読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

wakaben6888のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

立憲主義は8年前から危機的状況だった~2006年5月18日衆議院憲法調査特別委員会での小林節参考人の意見から

今晩(2014年9月7日)配信した「メルマガ金原No.1841」を転載します。

なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
立憲主義は8年前から危機的状況だった~2006年5月18日衆議院憲法調査特別委員会での小林節参考人の意見から
 
 昨日(9月6日)、大阪弁護士会館で開催されるシンポジウムに参加するため和歌山から乗った電車の中で(大阪の難波まで約1時間)、私は自宅の書棚から抜き出してきた新書を読んでいました。
 
 
 この7年前に発行された新書は、「2005年11月から2007年5月にかけて、『マガジン9条』に掲載した『伊藤真のけんぽう手習い塾』を元に大幅に加筆修正したもの」であり、私も発行直後に購入して目を通していました。
 
http://www.magazine9.jp/category/article/juku/
 
 それを今あらためて読み直してみようと思ったのは、来週の火曜日(9月16日)に、和歌山弁護士会が主催(共催:日本弁護士連合会)する市民集会「集団的自衛権って何ですか?~憲法集団的自衛権を考える~」の講師として伊藤真さんに和歌山までおいでいただくことになっているため、その準備(というほどでもありませんが)というようなつもりでした。
 この本が刊行された2007年7月といえば、第一次安倍晋三自公連立政権が、参議院選挙で敗北を喫する直前の時期であり、思えば、この『憲法の力』と全く同じ時期に出版され、おそらく多くの大型書店では、同じコーナーに平積みされたと思われるのが『集団的自衛権とは何か』(豊下楢彦著、岩波新書)でした。
 こららの本の出版が、2005年10月に自民党が「新憲法草案」を発表し、翌2006年9月に改憲を目指す安倍政権が発足したことと密接な関連があったことは疑いありません。
 ちなみに、自民党WEBサイトにはこの「新憲法草案」が既に掲載されていないようですが、安倍晋三氏の個人サイトで見つかりました。
http://www.s-abe.or.jp/wp-content/uploads/constitutiondraft.pdf
 今日は、この「新憲法草案」を論じるのが主眼ではありませんが、2012年4月に発表された自民党日本国憲法改正草案」に比べれば、9条2項を削除して自衛軍を創設するとか、「公共の福祉」に代わり「公益及び公の秩序」を人権の制約原理としていることなど、2012年案に通じる部分ももちろんあるのですが、それにしても、2012年案ほど徹底した反立憲主義の立場を明らかにしていなかったということは言えるので、この違いは、新憲法起草委員会事務局
次長としてとりまとめの中心を担ったのが舛添要一参議院議員(現東京都知事)であったのに対し、2012年案で同様の立場(憲法改正推進本部起草委員会事務局長)を担った礒崎陽輔参議院議員が、twitterで「立憲主義など聞いたことがない」と公言するような人物であったことに象徴されているように思われます。
 
2012年5月30日(再配信2013年2月16日)
立憲主義」を聴いたことがないという参議院憲法審査会委員
 
http://blog.livedoor.jp/wakaben6888/archives/23587627.html
 
 にもかかわらず、と言うべきでしょうが、これらの書籍が発行された2007年の段階で、あるいはそれ以前から、慧眼を有する識者は、危機の本質が「反立憲主義」にこそあると見抜いていたことに今さらながら気がつき、自らの不明を恥じることがしばしばあります。
 
 昨日再読した『憲法の力』においても、いたるところで、「これは全く現在の状況にもあてはまる。違いといえば、さらに危機が深まっていることだけだ」という感想を持ちました。
 例えば、同書の冒頭は以下のように始まります。
  
http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0399-a/ (「試し読みページを開く」をクリックしてください)
 
(引用開始)
■政治的なクーデターが起ころうとしている
 唐突ですが、憲法及び憲法改正にまつわる基礎クイズです。合っているかどうか、○か×か、
考えてみてください。
 
