wakaben6888のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

放送法の解釈と放送業界の実情を砂川浩慶氏(立教大学)から聴く(ビデオニュース・ドットコム)

 今晩(2015年11月23日)配信した「メルマガ金原No.2283」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
放送法の解釈と放送業界の実情を砂川浩慶氏(立教大学)から聴く(ビデオニュース・ドットコム)

 放送大学において、単位認定試験問題の学内サイトへの掲載にあたり、問題作成者である主任講師の了解を得ることなく、大学が(学長、副学長ら執行部がということになるのでしょうか)勝手に問題文の一部を削除して掲載し、それが表面化するや、その措置を正当化する根拠を放送法4条に求める学長声明を出したことに対し、放送大学の学生の身でありながら(?)これを批判する文章を私が書いてからもう1か月が経とうとしています。
 ところが、これは決して偶然ではないと思うのですが、その直後から、放送法をめぐる大きなニュースが立て続けに飛び込んできました。
 1つは、BPO放送倫理・番組向上機構)の放送倫理検証委員会が、『クローズアップ現代』やらせ疑惑事件についてとりまとめた意見の中で、総務相自民党による政治的介入を厳しく批判したのに対し、安倍政権がこれに激しく反発しているという問題であり、もう1つは、TBS「News23」の岸井成格キャスターを名指しで批判する全面意見広告が、11月14日の産経新聞、翌15日の讀賣新聞に掲載されたという問題です。
 この両者において問題の焦点となった放送法4条の解釈については、放送倫理検証委員会委員でもある是枝裕和氏が、ご自身のサイトにおいてまとまった見解を公表しており(末尾にリンク)、是非お読みいただければと思いますが、今週のビデオニュース・ドットコムにおいて、神保哲生さん、宮台真司さんによる対談(ニュース・コメンタリー「安倍政権放送法の解釈は間違っている」)でこの問題が取り上げられるとともに(前半20分が放送法問題)、放送法の研究者である立教大学の砂川浩慶社会学部准教授に神保哲生さんがインタビューした動画が併せて公開されました。
 専門の研究者から、放送法解釈の基本についての解説を伺うというのは、まことにタイムリーな企画であり、是非多くの人に視聴していただきたいと思います。
 
ビデオニュース・ドットコム ニュース・コメンタリー(2015年11月21日)
「安倍政権の放送法の解釈は間違っている」


(番組案内から引用開始)
 BPO放送倫理・番組向上機構)がNHK番組の「やらせ疑惑」をめぐり、高市早苗総務相による放送への介入を批判したことに対し、政権側が激しく反論を繰り広げている。
 高市総務相安倍晋三首相は11月10日の衆議院予算委員会で、放送法総務相が放送局に対して行政指導を行う権限があると解釈していることを明らかにした。
 「BPOというのは、法定の機関ではないわけでありますから、まさに法的に責任を持つ総務省が対応するのは当然であろうと思う。」安倍首相はこのように語り、放送法の4条は放送局への政府の指導を認めているとの認識を示した。
 また、自民党NHKの幹部を呼びつけて事情を聞いたことについて、BPOが「政権党の圧力そのもの」と批判したことについても、安倍首相は「予算を承認する責任がある国会議員が事実を曲げているかどうかを議論するのは当然のこと」と語った。
 確かに放送法の4条は放送事業者に対して政治的な公平性や事実を曲げないことなどを求めている。
 しかし、放送法はその第1条で「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること」を定めている。映画監督でBPOのメンバーを務める映画監督の是枝裕和氏が自身のブログで指摘するように、放送法を審議していた1950年の衆院電気通信委員会で当時の綱島毅電波監理庁長官が、この条文はそもそも放送事業者ではなく、政府に対して向けられたものであると答弁している。
 つまり、放送法の第1条は放送局を縛ることを意図としたものではなく、放送局に対して政治に介入されることなく、不偏不党や真実を貫く権利を保障している条文だったのだ。また、そこで言う不偏不党や真実といった条件は、放送局自らが「自律」的に担保すべきものであることも、同条文は明確に謳っている。
 それを前提に政治的な公平性や事実を曲げないことを求めている第4条を読めば、これらの条件も放送局が自律的に担保すべき基準と考えるのが自然だ。同じ法律の第1条で政治の介入を禁止しておきながら、第4条で政治が介入してもいいと書かれていると解釈することには無理がある。
 そもそも日本国憲法21条は表現の自由や検閲の禁止を定めている。まず憲法21条が大前提として存在し、その下で放送法が第1条で権力の介入の禁止や放送局の自律的な不偏不党性や真実性を追求する権利を定めている。そして第4条で第1条で示した不偏不党性や真実性の具体的な要素として、政治的な公平性や事実を曲げないことなどを挙げているということになる。
 しかし、安倍首相や高市総務相の国会答弁では、憲法21条と放送法の1条と4条があたかも同じ優先順位で並列に存在しているかのような認識が示されている。憲法21条と放送法1条の存在を無視して、全く独立した法律の条文として放送法4条を読むことによって、放送局には「政治的な公平性」や「事実を曲げないこと」が求められているので、これに違反した場合は行政が介入することが可能になると強弁しているに過ぎない。
 これは元々それほど難しい問題ではない。憲法21条で表現の自由や検閲の禁止が保障されている以上、放送法がそれを認めることはそもそもあり得ない。放送という媒体の希少性や特殊性を考慮に入れても、公平性や真実性の制約は放送局が自律的に課すものでなければならないことは明白だ。また、もし放送法が高市総務相や安倍首相の答弁したように解されるのが正しい法解釈だとすれば、単にそのような放送法憲法違反ということになるだけだ。
 なぜ今日の日本では明白に憲法に抵触する、ありえないような法解釈がまかり通るのか。なぜ放送局はこのような法外な政府の解釈に反発しないのか。次々と表現の自由が切り崩されている現状について、ジャーナリストの神保哲生社会学者の宮台真司が議論した。
 その他、原発事故直後に国外に避難したことで契約を解除された元NHKフランス人キャスターに勝訴判決など。
(引用終わり)
 
