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映画『標的の村』が観たい!

 今晩(2013年8月8日)配信した「メルマガ金原No.1443」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
映画『標的の村』が観たい!
 
 意欲的にドキュメンタリー番組を手がけている地方の放送局が、劇場用映画の製作に乗り出した最近の例としては、東海テレビが製作した『約束~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~』(齊藤潤一監督、仲代達也主演)がありました。
 私も和歌山での緊急上映会に足を運び、深い感銘を受けました。
  
『約束~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~』予告編
 
 『約束』は、いわゆる「再現ドラマ」というジャンルに属する劇映画でしたが、今日取り上げようと思うのは、完全なドキュメンタリー映画『標的の村』です。
 製作したのは沖縄の琉球朝日放送(QAB)であり、監督は、長年同局でニュースキャスターを務めておられる三上智恵さんという話題作で、明後日(8月10日)から順次公開されます。
 
『標的の村』公式サイト
『標的の村』予告編
 
 どのような映画か、公式サイトの「解説」から引用します。
(引用開始)
 日本にあるアメリカ軍基地・専用施設の74%が密集する沖縄。5年前、新型輸送機「オスプレイ」着陸帯建設に反対し座り込んだ東村(ひがしそん)・高江の住民を国は「通行妨害」で訴えた。反対運動を委縮させるSLAPP裁判だ。[※1]わがもの顔で飛び回る米軍のヘリ。自分たちは「標的」なのかと憤る住民たちに、かつてベトナム戦争時に造られたベトナム村[※2]の記憶がよみがえる。10万人が結集した県民大会の直後、日本政府は電話一本で県に「オスプレイ」配備を通達。そして、ついに沖縄の怒りが爆発した。
 2012年9月29日、強硬配備前夜。台風17号の暴風の中、人々はアメリカ軍普
天間基地ゲート前に身を投げ出し、車を並べ、22時間にわたってこれを完全封鎖したのだ。この前代未聞の出来事の一部始終を地元テレビ局・琉球朝日放送報道クルーたちが記録していた。真っ先に座り込んだのは、あの沖縄戦や米軍統治下の苦しみを知る老人たちだった。強制排除に乗り出した警察との激しい衝突。闘いの最中に響く、歌。駆け付けたジャーナリストさえもが排除されていく。そんな日本人同士の争いを見下ろす若い米兵たち……。
 本作があぶりだそうとするのは、さらにその向こうにいる何者かだ。復帰後40年経
ってなお切りひろげられる沖縄の傷。沖縄の人々は一体誰と戦っているのか。抵抗むなしく、絶望する大人たちの傍らで11才の少女が言う。「お父さんとお母さんが頑張れなくなったら、私が引き継いでいく。私は高江をあきらめない」。奪われた土地と海と空と引き換えに、私たち日本人は何を欲しているのか?
[※1]SLAPP裁判
国策に反対する住民を国が訴える。力のある団体が声を上げた他人を訴える弾圧・恫喝目的の裁判をアメリカではSLAPP裁判と呼び、多くの州で禁じられている。
[※2]ベトナム村
1960年代、ベトナム戦を想定して沖縄の演習場内に造られた村。農村に潜むゲリラ兵士を見つけ出して確保する襲撃訓練が行われていた。そこで高江の住民がたびたび南ベトナム人の姿をさせられていた。
(引用終わり)
 
 琉球朝日放送が撮影したニュース素材を基に、まずANN系列局で放送するための「テレメンタリー2012」用の30分ヴァージョンが作られ、ついで沖縄限定で放送するための60分ヴァージョンが作られました。この放送用の作品は、『標的の村 国に訴えられた東村・高江の住民たち』というタイトルでした。
 
 ここで私が思い出すのは、同じ成り立ちを持つと思われる『海に座る~沖縄・辺野古 反基地600日の闘い~』(2006年)という琉球朝日放送の番組です。
 私が視聴できたのは60分ヴァージョンでした。DVD化されていない作品を視聴できたのは「沖縄に知り合いがいて」ということですが。
 
 今回の『標的の村』については、初の試みとして、91分の劇場用作品となって全国での公開が目指されることになりました。
 作品概要とスタッフを記載しておきます。
 
ナレーション:三上智恵 音楽:上地正昭 構成:松石泉 題字:金城実 編集:寺田俊樹・新垣康之 撮影:寺田俊樹・QAB報道部 音声:木田洋 タイトル:新垣政樹 MA:茶畑三男 
プロデューサー:謝花尚 監督:三上智恵
制作・著作:琉球朝日放送 配給:東風
(2013年/HD/16:9/日本/91分/ドキュメンタリー)
 
