近弁連シンポ「広域避難者の安定した住宅保障はどうあるべきか」に参加して
今晩(2014年9月6日)配信した「メルマガ金原No.1840」を転載します。
なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
近弁連シンポ「広域避難者の安定した住宅保障はどうあるべきか」に参加して
今日(9月6日)午後1時30分から、大阪弁護士会館2階ホールにおいて開催されたシンポジウム「広域避難者の安定した住宅保障はどうあるべきか~日弁連第57回人権擁護大会プレシンポジウム~」(主催:近畿弁護士会連合会)に参加してきました。
シンポ開催の趣旨などは、私が書いたメルマガ(ブログ)の記事をご参照ください。
2014年8月10日
予告 9/6 シンポ広域避難者の安定した住宅保障はどうあるべきか(近畿弁護士会連合
会)
予定を30分オーバーして、たっぷり3時間の充実したシンポとなりましたので、その詳細をご報告する余裕はありませんので、式次第をご紹介するとともに、特に印象に残った何点かにコメントしたいと思います。
【式次第】
開会の際殺 江口 陽三氏(近畿弁護士会連合会理事)
第一部
(1)基調報告「災害時の避難者の住宅保障の現状と今後のあるべき施策」
(2)避難者の住宅施策に関する実情とニーズ 近畿各地の避難者からの発言
第二部
パネルディスカッション「避難者の長期化し、かつ、多様化する住宅支援のニーズにどう応えていくか」
パネリスト
古部 真由美氏(まるっと西日本)
逢澤 直子氏(おいでんせぇ岡山)
津久井 進氏(弁護士、上述)
コーディネーター
まとめと意見書(案)の紹介及び閉会のあいさつ
【雑感風に】
○津久井弁護士からは、標題のとおり、災害時の避難者への住宅保障の持つ意義や課題についての総括的な報告はなされましたので、それを手際よく要約する能力はないので、代わりに、津久井さんも作成に関与された日本弁護士連合会の意見書をご紹介しておきます。
2014年7月17日
原発事故設避難者への仮住宅等の供与に関する新たな立法措置等を求める意見書
意見書全文は、PDFファイルで9ページもありますので、津久井さんも、要点だけ読んでくれればいいと言われていました(だったかな?)。
本意見書の趣旨
国は、福島第一原子力発電所事故(以下「原発事故」という。)の避難者の入居する仮設住宅等(建設型の仮設住宅、民間借り上げ住宅等のみなし仮設住宅、公営住宅、公務員宿舎等を含む。)について、避難者の意見を聴く機会を速やかに設けた上で、災害救助法に基づく支援を継続するのではなく、以下の内容を含んだ、原発事故避難者を総合的に支援する新たな立法措置を行うべきである。
1 避難者に対して、「人命最優先の原則」、「柔軟性の原則」、「生活再建継承の原則」、「救助費国庫負担の原則」、「自治体基本責務の原則」、「被災者中心の原則」の6原則に準じた総合的支援をすること。
2 避難者に対する住宅供与期間を相当長期化させるとともに、1年ごとに延長するという制度を改め、避難者の意向や生活実態に応じて更新する制度とすること。
3 避難者の意向や生活実態に応じて、機動的かつ弾力的に転居を認めること。
4 新たに避難を開始する避難者にも住宅等を供与するとともに、避難者の意向や生活実態に応じて、避難、帰還、帰還後の再避難を柔軟に認めること。
5 国の直轄事業として避難者に対する住宅供与等を行い、避難先の自治体にかかわらず安定かつ充実した支援を行うとともに、避難先の地域特性に合わせた自治体独自の上乗せ支援も認めること。
6 有償の住宅への移転又は切替えのあっせんを積極的に行わないこと。
○津久井さんが作ったパワーポイント・ボード(印刷されて資料として配布された)の中で、端的に現在の住宅支援政策の問題点を指摘した1枚をご紹介します。
原発避難者の声
1年先にどこに済むのか分からないようでは・・
◆生活の予定が立たない
◆仕事を決められない
◆進学先を決められない
◆何もできない・・・・・
→生活の再建などありえない!