ビデオニュース・ドットコム インタビューズ(2015年11月20日)
放送局が権力による違法な介入を蹴飛ばせない理由
砂川浩慶氏(立教大学社会学部准教授)


(番組案内から引用開始)
 BPO放送倫理・番組向上機構)がNHK番組の「やらせ疑惑」をめぐり、高市早苗総務相による放送への介入を批判したことに対し、安倍政権放送法総務相放送局に対して行政指導を行う権限を認めていると主張している。
 しかし、立教大学社会学部准教授で放送法が専門の砂川浩慶氏は、安倍政権放送法の解釈は間違っていると指摘する。
 砂川氏はまた、政権の誤った法解釈に対して放送局が反発できない理由として、放送局が政府から数々の特権を与えられている問題を指摘する。
 砂川氏に放送法の解釈や放送免許制度の問題点、クロスオーナーシップの弊害などについて、ジャーナリストの神保哲生が聞いた。
砂川浩慶(すなかわ ひろよし)
立教大学社会学部准教授
1963年沖縄県生まれ。1986年早稲田大学卒業。日本民間放送連盟職員を経て2006年より現職。編著に「放送法を読みとく」など。
(引用終わり)
 
(参考条文)
日本国憲法(昭和二十一年十一月三日憲法)
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
 
放送法(昭和二十五年五月二日法律第百三十二号)
   
第一章 総則
(目的)
第一条 この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。
(定義)
第二条(略)
   第二章 放送番組の編集等に関する通則
(放送番組編集の自由)
第三条 放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。
(国内放送等の放送番組の編集等)
第四条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
2 放送事業者は、テレビジョン放送による国内放送等の放送番組の編集に当たつては、静止し、又は移動する事物の瞬間的影像を視覚障害者に対して説明するための音声その他の音響を聴くことができる放送番組及び音声その他の音響を聴覚障害者に対して説明するための文字又は図形を見ることができる放送番組をできる限り多く設けるようにしなければならない。
(番組基準)
第五条 放送事業者は、放送番組の種別(教養番組、教育番組、報道番組、娯楽番組等の区分をいう。以下同じ。)及び放送の対象とする者に応じて放送番組の編集の基準(以下「番組基準」という。)を定め、これに従つて放送番組の編集をしなければならない。
2 放送事業者は、国内放送等について前項の規定により番組基準を定めた場合には、総務省令で定めるところにより、これを公表しなければならない。これを変更した場合も、同様とする。
 
(参考サイト)
2015(平成27)年11月6日
放送倫理検証委員会決定 第23号
NHK総合テレビ『クローズアップ現代』“出家詐欺”報道に関する意見

(抜粋引用開始)
Ⅵ おわりに
 戦後70年の夏、多くの人々が憲法と民主主義について深く考え、放送もまた、自らのありようを考えさせられる多くの経験をした。
 6月には、自民党に所属する国会議員らの会合で、マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番、自分の経験からマスコミにはスポンサーにならないことが一番こたえることが分かった、などという趣旨の発言が相次いだ。メディアをコントロールしようという意図を公然と述べる議員が多数いることも、放送が経済的圧力に容易に屈すると思われていることも衝撃であった。今回の『クロ現』を対象に行われた総務大臣の厳重注意や、自民党情報通信戦略調査会による事情聴取もまた、このような時代の雰囲気のなかで放送の自律性を考えるきっかけとするべき出来事だったと言えよう。
 2015年4月28日、総務大臣はNHKに対し、『クロ現』について文書による厳重注意をした。番組内容を問題として行われた総務省の文書での厳重注意は2009年以来であり、総務大臣名では2007年以来である。NHKが調査報告書を公表した当日、わずか数時間後に出された点でも異例であった。
 総務大臣は、厳重注意の理由は「事実に基づかない報道や自らの番組基準に抵触する放送が行われ」たことであり、厳重注意の根拠は、放送法の「報道は事実をまげないですること。」(第4条第1項3号)と「放送事業者は、放送番組の種別及び放送の対象とする者に応じて放送番組の編集の基準を定め、これに従つて放送番組の編集をしなければならない。」(第5条第1項)との規定だとする。
 しかし、これらの条項は、放送事業者が自らを律するための「倫理規範」であり、総務大臣が個々の放送番組の内容に介入する根拠ではない。
(引用終わり)
 
