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日本国憲法「第10章 最高法規」を読む

 今晩(2013年4月3日)配信した「メルマガ金原No.1313」を転載します。
 
日本国憲法「第10章 最高法規」を読む
 
 昨年は1度もなかった憲法に関する講師依頼が、今年は立て続けに入っているということは先日も少し書きましたが、講演テーマについては主催者のご希望にわせるようにしているためにレジュメの使い回しができず、その都度書かねばなりません。このため、レジュメを書いているとメルマガを書く時間が取れなくなるというのが悩みの種となっています。
 
 この問題を解決するためには、レジュメをそのままメルマガに掲載(それも学習会の前に)するしかないということで、以前も、「9(ナイン)ギャザリング@あわたま」のために書いたレジュメを3回に分けてメルマガで配信しました。
 
メルマガ金原No.1254「あらためて“9条事始め” 前編」
メルマガ金原No.1255「あらためて“9条事始め” 中編」
メルマガ金原No.1256「あらためて“9条事始め” 後編」
 
 本日は、キリスト者9条ネット和歌山(4月29日予定)からご依頼のあった「憲法とは何かあらためて考えてみよう―改憲の動きを前にして」という講演のために書きかけているレジュメの一部を掲載することにします。
 このテーマでの講演を依頼されて私がまっさきに思い浮かんだのは、日本国憲法「第10章 最高法規」でした。自民党「改正草案」がこの章をどう変えようとしているのかを説明すれば、それがすなわち講演テーマそのものに対する答えとなると思ったからです。
 
 
            日本国憲法「第10章 最高法規」を読む
 
 私が「憲法とは何かあらためて考えてみよう―改憲の動きを前にして」というテーマをいただいた時、「日本国憲法の条文の中で、まずこの3箇条を読んでいただこう」とすぐに思いついた条文を以下に引用します。
 
  第十章 最高法規
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年に
わたる自由獲 得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として託されたものである。
第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、
命令、詔勅 及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守す
ることを必要とする。
第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公
務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
 
 「第1章 天皇」「第2章 戦争の放棄」「第3章 国民の権利及び義務」「第4章 国会」「第5章 内閣」「第6章 司法」「第7章 財政」「第8章 地方自治」「第9章 改正」までは、どういうことが規定されているのか、章の標題だけからでも、ある程度は推測がつくと思いますが、「最高法規」という第10章の標題を読んだだけで何らかのイメージがわきますか?実際に3箇条の条文を読んでみたらどうでしょうか?
 「どうやら憲法が一番偉い規定であって、他の法律などは憲法に違反すると効
力がないということを定めたのかな」位のことは(98条にそう書いてあるのですから)誰でも分かると思いますが、最高法規性を定めた98条と、その前後の97条、99条との関係、何故この3箇条で一つの章をわざわざ設けているのか、ということは少し説明を加える必要があるでしょう。
 実は、今日のお話は、この第10章の意義と、これをなきものにしようとしている
自民党改憲案の対比をご説明すれば、ほぼそれで尽きると言ってもよい位なのです。
 
私自身、日本国憲法の条文を初めて通読したのは、大学の1回生として教
養課程の「日本国憲法」を受講した時でしたから、もうかれこれ40年昔のことですが、その時は、「第10章 最高法規」の本当の意義は全然分かっていなかったと言わざるを得ません(先生はちゃんと講義しておられたのでしょうが、私はろくに講義に出ておらず、試験前に教科書や六法にざっと目を通しただけだったので)。
 何より私が疑問に思ったのは97条でした。基本的人権の重要性を強調するの
であれば、「第3章 国民の権利及び義務」の最初の方に置けば良いし、実際、第3章には既に以下のような条文が置かれていました。
 
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力
によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
 
 大学に入ったばかりの私には97条の存在意義が理解できず、「11条や12条と無駄に重複しているのではないか」などと考えていました。
 97条や99条の重要性を理解するまで、相当時間がかかったように記憶してい
ます。
 
 さて、現行憲法第10章の意義を説明する前に、自民党がこれをどのように変えようとしているのかをご紹介しておきます。
 
(自民党「日本国憲法改正草案」より)
  第十一章 最高法規
(憲法の最高法規性等)
第百一条 この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命
令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守す
ることを必要とする。
(憲法尊重擁護義務)
第百二条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義
務を負う。
 
 どこをどう変えようとしているのかを概観しておきましょう。
 97条はどうなったか?「全面削除」です。「改正草案」について自民党が発表
した「Q&A」には、何故97条を削除したかについては一言も触れられていません。
 98条はほぼそのまま新101条となっています。
 99条の憲法尊重擁護義務はどうなったか?
 まず、現行規定にはなかった国民の憲法尊重義務なるものが102条1項として
規定されています。
 102条2項には、現行の99条からあえて「天皇又は摂政」を削除した上で、公
務員の憲法擁護義務を残しています。
 