1 憲法は、法律の親玉みたいなものだ
2 憲法改正は、内閣及び総理大臣の主導で行うことができる
3 憲法には、国民が守らなければいけないルールや義務が書かれるべきだ
4 憲法は、国民投票で国民の四人に一人の賛成でも改正されることもある
 
 さあ、どうでしょうか。実は1から4までの答えは、憲法学的にいえば全部×です。全部が「そんなことはない」と否定されるものであるはずです。しかし2007年現在の日本、安倍政権では、この項目の内容に近いことが行われている、または行われようとしているのです。
 安倍総理は、2007年1月の年頭記者会見で次のように述べました。
「今年は憲法が施行されて60年であります。憲法を、是非私の内閣として改正を目指してい
きたいということは、当然参議院の選挙においても訴えてまいりたいと考えております」
 全国紙でもテレビでも伝えられたこの発言に、私は非常に驚きました。「内閣として憲法改正を目指す」ということ。「参議院選挙で憲法改正を争点にする」ということ。そして、「改正」といってはいますが、(自民党が掲げている新憲法草案をみればわかるように)実際は今の日本国憲法を捨て去り、まったく新しい憲法を作る「新憲法制定」をもくろんでいるということが、その理由です。
 これは、「政治的なクーデター」ともいえるものです。なぜなら、明らかに現行憲法の価値を否
定し、憲法99条に明記されている「憲法尊重擁護義務」の違反に当たるからです。総理大臣と国務大臣は、憲法尊重擁護義務を負い続け、内閣として憲法改正をめざしたり、まして
や新憲法制定など許されるはずはないのです。
 憲法は主権者である国民のものです。その憲法の力が政治家によって弱められ、ないがしろ
にされている――日本は今、そんな正念場を迎えています。ところが日本国民の間には、実に
まったりとしたムードが漂っています。
 憲法が本来の力を失い、クーデターが起ころうとしている非常事態なのに、国民がこんなに
平静でいられるのはなぜなのでしょうか。さまざまな理由があるとは思いますが、私は「みんなで
憲法の話をしてこなかったからだ」と考えています。
 憲法の話だけでなく、国民の誰もが政治や法について議論する経験をしてこなかった、といえ
るのかもしれません。飲み屋でサラリーマンたちが、会社の人間関係や景気、社会経済の話をしているのはよく目にするところですが、憲法論議をたたかわせている姿はあまり見かけないです
よね。
(引用終わり)
 
 7年前に伊藤さんが「クーデターが起ころうとしている」と警鐘を鳴らしたことが、ついに今年現実のものになってしまったということなのだろうと思います。
 
 ところで、『憲法の力』22頁~に以下のような記述があります。
 
(引用開始)
 私は、2006年5月18日に衆議院日本国憲法に関する調査特別委員会に参考人して出向いて、憲法改正国民投票法制の要否、つまり国民投票法をどう考えるか、について話をしています。この日はもう1人、慶応大学法学部の小林節教授も参考人として呼ばれて
いました。
(略)
 おそらく、2人を呼んだ側としては、改憲派護憲派で真っ向から意見が対立するであろうと
考えていたのかもしれません。しかしこの委員会において、実際は憲法の意義や、イラクへの自衛隊派遣が憲法違反であること、愛国心憲法の条文に盛り込むことに反対であることなどについて、私たちの意見はぴったりと一致して、当時の小泉政権のやっていることを憲法
の本質からみて批判したものですから、聞いている委員側には驚きだったことでしょう。
 特に、憲法とは国家権力を拘束するものであって、国民に義務を課すものではないという
点について(当たり前のことですが)2人の認識は共通しています。
(引用終わり)
 