是枝裕和 KORE-EDA.com 2015年11月7日
「放送」と「公権力」の関係について~NHK総合「クローズアップ現代」“出家詐欺”報道に関するBPO(放送倫理検証委員会)の意見書公表を受けての私見~

(抜粋引用開始)
 BPOは政治家たちの駆け込み寺ではありません。ここまで僕の文章を読んでいただいた方はもうおわかりだと思いますが、保障するべき立場の政治家たちが 「政治的公平」を声高に訴える行為そのものが、放送(局)の不偏不党を、つまりは放送法を自ら踏みにじることなのだという自覚の欠如を端的に示しています。
 「批判を受けた」放送人が考えなくてはいけないのは、批判の理由が果して本当に公平感を欠いたものだったのか?それとも政治家にとって不都合な真実が暴かれたからなのか?その一点につきるでしょう。後者であるならば、まさに放送法に記されている通り、誰にも邪魔されずにその「真実」を追究する自由は保障されていますし、BPOもそんなあなたの取り組みを全面的に支持するでしょう。
 今回の意見書には、そんなBPO本来の姿がいつにも増して表明されていると思います。憲法ほどではないにせよ放送や「放送法」にも積み重ねてきた議論の歴史というものがあります。それをしっかりと理解することで、番組制作者はより自由を手にすることが出来る。それは公権力の介入に抗する自由です。もちろん、その自由を獲得するためには放送人ひとりひとりに不断の努力が求められることは明らかです。それこそが「自主、自律」なのですから。
(引用終わり)
 
(弁護士・金原徹雄のブログから)
2015年10月22日
放送大学「日本美術史('14)」単位認定試験にかかわる見過ごせない大学の措置について 
2015年10月24日
放送大学長「単位認定試験問題に関する件について」を批判的に読む
2015年11月7日
放送倫理検証委員会(BPO)「NHK総合テレビ『クローズアップ現代』“出家詐欺”報道に関する意見」(2015年11月6日)を読む
2015年11月8日
「第12回 憲法フェスタ」(11/3 守ろう9条 紀の川 市民の会)レポートと11月中の和歌山での取組予定のお知らせ
※11月6日に行われたシンポジウム「今、報道の自由を考える~国民の知る権利の観点から~」(主催:和歌山弁護士会)に簡単に触れています。
2015年11月16日
「報道の自由」にとっての最高度の危機~「放送法の遵守を求める視聴者の会」からの攻撃について


(忘れないために)
 「自由と平和のための京大有志の会」による「あしたのための声明書」(2015年9月19日)を、「忘れないために」しばらくメルマガ(ブログ)の末尾に掲載することにしました。
 
(引用開始)

  あしたのための声明書
 
わたしたちは、忘れない。
人びとの声に耳をふさぎ、まともに答弁もせず法案を通した首相の厚顔を。
戦争に行きたくないと叫ぶ若者を「利己的」と罵った議員の無恥を。
強行採決も連休を過ぎれば忘れると言い放った官房長官の傲慢を。
 
わたしたちは、忘れない。
マスコミを懲らしめる、と恫喝した議員の思い上がりを。
権力に媚び、おもねるだけの報道人と言論人の醜さを。
居眠りに耽る議員たちの弛緩を。
 
わたしたちは、忘れない。
声を上げた若者たちの美しさを。
街頭に立ったお年寄りたちの威厳を。
内部からの告発に踏み切った人びとの勇気を。
 
わたしたちは、忘れない。
戦争の体験者が学生のデモに加わっていた姿を。
路上で、職場で、田んぼで、プラカードを掲げた人びとの決意を。
聞き届けられない声を、それでも上げつづけてきた人びとの苦しく切ない歴史を。
 
きょうは、はじまりの日。
憲法を貶めた法律を葬り去る作業のはじまり。
賛成票を投じたツケを議員たちが苦々しく噛みしめる日々のはじまり。
人の生命を軽んじ、人の尊厳を踏みにじる独裁政治の終わりのはじまり。
自由と平和への願いをさらに深く、さらに広く共有するための、あらゆる試みのはじまり。
 
わたしたちは、忘れない、あきらめない、屈しない。
 
     自由と平和のための京大有志の会
(引用終わり)