 個人的なことですが、私はささやかなメルマガを発行しており、昨年の5月3日には、「憲法記念日に考える(立憲主義ということ)」という記事を書いて配信しました。
  後編 http://blog.livedoor.jp/wakaben6888/archives/22698597.html
 それは、その直前の4月27日に公表された自民党「日本国憲法改正草案」を
一読し、何より問題なのは「立憲主義」の否定と言ってもよい基本姿勢にあると感じたため、その象徴的な規定と考えた現行99条の改悪(新102条)を取り上げ、明治憲法制定時の枢密院における伊藤博文森有礼の議論なども紹介しつつ、伊藤博文らには自明であった「立憲主義」の原則が、自民党によって葬り去られようとしていることに非常な危機感を抱いたからです。
 
 「立憲主義」とは何か?ということを理解するために、1988年(明治21年)6月22日(大日本帝國憲法公布の約8か月前)に枢密院における審議の中で伊藤博文が述べた以下の発言を引用します。

そもそも、憲法を創設するの精神は、第一君権を制限し、第二臣民の権利を
保護するにあり。ゆえに、もし憲法において臣民の権利を列記せず、ただ責任のみを記載せば、憲法を設くるの必要なし」(原文は旧字・カタカナ・句読点なしなので、読みやすくしました)
 
 そして、明治憲法「第2章 臣民権利義務」の中で、臣民に直接義務を課す規定は、兵役の義務(20条)と納税の義務(21条)を定めた2箇条だけにとどめられています。
 
 伊藤博文が正しく指摘しているように、そもそもなぜ憲法を定めるかと言えば、それは国民の権利・自由を保障する(臣民の権利を保護する)ためであって、そのために国家権力に制限を加える(君権を制限し)必要があるからです。つまり、「憲法を守らなければならない」という規範の名宛人は国家であって国民ではない、というのが大原則なのであって、これが「立憲主義」の本質です。
 ここまで書けば、現行憲法の「第10章 最高法規」において、
基本的人権不可侵性を強調した97条が、なぜ憲法の形式的最高法規性を明示した98条の直前に置かれねばならなかったかがご理解いただけるでしょう。
 97条は、憲法が最高法規でなければならないその根拠を明示した規定なの
です。
 そして、99条の憲法尊重擁護義務に列挙された「天皇又は摂政及び国務
大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」は、正に最高法規である憲法規範の名宛人である国家を実際に運営する主体であるがゆえに、明示的に「憲法尊重擁護義務」が課せられているのです。
以上のとおり、97条-98条-99条という第10章の3箇条は、非常に論理的
なつながりをもって構成されており、最も根本的な憲法の基本原理である「立憲主義」を明らかにした規定なのです。
 
 さて、自民党「改正草案」です。
 97条が全面削除されることにより、伊藤博文の言う「臣民(国民)の権利を保護す
」という憲法の最も重要な目的が消えてなくなっています。
 98条の形式的最高法規性はそのまま残っていますが、現行の第10章にお
いて、真に重要な規定は97条と99条であり、98条はこれらの条文の存在理由を論理的に明らかにするために必要であったため、97条と99条の間に置かれたものです。
 考えてもみてください。憲法が形式的に法律等の規範より上位にあるなど
いうことは、規定があろうがなかろうが「当たり前」でしょう?
 自民党改憲草案が98条を残したことは全く評価に値しません。
 そしてとどめは99条です。自民党は新102条で、あろうことか国民の憲法尊
重義務をまず規定しています。
 実はこの規定に限らず、自民党改憲草案には国民に義務を課す規定が
次から次へと出てきます。数え方にもよりますが、新たな義務規定が少なくとも10箇所はあるでしょう。
 なお、憲法(尊重)擁護義務を負う者から、「天皇」と「摂政」を削除したのは、「天皇元首化」というまた別の要請との関連が主でしょう。

 


 そろそろ結論を述べましょう。
 自民党改憲草案は、国際標準で言えば「憲法」の名に値しません。
 もちろん、世界には様々な国家があり、それぞれ憲法を持っているのですから、伊藤博文が述べたような意味での「立憲主義」に立脚した憲法ばかりではなく、国民の自由・権利よりも「公益や公の秩序」を重しとする全体主義国家の憲法もあるでしょう。

 

 しかし、そのような「立憲主義」に立脚しない「憲法」は、「近代的意義の憲法」とは言いません(これが通説です)。
 つまり、自民党は「立憲主義」を捨て去り、日本を全体主義国家にしようと提唱しているのです。

 

 私たちが闘わねばならない相手の本質は、まさにこの「最高法規」の章の「改正草案」に最も如実に表れています。

 

 

 

(参考サイト)

 

 

 

 

 

 

 

自由民主党日本国憲法改正草案 Q&A」