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“原発輸出”についての安倍首相の“なさけない答弁”

 今晩(2013年10月27日)配信した「メルマガ金原No.1525」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
原発輸出”についての安倍首相の“なさけない答弁”
 
 去る(2013年)10月18日、施政方針演説に対する各党からの代表質問があり、その中で共産党の市田書記局長が「直ちにやるべきは、原発への態度や将来のエネルギー政策の違いを超えて、汚染水問題の抜本的解決を最優先に据えるために、再稼働と原発輸出のための準備や活動を中止することではありませんか」と首相の姿勢を質したのに対し、安倍晋三首相は、「原発輸出については、福島第一原発事故の経験と教訓を世界が(首相は「世界に」と読み間違えていますが)共有することにより、世界の原子力安全の向上に貢献していくことが我が国の責務であると考えています。相手国の意向や事情を踏まえつつ、我が国の技術を提供していく考えです」と述べ、あくま原発輸出を推進していく考えを強調しました。
 
ニュース映像(FNN)
参議院インターネット審議中継(「10月18日」「本会議」を選択)
 
 いずれ経産省の官僚などが起案した文章を棒読みしているのでしょうが(現に読み間違えている!)、それにしても、「福島第一原発事故の経験と教訓を世界が共有することにより、世界の原子力安全の向上に貢献していくことが我が国の責務である」ので、「相手国の意向や事情を踏まえつつ、我が国の技術を提供していく考えです」というのは、どういうロジックなのでしょうね?
 最初、ニュース映像で見た時には、この2つの文の間に省略された部分があって、そのために論理的に繋がらなくなったのではないか?と推測したのですが、参議院インターネット審議中継で確認したところ、この箇所については省略がないことが分かりました。
 そうすると、最初の「どういうロジックなのか?」は疑問のままです。
 安倍首相も、訳も分からず官僚の作文を読んでいるだけでしょうから、当然「どういうロジックなのか?」と問われても説明できるはずがありません。
 
 それでは、これを起案した(多分)経産省の官僚はどんなつもりでこの「答弁」を書いたのでしょうか?
 ニュース映像では省略されていますが、「福島第一原発事故の経験と教訓を世界が共有することにより」の冒頭に「原発輸出については」という言葉がありますので、「何について」説明しようとしているのかは明確です。
 明確でないのは、その後の文章のつながりです。
 
 文章が理解しやすいかどうかは、難しい言葉が使われているかどうかで決まるのではありません。文章に一貫した「論理」の背骨が通っていれば、少々難解な用語が使われていても、筋をたどること自体は容易です。
 しかし、この答弁はどうしようもありません。
 
 くどいようですが、まず第一文を読んでみましょう。
 「原発輸出については、福島第一原発事故の経験と教訓を世界が(首相は「世界に」と読んでいますが、とりあえず「が」としておきます)共有することにより、世界の原子力安全の向上に貢献していくことが我が国の責務であると考えています」
 実は、この第一文だけでも「非論理的」と言わざるを得ません。「~共有することにより」「~が我が国の責務である」というのは日本語になっていません。言い換えれば、半と後半が論理的に結びつけられていません。
 「福島第一原発事故の経験と教訓を世界が共有することにより」という文の次には、どういう文が来るのが「論理的」だと思いますか?例えば、「原子力発電所の安全対策の一層の向上が共通の課題となっており、我が国としてもそのために可能な限りの貢献をしなければならないと考えております」といったところでしょうか。
 何とか原文を活かそうと思ったのですが、やはりこれでも「変」です。
 そもそも、首相答弁で述べるべき主題は、原発輸出について、我が国の政府として、どう考え、どう行動していくかということであるのに、おこがましくもいきなり「福島第一原発事故の経験と教訓を世界が共有することにより」という表現を持ち出してしまったことが論理的破綻の最大の原因です。
 
 安倍首相が「福島第一原発事故の経験と教訓を世界が共有する~」を「世界に共有する」と「読み間違えた」ことは、こう考えてくると、大いに「同情の余地」があるように思えてきました。もちろん、「世界に共有する」では日本語になりませんから「間違い」には違いないのですが、首相としては、「原発輸出については」で文章が始まった以上、当然、その後に「我が国がどうする」という話になっていくのだろうと期待したため、つい「世界に」と読んでしまったのでしょう。「原発輸出については」と言っておきながら、その次に出てくる主語が「世界が」になっていたのですから、首相もとまどったことでしょう。
 
 第一文自体が破綻しているのですから、これに「相手国の意向や事情を踏まえつつ、我が国の技術を提供していく考えです」という第二文を続けてみたところで、何の説明にもなっておらず、ただ結論を言っているだけのことです。
 
 こんなことを書いていると、「重箱の隅をつつく」という表現を思い出し、我ながら嫌になってきますが、ことは日本が今後も原発輸出を推進するのかどうかという、政治的・経済的・倫理的な大問題に関わることであり、こだわらざるを得ません。
 10月18日の安倍首相答弁については、様々な意味で「なさけない」と言うしかありません。
 とんでもない内容の答弁をしていながら、この首相は多分「何も考えていない」としか思えないことがまず「なさけない」のですが、それに付け加えるとすれば、首相答弁を起案する、あるいは起案された答弁草稿をチェックする官僚のレベルが著しく低下しているのではないかということが「なさけない」と思いました。
 
 実は、10月18日の安倍首相・国会答弁は、原発輸出問題を考えるための「マクラ」として触れるだけのつもりであったのですが、それ自体がテーマになってしまいました。
 本当は、原発輸出を考える上での基礎文献として、ジャーナリストの明石昇二郎さんが、岩波書店の雑誌「世界」2011年1月号に発表された『原発輸出-これだけのリスク』(10頁)という論考をご紹介しようと考えていたのです。
 「世界」2011年1月号では、「原子力復興という危険な夢」という特集が組まれており、それから間もなく3.11による福島第一原発事故が発生したという事態を踏まえ、明石さんの上記論考を含めて3編の作品が2011年3月28日にWEB上で公開されることになり、現在でも無料ダウンロードできます。
 
 3.11以前に書かれたものですが、明石さんが指摘された原発輸出にともなう「リスク」については、基本的に、全て現在でも妥当すると考えられますので、まだお読みになっていない方には、是非一読されるようにお勧めします。
 明石さんが指摘された5つの「リスク」の項目のみ以下に掲げておきます。
 
①輸出先国で産出された放射性廃棄物を日本が引き取らねばならないリスク
原発建設が頓挫することによる日本からの融資(郵貯資金等)が焦げ付くリスク
③輸出先国が核武装するリスク
原発事故によりメーカーだけではなく日本政府も損害賠償請求を受けるリスク

 

⑤輸出先国での反対運動の盛り上がりが日本に向かうリスク