○津久井さんが避難者から聞いた話として紹介されていたエピソードですが、その方は、津久井さんに対し、ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』の一節を引いて、自分たち原発避難者の精神状態も、アウシュヴィッツに収容されたユダヤ人と同じだ、と話されたそうです。
(引用開始)
元被収容者についての報告や体験記はどれも、被収容者の心にもっとも重くのしかかっていたのは、どれほど長く強制収容所に入っていなければならないのかまるでわからないことだった、としている。被収容者は解放までの期限をまったく知らなかった。(略)ある著名な心理学者はなにかの折りにこのことにふれて、強制収容所におけるありようを「暫定的存在」と呼んだが、この定義を補いたいと思う。つまり、強制収容所における被収容者は「無期限の暫定的存在」と定義される、と。(略)
(暫定的な)ありようがいつ終わるか見通しのつかない人間は、目的をもって生きることができない。ふつうのありようの人間のように、未来を見すえて存在することができないのだ。そのため、内面生活はその構造からがらりとがらりと様変わりしてしまう。精神の崩壊現象が始まるのだ。
(引用終わり)
○津久井さんのお話からもう1つ。去る8月26日に福島地方裁判所第一民事部が、被告東京電力に対し、原発事故のために計画的避難区域の指定を受けて避難を余儀なくされ、それから間もなく一時帰宅から避難先の福島市に戻る直前に自死した川俣町山木屋地区の女性について、原発事故と自死との間の相当因果関係を認め、遺族に対して損害賠償を命じる判決を言い渡したことは、ニュースでご覧になったことと思いますが、今日のシンポ資料の中に、そ
の判決要旨(裁判所がマスコミに提供するもの)全文が掲載されており、津久井さんは、とりわけ以下の部分を引用して、自宅に帰れなくなるということが、単なる財産権の喪失にとどまらないととうことを認めた判決に注意を喚起されました(なお、遺族も実名で取材に応じており、新聞紙上でも実名報道がされていますので、以下の判決要旨も固有名詞のマスキングはせずにそのまま引用します)。
(判決要旨から引用開始)
ウ はま子が山木屋での生活をし得なくなったことによるストレス
(ア)はま子は、山木屋地区三道平に生まれ、本件事故のために避難するまで約58年にわたり山木屋で生活してきた。そして、はま子は、同じ三通平で生まれ育った原告幹夫と結婚し、山木屋で3人の子どもを産んで育てあげ、平成12年には自宅を新築し、そこで家族の共同生活を成していた。原告憲一及び原告宏明も人生の大半を山木屋や自宅において過ごしており、原告和加子は高校卒業後に山木屋を離れているものの、はま子らとの交流は続いていた。また、はま子は、自宅において近隣の住民らを招いてカラオケ大会を開いたり、野菜を融通しあうなどしていた。
はま子にとって山木屋や自宅は、単に生まれ育った場や生活の場としての意味だけでなく、家族としての共同体をつくり上げ、家族の基盤をつくり、はま子自身が最も平穏に生活をすることができる場所であり、密接な地域社会とのつながりを形成する場所でもあったということができる。
はま子にとって山木屋や自宅は、単に生まれ育った場や生活の場としての意味だけでなく、家族としての共同体をつくり上げ、家族の基盤をつくり、はま子自身が最も平穏に生活をすることができる場所であり、密接な地域社会とのつながりを形成する場所でもあったということができる。
(イ)本件事故により、山木屋地区の空間放射線量率は平時の数十倍に上り、その影響が長期間続くことが懸念された。そのため、政府は、山木屋地区の農地への作付けを制限するなどの対策をとり、山木屋地区を計画的避難区域として設定した。計画的避難区域の設定により、住民は区域外への避難を余儀なくされる結果、避難指示が解除されるまで、事実上、区域内に有していた家屋等の不動産を使用、収益、処分すること、そこで生活をし、仕事をすることなども不可能又は困難となった。また、原告幹夫及びはま子は、本件事故により山木屋地区が計画的避難区域として設定されたことにより、それまで同居していた原告憲一及び原告宏明との別居を余儀なくされた。
これらの事情及び後記オのとおり、山木屋地区への帰還の見通しが持てない状況にあったことに照らすと、はま子は、本件事故により山木屋地区が計画的避難区域に設定されたことによって、山木屋や自宅で生活し続けることができなくなり、家族形成の基盤でありまた地域住民とのつながりの場としての自宅、自宅での家族の共同生活、地域住民とのつながり等、生活の基盤ともいうべきもの全てを相当期間にわたって失ったと認められる。
これらの事情及び後記オのとおり、山木屋地区への帰還の見通しが持てない状況にあったことに照らすと、はま子は、本件事故により山木屋地区が計画的避難区域に設定されたことによって、山木屋や自宅で生活し続けることができなくなり、家族形成の基盤でありまた地域住民とのつながりの場としての自宅、自宅での家族の共同生活、地域住民とのつながり等、生活の基盤ともいうべきもの全てを相当期間にわたって失ったと認められる。
