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「原発がこわい女たちの会ニュース」第83号が届きました

 今晩(2013年2月3日)配信した「メルマガ金原No.1253」を転載します。
 
原発がこわい女たちの会ニュース」第83号が届きました
 
 「原発がこわい女たちの会」の松浦雅代さんから、ニュース第83号をお送りいたきましたのでご紹介します。
 

(1頁)
原発がこわい女たちの会ニュース NO83号・2013年1月30日発行
事務局〒640-0112和歌山市西庄1024-15 ℡・fax073/451/5960松浦雅

   
2013年・春 2年目の春がやってきました。
残念ながら原発推進の自民党政権になりました。
今年も原発を止めるための行動を続けましょう。
 
橘柳子さんからの新春のおたよりです。    
 
 おそる・おそる近づきばがらのぞいた
     2013年
 何事もなかったように明けました
 太陽は輝き、静かな朝でした
 これが自然なのですね。
 空気や水や土のことを気にしないのであれば・・・・
 放射能で こんなにだいないしにしたのに
 その人間たちを許すがごとく
 でも 私は、許せないのです。
 地震国・日本に、まだ50基もの原発
 原発に安全はないのです。
 16万人の人間が未だ避難の身、原発はいらないのです。
 子や孫が、かわいいと言いながら
 国防軍を提唱する政党が圧勝
 「自分のとこだけはだいじょうぶ」は
 あり得なかったのが、原発事故
 体験ずみであるのに・・・・
 民衆の学びは、どこに行ったのでしょう。
 このような思いをいだきながら
 ほんとうの春を待ちわびて
 生きています・・・・。
             2013年1月
 
(柳さんによる手書きの添え書き)
 地図の上では遠かった和歌山がぐっと近くに感じられました。ありがとうございます。
 

(2頁・3頁)
報告  橘柳子氏講演会     10月28日13:00から16:00 
                      場所あいあいセンター6・7会議室に於いて
 
 前日の10月27日に田辺市で講演されて、夜は日高町方杭の波満の家に泊ま
って頂きました。
 翌日、一緒に宿泊された古田伊公子さんの運転する車で和歌山市の会場に
来て頂きました。

 橘さんが住んでいた浪江町は原発を反対して建てさせなかった町ですが、原発
隣接する町です。3月11日は津波による高台への避難指示、3月12日は「避難し
て下さい」のみの町内放送でした。
 「何故」が無かったのです。従って殆どの町民は「2,3日したら帰れるだろう」と思っ
て着の身着のまま避難しました。そこからそのまま長い避難生活になるとはどれ程の人が考えていたでしょうか。町長へも国からも東電からも避難指示の連絡がなかったとの事でした。何故、浪江にだけ連絡がなかったのでしょうか。原発を作らせなかったからでしょうか。疑問です。そんな中で避難は又悲劇的です。114号線と言う道路を避難したのですが、そこは放射線が最も高い所ばかりでした。津島の避難所には3日間いました。テレビはずっと見ることが出来ました。15日に再度避難場所の変更。この日の夜まで携帯電話は一切通じませんでしたから誰とも連絡の取り様もなく町の指示で動くしかありませんでした。12日の避難は、私にとっては戦争を連想しました。戦争終結後、中国大陸を徒歩で集結地に向ったあの記憶が蘇りました。原発事故の避難は徒歩が車になっただけで、延々と続く車の列とその数日間の生活はあの苦しかった戦争そのものでした。そして私は怯えました。国策により2度も棄民にされてしまう恐怖です。(後略)
 
 会場には福島から避難されている人も来られていて、3人の方が発言されました。強制避難地域から避難された人は10万円/一人月を支給されるが、それ以外の人は0である。この支給も書類を提出しないと貰えない。今のところ3年間との期間制限がある。等、橘さんと避難者の方のやりとり、会場の参加者のもっと強く発言るべきだには。今まで、原発の事深く考えずに生活してきたものにとっては何をどうすればいいのかわからない。発言もあり、福島から避難してこられている人たちの発言で、私たちは福島の人たちの状況をより深く知ることが出来ました。
 
