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wakaben6888のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

退任前にもう一度読み返す山本健慈和歌山大学学長の「平成25年度卒業式式辞」(付・予告3/3退任記念シンポジウム)

 今晩(2015年2月6日)配信した「メルマガ金原No.1993」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
退任前にもう一度読み返す山本健慈和歌山大学学長の「平成25年度卒業式式辞」(付・予告3/3退任記念シンポジウム)

 和歌山大学学長の山本健慈(やまもとけんじ)さんが、任期満了となる本年7月に先立つ3月末で退任
されることとなり、既に昨年中には、後任の学長候補者に副学長・工学自然科学系長・システム情報学セ
ンター長の瀧寛和(たきひろかず)さんが決定しています。
 
 私自身、和歌山大学教職員の中で、これまで親しくお付き合いさせていただいてきた方々が何人かいるものの、山本健慈先生とは、面識がない訳ではないが、という程度にとどまっていたのは思えば残念なことでした。
 
 ただ、私のメルマガ(ブログ)を読んでくださっている方の中には、以下の記事を感銘深く記憶しておられる方もきっとおられることでしょう。
 
2014年3月27日
 
 今、読み返してみて残念に思うことは、主要部分を抽出した抜粋引用ではなく、卒業式式辞の全文を引用すべきであったということです。
 当時は、リンク先の和歌山大学公式サイトにアップされているPDFファイルにアクセスすれば全文が
読めるということの他に、著作権に対する配慮ということが念頭にあって抜粋引用にとどめたのであった
と思います。
 しかし、その後、和歌山弁護士会の新役員就任披露の会で、たまたま山本学長と同じテーブルとなり、私のブログも読んでいただいていることが分かり、好意的な評価もいただきましたので、全文引用でも問
題なかったな、と考えた次第です。

 実は、今日のメルマガ(ブログ)では、3月3日(火)に行われる「山本健慈和歌山大学長退任記念シ
ンポジウム」をご紹介するつもりで書き始めたのですが、この際、気になっていた「平成25年度卒業式
式辞」全文も、末尾に引用させてもらうことにしました。
 今年の和歌山大学の卒業式(学位記・修了証書授与式)は3月25日(水)に行われることになってお
り、山本健慈学長による「最後の式辞」として大きな注目が集まることと思いますが、
1年前の「卒業式式辞」も全く古びていないばかりか、ますますその妥当性が際立ってきたように思われます。
 未読の方はもとより、既に読んだ方にも是非もう一度読み直していただきたいと思います。
 直接には学長から卒業生に贈られた言葉ですが、その言葉に普遍性があれば、それは私たちにとっても
珠玉の言葉となり、今後の指針となり得るものです。
 そのようなものとして受け取れるかどうかが私たちに問われているのだと思います。
 
 さて、「山本健慈和歌山大学長退任記念シンポジウム」です。
 以下に、和歌山大学サイトに掲載された案内パンフレットを(一部修正の上)引用します。
 
(引用開始)
国立大学法人和歌山大学
山本健慈学長退任記念シンポジウム
「日本の高等教育の未来を考える」
日本の高等教育の未来は描けるか~国公私の大学の役割分担、協働連携の可能性を探る
 
挨拶・企画説明 14:00~14:15
 山本健慈和歌山大学
基調講演 14:15~15:00
 磯田文雄氏(名古屋大学教授、アジアサテライトキャンパス学院長、元文部科学省高等教育局長)
コメント 15:00~15:50
 川口清史氏(立命館大学政策科学部教授、前立命館大学総長)
 築山 崇氏(京都府立大学長)
意見交換 16:00~17:00
 磯田文雄氏、川口清史氏、築山 崇氏、山本健慈
 
日時:2015年3月3日(火)14:00~17:00
場所:和歌山大学松下会館(地域連携・生涯学習センター)2階ホール

    和歌山市西高松1-7-20
    ※和歌山県立図書館隣。栄谷キャンパスではありませんのでご注意ください。
入場無料
申込不要
主催 国立大学法人和歌山大学
お問い合わせ先 和歌山大学地域連携・生涯学習センター(和歌山大学松下会館)
 TEL:073-427-4623,FAX:073-427-7616,
 E-mail lifelong★center.wakayama-u.ac.jp (★を@に変更してください
(引用終わり)
 
 会場となる松下会館には、現在、和歌山大学地域連携・生涯学習センターが置かれており、かつて、和歌山大学生涯学習教育研究センター長を務められ、長らく地域生涯学習を研究してこられた山本先生の退任記念シンポジウムの会場としては、まさに「ここしかない」ということでしょう。
 ちなみに、松下会館には放送大学和歌山学習センターも間借りしており、私は、同大学の学生として、
面接授業や単位認定試験のたびに出かけるなじみ深い建物です。
 なお、老婆心ながら付け加えると、「駐車場に限りがあるため、極力、公共交通機関(路線バスですね
)をご利用ください」だと思います。 
 
 なお、山本先生のこれまでの発言を振り返ることができるサイトをいくつかご紹介しておきます。
 
和歌山大学 学長からのメッセージ
※学長就任以降の各種式辞、所感、インタビュー等が集められています。ところで、学長退任後、このページはどうなるのだろう?山本学長の前任者、小田章前学長の「学長からのメッセージ」は見つけられなかったのだけれど。どこかにアーカイブとして保管されるのだろうか?
 