 私は、1年余り前、こういう文章をメルマガ(ブログ)に書きました。
 
2013年7月13日
この7年間、私たちは何をしていたのか?~「小林節さんに聞いた」(2006年/マガジ
ン9条)を読んで~
 
http://blog.livedoor.jp/wakaben6888/archives/29495752.html
 
 今日ご紹介しようと思う、伊藤真さんと小林節さんが参考人として招かれた衆議院憲法調査特別委員会の会議録は、昨年書いた上記記事の(遅ればせながらの)追補でもあります。
 
2006(平成18)年5月18日
衆議院 日本国憲法に関する調査特別委員会 会議録

 
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=5326&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=9&DOC_ID=1608&DPAGE=1&DTOTAL=3&DPOS=2&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=5363
 
 会議録自体かなりの分量になりますので、委員との質疑の中で小林節参考人が述べた注目すべき発言を中心に引用します。なお、発言冒頭に付した番号は、サイト左側のインデックスに付された番号に対応しています。
 紙幅の都合で、伊藤さんに対する質疑をご紹介できませんでしたが、是非、会議録自体でお読みいただければと思います。
 
013番 ○高市早苗委員(自由民主党) 
 ありがとうございます。
 次に、小林先生にお伺いをいたします。
 きょうのお話の中では、手続法を決めてから、その後憲法の中身の本論へというような形
になっちゃっているけれども、まずは中身の議論ではないかといったような御指摘が冒頭に
あったと思います。
 つまり、改憲の必要というものが明確になればその手続はすぐにできる、もう論点もある程
度整理されているという順序のお話だったんですけれども、平成十二年から衆参両院に憲法調査会が設置され、それは改正案を発議するような役割の委員会ではありませんでしたけれども、随分長い時間、五年間をかけて、現行憲法について研究、精査をしてきたわけです。そしてまた、自民党でも長年の時間をかけまして議論いたしまして、昨年の秋に案を発表したところでございますので、私はもう手続法をここで定めるという時期に入ってきてい
ると感じております。そこは御理解いただきたいなと思っております。
 それから、憲法観の転換のお話がありました。これは自民党の発表した草案に触れてい
ただいたんですが、恐らく先生は、憲法というのは国家の権力を制限する、国民の権利を反対に守るための制限規範的なとらえ方を主に持ってくるべきだというお考えなんだろうと思
います。
 それは憲法の重要な役割だと私は思うんですが、私自身は、昨今、やはり国民の命を確
実に国が守るとか、それから領土の保全、独立統治というものを確保するために、国家に新たな役割を担ってもらう授権規範的な要素も幾らかは必要だと思います。それはあくまでも国家主義的なものであるべきではないと考えるんですけれども、国家がもう少し新たな役割を担って、確実に国民の命を守るような役割、そういった授権規範的な考え方というのも自
民党の草案の中には入ったと感じているんです。
 小林先生は大学の教授でいらっしゃいますので、大学の成績的に自民党の草案に点数
をつけていただくとしたら何点ぐらいとお考えいただいているでしょうか。
 
