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まっとうな保守政治家よ、出でよ! 

 今晩(2015年5月15日)配信した「メルマガ金原No.2091」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
まっとうな保守政治家よ、出でよ! 

 政府が公然と憲法の枠組を無視する法案を国会に上程(衆議院に提出)した今日(5月15日)という日は、まがりなりにも日本に立憲体制が敷かれた1889年(大日本帝国憲法発布)以来、126年の歴史を刻んできた日本憲政史に取り返しのつかない汚点を残した日として記憶されることになるかもしれません。
 また、この「5月15日」という日が、43年前に沖縄の施政権が日本に返還された日であるとともに、間近くは1年前の今日、安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(第2次)なる御用学者集団が、出来レース「報告書」を提出した日であったことも忘れる訳にはいきません。
 
 ところで今晩、和歌山弁護士会新役員就任披露の会が開かれ、私も会員として出席していたのですが、招待された地元選出国会議員の中で1人だけ出席された岸本周平衆議院議員民主党)の短い祝辞が興味深かった
ですね。
 メモはとっていないので正確ではありませんが、まず同議員が大学で学んだこと(おそらく立憲主義を中核とする憲法体系を指すと思われます)が全く通用しなくなってしまっているということ、そして、イデオロギーの差はあれ、先人が努力して共通の「枠組み」によって政治を運営してきたその「枠組み」自体が壊されようとしているという危機感を披瀝されました。和歌山県知事や和歌山市長も同席している場でしたので、それ以上の発言は控え、短くスピーチを切り上げられたのですが、その言わんとするところは(少なくとも弁護士は)皆理解できたはずです。

 岸本議員は、1956年7月に和歌山市で生まれ、地元の高校を卒業後(私の2年後輩)、東京大学法学部を経て大蔵省に入省。2004年に財務省を退官してトヨタ自動車渉外部長に就任するかたわら、内閣府参与(小泉政権)に就任。2005年の衆議院議員総選挙(いわゆる郵政解散)に民主党公認で和歌山1区から出馬するも落選。続く2009年以降、2012年、2014年と和歌山1区で3期連続当選という経歴です。
 なお、中川郁子農林水産政務官との不適切な交際がマスコミを賑わした自民党のK議員は、2回連続して岸本議員に小選挙区で敗れて比例復活した人であったため、和歌山1区有権者の名誉が何とか保たれたというのは全くの余談です。
 
 さて、私が岸本議員の発言と経歴を詳しくご紹介した趣旨はこういうことです。
 以上の経歴から明らかなように、岸本議員はれっきとした保守政治家の資格を十分に持っており、実際、去る3月21日に「戦争をさせない和歌山委員会」が開催したシンポジウム「戦後70年 今この国はどこへすすもうとしているのか」の中でも、自らをはっきり「リベラル保守」と規定していました(ちなみにこのシンポのコーディネーターは私でした)。
 財政問題についても、また日米同盟を重視する安全保障政策についても、一昔前なら、自民党・宏知会のホープとなっていても少しもおかしくないような主張の持主だと思います。
 その岸本議員が、ここまではっきりと政治の危機、憲法の危機に言及せざるを得ないほど、状況は切迫しているということです。
 それと、岸本議員にはそのような意図はなかったかもしれませんが、同議員の、大学で学んだことが通用しなくなってしまっているという発言を聞きながら、私は、おそらく東大法学部で岸本議員の1年後輩であった元自治官僚、現在は、自民党憲法改正推進本部事務局長にして総理大臣補佐官の礒崎陽輔参議院議員が、3年前にtwitterで「立憲主義」、Wickpediaでは、樋口陽一先生の著書が引用されています。私は、芦部信喜先生に憲法を習いましたが、そんな言葉は聞いたことがありません。いつからの学説でしょうか?」とうそぶいたことを想起していました(「立憲主義」を聴いたことがないという参議院憲法審査会委員)。
 同じ頃に東大法学部を卒業して官界に入り、その後政界に転じた2人の国会議員憲法観のどちらに私が親しみを持つかは、今さら言うまでもないでしょう。
 
 問題は、今や「まっとうな保守政治家よ、出でよ!」と言わざるを得ないところまで来てしまっている政治の全体状況そのものでしょう。自民党内の若手有志が「過去を学び『分厚い保守政治』を目指す若手議員の会」なる勉強会を立ち上げたそうですが、これも期待をかけられるような存在に成長しそうな気が全然しないし。
 
 さて、今日は、国民安保法制懇が夕刻から「抗議の緊急記者会見+市民集会」を開き(衆議院第一議員会館)、「アメリカ重視・国民軽視の新ガイドライン・安保法制の撤回を求める」声明を出すと聞いていたので、それを紹介したかったのですが、まだその声明はホームページにアップされていないようです・・・とメルマガに書いた後、ブログにアップする作業をしていたら、アップされていました。
今日のところは時間もないので、またあらためてその内容をご紹介します。  
 そして、その批判の対象たる「戦争法案」、提出された正式名称を引用すると、「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律(略称:平和安全法制整備法)」及び「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律(略称:国際平和支援法)」がアップされているサイトをご紹介しておきます。衆議院ホームページにはまだ掲載されていないようなので、内閣官房ホームページの「平和安全法制等の整備について」というコーナーでご覧ください。
 それにしても、「戦争」という実体を隠すためには「平和」という隠れ蓑が有効だと考えたのでしょうから、今や、我が国における「平和」の価値がここまで貶められているということをしっかりと自覚しなければと思います。
 
 もう1つ、以上の法案の中身は一読しても、というか一読することすら普通の人にはほぼ不可能でしょうが、その全体像を早わかりできる良い方法があります。
 それは、去る4月27日に合意された新日米ガイドラインを読むことです。これから国会で審議が始まる内容が、要領良くまとめられています。・・・と言うか、国会に法案をを提出もしないうちに、米国政府に対して「こういうことをやります」と約束した(言いたくはないけれど)「国辱文書」です。全ての日本人は早急に目を通すべきです。
 

(付録)
「五月のゼッケン」 作詞:松原洋一 作曲:井上高志 演奏:松原洋一、井上高志
 
(楽曲解説)「井上高志のブログ」より
 今回の歌は、5月15日が近いので、わがらーずの松原洋一さん作詞の「5月のゼッケン」という歌です。1972年5月15日は、沖縄が日本に返還された日です。その日、若き松原青年は、「沖縄の心が泣いている」というゼッケンをつけて、アメリカ軍基地が残されたままの返還反対という意思を表明しながら、一人、大阪で、通勤電車に揺れておられました。あれから43年たったけれど、アメリカ軍の基地は未だ沖縄に集中し、沖縄の人々の民意は無視され、民主主義の崩壊という事態が進行しています。あの日の松原青年のようにわたしたちひとりひとりに何ができるのか、今、問われています。この歌は、松原さんの書いた詩に、私が曲をつけさせてもらいました。下の映像は2014年、11月1日・大阪天六「音太小屋・井上高志ライブ」より、ゲストに出てくださった松原さんと私の競演の模様です。
(付記)
 昨日お送りした「くまの平和ネットワーク講演会(矢野宏さん)へのお誘い(6/14)」をアップした後、松原洋一さんからメールが届きましたのでご紹介します。
「チラシには間に合いませんでしたが、串本町を中心にした「くしもと九条の会」がこのたび発足し、くまの平和ネットワークにも参加していただくことになりましたので、補足させてください。」