「メルマガ金原」 アーカイブス・シリーズです。
2012年4月19日に配信した「メルマガ金原No.912」を再録します。
2012年2月4日(土) 滋賀県大津市
「大飯原発3・4号の運転再開をとめよう!関西びわこ集会」にて
(14分54秒) 詩の朗読は13分53秒ころから。
2012年4月17日(火) 東京都千代田区 経産省前テントひろば
「大飯原発再稼働絶対阻止!集団ハンスト記者会見」にて
(1時間17分01秒) 詩の朗読は27分30秒ころから。
文字書き起こし(みんな楽しくHappy♡がいい♪)
2012年「3月11日」にその砥部町に「坂村真民記念館」が開館し、その公式サイトに色々な情報が集められています。
さて、中嶌哲演師が朗読された『あとから来る者のために』ですが、実はこの作品には異稿があります。
中嶌哲演さんが朗読されたのは以下の版です(詩集『二度とない人生だから』1999年刊などに収録)。
(引用開始)
『あとからくる者のために』
あとからくる者のために
苦労をするのだ
我慢をするのだ
田を耕し
種を用意しておくのだ
あとからくる者のために
しんみんよお前は
詩を書いておくのだ
あとからくる者のために
山を川を海を
きれいにしておくのだ
あああとからくる者のために
みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
未来を受け継ぐ者たちのために
みな夫々自分で出来る何かをしてゆくのだ
あとからくる者のために
苦労をするのだ
我慢をするのだ
田を耕し
種を用意しておくのだ
あとからくる者のために
しんみんよお前は
詩を書いておくのだ
あとからくる者のために
山を川を海を
きれいにしておくのだ
あああとからくる者のために
みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
未来を受け継ぐ者たちのために
みな夫々自分で出来る何かをしてゆくのだ
(引用終わり)
中嶌哲演さんが、何故この詩をたびたび朗読されるかは、一読すればご理解いただけると思います。
ところで、実はこの作品には異稿があると言いましたが(それ自体は少しも珍しいことではありませんが)、著者生前の「決定版」は、中嶌さんが朗読されている版ではなく、異稿の方である可能性が高いのです。
では、その異稿をご紹介しましょう。
(引用開始)
『あとから来る者のために』
あとから来る者のために
田畑を耕し
種を用意しておくのだ
山を
川を
海を
きれいにしておくのだ
ああ
あとから来る者のために
苦労をし
我慢をし
みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
みなそれぞれ自分にできる
なにかをしてゆくのだ
田畑を耕し
種を用意しておくのだ
山を
川を
海を
きれいにしておくのだ
ああ
あとから来る者のために
苦労をし
我慢をし
みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
みなそれぞれ自分にできる
なにかをしてゆくのだ
(引用終わり)
ちなみに、上記のヴァージョンは、『坂村真民全詩集 第八巻』(大東出版社)に収録されたものです。
出版年月日は「平成19年(2007年)12月11日」ということで、ちょうど、著者の一周忌の命日を期して出版されたものです。
従って、収録作品の「版の確定」は、編集者によってなされたのではないかと推測されるのですが、やはり、全集に収録する「決定版」である以上、それなりの根拠があってのことと考えるべきでしょう。
ちなみに、この作品の解説が掲載された「坂村真民の世界」というサイトがあります。
その解説によれば、「この詩は、昭和52年3月発行の『詩国第一集』に『あとからくる者のために』という題名で発表された詩が元々の詩です。平成7年4月8日に宮崎県延岡市の地域子育て支援センター『おやこの森』に詩碑として建立されることとなり、この時に内容を若干修正して、決定詩として作られたものです」とあるのが、こちらの版が「決定版」だろうと考える根拠です。
なにしろ、このサイトの管理人が、3月11日にオープンした坂村真民記念館の館長なのですから。
私が最初に読んだのが、後者の版であったということもありますが、こちらは、ぎりぎりまで無駄をそぎ落とし、これ以上の修正は不可能と詩人が判断したのだろう、と読む者をして思わせるものがあります。
もちろん、中嶌哲演さんが朗読されているヴァージョンも素晴らしい詩だと思います。
いずれにしても、
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
みなそれぞれ自分にできる
なにかをしてゆくのだ
あの可愛い者たちのために
みなそれぞれ自分にできる
なにかをしてゆくのだ
ということばに心から共感する人たちを1人でもたくさん仲間として迎えいれたいというのが多くの人の願いでしょう。
それは、4月14日に「子どもたちの未来と被ばくを考える会」を立ち上げた私たちの願いでもあります。