014番 ○小林参考人
 点数でいくと、もろもろ努力すべてを評価すると、私は九十点でいいと思っているんです。ただ、許しがたい十点があるということなんですね。それは、今高市先生のお考えは根本的に誤解があると私は思うんですね。制限規範と授権規範という言葉を使い間違えてい
ると思うんです。
 つまり、憲法はもともと制限規範プラス授権規範でありまして、授権されているからこそ、
国会は立法権を行使できているわけですし、裁判所は裁判ができているわけですし、内閣はあれだけの強権を持っているわけで、憲法の中に授権規範という側面があるなんということは当たり前のことで、要は、そこを強調することによって国民の権利制限規範に転化
するという議論に私はこだわっているんです。
 つまり、国家は、六法の中で、民法とか商法とか刑法とか訴訟法、こういうものは、ある
意味では我々国民の横の生活の中で我々国民を権利義務で縛っていく面があるわけですね。それに対して、憲法というのは一個だけ異質な性質の法でありまして、それは主権者国民が我々大衆の中から、全く同じ不完全な人間であるにもかかわらず、世襲も神的人格でもなく、つまり中世じゃないということです、お互い不完全な人間同士であることが明らかになって、その中から入れ札、選挙で例外的に選ばれて、ここにおられる方たち及びそのもとで雇われて働く公務員、こういう方たちが具体的に国家権力を握るわけですね。権力というのは、歴史上、本質的に濫用、堕落する危険性がある。それは人間の本質で、これは一向に改まっていません、古今東西。 つまり、現に今地位にいる人を疑うという意味じゃなくて、地位を疑う、権力を疑うというふうに、だれがその地位についても、つまり、中山先生がその地位に立とうとも、中山先生はかなりいいと思いますけれども、あるいは仮に共産党の人がその地位につこうが、同じく濫用の危険はある。だから、それには歯どめをかけておく。濫用されたとき、国民は、例外的にまず緊急避難的に人権ではね返す。これが憲法という法の基本的役割なんですね。
これなくしては憲法じゃなくなっちゃうんですね。
 もう一度申し上げます。制限規範、授権規範なんて、何か最近新発見みたいに言わ
れますけれども、そんなものは基本的には法のあらゆる属性でありまして、特に目新しいことでも、そこを強調することは非常に目新しいけれども、それは誤用であるとあえて申し上げておきます。御理解いただけなければ、時間制限がございますので、別途いつでも御説明申し上げます。
 
042番 ○園田康博委員(民主党
 ありがとうございます。
 また、今、くしくも小林先生がおっしゃっていただいております、憲法改正はモデルチェン
ジのような形で行うというお話がございました。私も学生のころ、そのお考えにすごく、いわば新たな感銘を受けた次第でございますが、現行憲法を是とする、まずそこから小林先生はスタートをされている、押しつけられてもいいものはいいんだということをおっしゃっておられましたし、その旨を私自身もこの委員会でも何度か述べさせていただいたわけでありますけれども、しかしながら、主権者国民の道具としてのモデルチェンジ、これはよりよいものにしていくための改憲論者であると、先生もおっしゃっておられますが護憲改憲派いう立場を明確にされまして、ある意味では、政治、あるいはそういう学会の中でこの議
論をリードされてきた先生であるというふうに私は認識をいたしております。
 その中で、先ほどの高市先生の御議論の中にもありましたけれども、当然、いわゆる
無教養であるが俗耳に入りやすい復古調の改憲論には小林先生はくみしないというふうにある面公言をされておられます。そのいわゆる復古調の改憲論というものが一体どういったものを示しているのかという点を明確にお示しをいただければなと思っておりますと同時に、新たな憲法に対して、国民への義務というものを、先ほど制限規範であるとか授権規範のお考えがあったわけでありますけれども、その国民への義務を課そうとするある種乱暴な憲法観、こういったことに関してもさらに小林先生のお考えがあればお聞かせをいただきたいというふうに思います。
 