《当日の感想を無記名で書いて貰った11通の中から》
★「実際に経験した方のお話しは、想像以上に重く、身につまされた。お金の件の現地での お話は生々しかった。本当に原発はなくさないと、いけないと思う!」
★「原発災害時の避難のたいへんさ。その後の生活、仮説住宅生活のきびしさ。和歌山に避難してきた人たちの生の声を聞いて、原発事故の影響の大きさを身
に感じることが出来ました。棄民という言葉が良く分かります。」
★「東電は、被災者を分断し、もの言わないようにする、もの言えない状況を作っ
て、福島の原発を再稼働する機を狙っていることが良く分かった。「和歌山は原発のない良いところです。住民はじめ多くの人が設置に対して先進的に闘ったからだ」
と橘さんは述べていたのが印象的。」(略)
★「原発事故から1年半。一人で勉強を続けてきたけれど、行動につながらないば
かりで、自分が嫌になることも多く「あきらめたい気持ち」「忘れたら(軽く考えたら)楽になるだろうな…」の揺れる気持ちが行ったり来たりの日々もあり…。こうして勉
強会に参加させて貰い、また 元気を貰いました。」
★「現在、仮設に住んでいらっしゃる当事者の方のお話しを生の声で初めてお聞
きしました。自分の想像力のなさにあきれています。もっとお聞きしたいというのが本
音です。私に出来ることをもっと考えて行きます。」
★「経済優先でいろいろな疑問があっても目を向けて来なかった。反省をし、今日
も講演を聴かせて頂こうと来ました。福島の方の今、何をしていいのかわからないか
ら沈黙しているという苦しさも理解出来ます。」
★「チェルノブイリに取材で、あと1000年はこの地に住めないと言っていました。福
島県にはまだまだ支援が必要です。どんなに苦しい思いをしているかも、浪江町が差別されていたのも知らなかった。傍観しているだけでは― (中略) 息長く油断せず常に関心を払って!!原発がこわい女たちの会に長年加入していてやっと近所の人々に話せるようになりました。これからも勉強して行こうと思います。」
 
原発がこわい女たちの会」公式ブログに掲載された橘柳子さん講演会の模様

 

 

(4頁・5頁)
 昨年12月15・16日に行われたNuclear Free Nowの報告です。
主催・Nuclear Free Now実行委員会(ピースボートグリーンピース・ジャパン他10団体)
 アイリーン・美緒子・スミスさんから、ある日突然電話があり、「12月15・16日は空いていますか」と言われて、会場は東京だと聞いて、「何も予定が入ってないけど、若い人に参加して貰って」と云うと、経験者が必要なのよと言われて参加することになった。途中からもう一か所「手をつなぐ女たち」にも参加してほしいと言われ、2か所のセッションに参加することになりました。(外国人25人・日本人28人のスピーカーが居ることを当日プログラムを見て知る)
  
福島の事故で私たちは学びました。これからは原発なしで暮らしたい。でも政府に任せていては「原発ゼロ」は実現しません。12月15~17日、日本政府と国際原子力機関IAEA)が「原子力安全・福島閣僚会議」を郡山で、開きました。これに合わせ、世界の人たちと行動を起こしましょう。(開催の趣旨)
 
 「Nuclear Free Now」は東京・日比谷と福島・郡山で同時に行われた参加型アクションでした。12月16日は衆議員議員の選挙日でした(そのため、初めて期日前投票をしてきました)。
 
 会場の日比谷公園では「さようなら原発世界大集会」と「脱原発世界大行進」が開催され、日比谷公園の近くの「東商ホール」と「イイノホール」の二つの会場で「脱原発世界会議2」が9セッションにわかれて開催されました。各会場は同時通訳でした。
 
12月15日はイイノホール
 16:00からのテーマC「脱原発社会の作り方」②日常のモヤモヤから政治へ―手をつなぐ女たち―参加者各自、5分間のスピーチでした。
 このセッションでは14:00からスピーカーの集合があり、通訳も入った自己紹介や質問があり、私なんかは誰も知り合いが居ないし、初めてお会いする人ばかりでした。
 上野千鶴子氏の「ウィメンズアクションネットワーク」(WAN)がコ―デネート担当だったので、キャリアウーマンの集まりの中に何故か普通のおばさんの私が厚かましく入ってしまった感じでした。上野千鶴子氏の周りには普通のおばさんは居ないのですが、レセプションの席で彼女と女性の地位向上がなかなか進んでいない日本の原因について話す機会がありました。若いスタッフと和歌山での再会を約束しました。実現したいと思っています。
 
