裁判官役の修習生は法服を裁判官から借り、弁護人役の修習生は弁護士からバッヂを借りて)裁判を行います。
 いわば、有罪・無罪をかけたディベートのようなものです。
 ご多分に漏れず、終了後は講評があるのですが、そこでは、指導担当の裁判官、検事、弁護士から、雨あられの如く、「ここがおかしかった」とか、「実務上あり得ない」とか、「この点に思いが至らなかっ
たのは残念だ」とかいう厳しい指摘がなされます。
 何しろ実務経験のない修習生がやるのですから、完璧に出来るはずがなく、ひたすら講評の時間は耐え
るしかないという状態でした。
 既に20年も前のことですが、今でもはっきり憶えているということは、やはりその後の私たちにとっ
て重要な体験だったのだなと思います(それでも講評は嫌だった)。
 小野原先生からそれほど厳しい講評が無かったのも、以上のような私たちの共通体験があったためではないかと推測しています。
※金原注 修習期間は、2015年時点ではさらに短縮されて1年間となっています。
  
 さて、ディベート後の懇談会の席でも少しお話しましたが、護憲派改憲派といっても色々なパターン
があるのですが(ディベートの準備のための勉強をされて分かったと思いますが)、そうはいっても、議
論を整理するためには、ある程度類型化して考えることも必要だと思います。
 はなはだ大ざっぱではありますが、私は、とりあえず以下のように分類しています。
 
A 理念的護憲
 9条2項を文字通りに解し、自衛隊違憲とし、将来的には緊急災害援助隊のような組織に変更すると
いう考え方。
B 現実的護憲派
 自衛隊の存在自体は必要最小限の防衛力として認めながら、9条2項の改憲は認めないという立場。9条2項がある現在ですら、米国に追随しての自衛隊派遣がなし崩し的に進んでいるのであるから(それでも9条2項という歯止めがあるからこそ、英国のように、いきなり「多国籍軍」の一員としてイラクに侵攻するところまではいかずにすんでいる)、改憲することによって歯止めを失えば、取り返しのつかない
ことになると考える。
C 現実的改憲派
 自国を防衛するための軍備は必要であり、自衛隊憲法上明確な位置付けを与えるべきであるという考え方。その上で、自衛隊(or自衛軍or陸海空軍)の活動範囲・目的を自国防衛に限定することにより、無
限定な海外派兵を阻止しようとする(専守防衛論)。
D 理念的改憲派
 そもそも独立国として軍備を有することは当然であり、自国防衛のみならず、国際社会における国力に見合った責任を果たすためにも国軍を認めるべきであるとする考え方。その上で、軍隊の暴走を防ぐには文民統制をしっかりすればよいとする。 

 実際の議論においては、ぴったりパターン通りのものなど無いということを心得ておく必要はあります
が、頭の整理をするためには、大枠の類型化は有用だと思います。
 そして、どうしても上記類型のバリエーションということでは説明のつかない説に出会ったときは、新
たな類型を承認する(もしくは類型化の作業を一からやり直す)ということになります。
 従って、もしも来年以降、和大9条の会で再びディベートを試みる機会があれば、護憲派その1、同その2、改憲派その1、同その2という4組を組織し、とりあえず護憲派改憲派の2派に別れて議論するけれども、細かい議論に入っていく際には、4組それぞれの立場を明確にして主張し合うという風にすれば、議論が深まると思います(進行役に大変な力量が求められますし、判定をどうするのかという技術的な問題はありますが)。
 
 色々と書いてきましたが、皆さんの努力の成果を拝見することにより、私自身も憲法をめぐる議論をどう考えるべきかについて、自ら省みる良い機会となりました。
 4回生の皆さんにとっては、当分の間このような機会はめぐってこないかもしれませんが、1人の個人として思考を深めていくこと、同じ問題に関心を有する仲間を求めて共に学んでいくことは、社会人にな
ったとしても十分に可能です(それなりの見識と努力が必要であることは当然ですが)。
 是非、これからも、かけがえのない日本国憲法を守る運動に連帯して行って戴きたいと思います。
 本日は、本当にありがとうございました。
(引用終わり)
 

(忘れないために)
 「自由と平和のための京大有志の会」による「あしたのための声明書」(2015年9月19日)を、「忘れないために」しばらくメルマガ(ブログ)の末尾に掲載することにしました。
 
(引用開始)
  あしたのための声明書
 
わたしたちは、忘れない。
人びとの声に耳をふさぎ、まともに答弁もせず法案を通した首相の厚顔を。
戦争に行きたくないと叫ぶ若者を「利己的」と罵った議員の無恥を。
強行採決も連休を過ぎれば忘れると言い放った官房長官の傲慢を。
 
わたしたちは、忘れない。
マスコミを懲らしめる、と恫喝した議員の思い上がりを。
権力に媚び、おもねるだけの報道人と言論人の醜さを。
居眠りに耽る議員たちの弛緩を。
 
わたしたちは、忘れない。
声を上げた若者たちの美しさを。
街頭に立ったお年寄りたちの威厳を。
内部からの告発に踏み切った人びとの勇気を。
 
わたしたちは、忘れない。
戦争の体験者が学生のデモに加わっていた姿を。
路上で、職場で、田んぼで、プラカードを掲げた人びとの決意を。
聞き届けられない声を、それでも上げつづけてきた人びとの苦しく切ない歴史を。
 
きょうは、はじまりの日。
憲法を貶めた法律を葬り去る作業のはじまり。
賛成票を投じたツケを議員たちが苦々しく噛みしめる日々のはじまり。
人の生命を軽んじ、人の尊厳を踏みにじる独裁政治の終わりのはじまり。
自由と平和への願いをさらに深く、さらに広く共有するための、あらゆる試みのはじまり。
 
わたしたちは、忘れない、あきらめない、屈しない。
 
     自由と平和のための京大有志の会
(引用終わり)
 

(付録)
『ケサラ』 演奏:自由の森学園(2012年)