2013年12月31日 毎日新聞 掲載
特定秘密保護法に言いたい 和歌山大学長・山本健慈さん
意欲的な人材の育成阻害

※これは和歌山大学公式サイトには転載されていませんでしたが、当時、非常に注目を集めた記事でした
 
 
平成23年度入学式 学長式辞
 
※3.11直後に行われた和歌山大学入学式における山本学長式辞の動画です(25年度卒業式式辞の動画はないかと探してみましたが見つかりませんでした)。
 
 『地方国立大学一学長の約束と挑戦 和歌山大学が、学生、卒業生、地域の「生涯応援宣言」をした理由(わけ)』(高文研)

※山本先生が、「退任にあたり、私のささやかな学長としての実践と思考の軌跡が、次世代の参考になれば幸いだと考え」(知友宛メールより)執筆された新刊です。

 それでは最後に、間もなく退任される山本健慈学長が、昨年(2014年)3月25日に卒業生らに贈
った「平成25年度卒業式式辞」全文を引用します。
 

 
                   卒 業 式 式 辞
 
 本日、学士の学位を得た918名の学部卒業生の皆さん、修士の学位を得た225名の大学院修士課程修了生の皆さん、博士の学位を得た6名の博士課程修了生並びに博士学位取得者の皆さん、そして11名特別支援教育特別専攻科修了生の皆さん、卒業・修了おめでとうございます。
 御来賓の本学同窓会の萩平会長ならびに本学後援会の奥村会長、そして列席の理事・副学長、学部長と
ともにご卒業を心からお祝いいたします。あわせてご家族あるいは関係者の皆様にも、心からお慶びを申
し上げます。
 さて、本日卒業の学部卒業生の多くは、1 年次年度末の 3 月 11 日東日本大震災を経験されました。3
・11 大震災は、皆さんの中に、どのように刻まれているでしょうか。
 3・11 大震災後、私自身すぐに思ったことは、個人として大学として、直ちに何かをしなければならな
いということと同時に、被災者の方々の苦しみを真に共有するよう努力することが大事だということでした。とくに未来を背負う学生、若者に、現地に足を踏み入れ、まずは現地を知ることによって、自分が今なすべきことを考えると同時に、自らの未来・人生のテーマを発見してほしいと思ったのです。そして 2011 年、12 年、13 年と毎年本学からボランティアバスを派遣してきました。私自身も、3・11 後の未来を考えるうえで、判断を誤ることがないように、機会があれば東北、とくにフクシマを訪ねるようにして
います。
 このボランティアバスに参加した第 1 期生も、本日の卒業生の中にいます。そのうちの一人の学生と先
日対話をしました。
 彼は、震災が起こるまでは、趣味としてスポーツを楽しみ、自宅を離れての生活を満喫していたと言い
ます。そして、3・11 がなければ、そのままの生活で学生時代が終わったであろうと。しかし、震災後のいろいろなメッセージに接し(彼は、私が学生への講演で紹介した渡辺憲司立教新座中学校・高等学校長の「卒業式を中止した立教新座高校 3 年生諸君へ」(『それでもいまは、真っ白な帆を上げよう -3.11 東日本大震災後に発信された、学長からの感動メッセージ』旺文社 2011 年)での「海を見る自由」に触発されたという)、自分の満喫していた生活は、大学生としての自由の保障の中であったのだと気づいたと言います。そして、その自由を生かしているかと自らを問い直し、ボランティアバスに乗ったと言います。その後、福島を含め繰り返し東北を訪ねているという彼に、卒業を控え、今は何を感じているかと聞きました。そうすると、「就職も決まり進路も決まったが、今、人生と時代への不安を、今までにない
感じ方で感じている。」と言い、そして「それに抗するためには、学び続けることしかないと思っている」と付け加えました。
 彼は「学び続ける」というテーマを、人生の価値として発見したのだと思います。皆さんが在学したこ
の 4 年、大学は、教育のあり方を根本的に変えてきました。受動的な学びではなく、アクティブラーニン
グ、プロジェクト・ベイスド・ラーニング、その拠点としての大学図書館の大改造。
 皆さんも、彼と同様、主体的な学び、答えのない問題への探求の姿勢、この意味と醍醐味を身につけら
れたでしょうか。これこそが、大学卒業の最大の意味だと言ってもいいでしょう。
 彼との対話の最後に、彼から、「学長には不安はないですか」と問われました。そのときは、時間もなく
、十分答えられませんでしたが、この式辞をまとめながら、彼との対話を思い起こし、そのとき彼の問い
に正直に答えられなかった不誠実と、「私の深い不安」が身に迫ってきました。
 それは、彼が言った「不安に抗するためには、学び続けることしかない」、この「学び続ける」自由の
危機、学び続ける自由を抑圧しようとする動きが、この日本社会にあること、そしてこの不安を彼の前で
表明しなかったことです。
 中沢啓治氏の古典的アニメ『はだしのゲン』の行政および民間団体による排斥、個人の行為とはいえこ
れも古典的価値のある『アンネの日記』の破損、さらには社会思想家 内田樹氏や、社会学上野千鶴子氏の講演への行政権力の介入的態度。私が生きてきた 65 年の人生で、こうしたことが公然と行われ、か
つ連続的に起こっていることは、驚くべきことです。