12月16日は東商ホール
 10:00からのテーマC「脱原発社会の作り方」③原発を止めた人たち
 参加者各自8分間のスピーチでした。トップバッターだったので、最初から和歌山県下原発誘致のうごきがはじまった年を間違って話しているのを、後日ユーチューブで見つけました(正しくは1967年)。このセッションには青森県の小笠原厚子さん、福井県の石地優さん、山口県の清水敏保さんも参加されていました。みなさん何度かお会いした方でしたので、気分的には楽でしたが小笠原さんと話す時間がなかったのが残念でした。
 スピーカーと会場の参加者との質疑やスピーカー同士の交流がメインでした。私が一番感心したのは若いスタッフがたくさん参加していた事です。選挙期間中だったので会場の参加者は少なかったのですが、3.11後の若い人の動きとして持続した行動が続くように願うばかりです。
出あった女性。
 下のピエロは15日の日比谷公園の行進に参加するためにイイノホールのトイレで着替えをしていた2人の女性の一人。私もこんなのやってみたいと云う興味もあって声をかけた。和歌山の田辺市の出身、その上「つゆくさの会」を知っていたので、びっくりしました(写真公開は了承済み)。日比谷公園での集会や行進には時間がなくて、私は参加できませんでした。(松浦雅代)
※ピエロ姿の女性の写真は以下の公式ブログでご覧ください。
 
「Nuclear Free Now」
 2012年1月14~15日にパシフィコ横浜に1万人以上を集めた「脱原発世界会議 2012 YOKOHAMA」を引き継ぐ2回目の世界大会。
 詳細については、以下のサイトにあります。フォトギャラリーもこちらから。
  
http://npfree.jp/index.html  
 「原発のない未来をつくるための東京宣言」 
 
※なお、メルマガ金原で「Nucler Free Now」を取り上げた号を転載したブログもご参照ください(金原)。
 

(6頁・7頁)
福島事故とIAEA
 
 チェルノブイリ事故とIAEAの役割はどうだったかを知ることが必要です。
 IAEA国際原子力機関)は、原子力利用の推進と軍事転用の防止を目的として1957年に国連の下に設置され、ウイーンに本部が置かれている。チェルノブイリ事故が起きて以来、この20年間IAEAがはたしてきた役割は、事故隠しへの加担と被害の過小評価の歴史であった、と「チェルノブイリを見つめなおす」(発行2006年・今中哲二・原子力資料情報室編著)に書かれています。
 事故5年後の1991年5月の国際チェルノブイリプロジェクト報告会では1989年春にチェルノブイリ周辺の詳細な汚染地図が公表された。IAEA放射線影響研究所・重松逸造を委員長とする「国際チェルノブイリプロジェクト」
が作られ、1年間の調査の後に報告会が開かれた。「汚染にともなう健康被害は住民には認められない。もっとも悪いのは放射能を怖がる精神的ストレスである」と結論を出した。
 ベラルーシウクライナの抗議は無視された。
 
 私はその2か月前、1991年3月に「チェルノブイリ調査・救援女性ネットワーク」のメンバーとして旧ソ連に行った。日程の最後にモスクワからトゥ―ラ州に行く時、運転手のストライキに出くわせて、代わりの運転手が来るまで2時間以上待たされた。その間に、事故後の困難な状況を把握できる立場にいた、引率して頂いた女医さんにいろいろ話を聞くことが出来た。彼女いわく、3年目位に日本の広島から来た重松という専門家に「大したことはない」と言われたので安心していたが、その後、子どもたちに次々異変が起き大変な事になったと言われた。事故処理作業に入った若い兵士も郷里へ帰ってからさまざまな異状が発生したので、その後は40歳以上の人にした。等と聞きながら、最初に訪問したベラルーシミンスクの小児血液病センターで、毎日、白血病で子どもたちが今朝2人、昨日も何人か亡くなった話を医師から説明を受けた後。治療中の子どもたちの母親たちと交流した。ある一人の母親が一番最初に私たちに問うた言葉が「広島の子どもたちは、まだ生きているのか」でした。私たちと同行していた共同通信広島支局の人が「元気に生きています」と答えた。私はこの時、何も発言することも出来なかった。し、押し黙っているしかなかった。そして最後の日に広島の放射線影響研究所の故重松逸造氏の話を聞かされ、日本の広島・長崎の経験は被ばく者の思いとは別に、唯一の研究所の肩書を持って、被ばく者を切り捨てるための役割に加担している事を、この時私は初めて思い知ったのです。
 今福島で同じことが行われるのではないかと危惧している。(松浦雅代)
 