 劇場公開を前に、様々な媒体に三上さんが登場して映画の広報をされていますので、目に留められた方もいらっしゃるかもしれませんね。
 そのような中で、非常に充実したインタビューを2つご紹介したいと思います。
 「マガジン9」によるものと、「neoneo」によるものです。
 前者は、特に「日本国憲法と沖縄」という視点がフューチャーされたインタビュとなっていますし、後者は、ドキュメンタリー映画が対象とどう向き合うのかとい問題について掘り下げた議論がなされており、どちらも非常に考えさせられる内容であり、是非お読みいただきたいと思います(ごく一部のみ抜粋します)。
 
マガジン9 2013年8月7日
この人に聞きたい 三上智恵さんに聞いた
日本国憲法に守られてこなかった沖縄
(抜粋引用開始)
 日本国憲法で権利が保障されていない復帰前の沖縄から見ると、保障されている日本国の人はほんとうに羨ましかっただろうし、憧れという簡単な言葉ではなく、のどから手が出るほど日本国憲法がほしかったんです。ところが、日本国憲法がある日本国へ復帰すれば、その憲法によって沖縄県民の生活も一変するだろうと思っていたにもかかわらず、まったく何も変わらなかった。そのことへの恨み、というより哀しみは強いですね。
 しかも、今度の参院選で、憲法を変えようという勢力が大勝してしまった。沖縄では今も、憲法を沖縄できちんと機能させよう、という運動を頑張ってやっているというのに、その憲法が沖縄できちんと適用される前に、「もう憲法が変えられちゃうんだってよ」と、沖縄の人たちは自嘲気味に、でも普通に言っていますよ。
(略)
 そういう意味では「日本国憲法を変えてしまうというのなら、まずその前に一度、沖縄でその憲法をきちんと施行してみてからにしてください」と、私は言いたいですね。
(引用終わり)
 
ドキュメンタリーカルチャーマガジンneoneo 2013年8月7日
『標的の村』三上智恵監督インタビュー

 

(抜粋引用開始)
 オスプレイが飛来した2012年10月1日、私は敗北感にまみれて取材していたんです。朝から、インタビューしている間も涙ぐんでしまって、答えてくれる人も泣いてしまうような状態でね。
 ところが海月ちゃん(注:高江でのヘリパッド建設阻止に取り組む住民に対
して
国が仕掛けスラップ裁判で当事者として訴えられた少女)だけが、私がろくに質問もしないうちに「私が代わりに」(注「お父さんとお母さんがオスプレイ反対に疲れてしまったら、私が代わりにやってあげたい」)って。あれで打ちのめされたんです。「どうしてそんなこと言うの。あなたにそんなことを言われたら私は立ち直れない」とその場にへたり込むくらい、ぐだぐだでした。
(略)
 1995年の少女と海月ちゃんを重ね合わせること、彼女の言葉を使うことは、作り手の勝手な思い入れであって甚だいい迷惑だと自分でも思います。それでも偽らざる気持ちとして、私達40代、50代、60代の人達に、次の世代に負担を渡してしまった、また同じ年の子にこんなことを言わせてどうするの?と突きつけずには済まなかったんです。
 だから、海月ちゃんには申し訳ないと思っています。あなた達の世代に丸投げし
てしまったこと、その象徴としてこういう場に引きずり出してしまったことの両方で。それでも、海月ちゃんのあの姿を見せない選択肢は、私の中には無いんです。そういう役割として私がいるんだと思っていますし、傷つけたくないと思うなら報道なんてやめてしまえ、と昔から言っている人間ですし。
 海月ちゃんの言葉を聞いたらね、沖縄の大人達はみんな倒れそうになるんです
よ。そして映画が公開されたら、日本の人達にも、彼女の言葉に倒れてほしい。
(引用終わり)
 
 三上さんへのインタビューを読むにつけ、何とか和歌山でもこの作品を上映したいものだと思いました。
 
(その他の参考サイト)
「週刊 通販生活」三上智惠監督インタビュー(聞き手:鈴木耕氏)
那覇地裁と福岡高裁による映画への「干渉」を報じた琉球新報の記事