(ウ)はま子が生活の基盤ともいうべきもの全てを相当期間にわたって失ったことは、財産そのものを喪失したものではないが、家族や地域住民とのつながりをも失ったという点で大きな喪失感をもたらすものであり、ストレス強度評価における「多額の財産を損失した又は突然大きな支出があった」(強度Ⅲ)「家族が増えた又は減った(子どもが独立して家を離れた)」(強度I)場合と同等かそれ以上のストレスを与えたものであり、そのストレスは非常に強いものであったと認められ
る。
(引用終わり)
(引用終わり)
私は、この判決要旨を大阪から和歌山に帰る電車の中で読んだのですが、被害者の被ったストレスの数々を丁寧に事実認定していく判決の文章を読みながら、おそらく裁判官は起案しながら、理不尽な運命に押しつぶされた被害者に対する共感の思いを持ち続けていたのではないかという印象を強く受けました。判決には、法的な筋道が通っていなければならないことは当然ですが、それを前提としつつも、本当に胸を打つ判決には、このような「共感」が必要なのだと思います。
○5人の避難者の方からは、貴重な生の声を伺うことができました。和歌山からの登壇者がなかったのは残念でしたが、実はようやく和歌山でも避難者の会が結成されるという情報も耳にしており(大阪経由で聞いたというのがいささか内心忸怩たるものがあるところですが)、次の機会には、和歌山からも発言してくださる方が出てくださるでしょう。
この5人の内、大阪に避難しておられる女性の話として、入居している府営住宅の「一時使用期間延長申請」をする際、以下のような「誓約書」の提出を求められ、「心が折れてしまう」と話されたのには心が痛みました(津久井弁護士も道義の問題だと指摘していましたが)。
大阪府営住宅の避難者に届いた書類
誓 約 書
大阪府知事 様
私が、このたび一時使用を許可される大阪府営住宅施設等につきましては、許可条件を遵守して使用し、また、緊急避難措置の趣旨を踏まえ、定められた期限までに必ず退去いたします。
また、住宅の保管義務を怠り、住宅の破損等が生じた場合や、迷惑行為により、他の入居者に著しい迷惑や損害を与えた場合は、住宅の明渡し勧告に従います。
退去後の住宅内にもし残置物が有った場合、その所有権を放棄します。この場合、大阪府から残置物の処分又は廃棄に要する費用を請求されても異議はありません。
○第二部のパネルディスカッションに登壇された古部真由美さんと逢澤直子さんのお話も、被災者への住宅支援という観点から、非常に興味深く今後の展望にも期待が持てるお話が伺えたのですが、その詳細を記録する余裕がなくなりましたので、「まるっと西日本」及び「おいでんせぇ岡山」の各公式サイトをご紹介しますので、是非、その活動の詳細をご確認ください。
東日本大震災県外避難者西日本連絡会 まるっと西日本 公式サイト
同支援ニュース
移住者ウェルカムネットワーク おいでんせぇ岡山
同ブログ
最初は参加しようかどうしようか迷っていたシンポでしたが(和歌山からはやはり遠い)、コーディネーターを務める同期の青木佳史弁護士から、原発事故被災者支援関西弁護団のメーリングリストに、「弁護団が訴訟で勝ち取ろうとしていることは賠償金ではなく、こういう住宅支援とか医療・健診制度とか、そういうことです。被害立証の関係でも、住宅問題がいかに切実かを理解することは不可欠です。こういうシンポも、弁護団の訴訟活動の一環であるといっても過言ではないのです。なのに、弁護団からの申込みはさっぱりです」という怒りの(?)投稿がなされるに及び、「遠いから」などと言っている訳にはいかず、かけつけたのですが、やはり参加して良かったと思いました。最近、憲法問題の中でも、集団的自衛権の問題に精力を集中し、ややその他の問題がおろそかになっていましたからね。
実は、今日会場で、原発賠償関西訴訟の原告団長・森松明希子さんと久しぶりにお会いし、色々話をしていたところ、私が今準備に奔走している市民集会(9月16日)の講師である伊藤真弁護士の話題が森松さんの方から出たのには驚きました。何でも今年の5月9日、高槻市で行われた伊藤真さんの講演会を聴きに行き、講演の前に伊藤さんにお目にかかって森松さんの著書『母子避難、心の軌跡 家族で訴訟を決意するまで』(かもがわ出版)を献本し、少しお話が出来たそうなのですが、その後の講演を聴講していたところ、伊藤さんが、献本したばかりの森松さんの著書を紹介しながら、この原発訴訟を、憲法で保障された基本的人権を実現するための貴重な取組だと評価してくださったということで、森松さんや一緒に行っていたお友達は、涙、涙だったというお話を伺い、「伊藤先生によろしくお伝えください」という伝言まで預かることになりました。
原発賠償関西訴訟(大阪訴訟)も、いよいよ9月18日(木)に第1回口頭弁論を迎えます。
2013年12月21日
2014年2月8日
母子避難者の思いを通して考える「いのち」(「母と女性教職員の会」に参加して)