043番 ○小林参考人
 復古調というのは、言うのも面倒くさいですけれども、要するに、第二次世界大戦負けて、日本はアメリカによって無理やりよその憲法を押しつけられた、これは我が国に主体性がないときの憲法改正国際法に違反する、もちろん占領のために必要ならやっていいというのが国際法ですから、それは無理ないんですけれども、したがって、独立を回復した今、押しつけられたよそ者の憲法を無効にするとなると、我が民族みずからつくった憲法明治憲法しかない、したがってあれを復活しというような、ポツダム宣言
とかそれに至った歴史を一切否定する議論があるわけですね。
 それはいろいろな意味で、要するに戦争という間違いも経験して着実に真理に近づ
いてきているわけで、そういう意味で、国民主権、反対は君主主権、平和主義、反対は軍国主義、人権尊重、反対は専制なんということは選択が済んでいることなんで
すね。まずそういうものにはくみしない。
 だけれども、常に人間というのは不完全なもので、見たことのないあすのために法をつ
くる、ここでつくられた法もあした以降適用されるわけですから、あしたも見たことのない不完全な人間がつくっている法に間違いがないことはない。さっき高市先生がおっしゃったように内閣が予算案を出して国会が承認して予算になるわけで、そんなことも書き間違いがありますし、衆議院の解散なんという大権だって、憲法の条文を読んだら、だれがその権を握っているかがわからないんですよね。だから、そういうことを含めて、車の
モデルチェンジは必要だという意味での、よき憲法を発展させるという改憲論なんですね。
 さらには、時々吹っ飛んじゃって、十七条憲法が出てくるんですけれども、我らは和を
もってとうとしとなし、そして、それは国民の中に権力と人権という対立関係を持たないでといううそ解説する人もいますけれども、十七条憲法を見ればわかりますように、あれも当時の憲法では確かにあるんですね。だけれども、公務員に濫用するなよとか私腹を肥やすなとか、結局、権力者というのは危ないよということを書いてある。実にそれは今に通じる憲法で、全部読んでいってほしいと思うんですが、そういう議論と私は一線
を画します。
 それから、さっきの愛国心の問題は、私は、この時代、この国に生まれてよかったとい
う意味で愛国心を持っています。だけれども、そんなものは道徳的自然の感情の問題であって、愛国心を法で国民に強制しようとする方には、そんな権限をお持ちだったらよい政治をなさってください、よい政治をしていただいて、この国が居心地がよければ自然と愛せます。愛などというものは、男女関係だって同じですよね、国家権力で強制す
べきものではない。ここに何か勘違いがある。
 それは、まさに神という仮定の上に立った明治大帝が大日本帝国憲法皇室典範
と軍人勅諭で政治を仕切り、そして、神様ですから、教育勅語で国民道徳までおせっかいに語った時代の法体系なんですね。ですから、今そういう教育勅語的なものが憲法規範にあるはずがないんですね。私にレッテルを張るのは御勝手ですけれども、これは私のイデオロギーが言わせているのではなくて、単に私の学識が言っているだけのことで、そこは御理解いただきたいんですけれども、何かここで党派的なレッテルを張ら
れちゃうんです。
 でも、憲法に義務は三つあるじゃないかと。納税と勤労と教育ですか。これは、憲法
は国家を形づくる基本法ですから、さすがに、我ら主権者国民様があるじですから、人に頼らずみずから働いてみずから食わす勤労の義務、そこから出てきた余得で国に納税して国を支え、そして、先に死んでいく者として後継者を育てないと国は成り立たないから、最低限この三つの義務があるので、そこをとらえて憲法に義務を書いていいなどとい
う、窓口が開かれたという考えは間違いだと思うんですね。
 それから、義務が足りないと言うけれども、十二、三条に、すべての人権に濫用しない
義務と公共の福祉に配慮する義務が全部セットで入っているんですね。だから、人権の
分だけ義務があるんですよ。
 こういうレベルでの議論のかけ違いがあって、変な方に進みつつある改憲論議に私は心
配をしております。
 以上です。
 