 私は、昨年末の「特定秘密保護法」の制定に対して、これを、学びの自由への抑圧と捉え、その危惧を表明しておりました。(2013 年 12 月 31 日毎日新聞)。
 先の学生が言うように、学びは、不安から、そして好奇心から始まります。この学びの行き着く先は分からないのです。かつて治安維持法の時代、好奇心旺盛な学生が、旅で見た風景を語っただけで「スパイ」とされ、罰せられた歴史的事例もあるのです。(上田誠吉『ある北大生
の受難・・国家秘密法の爪痕』花伝社刊 2013 年)何が秘密かも知らされない特定秘密保護法は「どこに地雷が埋まっているか分からない」という恐れを抱かせ、何かを知ろうとする若者たちの意欲を萎縮させるものです。社会の要請である自発的な学びの意欲をもつ人材を育てることを阻害するような制度は、大
学の経営を任されている者として容認することはできません。
 そして、「学び続けること」の必要は、学生だけのものではありません。社会には多くの判断の違い、
対立があります。それらの違い、対立を自由な学びの中で考え、自らの判断を形成し、社会・政治に参加していく、これが民主主義社会の姿です。市民に学習の自由が保障されてこそ、民主主義は成立するので
す。
 このことを、1985 年第 4 回ユネスコ国際成人教育会議は、「学習権は、人類の生存にとって不可欠な
道具である」「「学習権は、経済発展のたんなる手段ではない。それは基本的権利のひとつとして認められなくてはならない。学習行為は、(中略)人間行為を出来事のなすがままにされる客体から、自分自身の歴史を創造する主体にかえていくものである」(1985 年 3 月 29 日 第 4 回ユネスコ国際成人教育会議
採択)と言っています。
 この「学習権」が否定されようとしていること、これが私の市民として、学長として、また生涯学習の自由を研究してきた研究者としての「不安」の核心であり、全てです。そして、私自身が
、皆さんの未来への義務としても、この動きに抗する責任を感じています。そして今こそ、その責任を果
たすべきだと考えています。
 それはなぜか。私は、いま 1985 年 5 月 8 日 第 2 次世界大戦でのドイツの敗戦 40 周年にあたって
の西ドイツ国会でのヴァイツゼッカー大統領の演説の一節を思い出します。ヴァイツゼッカー氏は、「後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」と述べましたが、このドイツで、1945 年の敗戦の直後に、ナチスの支配を許したドイ
ツの反省を、ある牧師が語った有名な回顧があります。
 「ナチ党が共産主義者を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。ついでナチ党は社会民主主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが何もしなかった。ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した・・・しかし、それは遅すぎた」(マルティン・ニーメラー牧師)(M・マイヤー著 田中浩・金井和子訳『彼らは自由だと思っていた・・元ナチ党員十人の思想と行動』 未来社 1963 年初版刊行)と。
 この牧師の回顧にならうならば、ある書籍が排斥された、そのとき多少不安だった、でも何もしなかった。ある研究者が排斥された。前よりも不安だったが何もしなかった。そしてついに・・・ということになりかねないのです。
 皆さんの未来にとって、そして大学、社会の未来にとって、<学び続ける自由>こそ重要であり、民主主義の根幹です。日本社会においての最高学府で、学ぶことの価値と意味を体験した皆さんには、それを行動で体現し、それを阻害するものに抗していただきたいと思います。
 ヴァイツゼッカー氏は、先の講演の最後に、「ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪を掻きたてつづける
ことに腐心しておりました。若い人たちにお願いしたい。他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。」「若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手を
とり合って生きていくことを学んでいただきたい」と言い、次のように締めくくっています。
 「民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範をしめしてほしい」と(永井清彦編訳『言葉の力 ヴァイツゼッカー演説集』岩波書店 2009 年刊)。私も、皆さんが、そうあることを願っています。
 式辞の終わりにあたり、私は本学が発信している「和歌山大学は、生涯あなたの人生を応援します」と
いうメッセージ通り、教職員は勿論のこと全国各地にいる同窓会の諸先輩方とともに、卒業後も皆さんを応援することを、とりわけ<学び続けること>を応援することを重ねてお伝えし、式辞といたします。
 
  2014 年 3 月 25 日
 
                           和歌山大学長  山本 健慈