福島原発事故の責任を問う告訴⇒⇒福島原発告訴団から緊急署名のお願いです
 福島原発事故に関して、厳正な捜査と起訴を求める署名です。
 昨年の6月の福島県民による1324人の第一次告訴に続き、11月には全国に呼びかけ、13000人を超える大集団告訴・告発を行いました。和歌山県内では40人参加しています。
 これらの告訴・告発はすでに受理されています。しかし、政権が変わりました。
※署名用紙ダウンロードはこちらから。
 
福島第一原発の事故処理作業者の状況
 昨年の11月福島第一原発の廃炉収束作業に向けた政府と東電の中長期工程表で約2万4300人を確保されたとされている登録作業員が実際は約8000人と3分の1だったことが報じられた。日系ブラジル人向け新聞に下記福島第一原発の求人広告!(昨年の12月)日本語に翻訳すると
「廃棄物の除去・20キロ圏内/日当3万円/1日2時間」
「廃棄物の除去・安全な場所/日当1万円~1万2千円/日曜休み・住宅と3食付」
 廃炉収束作業は莫大な汚染水と廃棄物、放射線被曝との闘いの様相を呈し、労働者の供給がそれに追いつかない状態にある。(脱原発情報・プルサーマルに反対する双葉住民会議発行no149より抜粋)

和歌山の風力発電について
 11月18日に汐見文隆氏も参加され
「風力発電の被害を考える会・わかやま」が結成されました。
 既設は4か所ですがこれから10か所78基の計画が予定されています。有田市日高川町印南町白浜町等に建てる計画です。
 既設発電所が2か所ある由良町海南市下津で、被害があり、今まで住んでいた家に住めなくなった人が現実にいます。しんどいけど引っ越すことが出来ない。そう簡単に移動することは同じ地域に畑を持っている人にとっては死活問題です。低周波の被害・騒音の被害なども我慢している人もいるとお聞きしました。由良町の畑地区の人たち(由良町の風力発電を考える会)は夜だけでも止めてほしいという要望書を「ガス&パワー」に出しています。
 由良町海南市下津も風車の建っているところは、とても静かな町です。
★「風力発電の被害を考える会・わかやま」は会員を募集しています。
 
※「風力発電の被害を考える会・わかやま」公式ブログ
 

(8頁)
 ―本の紹介―
 3.11後、原発に関する本がたくさん出版されていますが、お勧めの本です。
 今中哲二さんの
 ☆サイレンとウォ─ 見えない放射能とたたかう 
講談社定価1500円(税別)
 項目別に分かりやすく説明があります。最後に今中さんのお母さんの今中茂子さんの「私の原爆体験記」があり、おわりにかえてで、被曝2世の今中哲二さんご自身のことが書かれています。
 原発事故後の日本を生きるということ 農文協ブックレット定価800円(税別)
 小出裕章/中嶌哲演/槌田劭 3氏の、いのちの原理で未来を拓く。珠玉の対談・提言集 関西にお住まいの3人ですがそれぞれの違いがおもしろい。
 
3.11福島第一原発事故から2年/「原発」を考える市民公開講座
○日時2013年3月10日(日)14:30~17:00
○会場 和歌山市勤労者総合センター6階ホール
○内容
  14:00開場
  14:30開演・報告 
   ①使用済みの核燃料中間貯蔵施設に反対する医師の会・龍神弘幸
   ②原発がこわい女たちの会・松浦雅代さん
  15:00講演 小出裕章さん
   「福島第一原発の現状と私たちの未来~原発ゼロ世界へ~」
  17:00 閉会
○主催:和歌山県保険医協会・子どもたちの未来と被ばくを考える会
○参加費無料・定員180名ですので整理券が必要です。定員になり次第〆
切りますので、お早めに、ご希望の方は松浦まで。
 

ニュースが遅れてしまいました。左腕がぴくぴく痛くなって、落ち込んでいます。小出さんのはなしは和歌山市では久しぶりです。若い時の小出さんを知っているみなさん小出さんは原発を止めるために闘い続けています。(整理券が必要です)私も女の会活動の報告をして下さいと言われたので引受けたのですが、小出さんの前にしゃべるので、超上がりそうです。松浦雅