068番 ○笠井亮委員(日本共産党
 日本共産党笠井亮です。
 きょうは、小林参考人、伊藤参考人、本当に貴重な御意見ありがとうございました。い
ろいろ伺ってきて、小林参考人とも何度かいろいろな機会に御議論させていただく機会がありまして、国民投票法について言えば、この位置づけについても立場、ニュアンスが大分違うなということはもちろんあるんです、私自身としては改憲すべきではないというスタンスですので。それから、護憲派の勢力を、憲法議論が深まらなかったという、そこもちょっといろいろとあるんですが。ただ、おっしゃった中で、大事なのは憲法をどうするかという中身の問題が一番大事なんだというのは、そのとおりだなというふうに国民投票をめぐる
議論の中で感じております。
 それから、伊藤参考人も、むしろ九条を変えるから必要とはっきり主張された方がわか
りやすいということをおっしゃったんですが、私たち自身が今度の問題を九条改憲の条件づくりと言っているのも、やはり改憲そのものが一番の問題だ、中身の問題だというふうに思っているからでありまして、そういう点で、国民投票法は一般的に手続を定めるということだけじゃなくて、むしろどういう政治勢力によってどういう改憲が準備されようとしているの
かという問題と無関係じゃないというふうには考えております。
 そこで、この要否についての議論ということがきょうはテーマなんですが、その前提として
幾つか伺いたいと思っております。
 一つは、昨今の憲法の運用の実態をどのようにごらんになっているかということなんです
が、例えばイラク戦争が誤った戦争であることについては今や世界の常識になりつつある。そして、ブッシュ大統領などもその誤りを認めざるを得ないという事実があると思うんです。ところが、戦争状態にあるイラク自衛隊を派兵して、それが憲法前文の要請であるかのように国会で国民に説明をする、そして、そのことへの反省もいわばないのが今の日本
の政府の実態だというふうに私は考えております。
 こうした政治のもとでの憲法の運用の実態について、両参考人がどういうふうに見てい
らっしゃるか伺いたいと思うんですが、いかがでしょうか。
 
069番 ○小林参考人
 私の頭と心の中では、イラク戦争が一つのターニングポイントになってしまいまして、今の日本の政治、多数派の運用には法治主義とか民主主義とか法の支配とかいう感覚がないのではないかという心配を持つようになってしまったんです。まるで先生の政党の方
と同じようなことを私が言っていて、自分でも不思議なんですけれども。
 つまり、イラク戦争というのは、政府自身が九条の制約だと言っていた海外派兵はしな
いという条件をクリアさせるために非戦闘地域に、コンバットには参加しない、民生復興支援のために派遣するという枠組みをみずから立てておきながら、イラクは、要するに世界最強の軍隊と弱小の民族との正規戦でやったらせん滅されますからやむを得ずゲリラ戦に今入っているわけで、新しい戦争が続いているわけですよね。それを、戦争は終わって、あれはただの治安犯罪であるという、この言葉のうそが一つ。それから、事実上、毎日戦争で人が死んで戒厳状態になっている国に非戦闘地域があるといううそ。それは、もちろん、だれも使っていない砂漠のど真ん中に基地をつくれば、そこは非戦闘地域なのかもしれませ
んけれども、それはちょっと無理がある。
 そして、それを条件に派遣する最高司令官が、私にどこが非戦闘地域か聞かれてもわ
からないと国権の最高機関で開き直ってしまう。私はあれを自宅のテレビで見ていて、本当に自分の財産であるテレビをけ飛ばして壊しそうになったんです。け飛ばしませんでしたけれども、もちろん。でも、おかしいと思うんですね、何のためにこれまで緻密に議論をして
きたのか。
 そして、非戦闘地域に民生復興支援に送るのであれば、それぞれお水の専門業者とか
電線の専門業者とか道路の専門業者とか建物の専門業者とかいるじゃないですか、それに対して精鋭自衛隊をかつてない重装備で送り込む。このごちゃごちゃの概念矛盾。もちろん前提として、アメリカにだまされてしまった、戦争の理由がなかったということ。これでCIA
の長官の首が飛んだほどの出来事ですよね。
 そういうことに対して反省というか後ろ暗さというか、何か良心がとがめないような政治に、
私は本当に……。だって、法律学というのは概念と論理の世界ですから、そうやって、していいことと悪いことを仕切り分けていくわけですよね。それはさておき、したいことはする、ある国から言われたことはやらなきゃいけないからやる。だったら、我々主権者も主権者との約
束としての法律も憲法も全部無視じゃないですか。本当に、こういう政治と学者というブレーンの立場でつき合うことに絶望を感じた瞬間があるんです。
 以上です。
 
071番 ○笠井委員
 次に、憲法とはそもそも何か。これは、本当に、国民的にも認識をもっとお互い深めていこうという話もありました。お二人の御見識がそれぞれ強調されたわけですが、憲法というのは、今もありましたが、まさに国家権力を制限して国民一人一人の人権を守っていくためのもので、憲法というのは国家権力にこそ守らせるものだということは、そのとおりだと私も思うん
です。
 小林参考人がたとえ共産党政権になるような場合になっても濫用をしないようにということ
で言われましたが、まさに私はそういう場合にも権力の側が憲法を厳格に守るということは当然だというふうに思いますし、伊藤参考人九条の会ということで紹介された中で、壊そうとする者に対して守る、そして権力に守らせるということが一番大事な点で、そういう議論にな
っているんだろうなというふうに思っているんです。
 ところが、昨今の改憲議論の中で、先ほどもありました、愛情と責任感と気概を持って国
を支え守るという義務の問題を書き込むべきだという議論とか、それから、憲法というのは国家と国民が協力し合いながら共生社会をつくることを定めたルールだというような議論なんかもあったりして、私は、これは率直に言って、日本国憲法の近代立憲主義の哲学を改変するというか、時代を超えて逆戻りさせるものだというふうに感じているところなんですが、伺いたいのは、憲法によって権力を縛るという統治形態というのが歴史的に見て人類が到達したものというふうな指摘もあるわけですが、こうした哲学といいますか、この問題の歴史的背景と、この憲法観を今後の憲法議論において堅持することの重要性についてどのようにお考えか、お二方にそれぞれ端的に伺いたいと思いますが、いかがでしょう。
 
072番 ○小林参考人
 近代市民革命で今風の憲法という感覚が生まれたころには、その直前にはいわば北朝鮮のような中世専制国家があって、それをやむを得ず倒したという体験があるんですね。ですから、権力は怖いものということで憲法観はきちんと守られてきたんですけれども、だんだんだんだん時間がたって、いつの間にか国民主権国家で、我々は通常は弾圧なんて受けませんよね、だものですから、だんだん国家権力の悪魔性というようなものを感じないで済むようになっ
てきていることが一つあると思うんですね。
 ところが、各種汚職事件や警察による違法捜査みたいなものは、記録をとるとかなり出てき
ますよね。そういう中で、だからその人たちが悪いという意味じゃなくて、だれだって北朝鮮のあの金さんの立場に立てばああなるということでありまして、権力というのは、歯どめがなくなると、不完全な人間同士ですからだんだん濫用されていくという、この本質は変わりがないと思うんです。まさに十七条憲法の時代から、今日の北朝鮮を見てもあるいは例えば警察の権力濫
用捜査の事件を見ても、同じなんですね。そういう点で、やはりぼけてきているんだと思います。
 それから、もう一つおもしろいと思うのは、そういう、国家を敵にしないでください、国家と協力
しましょうよと言っている人の顔を見ると、代々権力者の地位にいる御家庭の方なんですね。その人たちが言う国家とは、私たちなんです。自分たちはその地位から不動という前提なんですね。そういう地位で生まれて、死んでいく人たちですから。ですから、あなた方大衆は私たち特権階級を敵視しないでくださいと言っているように聞こえるんですね。これは根本的な誤解
だと思います。
 民主主義社会においては世襲制じゃないですから、つまり、議員というのは殿様じゃないで
すから、議員ですから、当選と落選の中で変わっていくべきものなんですね。そういう意味では
多選禁止も考える必要があると思うんですけれども。
 何かそういう、前提として、おまえたち、おれたちに逆らうのかという時代劇のお代官様の世
界ですね、わかりやすく言ってしまうと。何かそういう感覚のずれを最近感じます。特にそういうことを、直接どなたとは言いません、余りに多過ぎて。世襲議員の方たちにそういう傾向があると感ずること――済みません、世襲議員と言われる方と視線が合ってしまいましたけれども。どこを見てもそういう方がおられるので。でも、これは本当に憲法学者として気になるところでござ
います。
 以上です。